20 火と寺との転機にて
成通を先頭に、高見、清人が広間へと入ってくる。
「お館様、ご無事で」
火嶺の副官が、高見の姿を見て安堵の声を漏らす。
「大事ない。苦労かけたな」
高見が静かに応じる。
上座の脇に座る忠彦が、隣の清人に顔を向ける。
「清人様、ご無事で何よりです」
「うむ」
三人は、それぞれの席へと向かう。
高見は、下座の先頭に腰を下ろす。
成通は、火嶺郷司の座へと進み、静かに座す。
清人は、眉をぴくりと動かすが、何も言わず、忠彦の隣に座った。
広間に、静かな緊張が満ちる。
高見が、成通に問う。
「して、成通殿。此度のこと、いかがいたす」
その声には、媚びはなかった。 火嶺の誇りが込められていた。
成通は、懐より一通の封書を取り出す。
表書きには、ただ一文字――「下」。
それを見たヤマトの者たちは、一斉に平伏した。
高見は、目線を下げるにとどめた。
成通は、苦笑しながら、封書を開き、言葉を放つ。
「下知である。 火嶺は、仏を受け入れよ。
ヤマトは、それをもって軍を引け」
封書の中身は白紙。
成通が作り上げた、完全なはったりであった。
されど、それを見抜ける者は、ここにはいなかった。
真峯とのやり取りを知る者は、誰もいない。
忠彦が、口を開く。
「成通殿、賞罰は戦の必然。我らは勝ったのですぞ。これでは……」
成通は、すぐに遮る。
「真峯様に逆らうので?」
「いえ、とんでもございません」
忠彦は、言葉を飲み込んだ。
「無論、四つ郷にはヤマトへの忠誠を誓ってもらう。
その沙汰は追って下す」
成通は、まっすぐ高見を見た。
高見の瞳は、微かに疑問の色を浮かべたが、すぐに消え、平伏する。
「ははっ」
火嶺の者たちも、それに続いた。
内心、安堵していた成通に、清人がぽつりと尋ねる。
今のやり取りには、まるで関心がないような声だった。
「儂は、どうなる?」
成通は、用意していた言葉を自然に発する。
「清人様は、ヤマトへお帰りください。葛城が待っていましょう」
清人が、成通を睨む。
成通は、目を背けなかった。
しばしの間、両者の間で目だけのやり取りがある。
「ふん……あい、分かった」
清人が折れた。
内心の喜びを隠しつつ成通は、広間を見渡し、最後の采配を告げる。
「忠彦殿は、軍を率いて筑前へお戻りください。戦勝の報告を、真峯様へ。
私はこのまま、道信殿と火嶺に残り、寺院建立の手配をいたします」
広間に、静かな風が流れた。
火嶺の灯は、消えずに済んだ。
されど、その形は、確かに変わろうとしていた。
火嶺の館にて。
成通は、寺院建立の差配に追われていた。
整地のための人足の手配、材の調達と搬入――
山道を越えて届く材の数を数え、書類に印を押し、次の指示を飛ばす。
寸刻を惜しみ、彼は動いていた。
(骨は折れるが……まあ、あの戦の後始末よりはよほどマシだ)
あの後は、――
大変であった。
予想通り、真峯より長文が届いた。
筆は鋭く、言葉は重く、内容は三つに集約されていた。
一、なぜ火嶺を許したのか。
二、清人は挨拶もなく、なぜヤマトへ戻ったのか。
三、速やかに府へ戻り、説明せよ。
それが、くどくどと連ねられていた。
成通は、筆を取り、丁寧に返事を書いた。
まず、火嶺との戦について。
「この成通の到着が遅れておれば、敗北は必定。
戦の詳細は忠彦殿にお尋ねいただきたい。
今、火嶺を潰せば、水守と羽根が黙っておりませぬ。
戦が広がれば、周辺の豪族が謀反を起こす危険がございます。
火嶺を寛容に許せば、元より水守と羽根は従っておりますゆえ、丸く収まる道と存じます。
それに、仏を用いるのが最も良策。道信殿が適任です」
次に、清人について。
「真峯様のお心は重々承知しております。
されど、腐っても葛城。
事を構えるは愚策。
不祥、成通が取り計らったまで。
ヤマトへ清人様が帰るのは自然なこと。
寛大なお心を何卒」
そして、己の処遇について。
「成通は、今、火嶺を離れるべきではございません。
私は誠意をもって、ここを仏と政の地といたします。
しからば書による報告、何卒ご容赦いただきたく。
さて、四つ郷の体制の再編成ですが、やはり根深を中心として……」
最後は、四つ郷の支配体制に対する献策で濁した。
筆の調子は柔らかく、されど芯は通っていた。
その後、文が幾度か飛び交った。
真峯の筆は、時に怒りを含み、時に皮肉を帯びた。
成通は、すべて冷静に返書をしたためた。
そして、最後は――真峯が折れた。
というより、ヤマトから褒美が届き、機嫌が直ったという。
なんでも、清人様がヤマトへ戻ったのち、大王と謁見し、
真峯様の治政をことのほか褒めちぎる報告をしたとのこと。
普段、人を褒めない清人の報の信頼度は絶大であった。
清人なりのお礼――ということなのだろう。
成通は、そのころを思い出し、苦笑した。
あれから、四つ郷――
火嶺、水守、羽根、そして根深の関係は、確かに変わった。
成通の献策が通り、四つ郷の長は根深と定められた。
陽里の養子として根深郷司を継いだ少年は、正式にヤマトに認められ、
氏を「あしさと」と改め、「首」の姓と「和土」の名を授かった。
―― 葦里首和土尊
それは、四つ郷がヤマトの支配を受け入れた証にほかならなかった。
清澄と羽流は反対した。
されど、それを止めたのは高見であった。
「四つ郷が残るのならば、それで良い」
その言葉に、二人は黙した。
根深を頂点とし、火嶺・水守・羽根がこれに従う。
ヤマトの使者が来た折、高見・清澄・羽流は、和土尊に忠誠を誓った。
成通の机には、ここまでの苦労が、紙の束となって積み重なっていた。
(長かったなあ)
その背に、道信が声をかける。
「成通殿。儀礼の準備が整っております。
……皆様も揃われました」
成通は、筆を置き、深く息をついた。
「……そうですか。では、参りましょう」
二人は、火の間へと向かった。
その歩みは、静かでありながら、確かな重みがあった。
語りの灯を守るための政の影が、背に伸びていた。




