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37話 工事人夫の骨折を治療する

「あの。どうかしました?」


「……」


「もしもーし。聞こえてます?」


「……なっ。なんだ、お前。いきなり」


「んー。聞こえてなかったっぽいな。意識朦朧(いしきもうろう)か……。私、通りすがりの理髪外科医なんですけど、触ってもいいです?」


「え?」


「痛いのは左脚ですよね? 別に、勝手に診てお金を取ったりしないんで。触りますねー。痛かったら言ってくださいね」


()おう(オック)


「はい。ここ。ここ。んで、ここ」


「ッ……!」


「えっと……。折れてますね。休んでても治りませんよ」


「なんだと」という声は後ろから聞こえた。


 先程の現場管理者だ。エリザベートが何かしているから、様子を(うかが)っていたのだろう。


「さっきそこの理髪店から人を呼んで瀉血(しゃけつ)してもらったんだぞ。それで熱は下がるだろう」


「骨折で発熱しているので瀉血(しゃけつ)しても治りません。熱が下がったように見えるのは単に貧血でまいっているだけです。むしろ、症状は悪化してます。水で薄めた葡萄酒(ワイン)葡萄再醸酒(ピケット)を飲ませてください。なければなんでも良いんで、水気のある果物をください」


「分かった。おい」


 現場管理者が指示を出すと、近くにいた男が頷き何処(どこ)かへ走っていった。


(あら、珍しい。若い女の言うことを信じて指示に従うなんて)


 エリザベートは両手を軽く広げて、長さを示す。


「これくらいの長さの真っ直ぐな棒ありますか? あと、何か縛る物」


「ああ。木なら、いくらでもある」


 現場管理者が指示を出すと、野次馬人夫のひとりが、エリザベートが手で示した長さの棒を持ってきた。建築現場には工具や足場にするための木材が大量にある。そのため、負傷者の膝から(くるぶし)までの棒も容易に見つかった。


「縛る物は荷車用のロープでいいか?」


「うん。なんでもいいけど、あまり長すぎないので」


「分かった。おい。誰か短めのロープはないか?」


 現場管理者が野次馬に声を掛けると、その中のひとりが「切れたロープがあります」と言い、(デミ)(カンヌ)ほどの手頃なロープを持ってきた。


 エリザベートは手で怪我人に状況を説明する。


「痛いけど我慢してくださいね。こうズレてる骨を、こう元の位置に戻して固定します」


 エリザベートは怪我人の骨の位置を元に戻し、足に添え木を当ててロープで縛って固定した。

 怪我人が葡萄再醸酒(ピケット)を飲むと、水分補給ができたため急速に顔色が良くなっていく。


「元通り歩けるようになるから安心して。今日はこのまま歩かず日陰で休んでいてください。脚が痺れてきたら紐は解いてください。で、楽になったらまた縛り直してください。とりあえず2週間は脚を洗ったりお風呂に入ったりせずにこのままです。可能な限り歩かずにじっとしているのが望ましいです。痛みがなくなっても歩くときは必ず杖を使ってください。身体が熱くなって乾燥しているので、食事は冷たい湿ったもの。魚とか果物とかを食べてください」


「わ、分かりました。あの、監督……」


「ああ。言われたようにしろ。研ぎ待ちのミノが溜まっているから、研ぎ師に教わってお前は明日からそっちを手伝え。今日は休んでおけ」


はい(オック)ありがとうございます(メルセス・プラン)


 エリザベートは「明日以降も、仕事せずに休んでもらいたいんだけどなー」とは口にしなかった。仕事を失うと怪我人だって生活に困るだろうし、余計な口を挟むところではない。


「助かった。私の現場で重大な怪我人が出るところだった。いや、怪我人は出てしまったのか。しかし、酷くならずに済んだようだ。女なのに腕は確かなようだな。さっき金は取らないと言っていたようだが支払おう。いくらだ」


 現場管理者が言うのなら断る必要もない。「女なのに」と言ったし、遠慮する必要もない。


 大学では骨折の治療費を、次のように請求せよと教えている。

 相手が一般人なら5スー。

 苦しんでいるなら10倍の値段に吊りあげる。

 金持ちならさらに10倍。

 王侯貴族ならさらに10倍。

 つまり、取れるところから取れと教わった。


 しかし、エリザベートは、最終的に代官や現場管理者ではなく怪我人が治療費を負担することになったら申し訳ないので、両手の指で5スー、すなわち、60ドゥニエを表す。


「5スーか。こちらの足下を見ない適正な価格だ。店の場所と名前を教えてくれ。今は日雇い労働者に支払う給金しかない。週末にでも届けよう」


自由通りリュ・ド・ラ・リベルテの5番地。トゥールーズ理髪外科医院のエリザベートです。外科医としてはこの街で1番だから、怪我人が出たら無理に動かさず、私を呼んで」


「ほう。1番か」


ええ(オック)。モンペリエの大学でアラブ人の医師から医学を学んだわ」


「ほう。女なのに大学に入れたのか」


ええ(オック)。パリにいた頃、佳人(かじん)イザベラと親交があったから端麗王(たんれいおう)フィリップに、特別に推薦状を書いてもらったの」


 城壁の建築を指揮するほどの人物なら周辺各国を旅しているだろうし、パリの王族の名前も知っているだろう――エリザベートは相手の知識を推量した上で、自分の知識を示せるように言葉を選んだ。


「ちゃんと、ローマ教皇が認可した医者免許も持っているわ」


「ほう。それは大したものだ。分かった。これからお前の店を贔屓(ひいき)にしてやろう……と言ってやりたいが、怪我人を出さないことも私の仕事だからな」


「それは、確かに……。よろしくねとは言えませんね」


「そういうことだ。さあ、お前たち、休憩も野次馬も終了だ。仕事に戻れ。塩湖がボルドー・葡萄酒(ワイン)のような真紅に染まる頃、麗しのエリザベート嬢がフラミンゴを見に来るぞ。地中海の粋な男たちよ、城壁の上から見る景色をお嬢さんに捧げるため、夏までに完成させろ」


 現場管理者が手を打ち鳴らすと人夫たちは「はい(オック)」と答え仕事に戻った。


(短い会話で2回も「女なのに」と言ったわりには、何処(どこ)か憎めない人ね……)


 エリザベートはヴァンを連れて城壁内に戻る。

 フラミンゴを見て、怪我人を診て、水瓶(みずがめ)のことはすっかり忘れてしまった。

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