10 火と墓との交錯にて
羽根郷の館の背後にある丘には、多くの墳墓が築かれていた。
風が通り抜けるその地に、死者は眠る。
丘をあがる二人。
その前に、一際大きな墳墓が姿を現す。
円と方を合わせた形を成し、静かに風を受けていた。
道信が口を開く。
「これは……かつてのヤマトの証」
風那は、迷いなく応える。
「ええ。この地を治める阿末木は、ヤマトよりやってきました。
ここに、初代の王が眠ります」
風の記憶を聴く風那は、羽根郷の歴史を誰よりも知る者。
「それでは、十森とは?」
風那はすぐには答えず、墳墓の奥へと道信を誘う。
「十森は、はるか昔よりこの地に住む者。
風を呼ぶ者です」
「風を……呼ぶ」
「こちらへ」
招かれて墳墓の裏へまわると、
そこには石敷によって円形にかたどられた場があった。
その中央には、鳥形を先端につけた一本の木柱。
円と方、渦巻きと羽根の印が刻まれ、鈴が吊るされている。
その先は、また谷となって風が吹いていた。
「ここが、風座です」
風が通り抜けるたび、鈴が鳴る。
名なき声が、響く。
道信は、風那に導かれ、風の座に立った。
風が、衣を揺らす。
静けさの中に、風の音だけが生きていた。
風那がいう。
「死者の記憶は、風に乗って私に届きます。
その声を聴き、語るのです」
その声は、鈴の音のように響いた。
道信は、無言で谷の方を見つめる。
風那が、ふいに語りかける。
「阿末木がヤマトより来たとき、十森とぶつかりました」
道信は、ハッとする。
「されど、今は阿末木と十森は、ともにあります」
「……ともにある」
「風が型にはまることはありません。
ともにあるものです」
道信は、慧嶺より授かった「風無形成仏」の言葉を心に描く。
その言葉は、風に揺れていた。
「あなたは風を囲みたいのですか?」
妖艶な笑みを浮かべ風那が道信に尋ねる。
(仏のあり方に決まりはない。)
「拙僧は……仏の教えを、風に乗せてみせます」
道信は、風鈴柱の前に座し、経をあげはじめた。
声は低く、風に溶けるように響く。
(ともにあるもの。それは仏の心に通ずるもの)
風那は、しばし道信の様子をみていたが、
やがて風が道信の経を運んでいくのを感じ、舞を始める。
足を踏み、腕を広げ、風の流れに身を委ねる。
鈴が鳴る。 風が語る。
道信と風那、その間に、確かに風が通った。
仏が灯った瞬間を道信は感じた。
一月が過ぎた。
羽根郷の風は、変わらず谷を渡り、草を揺らしていた。
館の前には、柱が立ち始めていた。
羽根の地に、仏の灯を宿す寺院の建立が始まったのだ。
成通の声が響く。
「そちら、材はもう少し北に置いて。
棟梁の指示にしたがってください」
先日、筑前に道信より文が届いた。
羽根郷に寺院を建立するべし――と。
それを受けて、成通が選りすぐりの職人衆を引き連れてきた。
信頼する棟梁が、材を見極め、風を読み、寺の骨組みを指示している。
(何か道信殿に良いように使われている気がするな)
(いや……道信殿には、何か大義があるのかもしれん)
成通は、心の中で今の状況を反芻する。
再会した道信は、風の座にて静かに語った。
「大義のために頼みます」と、成通の手を両手で強く握りながら。
その手の熱に、成通は少し呆れ、少し納得した。
(まったく、道信殿という方は……)
成通は自分のなすべきことをしようと、
棟梁と話し合い、必要な材を集める指示書を書き連ねていった。
大工たちが、材を運び、土を踏みしめている。
風が通る道を遮らぬよう、柱の間隔を調整し、梁の向きを定める。
風の地に、風を受ける寺を。
その設計は、語りと仏が交差する器となる。
その様子を、羽流と風那が並んで見守っていた。
「良かったのですか?」
羽流が問う。
風那は、風を見つめながら答える。
「道信殿は、風と交わる努力をしてくださいました。
風は形なきもの。変わろうと、そこに共にあるものです」
「形が変わろうと、風は変わりませんか」
「ええ」
風那は、微笑んだ。 その笑みは、風のように静かに揺れていた。
「ところで、道信殿はどこに?」
「風座に。彼の旅立ちが近いのでしょう」
風丘の頂、風の座。
柱が静かに揺れ、鈴がひとすじ鳴った。
道信は、石敷の中央に座していた。
目を閉じ、風の音に耳を澄ませている。
音のない、静かな世界。 風だけが、語っていた。
「……観自在菩薩……自然……一切法空是……縁起……」
経の言葉が、風に溶けていく。
やがて、道信は目をひらいた。
「……風には形はない。すなわち空。
仏とは、あるものだ。
語りを因として、仏と縁をもつ」
その瞳には、揺るぎない光が宿っていた。
風が、袖を撫でた。
それは、旅立ちを告げる風だった。




