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52話 エリザベートは、都市に潜む悪魔憑きの手先の正体に気づく

 エリザベートは路地を隠れながら進み、自分が潜んでいる木造家屋の板の隙間から微かに豚の鳴き声を聞いた。アズが住み込みで働く豚飼いの家だ。


(こんな夜中に非常識だけど……。どうしても気になる……)


 エリザベートがヴァンの様子を思い返すと、都市に来てから不自然な点は何もない。だが、都市に来る直前は違う。

 どうやって、狼に追われながら無事にアイガス・モルタスに辿り着いたのだろうか。狼に変身した悪魔憑きが、ヴァンを都市に潜入させるために一芝居(ひとしばい)うったのだろうか。それこそが、唯一残ったヴァンに対する不信感だ。この、足に刺さった棘さえ抜ければ、エリザベートはヴァンを完全に信頼できる。


 エリザベートは木のドアをそっとノックした。中の誰にも聞こえないかもしれない。しかし、大きな音を立てるわけにもいかない。何度かノックを続けると屋内で何かが動く気配がした。


「いったいなんですか?」


 アズの声だ。雇われ人だから小間使いも兼ねているのだろう。


自由通りリュ・ド・ラ・リベルテのエリザベートよ。アズ。こんな夜中に悪いんだけど、話を聞かせて」


「エリザベートさん? 別に構いませんが……」


 アズが外に出てこようとするから、エリザベートは体で遮る。


「大きな声を出さないから、中で話させて」


()ええ(オック)……。なんですか?」


 エリザベートは豚の逃走防止用の板を(また)いで家の中に入る。


「教えて。水()み場から城門まで、もし狼に追いかけられたとして、アズは逃げ切れる? 変なこと聞いてごめん。でも大事なことなの。教えて」


「無理ですよ。狼が群れに飛びこんできたら豚が暴れて好き勝手に――」


「ごめん。聞き方が悪かった。アズが手ぶらでひとりでいる場合。狼が1頭追ってくる状況で」


「え? えっと……。矢が届くのよりも長い距離を走って逃げるんですよね? 十中八九逃げ切るのは無理です。狼の方が速いです」


「そうよね。やっぱり無理だよね……」


 それは、ヴァンを追っていた狼が普通の狼ではなく、悪魔憑きの変身した姿だったことを意味す――。


「……けど、条件にもよりますが、運が良ければできないこともないかと……」


「え? 不可能じゃないの?」


 エリザベートが声を大きくするから、アズが肩を強ばらせる。足下の豚が鳴きながら去っていった。


「ええ。不可能とは限りません」


「可能なの?」


はい(オック)。狼は基本的に群れで狩りをします。けど、交配相手を探すために群れから出ていった若い雄や、老いや怪我で群れの移動についていけなくなった弱い個体は1匹になります。いわゆる一匹狼です。若い雄から逃げるのは難しいですが、年寄りなら話は別です。群れから落後(らくご)した狼は狩りをする能力も(おとろ)えているので、群れが通り過ぎた場所をついていって、食べ残しの死体を(あさ)るしかありません。当然、脚も遅いです」


「そういう狼になら追いかけられても……」


「ええ。狼はハシバミとかの植えこみが苦手だから、灌木(かんぼく)に張りつくようにして走れば逃げ切れるかもしれません」


「ヴァンも、狼はハシバミの棘が苦手だって知ってた!」


「彼は農村出身なんですよね? 都市で暮らす人よりも、狼について詳しいと思います」


(つまり、水()み場から城壁までヴァンが狼から逃げ切ることは可能。そうよ。あの子が悪魔憑きのはずがない。悪魔憑きとは関係ない。私の勝手な思いこみ! ごめん! でも、リュシアンは確かに、トレソンやオーケンの村人が血を抜かれて殺されたって言っていた。トレソンの犠牲者が最後に(のこ)した言葉「()せた男」が関わっているのは間違いないとして、リュシアンがうちに来たってことは、ヴァンが疑われているってことだし……)


「エリザベートさん?」


「あ。ごめん。ありがと(メルセス)。今度お礼に無料で髪を切るから来てね。おやすみなさい」


 エリザベートは一方的に会話を打ち切り、アズの家を出た。


 アズが語りきれなかった理由の他に、親が子に狩りを教える場合がある。獲物が疲弊(ひへい)しきるまで親が追跡し、最後のトドメのみ子に任せる。また、エリザベート含めて全員が、狼犬を狼と勘違いしていた可能性もある。狼と犬の交雑種が犬の性質を強く受け継いでいれば、人間を恐れずに近づき懐くこともありうる。


 つまり、ヴァンを追った狼が最初から彼女を打ち倒すつもりがなかったなら、逃げ切ることは可能だ。


「おっと……!」


 豚飼いの家を出たエリザベートは何か小さな物を踏んで足が滑り、転びかける。


「ん? これは……。サクランボの種。ロシュがいつも捨ててる……。あっ!」


 偶然、すべてが繋がる。

 いや、月と星座の配置による天の摂理(せつり)と、守護聖人とアンリの加護が、アイガス・モルタスに潜む悪魔憑きの正体を暴く。


「しまった。『街に来たばかりの者が悪魔憑きを手引きする』って前提が違っていたんだ。悪魔憑きを呼びこむなら、都市の誰でもいい」


 最近、近隣の村を訪ねた()せている男。

 ロシュだ。背の高さが印象に強いが、()せている。エリザベートはヴァンと出会う前日の水()みからの帰りに、出掛けるロシュとすれ違っている。あの後、ロシュはトレソンに行き悪魔憑きを招いたのだ。


 彼は血になるとされる赤い果物を頻繁に食べていた。悪魔憑きに血を吸われて貧血になっているからだ。殺されかけて、命と引き換えにアイガス・モルタスを売ったのだろうか。それとも自ら進んで首筋を指しだし、悪魔の儀式によって異端に堕ちたのだろうか。


 他にも()せた男や、近隣の村へ定期的に出掛ける者はいるかもしれないが、一度疑いだすとロシュとしか考えられなくなった。

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