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火を聴く器  作者: katari
18/24

18 火と災との騒乱にて

夜が明け、火嶺ひみねの空は薄曇り。 忠彦ただひこは、静かに軍の配置を整えていた。

「忠彦、どうじゃ」

清人きよひとが、馬上から声をかける。

「これから二百をもって正面より陽動をかけます。  清人様は百を連れて、火嶺の裏にお回りくだされ」

「残りの二百は?」

忠彦は、にやりと笑う。

「いずれ分かります」

「任せよう」

「それでは……者ども、出陣じゃ」

忠彦の声は、低く、しかし確かに響いた。


火嶺の正門では、清澄きよすみがヤマト軍の動きを見張っていた。

「妙じゃな。兵が少ない」

高見たかみは、広間で瞑目していた。

「申し上げます。草地にヤマト軍が現れました。数二百。水守みずもり軍が応戦しています」

「火嶺二十を横に回せ。槍で掻き乱す」

「はっ」


広場では、羽流うるが火嶺周囲の情報を集めていた。 騎馬兵の報告が届く。

「森の西側に動きあり。百ほどが動いています」

「館の裏手を狙っておるか。高見殿に知らせよ」

「はっ」

そのとき、羽根はねの旗をつけた馬が広場に入ってきた。 軍馬ではない。乗っているのは、伝令の若者。

「何事だ」

「はあはあ、申し上げます。羽根が攻められております!」

「なに!」

忠彦の計が、発動された。

昨晩のうちに、羽根と水守にそれぞれ百の兵が移動し、攻め入っていた。


羽根郷。 朝霧の中、風那ふうなは騎馬にまたがり、広場を駆けていた。 ヤマト兵が突如、丘より現れ、羽根の民は混乱していた。

「皆で、奥の谷へ逃げ延びよ!」

風那が叫ぶ。 その声に応じて、羽根の者たちは動き出す。 子らは背負われ、老人は手を引かれ、谷の奥へと向かう。

風那は、騎馬を返し、郷の門の前に立った。 丘を下り、進軍してくる百の兵。 対峙するのは、体力の衰えた老いた男たち百。 同じ数といえども、戦力は均衡とはいえない。 その手は震えながら、弓矢を握っていた。

