言えなかったこと
結子と連絡が取れないまま、数日が過ぎた。
家の周りには、相変わらず人の気配がある。
張り込んでいる、というほど露骨ではない。
だが、偶然を装った視線が、確実に増えていた。
俺は、外に出るのを最低限にしていた。
ここにいること自体が、
余計な材料になりかねない気がしたからだ。
そんな折、一本の電話が入った。
見覚えのない番号。
「藤森結子さんの件で、少し確認したいことがありまして」
出版社の編集担当だと名乗られた瞬間、
嫌な予感が、はっきりと形になる。
「週刊誌の記事、ご存じですよね」
「……はい」
「事実無根だとしても、
このまま放置するわけにはいきません」
声は冷静だった。
だが、そこに感情はない。
「彼女の作品は、
“女子大生が書く小説”というイメージも含めて、
支持されてきました」
淡々とした口調で、続く。
「清廉潔白であることが、
作品の価値と結びついている部分もある」
言葉の意味は、重かった。
「スキャンダラスな話題が先行すると、
どうしてもノイズが入ります。
今後の展開にも影響が出かねない」
俺は、
何も言えなかった。
「藤森さんには、
きちんと説明するよう伝えています」
その一言で分かる。
結子は、
すでに編集部に呼び出されている。
どこまで話したのか。
あるいは、
何も話せなかったのか。
電話を切ったあと、
胸の奥が、じわじわと重くなった。
結子は、
自分を弁護するのが得意な人間じゃない。
誤解を解くために、
感情を言葉にするタイプでもない。
黙って、
全部を飲み込む。
そういう人だ。
だから、分かる。
彼女は、
その場で何も言えなかったはずだ。
結子の目的は、
はっきりしている。
書くこと。
止まらないこと。
途中で終わらせないこと。
だからこそ、
この状況は、まずい。
自分の評判が落ちることより、
「続けられなくなる」ことを、
何より恐れている。
――このままでは、
彼女は自分を切り捨てる。
そう思った。
俺との同居も、
今の生活も、
すべてを整理して、
なかったことにする。
それが、
結子の選びそうな答えだった。
机の上には、
片づけられないままのノートがある。
触れてはいけないと、
決められている場所。
それでも、
そこに彼女の生活があったことだけは、
はっきりと分かる。
一年という期限。
それは、
守るための約束だったはずだ。
だが今は、
終わらせる理由に変わりつつある。
俺は、
初めて思った。
踏み込まない、という選択が、
誰かを守るどころか、
追い詰めていることもあるのだと。




