公園のベンチと、空腹の音
その夜、俺は公園のベンチに座っていた。
街灯の光は弱く、十一月の空気は思った以上に冷たい。
スーツの上着を着たままなのに、体の奥まで冷え切っている気がした。
ネクタイは緩めたまま、鞄は足元に置いてある。
会社を出てから、どれくらい時間が経ったのかは分からない。
家に帰る気にもなれず、気づけばここにいた。
しばらくして、隣に誰かが腰を下ろした。
若い。
それだけで、俺とは違う世界の人間だと分かる。
ベージュのロングコートに、ゆったりしたニット。
足元は白いスニーカーで、どこにでもいそうな、今どきの大学生といった格好だった。
肩に掛けたトートバッグは、流行りものというより実用重視らしく、少し角が擦れている。
彼女はスマホを取り出して画面を見つめ、何度か電源ボタンを押したあと、諦めたように鞄へ戻した。
その仕草に、妙な焦りが滲んでいる。
……ぐぅ。
静まり返った公園に、その音はやけにはっきり響いた。
俺は思わず、横を見る。
彼女は一瞬だけ肩をすくめ、視線を逸らした。
恥ずかしそうというより、もうどうしようもない、といった表情だった。
「……お腹、空いてる?」
自分でも驚くほど、自然に声が出た。
「……はい」
短い返事だった。
取り繕う気もないらしい。
少しの沈黙。
俺は立ち上がり、コートのポケットに手を入れる。
財布は、まだそこにあった。
「近くにファミレスがある。
よかったら、何か食べていかないか」
どうしてそんなことを言ったのか、正直よく分からない。
親切心というほど立派なものじゃない。
ただ、このまま見なかったことにする気には、なれなかった。
彼女は少し迷ったあと、うなずいた。
「……お願いします」
ファミレスは、歩いて数分の場所にあった。
自動ドアが開いた瞬間、温かい空気が肌に触れる。
席に案内され、メニューを開く彼女の表情は、さっきよりも少し柔らいでいた。
「好きなもの、頼んでいい」
「……じゃあ、日替わりで」
遠慮がちだが、ちゃんと食べる気はあるらしい。
それだけで、なぜかほっとした。
料理が来るまで、ほとんど会話はなかった。
無理に話す必要も感じなかった。
運ばれてきたハンバーグを、彼女は一口食べて、目を伏せた。
肩が、ほんの少し揺れる。
「……大丈夫か?」
「いえ。おいしくて」
それは、嘘じゃない声だった。
何口か食べ進めてから、俺は名乗った。
「……高城です」
「藤森、です」
名字だけ告げると、彼女は小さくうなずいた。
財布もスマホも使えなくなって、ここに辿り着いたらしい。
それ以上、俺は詳しく聞かなかった。
聞かれなかったことに、彼女も少し安心したようだった。
会計を済ませて店を出る。
夜の空気は、さっきよりもほんの少しだけ柔らかく感じた。
この出会いが、
俺の人生と、彼女の人生を、ゆっくりと動かしていくことになるなんて。
この時の俺は、まだ知らなかった。




