58話 ロシュの救助を試みる
「ヴァン。マリウス。見てないで。こっち」
エリザベートはふたりを促し、打ち捨てられていたロシュのもとへ駆け寄る。
主の意図を汲んだ漁師人狼たちは立ち位置を変え、人狼が近づけないように空間を確保する。
エリザベートはロシュの傍らに座り、口元と首筋に手を当てた。
「よし。息はある。けど、あまり動かせないか……。意識を失っているから、ルー・ドラペで運ぶのは無理……」
ルー・ドラペは意識のない者や睡眠中の者を運ぶことはできない。夜中に起きている者を水辺に運ぶことにのみ特化した異質の存在だ。荷車を曳かせることも、乗用馬にすることもできない。
「決めた。ここで治療する。家に連れ帰るより、ここの方が明るいから治療しやすい。マリウス。ロシュの頭の方で膝を立てて座って」
「分かったロシュさんの上半身を起こして、俺の脚にもたれさせるんだな?」
「そ。ヴァン。左腋に腕を回して。3で引っ張るわよ。1、2、3!」
「3!」
エリザベートはヴァンとともにロシュの上半身を起こす。マリウスが尻を動かして前進し、脛にロシュの背中をもたれさせる。
エリザベートはロシュの顎を持ち上げて仰け反らせる。
「マリウス。手でロシュの顎を引いて。ヴァンは私と代わってマリウスのお手伝い。ロシュの額を押さえて動かないようにして」
「はい」
「じゃ、そのまま。マリウスは瞼を閉じる。そして許可するまで開けないように」
「なんでだよ」
「私の袖を止血帯にするから脱ぐの。分かりなさいよ。あんたのそういう鈍さが色々と誤解の原因だったかもしれないでしょ」
エリザベートは文句を言いながらエプロンを外し頭巾を取り、服を脱ぎ、糸で軽く縫い留めてあるだけの袖を両方、引っ張って千切る。
マリウスが裸を見るかもしれないとか、糸も高いから勿体ないとか考えている余裕はない。
ロシュの血を指に付けて袖に文字を記す。これは悪魔憑きの首領を退治するための布石だ。足下を指先で軽く2回叩いてルー・ドラペに袖を託した。
次にエリザベートは裸のまま川の水でエプロンを濡らしてくると、すぐに戻り、ロシュの傷口に触れないように首の周りから血を拭い取る。
「この血の量なら太い血管は切れてない。助かるかも。マリウス。袖を首に巻くから、膝を開いてあたらないようにして。ヴァンはしっかりロシュの首を押さえていて」
「分かった。肩の辺りを支えれば……」
「こ、こうでしょうか?」
「ん。ふたりともそれでいい。そのまま」
エリザベートは袖をロシュの首に巻く。
「これで、よし。マリウス、そのまま押さえておいて。薬も葡萄酒も果物もないけど、ここで出来るだけのことはした。あとは本人次第。ヴァンは左手をロシュの口と鼻の上に持ってきて。そう、そこ。息をしているか常に確かめて。息が止まったら教えて」
「は、はい」
「さて」
エリザベートは立ちあがり手早く服を着ると、中州の中心へ体と視線を向ける。
人狼たちはすべて地に倒れ伏し、漁師人狼5人がメリサンドを囲んでいた。
「……なんで勝ってるの?」
「相手が弱すぎる」
漁師人狼のジャンが腕を曲げ、毛に覆われた力こぶをポンと叩き、太さをアピールする。
エリザベートは呆気にとられつつもジャンを真似し、自分の細い右腕を左手でポンと叩いた。
彼女らの様子を退屈そうに見ていたメリサンドは、配下が打ち倒されたのに焦る様子もなく、欠伸を漏らす。
「あら。静かになったわね。代わりなんて補充すればいいんだから、別に殺してくれても良かったのよ?」
「降伏してくれないかしら?」
「降伏? どうして? 私はまったく窮地に陥っていないのよ」
服に付いた綿埃を払うような仕草でメリサンドが右腕を振る。右腕は崩れるように形を失うと、数十のコウモリに変化して飛翔。
漁師人狼が地に伏せるように低く飛び退くと、コウモリはその先に倒れていた人狼に向かう。コウモリの一群が飛び去ったあとには、人の頭部と足首しか残っていなかった。
コウモリはメリサンドの元に戻り右腕を形成する。
「誰も私から逃れられないし、誰も私を傷つけることはできない」
「えええ……。ジャンが今、思いっきり避けてたよね……。頑張れば逃げ切れるんじゃないかな……。というか、貴方は狼に変身しないの?」
「おかしなことを言うのね。狼に変身するのは眷属だけ。私たちはコウモリに変身するものでしょ?」
「……そうなの? どうせならもっと可愛い生き物になりたいな」
「貴方、生意気だけど顔は綺麗だから、私が食べてあげる」
メリサンドがエリザベートに向かって悠然と歩きだす。
漁師人狼たちが行く手を遮ろうと爪を振るうが、メリサンドの体を突き抜ける。爪が触れた瞬間、彼女の体はコウモリに変化し、即座に元の形を作っている。
「ふふふ。この娘を食べたあと、お前たちを飼ってあげるから大人しく待っていなさい」
「さっき見なかったの? こいつら、髭もじゃのおっさんよ」
「屈強な男がひれ伏して言いなりになるのが楽しいのよ」
「あ。それ分かる。やっぱ、これからの時代は、女が男に命令してこき使ってやるべきよね」
「ええ。本当にそう。貴方とは分かりあえそうだったから、残念だわ」
両者の距離は1杖。メリサンドがその気になれば瞬時に無数のコウモリがエリザベートを襲い、彼女の肉体は僅かな骨を残すのみとなるだろう。
エリザベートには、メリサンドのような異能はない。
しかし、口元に余裕を浮かべる。
「ほんと、残念。これからもっと分かりあえるから。聖剣には勝てなかったよ、って」
「何を言って――」
突如、メリサンドは雷神トールの槌に打たれたかのように硬直する。




