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21話 葦を買う

 エリザベートは周囲をキョロキョロと見てから、声を小さくする。


「これから行くお店は、商売だから女の私にも丁寧な態度で接してくれるけど、笑顔のまま高めの値段を提示してくるの。女は頭に干し草が詰まっているから多少ふっかけても分からないだろう、女はバカだから数字なんて理解できないだろう、女は文句を言えないから値段を吊り上げてやろう、ぼったくっても文句を言うときに後ろ盾になる男なんていないだろう……そんな理由かしらね。とにかく、私が買うと損をするの。だから、ヴァン。男の出番」


()はい(オック)。分かりました。舐められないように買えばいいんですね」


「そのとおり。予算は10ドゥニエで1(こり)(あし)を買います。両腕で抱えるのが大変なくらいの束を、ふたつ。いい? もし店員が、こう指を曲げてきたら――」


 エリザベートは両手の親指を重ねて、指を曲げたり伸ばしたりする様子をヴァンに見せる。左手の親指と人差し指の先をくっつけて輪を作ると、左の残る指をすべて真っ直ぐ立てた。


「これが10を意味する形。この形以外はすべて首を横に振る。いい? 指がしっかり伸びていることを確認して、曲がっていたら別の数字を意味するから」


「わ、分かりました」


「この形だからね? しっかり覚えたね? もし最初から10より小さい数字を相手が提示してきたら、私が割りこむから。よし、行くよ」


はい(オック)。頑張ります」


 南側の城壁は一部未完成だが、大小5つの城門は既に完成している。南側は、港で働く者の利便性が考慮されており、四方を囲む城壁で最も門が多い。その中で東端に位置する武器庫の塔トゥール・ド・ラルセナルの近くに木造の商店がある。広めの店先に、壁はないが屋根で護られた場があり、そこに太さや長さで仕分けられた(あし)が山のように積まれている。


 売り場には店員と3人の客がいる。店舗正面の城壁では下働きの若い男が(あし)を城壁に立てかけ、石の境を目盛りにして長さで仕分けている。

 (あし)は都市の周囲に広く点在する沼地から採れるが、乾燥させた物を購入するのが一般的だ。

 アイガス・モルタスにとって(あし)は生活のあらゆる場で利用する重要な資源だ。建築材として使われるのはもちろん、寝具や家畜の餌としても用いられる。かつてラングドックで活躍した吟遊詩人(トルバドゥール)たちも、(あし)で作られた笛を演奏した。


 エリザベートは人の良さそうな20歳くらいの店員に声を掛ける。


「サリュ。(あし)屋のジャン」


「サリュ。理髪店のエリザベート」


 先程の漁師と同じく、彼の名前もジャンだ。有名な王や聖人にあやかった名前をつけるため同名の者は多い。アイガス・モルタスの修道院に行けば、修道士の3人にひとりがヨハネだ。同名の者は、アンリ・ド・トゥールーズのように、ド・地名とつけて、出身地で他人と区別する。もしくは、妖精のような(フェリーク)エリザベートのように外見的特徴を加える。最近では名前のあとに職業名を付ける者も増えつつある。


 エリザベートは同行者の二の腕を肘で突く。


「初めまして。トゥールーズ理髪外科医院で働くことになった男、ヴァン・ド・トゥールーズです。よろしくお願いします」


「おう。よろしくな。俺は見てのとおり、ここで(あし)を売っているジャンだ」


 エリザベートは1歩下がってヴァンの視界から消えた。あとは信じて任せる。


「寝床用に2抱えほどください」


「あいよ。なら短くて柔らかいのがいいな。ほら。この辺りの束だ。触って確かめてみな」


はい(オック)


 エリザベートはヴァンが(あし)を触っている間、彼の様子を眺めていた。不意に、他の客の会話が聞こえてくる。


「今日も人を襲う狼が出たそうだ。北の門のすぐ前まで来たらしい」


「人を襲うだって? 3年ほど前に騒ぎになった人狼(ロップ・ガルー)ではないのか?」


「隣の領主の土地では狼の群れが村を襲って住民を皆殺しにして食ってしまったという噂もあるが……」


「住民を皆殺し? それは悪魔憑きではないか? 悪魔憑きは月の光を浴びると人狼(ロップ・ガルー)に変身すると言うぞ」


「だが、悪魔憑きならば信仰心の厚い者が暮らす街には入れないと聞く。アイガス・モルタスは安全だ」


「しかし、異端教徒が中から招けば、悪魔憑きは都市に入れるとも聞いたぞ」


 夜間は城門を閉ざすから狼が侵入できるはずがない。しかし、それでも市民の間には少しずつ恐怖が広まっているようだ。


(3年前の騒ぎって私と漁師たちのことよねえ……。あいつら、夜中の漁に出掛けるとき人狼(ロップ・ガルー)に見間違えられないように、今度無理矢理にでも髭を剃っちゃお……)


 エリザベートが可愛らしい陰謀を企てていると、ヴァンが笑顔で顔を向けてきた。

 どうやら、10ドゥニエでじゅうぶんな(あし)が買えたようだ。

 それは喜ばしいことだがエリザベートは内心で「私が買いに来たときは15ドゥニエだったじゃない」と(つぶや)いた。

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