終わらせる理由
玄関の鍵が回る音がしたのは、夜だった。
数日ぶりに、
この家に人の気配が戻る。
ドアが開き、
結子が立っていた。
「……ただいま」
「おかえり」
それだけで、
会話は止まる。
結子は靴を脱ぎ、
部屋の中を一度だけ見回した。
生活の跡を確かめるような視線だった。
「少し、話してもいいですか」
「ああ」
リビングの椅子に向かい合って座る。
テーブルの上は、
いつも通り整えられている。
結子は、その中央を見つめたまま、
静かに口を開いた。
「……同居契約、解除したいです」
唐突だったが、
まったく予想外というわけでもなかった。
「理由は?」
そう聞くと、
結子は一瞬だけ目を伏せる。
「編集部から、話がありました」
それだけで、
大体の事情は分かる。
「週刊誌の件、このままでは困るって」
声は淡々としている。
「私の作品は、
“女子大生が書いている小説”だから、
ここまで支持されてきた部分もあるそうです」
編集部の言葉を、
そのままなぞるような口調だった。
「清廉潔白なイメージが崩れると、
作品そのものにノイズが入る」
結子は、そこで一度言葉を切る。
「……だから、このまま同居を続けるのは、
よくないと思いました」
俺の存在が、
問題だと言われている。
はっきり口にしなくても、
それは十分に伝わった。
「契約は、まだ途中だ」
「分かっています」
即答だった。
「でも……
今は、余計な材料を増やしたくないんです」
その言い方が、
ひどく結子らしかった。
感情よりも、
進行を優先する。
自分を守るより、
目的を守る。
「……分かった」
俺は、それ以上は聞かなかった。
引き止める理由も、
資格もない。
結子は、少しだけ驚いた顔をする。
「……いいんですか」
「ああ」
そう答えたが、
胸の奥に、
言葉にならない違和感が残る。
これは、
約束通りの終わり方なのか。
それとも、
何かを取り違えているのか。
「荷物は、まとめます」
「急がなくていい」
「いえ……」
結子は立ち上がり、
自分の部屋の前で足を止めた。
そして、振り返る。
「ごめんなさい」
それだけ言って、
ドアの向こうに消えた。
残されたリビングは、
不自然なほど整っている。
俺は初めて、
この家が“生活の場”ではなく、
“通過点”だったのかもしれないと感じていた。
一年という期限。
守られたのは、
期間ではなく、
彼女の選択だった。
だが、
この終わらせ方が、
本当に彼女のためになるのか。
その答えだけが、
まだ見えなかった。