「風那様、地勢的に不利です。我らは力も衰えております」

「矢をつがえ」

その声を無視して、短く命じる。

風那は、騎馬から降り、舞を始めた。

リン―― 鈴の音が鳴る。

「風の語り部、風那がかしこみ申す。  風の記憶を、ここへ!」

その刹那、突風が谷から丘へと駆け上がる。 霧が裂け、風が唸る。

「放て!」

風那が舞いながら、命ずる。

一斉に矢が飛ぶ。 それらは風を裂き、風に乗り、ヤマト軍に迫る。

そのあまりの勢いに、ヤマト兵は後ずさった。

「全軍、前進! 矢を絶やすな!」

「おうっ!」

老兵たちは、風那の舞に導かれ、矢をつがえ続ける。 風の語り部の力は、絶大であった。

谷を裂く風が、羽根の地を守っていた。


水守郷。 朝の霧が薄く漂う中、沙耶さやは郷の門の前に、ただ一人立っていた。 百のヤマト兵が迫る中、彼女は微動だにせず、静かに言う。

「将はおるか?」

騎馬が一騎、前に出る。 口を開こうとしたその瞬間、沙耶が手を挙げて制す。

「名乗らなくともよい。  妾は、かしこくもヤマトの大王より名をいただいた者――  水実みみの沙耶比賣さやひめなるぞ」

その声が空気を震わせた瞬間、沙耶の背後が光を帯びた。 水守を包むように霧が立ち込め、ゆるやかに水煙が立ち昇る。

その水煙の中に、ひとりの尊き姿が現れる。 水煙観音菩薩すいえんかんのんぼさつ

その御姿は、霞のごとく揺らぎながらも、確かにそこに在った。


ヤマトの将は、馬上にて息を呑む。 兵たちも、言葉を失い、動きを止める。

機を逃さず、沙耶は続ける。


「ヤマトの軍がここに来られたからには、つつしんで我が身は、預けよう。  されど、民には一切触れるな」

将は、馬を降りて、礼をとった。

「感服しました。ここは仏の加護がありまする。水守の郷には、手を出しません」

沙耶は、静かに合掌した。

観自在菩薩かんじざいぼさつ

やがてゆっくりと、水煙菩薩の姿が見えなくなる

「館へ案内しよう。私に続け」

将は、しばし黙し、うなずいた。

「……承知しました」


語りは継がれなくとも、 民を導く気持ちは、しっかりと引き継がれていた。

水の記憶は、形を代えても、確かに今も水守を護っていた。


火嶺の館、その広間にて。 炉に入れた火が揺らぐ中、高見、清澄、羽流が集まっていた。 外では、ヤマト軍の動きが活発になり、火嶺の周囲は騒然としていた。

高見は、静かに口を開く。

「そなたらは、郷へ戻れ」

清澄が、すぐに反応する。

「戻れと? 火嶺が潰れますぞ」

羽流も、眉をひそめる。

「この地を見捨てる気はありません。こうなっては火嶺で決着をつけねば」


高見は、しばし黙し、二人を見つめる。

「……感謝しておる。  お主らがいてくれたから、火嶺はここまで来られた。

風那殿も沙耶殿も力はあろう。だが、そう保つものでもあるまい。

いま、お主らが戻れば、まだ間に合う」


清澄は、拳を握る。

「それでも、私は……」

羽流が、静かに言葉を継ぐ。

「火嶺が消えたら、我らも時を置かず絶えます。それでも、戻れと?」

高見は、カラッと笑った。

「お主らは寺を建てておるではないか。

沙耶殿はその名をヤマトより授かっておる。

お主らがヤマトに恭順を示せば、万事問題なかろう」


清澄と羽流は、しばし黙し、高見を見つめた。

「なに、儂もただでは負けんわ。火巫ひみの高見たかみのみことの真髄をみせてくれようぞ」

その灯は、確かに揺らいでいた。 されど、まだ消えてはいなかった。

二人は、ゆっくりと頭を下げた。

「かたじけない」

「高見殿、ご武運を」

高見は、静かにうなずいた。

「とく行け」

広間の扉が開き、二人は火嶺を後にした。 その背に、炉の火が、静かに揺れていた。


火嶺兵は、正門にて必死に応戦していた。

忠彦率いるヤマト兵は攻めあぐねていた。 数も、すでに半分以下。

羽流が離脱の際に騎馬兵を一当てしてきたのが、痛手となっていた。

忠彦は、歯を食いしばりながらつぶやく。

「やはり地の利がない中、攻めは厳しいな……清人殿、頼みますぞ」


その頃、清人は館の裏まで歩を進めていた。

供周りは、わずか十人。 ここに至るまで、水守の弓兵に急襲され、兵を失っていた。

(あのまま水守兵が離脱せずにいたら、危うかったかもしれぬ)


裏手では、物資を運ぶ手伝いをしていた道信どうしんが、清人の姿を見つけた。

「清人様!」

「見つかったか……」

「なぜこのような……」

「黙れ」

その声に、久玖里くくりが気づき、道信に声をかける。

「道信殿、どうされたのです?……清人様!」


清人が、大刀に手をかける。

「ちっ、切るか」

「待たれよ」

その声とともに、火嶺の館の奥から、高見が現れた。


「高見殿か」

「清人殿、お主の狙いは儂であろう」

「いかにも」

清人は、大刀を抜き、高見に切りかかる。

「短気な者よ」

高見はそれを受け、切り結ぶ。 火嶺の灯を背に、二人の刃が交差する。


一閃。

高見の一撃が、清人を吹き飛ばす。

清人は、地に伏した。


高見は、振り返り、道信に言った。

「道信殿」

「はい」

「そなたは、殺生を好まぬだろう。久玖里を頼む。

――久玖里、語りを絶やすな。根深ねぶかへ行け」

久玖里は、目を見開いた。

「父上……」


高見は、静かにうなずく。

「語りは、火嶺だけのものではない。語りの器として、記憶を守れ。

火座ひざが絶えようとも、語りは続く。根深にて、灯を継げ」


久玖里は、まだ揺らいでいた。

されど、裂かれてはならぬ灯が、確かにそこにあった。

「道信様、行きましょう」

道信は、無言でうなずき、久玖里の手を取る。


そのとき、清人の供回りが立ち塞がった。

「待て!」

清人が、手を挙げて制す。

「よい。行かせよ」

その声に、供回りは道を開けた。

久玖里と道信は、火嶺の館を駆け出す。


清人は、久玖里の姿が遠ざかるのを見届けると、供回りに声をかけた。

「そなたらも、ご苦労じゃった。ここはもう良い。忠彦と合流せよ」

「しかし……」

「くどい。ゆけ」

「はっ」

供回りは、正門の方へと駆けていった。 その背に、火嶺の館が静かに揺れていた。


清人は、笑う。

「仕切り直しじゃな」

高見が、応じる。

「おうよ」


二人の間に、言葉は要らなかった。

古より続く、単純明快な武が、いま交差しようとしていた。


火と災との狭間にて―― 語りの器は、走り去り、火嶺の主は、最後の舞台へと立った。

炉の火が、静かに揺れる。 その灯は、まだ消えてはいなかった。

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