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13話 城代リュシアンが少年の素性を改める

 エリザベートは少年の上半身を抱き寄せ、右の耳元に(ささや)く。


「君、ここに知りあい、いる?」


「い、いません」


「移住希望?」


()はい(オック)


 エリザベートはいったん顔を離して、次は左の耳元に(ささや)く。(はた)からは、親しい人への挨拶(ビズ)(頬の近くで唇を鳴らす)をしているように見えるだろう。


「よし。話をあわせなさい」


「え? ()はい(オック)


「すべて、はい(オック)と応えてね」


 エリザベートは少年の上半身を離して声を大きくする。


「久しぶり。ヴァン。よく来てくれたね! 大きくなって、見違えたわ!」


()はい(オック)


ありがとう(メルセス)。これから、トゥールーズ理髪外科医院の徒弟(とてい)として、いっぱい働いてもらうから」


はい(オック)


「あら。マリウス。どうしたの?」


 エリザベートは、今気づきましたというふりをしてマリウスに体を向ける。


「おい。誰だ、それは」


「私の知りあいよ。ヴァンというの。言ったでしょ。夜警に参加する男に心当たりがあるって」


「な、に……。その場しのぎの嘘じゃなかったのか」


 そのとき、城門の周りに集まりつつあった野次馬たちが左右に分かれて道を空けた。


 大通りの中央を3騎の騎馬が縦に並んでやってくる。先頭の馬のみ栗毛である。アイガス・モルタス近郊では、カマルグ湿地帯にカマルグ馬と呼ばれる白馬が生息しているため、この地域で馬といえば白馬だ。

 しかし、先頭の騎士(カヴァリエ)はフランス王の臣下であり、パリで叙任された際に授けられた栗毛の馬に乗っている。彼の馬は白馬よりも一回り大きい。


 エリザベートは、先日とは別のお馬さんね、乗馬用じゃなくて軍馬かしらと思った。


「門の外が騒がしかったようだが、いったい何事だ」


 先頭の馬上から門番に声をかける偉丈夫(いじょうふ)は、アイガス・モルタスの代官と城代を兼ねるリュシアン・ド・マルティニー。彼は都市の最北西に位置するコンスタンス塔の見張り兵士から、騒動の報告を受け駆けつけたのだろう。平服を纏っているが、帯剣している。


 残る2騎は側近の騎士(カヴァリエ)と、どちらかの従者だろう。ともに平服だが剣を腰に帯びている。


 城代が来たのであれば、マリウスはもうエリザベートに詰め寄ることはできない。


 エリザベートも自分の出る幕ではないことを理解しているので、礼儀として頭巾(シャプロン)を外し、1歩下がった。


「報告します」


 纏う空気が変わった門番は踵を揃えて背筋を伸ばすと、城代に事のあらましを説明する。

 少年が狼に襲われていたこと。その狼は剣を向けても(ひる)まなかったこと。逃げていくときはまるで矢の届く範囲が分かっているかのように立ち止まり、こちらの様子を見てきたこと。

 最後に兵士は「私見ですが」と前置きしてから「あの狼は体が大きく、立ちあがれば人の大きさがあるように見えました」と述べた。


「――なるほど」


 リュシアンは上半身を(ひね)り、側近に手際よく指示を出す。


「川に向かえ。市民が狼に襲われていないか見てこい。その後、近隣の農家に被害がないか確かめてこい。私もすぐに向かう」


「はっ」


 2騎の騎馬が城門を出ていく。


 リュシアンは手綱を引いて馬の向きを変えると、鋭い眼光で少年を見下ろす。


「貴様が、その逃げてきた男だな。私はこの都市の城代と代官を兼務するリュシアン・ド・マルティニーだ。顔を上げてこちらを見ろ」


()はい(オック)」と応える少年の声は震えている。


「前髪を上げて額を見せろ」


はい(オック)


 リュシアンは蓄えた髭をしごきながら、ひとつ頷く。


「……ふむ。犯罪者の顔ではないようだ」


 彼は人相書きと少年を見比べたわけではない。見聞きして記憶する犯罪者と、少年の顔つきを比較したのだ。精確な人相画を描ける者は限られているため、犯罪者の情報は言葉として伝わってくる。

