19 火と智との遭遇にて
久玖里と道信は、ひたすら走っていた。
根深へ向けて――語りの灯を継ぐために。
その道の途中、突如、ヤマトの軍勢に囲まれる。
千の兵が道を塞ぎ、槍を構える。
「貴様ら、何者だ」
「如何しましょう、久玖里様」
久玖里は、無言で左手を回し始める。
瞳が、徐々に朱に染まり始める。
そのとき――
兵たちの後ろから、騎兵が一騎、声をかけた。
「待て」
囲む兵たちを押し留めながら、身分の高いと見える男が馬上から告げる。
「火嶺の者だな。将軍さまからの言いつけだ。
殺しはせぬ。おとなしく付いてこい」
警戒は解きはしなかったが、
命の危険はなさそうだと感じた道信は、久玖里にうなずいた。
「拙僧は道信と申す。この軍の将にお会いしたい」
久玖里と道信は、引き立てられるようにして、軍の本陣へと連れて行かれる。
将の顔を見た瞬間、道信は目を見開いた。
「成通殿……!」
久玖里が、道信に問う。
「知り合いなのですか?」
道信は、答えかけて言葉を濁す。
成通は、困ったような顔を見せながら、手を挙げて制した。
「道信殿と、こんなところでお会いするとは……
そちらの女性は、確か火の語り部でしたね。
お二人が一緒とは、またこれはなんとも……」
「私のことを、なぜ知っている!」
久玖里が睨みつける。
厄介ごとが増えたことにげんなりしながら、成通は、手を広げて応じた。
「今は詳細を説明する時間はありません。
私に火嶺を滅ぼす気はありません。清人殿も、助けるつもりです。
とりあえず、おとなしくしておいてください」
久玖里は、成通の目を見つめる。
その瞳には、たしかに誠意が見てとれた。
道信は、そっと久玖里の袖を引いた。
「この方は、信頼できます」
久玖里は、しばし黙し、うなずいた。
「……わかりました」
成通は、兵に命じる。
「お二人を休める場所へ」
久玖里と道信は、兵にしたがい、移動する。
成通は、遠くを見ながら、内心ぼやいた。
(まったく、どうしてこうなる……
面倒ごとばかりが私のもとへ……信心が足りぬか)
苦笑しつつ、されど、彼は自分の役目から逃げなかった。
火嶺は、成通と遭遇したことで、語りの器の運命が、大きく動こうとしていた。
火嶺の正門にて。
矢が唸り、投げ槍が空を裂く。
火嶺とヤマト、両軍の兵が、互いに声を張り上げる。
「押し切れ! ヤマトの底力を見せよ!」
忠彦が声を張り上げる
「火嶺の存亡は我らにあるぞ! 力を出し尽くせ!」
高見に一命を託された火嶺の副官が、押し返す。
火嶺の兵たちは、必死に矢をつがえ、槍を構え、門を守っていた。
そのとき――
弓をついでいた一人の火嶺兵が、唖然とした声を漏らす。
「なっ……!」
その目に映ったのは、草地を泰然と進む、ヤマトの大軍。
整然とした列、揺れる旗、重なる足音。
その威容に、火嶺の兵たちは息を呑んだ。
忠彦は、遠くからその姿を見つけ、微笑んだ。
「援軍か……」
一騎前へ出てきて、旗を振る。それを目にした忠彦はうなずく。
「仕切り直しか。――者ども、一旦引け!」
忠彦の軍勢が、草地へと退き、合流する。
火嶺の兵たちは、なすすべもなく、それを見守るしかなかった。
「これは……かなわぬ……」
副官が、つぶやく。
火嶺の灯が、いまにも吹き消されそうな風に晒されていた。
火嶺の草地にて、二つの軍が合流する。
成通の軍が整然と陣を敷く中、忠彦が馬を進めた。
「忍壁首成通です。此度、真峯様のご命令により参上いたしました」
成通が馬上より礼をとる。
「志賀造忠彦命と申す。 真峯様のご慈悲、かたじけなく。
成通殿、これで火嶺を打ち滅ぼせますな!」
素直に喜びをあらわにする忠彦に、成通は馬を寄せ、声を潜めてつぶやいた。
「忠彦殿……じつは、真峯様は非常にお怒りです。 勝の報が、なぜ届かぬのかと」
「そ、それは……! であれば、なおさら早く攻めましょうぞ!」
成通は、ふっと口元を歪めた。
悪びれたような笑みを浮かべる。
「いやいや、もう遅いですよ。 何故、私がこの地に来たと思うのです?」
「と申しますと……?」
「私は文官ですよ。 その私が、千の軍を率いて来たのです。
お分かりですか?――武の出番は、終わったということです」
忠彦は、言葉を失う。
「ひとまず、私の下についていただきますよ。
以後の指揮は、私が執ります」
「むむ……分かり申した」
忠彦は、渋々と頭を下げた。
真峯の真意は、軍を忠彦に預け、即座に火嶺を滅ぼすことにあった。
されど、成通はそれを逆手に取った。
文官である自分が軍を率いてきたという事実を盾に、忠彦の手綱を奪ったのだ。
(まずは一つ、関門を突破したか……)
成通は、内心で息をつく。
されど、次なる難関――清人の処遇が、すでに目前に迫っていた。
(やれやれ……綱渡りが続くな)
智の将は、政と語りの狭間で、次の一手を思案していた。
火嶺の館の裏。 激しい剣戟と怒号が響く。
「おりゃ!」
「むう、なんの!」
高見と清人―― 二人の斬り合いは、激しさを増していた。
されど、不思議とそこに憎しみはなかった。
ただ、強者と斬り合えるという、単純な喜びがあった。
「清人殿、なかなかの腕をお持ちで」
「高見殿、そなたも、なかなか」
よくわからない友誼が、二人の間に芽生えつつあった。
火嶺の灯を背に、武の交差が続く。
そのとき――
「そこまで!」
成通の声が、館の裏に響いた。
お互い相手を切り裂く勢いであったが、寸前で、二人の動きが止まる。
「成通? なぜここへ」
清人が、疑問を口にする。
成通は、肩をすくめて言った。
「あなたのせいですよ、まったく。
私の方こそ、なぜこんな役目をしているのか聞きたいくらいです」
思わぬ剣幕に、清人の気勢が削がれる。
要領は得ないながらも、成通の怒りには、確かな重みがあった。
高見が、大刀を下ろしながら言う。
「成通殿であったかな? そなたがおるということは……」
成通は、手を挙げて制した。
「高見様、私は敵対する気はありません。策があります。
お二人とも、まずは館に入って話しましょう」
成通が先に館へと入っていく。
その背を見た高見は、しばし大刀を見つめ、静かに鞘へと納めた。
清人も、息を整えて後に続く。
成通は、ついてくる二人をそっと見て、内心安堵する。
(なんとか間に合ったか。どちらも死んでなくて良かった)
館の広間では、火嶺の者たちが下座に控えていた。その中には久玖里と道信もいる。
上座には忠彦をはじめとするヤマト軍の指揮官が並んでいた。
語りの灯は、次なる局面へと進もうとしていた。




