運命を変える二人の男
今日もまた、昼の仕事を終えて夜の授業へと向かっていた。
講堂では、いくつもの蝋燭の炎が揺れていた。
昼間の学校とは雰囲気の変わった、夜の学び舎。仕事帰りの大人たちが集う場所で、そこには静けさと温もりとが人々を出迎えた。
レイが席につこうとすると、すかさずリオが手を振った。
「こっちだ、レイ!」
相変わらず、明るい声をしていた。
いつも彼の周りだけ、そも空気が昼間のようであるともレイは密かに感じていた。
「今日の授業、炎属性だってさ」
「炎?俺、火なんて出せる気がしないよ」
「大丈夫、俺も最初は指先焦がしただけだったし」
そうリオが、快活に笑う。
その笑い声に、疲れが少しだけほどけていく。
教師のルナは、物静かな老年の女性であった。
「魔力の流れは、感情と密接に関わっている。恐れれば途絶え、焦れば暴走する。二人一組になりなさい。……静かに、確信を持って炎を導くのよ」
リオが隣で、そっと静かに囁いた。
「怖がらなくていい、俺がついてるから」
その一言に、レイの胸がとくんと高鳴る。
言われた通りに杖を構え、ゆっくりと息を整える。
「魔力の流れを意識して」
ふわりと、リオが手を添えた。思わず指先が触れてしまい、その瞬間心臓が早く脈打つ。
しかし、不思議と魔力の流れは穏やかに整った。
ぽっ、と杖の先が灯り、小さな火が花であるかのように咲いていた。
「やった……!」
「ほら、できた」
リオの声が、優しく笑う。
火はすぐに消えたが、その温度はレイの胸の中に残ったままであったのだ。
その後、リオはレイよりも一回り大きな火を生み出していた。
さらにルナに言われて、レイ以外の進みが遅い生徒の補助として駆け回る。
その姿を横目に見ながら、レイはいまいちど火を出そうとするものの何度行っても失敗してしまう。
「……さっきのは、まぐれだったのか?」
レイは、何の補助もなく魔法を使うリオを羨ましく思う。
しかし、リオもまた相当努力をしてきたのであろう。その教え方はとてもわかりやすく、誰が耳にしてもすぐさま理解をすることができていた。
「炎は、日常生活では不可欠なもの。皆さん、今日の感覚を決して忘れないで」
授業のあと、二人は帰り道を歩いていた。
冷ややかな風が頬を撫で、通りの露店からはパンの焼ける香りが漂ってくる。
「今日の炎、綺麗だったな」
「俺のは、小さかったよ。リオのほうが大きかったじゃないか」
「でも、レイのほうが温かかった。レイっぽい火だったな」
レイっぽい、それがどういう意味か分からなかったがレイは嬉しく思った。
「……リオはさ、なんでそんなに優しいんだ?」
「えっ?」
「いつも誰にでも笑っててさ、すごいなって思う」
「優しいっていうより……。そうしないと、やってけなかったんだ」
そのリオの横顔に、わずかな陰りが生まれるのをレイは見逃しはしなかった。
「昔の話だけどさ、うちは貧しくて親も働き詰めで、いつも喧嘩ばっかしてたんだ。それでさ、笑ってないと自分まで壊れそうだったんだ」
レイは、何も言うことができずにいた。
いつも明るいリオの笑顔の裏に、そのような痛みがあったとはにわかには信じられなかったのだ。
「でも今は、笑いたいから笑ってる。レイと話すと楽しいからさ!」
胸が、じんと熱を持っていく。
楽しいという言葉がこのような温かさを含んでいたとは、レイはこれまで知らなかった。
屋根裏部屋で、復習用のノートを静かに開く。
ページの隅に、思わず走り書きをする。
火を生むには、心を静かに。
でもほんとうに灯すには、誰かの温度がいる。
書きながら、リオの笑顔を思い出す。
ちくりと、胸が痛んだ。それが何なのか、レイにはまだわからない。
ただ、あの光のような笑顔が、心の奥で小さく燃えていた。
翌日。
昼の書店では、ここらでは見ない装いに身を包んだ客がじっくりと本棚を眺めていた。
長いローブを纏い、淡い金髪を揺らす若い男。手に分厚い本を何冊か抱えたのち、静かにカウンターに置いた。
「すみません、この著者の他の本はありますか?」
その澄んだ声は、どこか知的で凛としていた。
「はい、こちらですね……。少々お待ちください」
本を確認したレイは、急いで背後の棚を探した。
その間に、男は静かに微笑んだ。
「君の目、いい色をしているね」
「えっ?」
「目は、本来の魔力の色とも言われているんだ。琥珀に近い色は、とても珍しい」
男の顔を見上げた瞬間、レイは一瞬呼吸をすることを忘れてしまう。
すらりと伸びた鼻筋に、高い鼻。形のいい薄い唇は緩やかな弧を描いており、切れ長の瞳からは湖のように深く澄んだ青がのぞいていた。
恐ろしく、容姿の整った男であったのだ。
そしてその瞳の中に映る自分が、妙に美しいものであるかのように見えていた。
「名を、シュリといいます」
男は、静かに微笑んだ。
「君は?」
「……レイ、です」
「レイ……いい名前だ。光を意味するのかな」
「えっ?……あー、多分?そうです」
「光、か。君によく似合っている」
シュリは微笑むと、レイが手にしたゆっくりと受け取り、去っていった。
その背中を見送りながら、レイはなぜだか胸の奥に小さなざわめきを覚えていた。
「ものすごく、綺麗な人だったな……」
この時のレイは、まだ知らない。
それが、この後の三人の運命を変える出会いになることを。
***
夜になり、魔法学校の中庭でレイはリオと並んで座っていた。
冷ややかな風が吹いていたが、月明かりが生徒たちを優しく照らしていた。
「レイ、寒くないか?」
「うん、大丈夫」
「嘘だ。手、冷たいじゃん」
そう言いながら、リオはレイの手を取る。
指先が触れた瞬間、レイの頬は熱を持つ。しかしそれと同時に、胸の奥が苦しくなる。
今日の授業は、炎の保温訓練であったのだ。
ルナに指名された生徒たちが、代わる代わる生み出した炎の持続に励んでいた。
ぼんやりと揺らめく炎を見つめながら、レイは静かに口を開く。
「リオ、あのさ……」
「うん?」
「もし俺がこの見た目を変えたいって言ったら、変かな?」
「変じゃないよ」
リオは、即答した。
「でも、変わらなくてもいいと思う。だって今のレイ、すごくいい顔してるし」
「俺、全然綺麗な顔じゃないよ?」
「綺麗だよ。……俺は、そう思う」
レイは、言葉を失った。
胸が、痛いほどに熱い。何かを言おうとするものの、それは言葉にはならなかった。
沈黙のまま、熱を冷ますような風だけが、二人の間をすり抜けていった。
その夜、レイはとある夢を見た。
湖のような瞳の男が、こちらに向かって微笑んでいる。
そしてその隣では、太陽のように笑う少年がこちらに向けて手を伸ばしている。
二つの光が交わる瞬間、レイは目を覚ました。
胸の奥で、鼓動が早くなる。
――シュリと、リオ。
二つの名前が、心の中で静かに重なる。
それは夜の魔法学校で始まる、初々しい“恋”の気配でもあったのだ。




