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8話 代官のリュシアンから仕事を依頼される

 リュシアンは指先で顎髭をしごく。


「仕事の依頼だ。港でもめ事があってな」


「怪我人でも出た? 契約で揉めた?」


「契約だ。イタリア商人の書いた手紙と、荷運び人夫の言っていることと、商品台帳に書いてある内容が食い違っている」


「ん。ラテン語の読み書きができて、ローマ数字とアラビア数字の変換もできるリュシアンが解決できなかったとなると、台帳の方に問題があるのかも。最近、ラテン語の書き言葉と話し言葉の差が開いてきたそうだし」


「ほう。確かに、文書は読めても、言葉が分からなくて聞き返さねばならないときがあるな」


「うん。ローマにいたころ、ダンテという詩人が書いた写本の俗語論(ぞくごろん)を読んだんだけど、勉強になったわ。リュシアンも機会があったら読んでみて。人って、書くより話すことの方が多いでしょ。だから、話し言葉は使いやすいようにどんどん変化していくんだって。書き言葉の方は書ける人が少ないから、変化はないんだって」


「なるほど。面白い現象だな」


「さて。話が逸れちゃったか。実際に港に行って台帳を見て、関係者の話を聞いてみるわ」


「ああ。頼む。お前の用事はすんだのか?」


「もちろん。ね、マリウス」


()ああ(オック)


 マリウスには、領主の依頼を(さえぎ)ってまで自身の都合を主張する度胸はない。


「あ。そうだ。マリウス。理髪同職組合(ギルド)の組合費って月額いくらだっけ?」


「5スーだ」


「ん。リュシアン。報酬は5スーでよろしく!」


 臨時収入の見込みがあり、(わずら)わしいマリウスとの会話も断ち切れたのでエリザベートは鼻歌交じりで頭巾(シャプロン)をかぶり、出掛ける準備をした。

 家の外にはリュシアンの従者が控えており、ふたつの手綱を引いている。リュシアンが乗る馬の他に、エリザベート用の馬も用意してくれていたようだ。2頭ともアイガス・モルタス近郊のカマルグ湿地帯に生息する白馬だ。広大な湿地帯を駆けるため、体力と脚力に優れた種である。


 馬の体高はエリザベートの身長ほどあるが、リュシアンは(あぶみ)に足を掛けて軽々と背に乗る。


 従者がエリザベートに手を貸そうとするが彼女は「大丈夫だから」と断る。


「マリウス。目を閉じるか、あっち向いてて」


「なんでだよ」


「気が利かないなあ……。私、馬に乗るの」


「はあ? それがどうした」


 リュシアンが用意した馬は、エリザベートがスカートのまま乗ることを想定して、婦人用片鞍(サイドサドル)(馬体を跨がずに乗馬できる)を装備していた。とはいえ、最初は脚を大きく動かす必要があるため、エリザベートはスカートの裾を膝まで捲りあげる。


「まあ、慎み深い淑女の私は普段から下着を穿いているから、膝までなら見られてもいいんだけどさ……。そっか、君はそんなに私の脚が見たいかぁ」


「ちっ……」


 マリウスは舌打ちをして背を向ける。


「だったら、最初からそう言え!」


「さて。お馬さん。いい子だから、乗せてね」


 エリザベートの家と中庭を共有する一画の角に、女性や乗馬に不慣れな者が馬に乗るための石階段が存在するが、彼女はそれを使わず、勢いをつけて馬に飛び乗った。


 彼女は賞賛の拍手を期待するが、周囲の紳士たちは視線をそらしていたので無反応だ。


 さて。出発という段階で、リュシアンが馬首を巡らせてマリウスに顔を向ける。


「マリウスよ。理髪同職組合(ギルド)が夜警を組織することを提案し、私はそれを承認した。そのことは聞いているか?」


はい(オック)。もちろんです」


「夜警には理髪同職組合(ギルド)に所属する各店舗から男をひとり出すとある」


はい(オック)


(おっ。もしかして、女の参加を許可しろって言ってくれる?)


 エリザベートは都合の良い言葉を期待し、頬が緩むのを感じた。

 しかし――。

 リュシアンは合理的な思考をするタイプで、都市の繁栄を第一に考えているからこその言葉を放つ。


「お前は17だがまだ独身だったな。じゃじゃ馬だがこれを(めと)ったらどうだ? お互いに得のある良縁だろう」


()はい(オック)! リュシアン様。まことにそのとおりでございます!」


「はあ?! リュシアン、何を言ってんの?」


「トゥールーズ理髪外科医院は働き手が増えるし、夜警に男を出せるようになる。何が不満だ? 他にいい相手がいるのか?」


「それは……いるのよ」


 いない。だが、追及を(かわ)したいが故に口が滑る。


「ほら、その、ね。持参金的な折り合いがつかなくて話が纏まらないだけで……。いるにはいるのよ。ただ、私は親もいないしね」


「今は亡きアンリにお前の後見を頼まれている。俺が仲人を務めてやろう」


「あーっ! ほら、それよりも港に急ぎましょう。この時期の荷物なら、プロヴァンの大市(おおいち)に出すものでしょ。いつまでも港に荷を留めておくわけにいかないはず」


 エリザベートは馬を歩かせ、話を終わらせた。

 それから、アイガス・モルタスの城壁を出て、南西にある荷揚げ港へ向かい、関係者から話を聞く。原因は予想どおり、ラテン語の書き言葉と話し言葉の違いだった。

 以前は行商人が自ら商品を仕入れ先から市まで運んだものだが、昨今の貿易商は自宅の執務室から出ることなく手紙と契約書で人と商品を動かすようになった。そのため、今回のような問題が起こる。それは、公証人(こうしょうにん)のような文字の読み書きに秀でた者にしか解決できない。


 問題を片づけたエリザベートは来月の理髪同職組合(ギルド)費を払えるほどの謝礼を手に入れた。

 だが、夜警の件は解決していないし、人口増加を望む代官リュシアンに、マリウスとの婚姻を薦められ、状況は悪化してしまった。

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