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27話 体を洗って、戸締まりをし、就寝する

「私は邪魔してしまったようだね。お先に失礼するよ」


 ジュールはふたりを残して家に入った。

 彼の姿を見送ってから、エリザベートはヴァンに1歩近寄って(ささや)く。


「私が先に洗っていい? ヴァンは昼に1度洗っているし、水が足りなくなっても困らないでしょ?」


「もちろんです」


 エリザベートは服と下着を脱ぎ体を洗った。体に付いている見えない何かが病気の原因と教わった彼女は、毎日体を清潔にしている。今日からは徒弟(とてい)がいるので背中も今まで以上に清潔になる。


「ヴァン。交代」


はい(オック)


「じゃ、じっとしててね。夜だから水が冷たくても声を出さないように。人も豚も鶏も寝ているからね。静かに」


はい(オック)


 エリザベートは手ぬぐいでヴァンの背中を拭く。


「明日は髪を切ろっか。というか、明るいうちに切っておけば良かったね。ごめんね」


「あ、あの……」


「ん?」


「お金、ありません……」


「家族から取らないって。それよりも、そのうちヴァンにもいい下着を買ってあげるからね。はい。終わり。ちょっとそのまま」


はい(オック)


 エリザベートはヴァンと夜空を見比べる。外科医のエリザベートは手術の成功しやすい日を知るために、薬剤師のジュールから占星術を習っている。知識と経験では彼に遠く及ばないが、ヴァンと同性のエリザベートは彼女の裸を夜空と見比べて占えるという利点がある。

 星に対応づけてヴァンの頭の向きや腕の角度を変えさせる。それから、ジュールの教えを思いだしながら、彼女の全身をくまなく観察する。


(頭部を象徴(しょうちょう)する牡羊座(ベリエ)が陰っている。決断が求められる。肺を司る(つかさどる)双子座(ジェモー)が低くて暗い。交流が求められる。……違う。交流を妨げる壁の崩壊を暗示しているのか……。力強さを象徴する牡牛座(トロ)が輝きを増せば、繁栄の(きざ)しだけど……。なるほど。確かに、ジュールさんが壁の崩壊と繁栄という占い結果を告げたのも分かる。けど、壁が壊れたら狼が侵入してくるのに、繁栄? 若い女の子特有の体臭の中に、薄らとにじむ血の匂い……。美味しそう……)


「あの……。あまり近くでジロジロ見られると、恥ずかしいです……」


「……ッ! ()ごめん(デゾレ)


 口を半開きにして、今まさに彼女の下肢に牙を突き立てる寸前だったエリザベートは慌てて顔を離す。


「あ。あはは……。私の方が詳細にヴァンを観察できるけど、ジュールさんの知識と経験には勝てないや……。時間を取らせてごめんね」


 エリザベートは中庭の隅に置いてあった陶器の(はち)を拾い、残っていた水を捨てる。桶に余った最後の水を(はち)に入れて元の位置に戻した。中庭で飼っている豚用の飲み水だ。


「じゃ、寝よっか。貴重品を2階に上げるから覚えておいて」


 エリザベートは忍び足で職場に入り、鏡とハサミと瀉血(しゃけつ)ナイフを回収した。


「これが寝る前に2階へ持っていく貴重品です。あと、これ」


 胸元に掛けた紐を引き、印章をヴァンに見せる。


「これが、私とヴァンと家の次に大事な物です。絶対になくすわけにはいかないの。もし私が死んだら、司祭様を呼ぶよりも先にこれを叩き割ってね」


「し、死なないでください!」


「こらこら。声が大きい。大丈夫。死なないって。もしもの話だから。これは印章という大事な仕事道具なの。私がエリザベートという公証人(こうしょうにん)であることを証明するためのもの。他人に使われるわけにはいかないから、死ぬ前には壊す必要があるの」


 ふたりは2階に上がり貴重品をチェストにしまう。


「じゃ、もう降りる用はなし」


はい(オック)


梯子(はしご)を上げるね」


 防犯のため、壁に掛けてあった梯子(はしご)を2階に上げて収納した。


 降水量が少なく温暖な地域に位置するアイガス・モルタスでは、(あし)葺きの屋根は通気性も良く快適だ。2階も1階と同じ間取りで2部屋あり、エリザベートは路地側を物置、中庭側を寝室として使っている。

 寝室は窓がないため月明かりすら()しこまないが、寝床しかないので暗くても体を何処(どこ)かにぶつけることはない。寝床は木の枠に(あし)を詰めて上からシーツを掛けたものだ。


「こっちは私が毎日寝ている場所だし、ヴァンはそっちでいい?」


 エリザベートの寝床の横に、ただ(あし)を置いてシーツを掛けただけの場所がある。(あし)は使いこまれていないので固さが残っており、多少寝づらい。


はい(オック)


「掛け布団、使う? 私は暑いから使わないけど、隣の部屋にあるから、寒かったら使ってね」


はい(オック)。ボクも大丈夫です」


 皺が付くといけないので服を脱いで壁の(かぎ)に掛け、それぞれの寝床に転がった。


 しばらく時間が経った。


 隣で身じろぎする音が聞こえたから、エリザベートは(たず)ねる。


「初めての場所だと眠れない?」


「いえ……。別にここが嫌なわけではなく……」


「知らないことばかりのところに来ちゃって不安なんでしょ。寝付くまでお話ししてあげる」


はい(オック)


「じゃあ、身の上話はもう少し仲良くなってからってことにして、先ずはアイガス・モルタスのお話してあげる。うちはひとりで暮らしているから2階の路地側を荷物置き場にしちゃっているけど、多くの家では祖父母の居室にしているかな。奥側の部屋は現役世代の寝室ね。1階は何処(どこ)も労働世代が働く職場や商店。うちにはないんだけど、竈は1階に据えられるよ。重いから2階には置けないし石壁と土間の1階なら火事にもなりにくいしね。だから、寝室や居間が2階に設置されるのは合理的でしょ。あ。これ、お隣のイタリアだと竈が最上階にあったかな。燃える階層が少なくて済むのかな。料理用の水を運ぶの大変そうだね。寒い地域だと竈って暖炉を兼ねるから壁際にあるんだけど、逆に温かい地域だと室内の温度を上げたくないから竈を部屋の中央に置くのよ。竈の話ばかりしちゃったね。この家の元々の持ち主だったアンリさんが亡くなってからは贅沢(ぜいたく)にも私がひとりで暮らしているけど、これくらいの家ならだいたい8人は暮らすかなあ。寝た?」


 返事はない。耳を澄ませば穏やかな寝息が聞こえる。

 エリザベートが長話をしている間にヴァンは眠りについたようだ。

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