返事
藤森からの連絡に、俺は思ったより早く返事をしていた。
『一度、条件の話をさせてほしい』
指定されたのは、前に話をした喫茶店だった。
落ち着いた場所のほうがいいと思ったし、
この話は勢いで決めるものじゃないとも思っていた。
藤森は、すでに席に着いていた。
今日はノートもパソコンも出していない。
「来てくれて、ありがとうございます」
「いや。俺のほうこそ」
注文を済ませ、飲み物が来るまでの短い沈黙。
先に口を開いたのは、俺だった。
「……同居の話だけど」
藤森は、何も言わずにうなずく。
「やるなら、きちんと契約みたいにしたい」
そう切り出すと、彼女は少しだけ目を見開いたあと、
すぐに真剣な表情になった。
「給料のこと。
支払いの頻度と方法。
家事の範囲も、はっきりさせたい」
言葉を並べながら、
自分でも驚くほど冷静だと感じていた。
「一年で終わるって話なら、
途中で曖昧になるのは、お互いにきついと思う」
藤森は、ちゃんとうなずいた。
「それでいいです」
即答だった。
「条件、聞かせてください」
俺は続ける。
「生活費は、給料とは別で考える。
家事は、俺の判断でやる。
ただし、仕事の邪魔はしない」
「はい」
「一年が終わったら、
その時点で解散。延長はしない」
少し間があってから、藤森は答えた。
「分かりました」
覚悟している、というより、
最初からそのつもりだったように見える。
「……そっちからの条件は?」
そう聞くと、藤森は一度だけ視線を落とした。
それから、はっきりと言う。
「私の部屋には、入らないでください」
声は落ち着いていたが、
そこだけ、線を引くような強さがあった。
「掃除もしない。
整理もしない。
私がいない間も、入らないでほしいです」
理由は、語られない。
「それだけ?」
確認すると、藤森は小さくうなずいた。
「それ以外は、特にありません」
思ったよりも、条件は少なかった。
前に見た部屋の様子を思い出す。
ファミリー向けの間取りなのに、
共有部分に家族の痕跡はほとんどなかった。
写真も、飾り物もない。
なのに、自室だけは触れさせない。
理由を聞くことは、簡単だ。
だが、今は聞かないほうがいい気がした。
「……分かった」
そう答えると、藤森は少しだけ肩の力を抜いた。
「ありがとうございます」
話は、それで一段落した。
一年。
終わりが決まっている同居。
現実的で、合理的で、
感情が入り込む余地は少ないはずなのに。
なぜか、
「暮らす」という言葉だけが、頭に残っていた。
俺は、ふと思いついたように聞いた。
「……好きな食べ物、あるか?」
藤森は一瞬きょとんとしたあと、
少し考えてから答える。
「クリームシチュー、です」
あまりにも普通の答えで、
拍子抜けするくらいだった。
「分かった」
それだけ言って、俺はカップを手に取る。
一年後のことは、まだ分からない。
だが、
少なくとも最初の食卓に、
クリームシチューが並ぶ光景だけは、
はっきりと想像できた。




