求める美
授業を終えた後、レイは一人校舎の裏でひっそりと魔法を繰り返していた。
地面の上には何枚もの魔法陣が散らばり、辺りには焦げた跡や焼けた匂いが漂っていた。
魔法陣を描くたびに、紙は焼け、指先は火傷のように赤く腫れる。
それでも、レイが手を止めるようなことはなかった。
「もう少し……、あと少しなんだ……」
呟くレイの頬には、前よりも鮮やかな陰影が浮かんでいた。
その鼻筋は高く、唇は薄く艶を帯び、瞳の色も少しだけ深まっていくように変貌を遂げていた。
時折手にする鏡の中で微笑むその顔は、確かに誰もが振り返るほど美しい姿をしていた。
しかしその美の裏で、心の奥のどこかで違和感のようなものが宿っていくのをレイは見ないようにしていたのだ。
「……すごい。お金をかけなくても、どんどん理想の顔になっていく……」
喜びに、声が震える。
もう、戻ることはできなかった。自らでも惚れ惚れとするほどに、その顔は他のなによりも美しく輝いているようにも見えていたのだ。
魔法は、肉体と精神を結びつける。
戻すには、何倍もの魔力とそれ相応の痛みが必要になる。
レイは息を吐いて、強く手のひらを握りしめる。
――リオもシュリさんも、今の俺の顔を見たら……なんて言うんだろう。
その時、背後から声がかかる。
「そこにいるの、レイか?」
レイは慌てて顔を布で隠し、魔法陣を片付けた。
「リオ?そ、そうだよ……」
夜風とともに、リオは立っていた。
手には何やら、小さな包みを抱えていた。
「ほら、差し入れ。ここのところ自主練ばっかで、ろくに食べてないだろ?」
「ごめん。……ありがとう」
リオはレイの隣に腰を下ろし、辺りを静かに見回した。
その魔法陣の残り香に、わずかに眉をひそめる。
「……そんなになるまで、練習してたのか?」
「もうすぐ、試験だから……」
リオは黙って包みを開き、パンを差し出した。
ふわりと、香ばしい匂いが広がる。
しばらくパンを手にしていると、すでに食べ進めていたリオが声をかける。
「食べないのか?」
「うん。あとで、食べるよ」
布の下に隠された肌が、痛み出したのだ。
一気に魔力を流し込まれてしまった肉体が、適応するために激しい痛みを生み出していた。
何度も顔の布を気にするレイの姿を目にして、リオは考える。
近頃のレイは、以前よりも元気がなくなっていた。目元を変えてからは特に、外見を気にするようになって顔に布を巻きつけるようにもなっていた。
誰もが最初は不審に思ったが、人それぞれ何か事情があるのだろうと誰も何も言わなかった。
リオもまた、レイの変化に気付いていながらも、どう声をかけたらいいものかとわからないでいたのだ。
いつかレイが自らの口で説明してくれることを信じて、こうして側にいることしかできないでいた。
すると突然、柔らかな風が吹き付け、肌を覆うその布がはだけてしまう。
その時、リオは目を疑った。
「……その顔!また、何かしたのか?」
「な、何もしてないよ!」
「嘘つくな」
リオの声が低くなる。
普段は優しいその声に、凄みのある熱が宿っていた。
「前のレイの顔の方が、好きだった。今のも、すごく綺麗だと思う。思うけど、どこか……冷たい」
わなわなと、レイの唇が震えていく。
「俺は、綺麗になりたいだけなんだ」
「なんでそんなに、変わろうとするんだよ」
「だって、俺は……。醜いんだ……」
その瞬間、二人の目の前で炎が弾け大きな火花が散っていく。
レイの魔力が、一瞬、制御を失ったのだ。
リオは一歩、レイに近づく。
「そんなこと、誰が言ったんだ?」
「みんな……」
「みんなって……、俺は言ってないぞ!いつ、誰がそんなこと言ったんだ?答えてみろよ!」
深い沈黙が、落ちていく。
レイの瞳からは、ぽろりと涙がこぼれてしまう。
「リオは優しいから、そう言うんだ……。でも、わかってる。俺の顔は、どこにいても駄目なんだ。整形して、ようやく普通になれたんだ……」
「……普通に、なりたいのか?」
リオの声は低く、しかし震えていた。
「……俺は、誰よりもお前らしい顔が、好きだった」
その言葉が、レイの胸を切り裂いた。
痛いほど真っ直ぐな眼差し、触れたら壊れそうな静けさ。
レイはその視線から逃げるように顔をそらした。
「ごめん、リオ。……もう、帰ってくれ」
「……わかった」
リオはゆっくりと立ち上がり、レイに対して背を向けた。
しかしその直前、ある言葉を落としていく。
「俺、レイのこと、本気で好きだからな。そのことだけは、覚えておいてくれ」
レイはその場にうずくまり、膝を抱えた。
「……やめてくれよ……」
頬を伝う涙は、驚くほど熱くそして冷たくもあったのだ。
翌日。
レイは魔法学校の図書室で、シュリと顔を合わせていた。
「レイ君、昨日は遅くまで勉強してたみたいだね」
「……ええ、少しだけ」
シュリは微笑みながら隣の席に腰を下ろす。
白い指が、しなやかにページをめくっていく。
その仕草さえ、絵になるほど美しい。
「また少し、変えたんだね」
その声に、レイは一瞬呼吸を止めた。
「……でも、いいね」
シュリは穏やかな笑みを浮かべて、目を細めた。
「前よりも、君らしいような気がするよ」
「えっ?」
思いもよらないその言葉に、レイは目を丸くすることしかできずにいた。
「魔法は、本来は自らの心の形を写す鏡ともいわれている。きっと、君が少しずつ自分を受け入れてきた証なんだろう」
レイはシュリのその言葉に、救われたような気がしていた。
しかしその後、鏡の中を見たときに、胸の奥の違和感はさらに強くなっていく。
確かにそこには、シュリとはまた違った美しさを兼ね備えた自らの顔が存在していた。
それは確かに、誰かが作った美そのものでもあったのだ。
数日後。
学内の廊下で、リオとシュリは鉢合わせていた。
道を譲ろうとするシュリに向けて、リオは睨みをきかせて立ちはだかる。
「……あんたが、レイに整形魔法を教えたんだな?」
リオの声は冷たく、怒気を孕んでいた。
シュリは静かに、首を横に振るだけであった。
「違うよ。私は、教えてなどいない。しかし、レイ君を止めることもできなかった」
「止めろよ!」
「彼は、自らの意志で美を追い求めた。……いまさら君がどう伝えても、変わりはしない」
「レイは、そんなに強くない!」
「いや。レイ君は、強い。だからこそ、ここまできてしまった……」
二人の視線が、ぶつかり合う。
辺りの空気は強く張り詰め、魔力の気配がわずかに震える。
「あんたは、レイのことを愛してるのか?」
そう、リオが問いかける。
「もちろん」
即答であった。
「私は彼の美しさも、その弱さも、全てを含めて愛している。たとえ、その形が変わっても……」
「……俺は、変わらなくていいと思ってる」
二人の間に、沈黙が落ちる。
まるで、相反する魔法が空気の中でぶつかり合うかのように。
「……それもまた、素晴らしい考えだと思うよ」
***
授業後、レイは誰もいない教室で静かにこう呟いていた。
「俺は、……どんな顔で、生きていけばいいんだ?」
鏡の中のその顔は、もう何も答えるようなことはなかった。




