20話 漁師と雑談する
石造家屋が並ぶ区画を抜けると路地も石畳から未舗装に変わり、木造家屋が並ぶ区画になる。木の板を壁にし天井には葦が葺いてあり窓はなく、出入り口にドアはなく動物の皮を垂らしている。南に行くほど港で働く荷揚げ人や、漁師たちの住居が増えてくるため、街の雰囲気が変わっていく。
しばらく進むと、小屋に三方を囲まれた空き地に、大声で笑いながら魚を焼いている男の集団がいた。いずれも歳は30前後。腕はヴァンの太ももよりも太く、筋骨隆々の上半身を風に晒している。
そのうちの何人かがエリザベートに気づくと、髭面を向けてくる。
「サリュ。私の小さなエリザベート。今日は良い日だったかい?」
「サリュ。お髭が素敵なジャン。おかげさまで良い日だったわ。貴方たちはどう?」
日陰の少ない地区を歩いてやや疲れ気味のエリザベートは、男の大きな体が作る影の中に入った。
「もちろん毎日最高さ。今日これからのことはまだ分からないがね!」
「私に会えたから、今日は大猟よ」
「違いない! 我らの守護聖人、聖ペトロと聖エリザベートのおかげで今日も大猟だ!」
陽は沈み始めているが、彼らの仕事はこれからだ。葦を束ねて球にした物に獣油を染みこませ、それを船頭に吊り下げて火をつけ、灯りに集まってきた魚を網で獲るランパオという漁法を用いるため、彼らは陽が暮れてから漁に出る。
「羨ましいわ。一目見ただけで胸が高鳴るような美人に会えるのは貴方たちだけの特権なのよ。だって、私は妖精のようなエリザベートに会えないもの」
「そりゃそうだ! 私の愛しのお嬢さん。後ろをつけている見知らぬやつがいるぞ。大丈夫か。追い払ってやるぞ」
「遠慮するわ。彼、うちで働くことになった徒弟のヴァンよ」
「へえ。そうかい。ヴァン。よろしくな!」
ジャンが髭面を向けると、ヴァンは目を丸くして小さく素早く何度も頷いた。
「は、はい」
「あ。そうだ。海の近くまでは来ないと思うけど、最近、都市の近くで人を襲う狼が出るから、夜は気をつけなさいよ」
「はっはっはっ。狼なんざ、俺たちにかかればひとひねりさ」
ジャンは筋骨逞しい腕を、ポンと叩く。漁師仲間たちも体つきを見せつけるように身じろぐ。
負けじとエリザベートは腕をポンと叩くが、漁師とは比べるまでもなく、細くて白い。
「代金は魚でいいから、あんたたち全員うちに髭を剃りに来なさいよ。そのモジャモジャを見ていると腕が疼いてしょうがないわ。赤ちゃんの肌みたいにツルッツルにしてあげる」
エリザベートはまるでカミソリを持ったフリをして、ジャンの顎に手を伸ばす。ジャンは手で顎髭を隠して仰け反る。
「目がイッちまってやがる。おい、新人徒弟のヴァン。俺からのアドバイスだ。親方の技は見て盗むもんだが、こいつの髭に対する執着だけは盗むな」
「は、はい」
「どういう意味よ。剃らせてよ」
「いくらお嬢でも馬鹿言っちゃいけねえぞ。髭を剃ったら海風で顔が灼けらあ」
エリザベートはふざけてかんしゃくを起こし地団駄を踏む。
「ああっ、もう、みんな、それなんだから。漁師は潮風を防ぐために髭が必要。農夫は熱い陽差しから顔を護るために髭が必要。羊飼いは寒さから身を護るために髭が必要。騎士は兜に顎が触れる不快感を減らすために髭が必要。修道士は司祭と区別するために髭が必要……。なんなの男って。みんな髭々って。剃らせなさいよ。私にお仕事させてよ!」
エリザベートが悲しげに嘆くと、漁師たちがどっと笑いだす。
「ああ、もう、じゃあね。怪我したときもうちにいらっしゃいね。まあ、来たら勝手に髭を剃るから、怪我だけはしないように」
エリザベートは手をひらひらと振って歩き去る。
少し進んでから背後のヴァンに話しかける。
「さて。今の漁師たちが特殊だってことは分かる?」
「いえ、あまり……。気のよさそうな人たちばかりでした」
「女の私を侮ったような態度じゃなかったでしょ?」
「はい。それは分かります」
「けどね、大多数は違うの。さっきの私みたいな態度をとったら、女のくせに生意気だって怒鳴るの。今の漁師たちは、以前クラゲの毒で死にかけていたところを私が治療してあげたの。だから私のことを、女だからと言う理由で見下さずに、対等に見てくれる。ふふっ。クラゲの毒に犯された男をメデューサみたいに美しい女が助けたのね」
「はい」
エリザベートはクラゲ(méduse)と、美女と伝えられるメデューサ(Méduse)の発音が同じだから、韻を踏んだ冗談を言ったのだが、ヴァンには通じない。彼女は海洋生物のクラゲも、ギリシャ神話の怪物も知らない。
「私の知的ユーモアが通じないなんて、手強いわね……」
「……?」
「まあ、いいわ」




