24話 夜警をする理由と、狼の遠吠え
「狼、いないねえ」
「はい。あの……」
「ん?」」
「もし、狼がいたら……。豚や鶏が気づいて騒ぐと思います」
「なるほど」
しばらく進むと、ちょうど南城壁の中央辺りでロシュが、ポケットの中からサクランボの種を1掴み路上に捨てる。
「……さっきのヴァンの言葉は正しい。狼がいれば、動物がけたたましく鳴く」
そこは、アズが住み込みで働く豚飼い業者の家の前だった。夜間は1階で自分たちが所有する豚を飼っている。ロシュはサクランボの種が豚の餌になると見越して、ここで捨てたのだろう。ロシュは建物の左右にある路地を照らし、奥を覗きこんだ。何もないことを確かめてから歩きだす。
彼を追うマリウスの足取りは重い。
「ロシュさん。狼がいないなら、どうして夜警をするんですか? こんな路地裏を見たって……」
「ん。ああ。ほら。あれだ」
「え?」
前方に蝋燭の灯りが現れた。東側城壁に沿った路地の角を曲がって前方に来るようだ。
灯りは2、3、4と増えていく。それは手燭か松明を持った男たちだった。2杖程の距離に近づくと、先頭の炎が縦に揺れた。照らす位置を高くして、こちらの顔を改めようとしたのだろう。ロシュも同じように手燭を上げた。
暗闇の中で陰影のくっきりした口が動き、男は小声で呻くように喋りだす。
「俺たちは織物同職組合だ。城代の許可を得て夜警をしている。お前たちは?」
「理髪同職組合だ。俺たちも今夜から夜警をすることになった」
「なるほど。話は聞いている。こっちは何も異常はなかったぞ」
「そうか。俺たちは城壁に沿って都市を移動する」
「分かった。闇の中に何が潜んでいるか分からない。お互いに気をつけよう」
ロシュと相手の代表が言葉を交わし、それから両集団はすれ違った。
(えっと。さっきマリウスが夜警をする理由を尋ねて、その答えが織物同職組合の夜警? なんのこっちゃ。ほら、マリウス。ロシュに聞きなさいよ)
エリザベートはマリウスの後頭部に念を送る。
「ロシュさん。どういうことですか? 狼がいないって分かっているのに夜警をすることと、織物同職組合になんの関係があるって言うんですか?」
「なんだ。ルネさんの下で修行していて気づかないのか?」
ロシュは呆れたように大きくため息を漏らす。
「ルネさんは参事会役員になりたいんだよ」
「どういうことですか?」
「アイガス・モルタスの参事会役員は誰だ?」
「え?」
四人は南西の角にある塔(注)を右に曲がり、北へ進む。
注:南西の角にある塔は現在、ブルゴーニュ塔と呼ばれている。だが、この名称は百年戦争が由来になり、改名されたと思われる。作品当時の名称は不明。
「聞き方を変えよう。この壁で囲まれた都市で、代官と司祭を除いて他に発言権の強いのは誰だ?」
「織物同職組合の長、肉屋同職組合の長、小麦卸商……ですか?」
マリウスがあげたのは、生活に密着した商品を取り扱っていて、多額の税金を納めている者たちだ。彼らは参事会役員として都市内の政治を司っている。
「そうだ。他には?」
「他……」
マリウスが返事に窮するから、エリザベートは口を挟む。
「貿易港の管理人、漁業同職組合の長、銀行家、製塩業者でしょ」
「そうだ。今の参事会役員は、その同職組合の長7人だ。つまり、ルネさんは8人目になって発言権を強くしたいんだよ」
「それと夜警になんの関係が?」
「マリウス。まだ分からないの? 私は分かったわよ。要するに理髪同職組合も都市のために頑張ってますよーというアピール。都市への貢献が認められたら参事会役員の椅子が1個、理髪同職組合に貰えるかもって期待しているのね。動かしているお金の規模が違うから、無理だと思うけどなー」
都市内に3軒ある理髪店のうち1軒が同業者から嫌がらせを受けていて客が集まらない状況だしね、とは心の中に留めた。さらに「高度な外科医療ができる私にもっと客を取らせて納税額を上げていけば、理髪同職組合の都市内での発言権だって大きくなると思うんだけどな」と胸の内に秘める。
「無理かどうかは置いておいて、概ねはエリザベート嬢の言うとおりだ。マリウス。親方になるにはこういったところにも考えを巡らせないといけないぞ。エリザベートは女のくせに頭の回転は速い。見習え」
「はい……」
「はあ……。最後の一言がなければロシュさんは比較的いい人なんだけどなあ。ギュイさんに何かあったら、次の親方になれるよう私が推薦してあげるのに」
「女などに推してもらわなくとも、ギュイさんのあとを継ぐのは俺だ。それにギュイさんは立派な方だ。長生きしてもらわなければ困る」
「マリウス。聞いた? ロシュさんは立派よね。女の力なんて借りなくても親方になるって」
それはつまり、私のお店を乗っ取って親方になろうとしても無駄よという皮肉だ。それは通じたらしく「ちっ」と舌打ちが聞こえた。
「俺だってロシュさんだけでなく、ルネさんやギュイさんにだって負けない腕を持っている……!」
年長者に対する若者の挑戦的な発言を聞いたエリザベートは、ふたりの仲が険悪にならないように、親方として自分が仲裁して悪役になることにする。
「マリウス。腕前で親方たちに負けないのはけっこうだけど、勝ってもいけないのよ。いい? 同職組合は同じ金額で同じサービスを提供することに意義があるの。3店舗とも4ドゥニエで髪を切って1ドゥニエで髭を剃るの。何処に行ってもパンが同じ値段なのと一緒」
「っ……。それよりも、狼を探して捕まえるぞ」
「はあ。話が戻ってるわよ。狼なんているわけないじゃ――」
とは言うものの「噂をすれば尾」いやこの場合は「噂をすれば鳴き声」であった。
前方、都市の北から狼の遠吠えが降ってくる。まるで、星のカーテンに跳ね返って落ちてきたかのようだ。4人とも視線を北の空へ向けた。




