資料:真峯命御縁記
従五位下 蔵人所寄人 葦里朝臣 典連、ここに、再び編み、注を付す
(注:天平之筆 永保貳年 普美津良 写)
真峯命御縁記
巻の三(注:筑紫の南に真峯の治が及ぶこと)
天地 未だ分かれず、日の本の灯 未だともらざる時、 筑紫の南に、火嶺、水守、羽根、根深の四つの郷ありき。
筑前の朝臣、曽我能臣麻美祢能命(注:蘇我臣真峯命、大宰府の長なり)、大君の命を畏みて、加都良藝能臣吉與比登(注:葛城臣清人、大和のつわものなり)を遣わし、 四つ郷を治めんとす。
付き従うは、於佐加倍能首奈利美知(注:忍壁首成通、のち四つ郷を治める能吏なり)と等乎之牟(注:道信、法相宗照岳山光嶺寺の出。大和にて玄奘三蔵の高弟、道昭の教えを受け、仏、経を広めし僧なり)なる僧なり。
然れども、政、四つ郷に及ばず。麻美祢、吉與比登に之賀能造多太比古能命(注:志賀造忠彦命、筑前のつわものなり)と五百の兵を授け、火嶺を制せんとす。
四つ郷、力を合わせてこれに対す。四つ郷にかたりなるもの(注:意味通じず、呪いか?)あり、久玖里なる語りの器(注:巫女か?)、その力、強くして、吉與比登、苦戦す。
奈利美知、麻美祢命の勅を受け、千を率いてこれを助く。
火嶺の長、火巫高見命(注:不祥、地方豪族か?)誇りを保ちつつも、民を思いて和を選びぬ。
ここに麻美祢命、四つ郷の司を新たに選び、名を授けて曰く、阿之左都首能夜麻登能命(注:葦里首和土尊のこと)なり(注:宮中の葦里氏の祖なり)。
これにこの地が定まれり。
等乎之牟、心安くして、四つ郷に寺院を建立す。すなわち、火嶺の比麗山灯語寺、水守の玉鏡山水源寺、羽根の風林山翔蓮寺、根深の金剛山地言寺なり。
このころ、摩訶不思議にして、四つの光、たびたび灯語寺より出でたり。民は語りの座と敬う。等乎之牟、これを「かたり」として後世に伝えんとす。(注釈:文意不明、別の記録を当たるべし)。




