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私と約束の99の物語  作者: 阪井秋


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返事


 藤森からの連絡に、俺は思ったより早く返事をしていた。


『一度、条件の話をさせてほしい』


 指定されたのは、前に話をした喫茶店だった。

 落ち着いた場所のほうがいいと思ったし、

 この話は勢いで決めるものじゃないとも思っていた。


 藤森は、すでに席に着いていた。

 今日はノートもパソコンも出していない。


「来てくれて、ありがとうございます」


「いや。俺のほうこそ」


 注文を済ませ、飲み物が来るまでの短い沈黙。

 先に口を開いたのは、俺だった。


「……同居の話だけど」


 藤森は、何も言わずにうなずく。


「やるなら、きちんと契約みたいにしたい」


 そう切り出すと、彼女は少しだけ目を見開いたあと、

 すぐに真剣な表情になった。


「給料のこと。

 支払いの頻度と方法。

 家事の範囲も、はっきりさせたい」


 言葉を並べながら、

 自分でも驚くほど冷静だと感じていた。


「一年で終わるって話なら、

 途中で曖昧になるのは、お互いにきついと思う」


 藤森は、ちゃんとうなずいた。


「それでいいです」


 即答だった。


「条件、聞かせてください」


 俺は続ける。


「生活費は、給料とは別で考える。

 家事は、俺の判断でやる。

 ただし、仕事の邪魔はしない」


「はい」


「一年が終わったら、

 その時点で解散。延長はしない」


 少し間があってから、藤森は答えた。


「分かりました」


 覚悟している、というより、

 最初からそのつもりだったように見える。


「……そっちからの条件は?」


 そう聞くと、藤森は一度だけ視線を落とした。


 それから、はっきりと言う。


「私の部屋には、入らないでください」


 声は落ち着いていたが、

 そこだけ、線を引くような強さがあった。


「掃除もしない。

 整理もしない。

 私がいない間も、入らないでほしいです」


 理由は、語られない。


「それだけ?」


 確認すると、藤森は小さくうなずいた。


「それ以外は、特にありません」


 思ったよりも、条件は少なかった。


 前に見た部屋の様子を思い出す。

 ファミリー向けの間取りなのに、

 共有部分に家族の痕跡はほとんどなかった。


 写真も、飾り物もない。


 なのに、自室だけは触れさせない。


 理由を聞くことは、簡単だ。

 だが、今は聞かないほうがいい気がした。


「……分かった」


 そう答えると、藤森は少しだけ肩の力を抜いた。


「ありがとうございます」


 話は、それで一段落した。


 一年。

 終わりが決まっている同居。


 現実的で、合理的で、

 感情が入り込む余地は少ないはずなのに。


 なぜか、

 「暮らす」という言葉だけが、頭に残っていた。


 俺は、ふと思いついたように聞いた。


「……好きな食べ物、あるか?」


 藤森は一瞬きょとんとしたあと、

 少し考えてから答える。


「クリームシチュー、です」


 あまりにも普通の答えで、

 拍子抜けするくらいだった。


「分かった」


 それだけ言って、俺はカップを手に取る。


 一年後のことは、まだ分からない。


 だが、

 少なくとも最初の食卓に、

 クリームシチューが並ぶ光景だけは、

 はっきりと想像できた。


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