30話 城門を出て水汲み場に向かう
アズが豚を引き連れて扉を潜っていく。
エリザベートとヴァンは特に頼まれたわけでもないが、気分屋の豚が群れからはぐれていかないように、城壁内で列を見守る。
「街の様子……。昨日と違いましたね」
「そう? 狼が出るようになったからかなあ」
「兵士様とアズさんとしか会いませんでした」
「あー。それか。単に時間の違いよ。早朝はいつもこんな感じ。今の時期に、陽が昇りきる前の早い時間から働いているのは、豚飼いか、水汲みくらいかなあ。汚物回収業や清掃業はもう仕事を終えているだろうし……」
「今の時期とは、どういうことですか?」
「んー。暑い時期になってくると鍛冶職人みたいな火を使う人は、昼に働くのが嫌だし、朝早くから仕事をするの。あとは城壁を造っている人とかも、朝と夕方に働くんじゃないかな。私がここに来る前に住んでいたところはそうだったし、気にしてなかったけどここもそうだったと思う。あとは漁師なんかも時期によっては、漁をする時間帯が違うみたいね。で、いつ何をしたらいいのか知りたいときに、太陽が何処から昇ってくるか知っておくと便利なのよ。聞いたこともないけど、もしかしたらジャンも太陽が昇る場所や沈む場所を見て季節を知って、漁に出る時間を変えているのかも」
「そうなんですね。都市では鐘が鳴ったらみんな一斉に仕事を始めるのだと思っていました」
「ないない。大抵の人はまだ寝てるよ。私たちが水を汲み終えて帰った頃に起きて、陽の当たるところで体についた蚤を家族にとってもらいながら、会話をして団らんの時を過ごすの」
「そうなんですか」
「そういうもんよ。さあ、豚ちゃんはみんな外に行きました。私たちが見守る必要、なかったね。遅れがちな豚は犬がしっかり追い立ててた」
「はい。凄いです。とても賢い犬です」
「さ、行こっか」
「はい」
ふたりがアラン犬の尻尾を追いかけて行列の最後につくと、兵士が声を掛けてくる。
「水汲みだな? 最近狼が出るから気をつけるように。今日から開門中は川に兵士が交代で常駐することになったから、何かあったら頼るように」
「分かりました」
「はい」
エリザベートとヴァンは兵士に頭を下げる。
ふたりは城門を出て跳ね橋を渡る。橋の下は水堀になっている。アイガス・モルタスでは東側と南側の城壁が建造途中のため、堀は水を溜めない方が工事の都合が良いのだが、地下水が染み出てしまったのだ。人の膝くらいまでの水深がある。
荷馬車の轍が深く刻まれた道の左右にはオリーブの木が並び、その奥に楡の木を当て木にした葡萄の木が連なり、生け垣を形成している。その向こうに木々の隙間から畑が見える。
「こうやって豚が荒らさないようにしているんですね。昨日は見ている余裕がなくて、気づけませんでした」
「え? 何が?」
「畑です」
「どういうこと?」
「これが葡萄の木だから、手前のがリュシアン様のおっしゃっていたオリーブという木だと思います。奥がキャベツや蕪やタマネギの畑になっていて、そこに豚の意識が向かないようにしているんだと思います。生け垣の足下に生えているのはサンザシです。棘がある低木なので、豚も近づきたくないと思います」
「へえ。なるほど。面白いね。うん。きっとそうよ。ヴァン、よく気づいたね。偉い」
「あ、ありがとうございます。えへへ……」
やがて、野菜畑の向こうに緑色の小麦畑が広がり、農家の建物がぽつぽつと見え始める。農家は家畜とともに都市の外に住むが、有事の際は城壁内に避難する。攻め手側から見た場合、城塞都市周辺の農家は最優先で攻める対象だ。何故なら、農家は籠城のための食糧を生産するからだ。そのため都市は農家を見捨てずに保護するし、可能な限り城壁の上から矢の届く範囲に畑を配置して護れるようにする。
道はやがて松林に達し、豚の行列は右手に曲がっていく。アズがハンドベルを鳴らすと大半の豚がついていき、遅れるものは最後尾のアラン犬がしっかりと追い立てた。
エリザベートとヴァンは直進して林の中に作られた道を進む。この道は都市の人々が通るため踏み固められており、地肌が剥きだしになっている。林は、湿度が低く温暖な地域に位置するため、地中から迫りだした松の根にキノコや苔は生えておらず、周囲に下生えの草は少なく整然としている。
林道は湿った苔が漏らす悪臭もなく、木漏れ日が心地よい。狼騒動がなければゆっくりと歩きたいところだが、エリザベートは普段より早歩きをした。
やがて幅4杖ほどの川に到着する。そこが水汲み場だ。




