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29話 豚を豚飼いに預ける

 朝食を終えれば日課の水()みだ。


「じゃ、水を()みに行ってくるからお留守番してて」


「手伝います」


「嬉しいんだけど、水瓶(みずがめ)を頭に乗せて運ぶからひとりでやるお仕事なのよね」


「水()み場を教えてください。村にいたときは毎日水()みをしていたからできます。今日からボクが水を()みます」


「うーん。でも、悲しいことに水()みは女の仕事なんだよね……。ヴァンには男として振る舞ってもらうから……」


「問題ありません。ボクはトゥールーズ理髪外科医院の徒弟(とてい)です。親方の命令で水を()みに行きます」


「あ。そっか。私の旦那様じゃなくて、徒弟(とてい)なら水()みに行かせてもいいのか……。私、朝弱いからヴァンが手伝ってくれると凄く助かるんだけど、大変よ?」


「お願いします。働かせてください」


「うちの水瓶(みずがめ)、凄く大きいの知ってるでしょ? 往復したくないから、一度にたくさん水を()むんだけど、凄く重いよ?」


「頑張ります」


「そっか……。じゃあふたりともいなくなったらアズが来たときに困るから、少ししてから出発しましょう。彼が来たらすぐに預けられるよう、大きい方をこっちに連れてくるわ」


「豚のことなら任せてください。ボクが連れてきます」


「そう? じゃ、お願い」


 得意な仕事を貰ったことが嬉しいのか、ヴァンは弾むように隣室へ消えた。


 やがて中庭から――。


「君じゃなくて……。こっち。こっち来て。わあああっ。君じゃないから。そっちの君だけ来て!」


 どうやら農村の豚とは勝手が違うようだ。目的の1頭だけ部屋に通すのが難しいのだろう。かつてエリザベートも苦労した。


「ヴァン。コツを教えるわ。その子たちは群れじゃなくて、バラバラに買われてきた子たちだから、多分、ヴァンが知っている豚とちょっと違うの。同じおっぱいを吸った兄弟じゃないから」


 エリザベートも中庭に出た。


「どうすればいいんですか?」


「ここにはお母さんもボスもいないの。でっかい子供と小っちゃい子供だけ。好奇心旺盛なの。だから興味をひいちゃ駄目。目をあわせずに、君たちに興味なんてないよって顔をしてゆっくり近づいて、そっとお尻を押すの」


 エリザベートは実践し、ヴァンに手本を見せた。


「明日は頑張ります」


 そうこうしている間にアズが豚の群れを連れて路地前にやってきたので、豚を彼に預けた。


「じゃ、ヴァンはこれを袖の中にしまって持ってって」


 エリザベートは棚からハサミを取り、ヴァンに渡す。


「これは、エリザベートさんの仕事道具ですよね?」


うん(オック)。もし狼に襲われたときはそれでぶっ刺して。私は、これ」


 エリザベートが手にするのは、アンリが遺した杖の先端に瀉血(しゃけつ)ナイフを縛り付けたお手製の槍だ。


「昨日リュシアンが城壁の周りを捜索したはずだし、狼は川の向こうに逃げたと思うけど、念のために、ね」


 彼女の身体能力なら、たとえ昼間でも狼から走って逃げたり、素手で追い払ったりできるだろうが、その様子を人に見られるわけにはいかない以上、人並みの武装と警戒は必要だ。


 エリザベートは水瓶(みずがめ)を店舗の外に出す。それから、ヴァンの頭にクッションを挟んで水瓶(みずがめ)を乗せる。


「大丈夫? 重くない?」


うん(オック)。大丈夫です」


 エリザベートはドアに鍵をかけると、ふたりで並んで歩きだす。

 方向が同じなのでふたりは豚の行列についていく。既に30か40か、簡単には数えられないほどいるが、先々で家のドアが開くと、群れの数は増えていく。

 仲間を加えながら進む豚の動きは遅いから、次第にふたりは行列の隙間を縫って進み、やがて先頭のアズに追いつく。


「ねえ、アズ。最近、狼が出るって聞くけど、豚は大丈夫なの?」


「今のところは大丈夫ですね。群れで襲ってきたら大変だけど、1頭や2頭なら犬が追い払ってくれます。それに狼は人間を恐れるから、僕がいる限り近寄ってきませんよ」


「えっと……。言いにくいんだけど……。うちで働くことになったヴァンが、昨日、城門の中から手を伸ばせば届くような位置で、狼に襲われたのよ」


「え? 狼がこんなところまで? よく無事でしたね」


 アズが目を見開き、ヴァンを見つめる。


 ヴァンはほぼ初対面の相手に緊張したのか、視線を逸らす。


「門番の兵士様が追い払ってくださったので……」


「なるほど。それにしても、城門の近くまで狼が来るなんて……」


「ねえ、アズは狼に襲われたとき、もし犬がいなかったらどうするの?」


 エリザベートはアズの身を案じて質問した。しかし、アズは彼女が預けている豚の心配をしているのだろうと勘違いして返事をする。


「これで戦いますよ」


 アズは右の棍棒を掲げ、左手で腰に提げた皮剥(かわはぎ)用のナイフを叩く。その際にハンドベルが鳴り、後方でアラン犬が『自分も戦うぞ』とばかりにワンと吠えた。


「僕は豚飼いをやっているけど、じいちゃんは羊飼いだったから、狼の危険性や戦い方は嫌と言うほど聞かされています。エリザベートは、羊飼いは何が得意だと思いますか?」


「え? 羊を飼うことでしょ?」


「違いますよ」とアズが答えると、ヴァンが怖ず怖ずと「あの」と口を挟むための間を作る。


「羊飼いが得意なのは、狼と戦うことですよね」


はい(オック)。そのとおりです。羊は大人しい生き物ですからね。草を食べさせに行くだけなら子供でもできます。では何故(なぜ)大人が羊飼いをするのかというと、狼に襲われたときに撃退するためです」


 豚飼いが気負った様子もなく言うから、理髪外科医は新たに()いた疑問を投げる。


「棍棒やナイフだけじゃ(かな)わないくらい大勢の狼が襲ってきたらどうするの?」


「基本的に狼は大人の豚を襲いません。豚の黒くて厚い毛皮は狼の牙を通さないからです。狼は賢いので、豚の群れを襲うくらいなら羊や雌の鹿を探します。ただ、僕が今連れているような春の若い豚は、もしかしたら襲われるかもしれません」


「うん。何か対策はあるの?」


ええ(オック)。狼は獲物の群れからはぐれた弱者を襲います。ですから、豚の中から、私が所有している豚を狼の群れに渡します。足首の腱を切って走れなくした豚を残して、他の豚を逃がします。ただ、これは本当にどうにもならなくなったときの最終手段です。一度でも餌を与えると、狼は人間に近づいたら餌が貰えると学習してしまいますから」


 そう話しているうちに城門に到着した。

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