 土地全体の人口が少なく、村間や都市間を移動する者も僅かなため、大凡(おおよそ)の年齢と身体的特徴や服装などの情報があれば、犯罪者を特定することは可能だ。


 リュシアンはアイガス・モルタスの軍事を司る(つかさどる)者として、少年の素性を確認した。そして、犯罪者の特徴と顔立ちが一致しないことを踏まえた上で、あくまでもリュシアンによる第一印象で、少年の顔つきは犯罪者ではないと判断した。

 肉体は魂の器であるから必然的に魂と同じ形になる。犯罪者の魂を宿す肉体は犯罪者の顔になるはずだから、見た目の印象による判断で問題はない。


 仮にこの場で少年が、犯罪者の顔であると断じられたとしても、異を唱えていれば異端教徒と判断されたであろう。何故(なぜ)なら、異端教徒は魂を含む精神世界を神が創り、肉体を含む物質世界は悪魔が創ったと考えているからだ。つまり、肉体が魂の形になると考えるのはカトリック教徒であり、肉体と魂の形は無関係だと考えるのは異端教徒である。

 よって、カトリック世界で裁判権を持つ代官が、少年は犯罪者の魂を持つ顔つきだと断じれば、それが事実となる。


 土地を移動する権利のない北フランスの農奴と異なり、ラングドックの農民は移動の自由がある。それは、南は北よりも貧しく富の格差が少ないため、相対的に農民の地位が高いからだ。そのため、身分を理由にして少年が追い返されることはない。


 ただし、希望者であれば誰でも住民になれるアイガス・モルタスでも、犯罪者と異端教徒は例外だ。よって、リュシアンは次に少年が異端教徒であるか疑う。


「両腕を上げてその場で回って全身を見せろ」


はい(オック)


 少年は指示に従い、動物の皮を編んで作られた粗末な服を城代に見せる。


「よし。黄色十字はないようだな」


(それは大丈夫。私が知りあいのフリをする前、ちゃんとチェックしておいたから。異端教徒の知りあいがいるなんて知られたら、私まで疑われちゃうもん)


 黄色十字は、異端審問で異端と判断された者が刑罰として服に付ける目印だ。異端の完徳者(異端の教義を忠実に護る指導者的存在)は処刑されるが、改宗してカトリック教徒となった者は、黄色十字を衣服に縫い付けられる。


「貴様は異端教徒か?」


いいえ(ノン)。違います」


「では、悪魔憑きか?」


いいえ(ノン)。違います」


「柄に聖遺物が収められた我が聖剣と、神に誓えるか?」


 リュシアンは腰に帯びた鞘を引き寄せ、赤い宝石が象眼(ぞうがん)された柄をヴァンに向けて見せつける。聖遺物には悪しき物を識別したり、病を治したりする効果があると信じられている。聖人の遺骨や歯や、衣類の切れ端などが該当する。


 宝石が陽を反射して(まぶ)しかったからエリザベートは1歩下がって日陰の中に身を隠した。


(悪魔憑きじゃないよね? 私、マリウスに彼は私の知りあいって言っちゃったし。もし彼が悪魔憑きだったら、最悪の場合、私まで火刑台に吊されて火あぶり……)


 エリザベートはさりげなくマリウスの様子を(うかが)う。マリウスに口を挟む様子はないようだ。

 少年がリュシアンを真っ直ぐ見上げて宣言する。


はい(オック)。神と聖剣に誓って、私は悪魔憑きではありません」


「よし。我が聖剣は反応しなかった。貴様は悪魔憑きではない。ならば本題に入ろう。何故(なぜ)、狼に追われていた?」


「あーっ。それは私のせい! 店を手伝ってもらいたくて呼んでいたのよ。それで、来る途中で狼に襲われちゃったみたい。彼は、ヴァン。トゥールーズのヴァンよ」


 エリザベートは少年の横へ移動し、脇を小突く。


「ね? ヴァン。私のせいで怖い思いさせちゃったね。ごめんなさい(パルドナ・メ)


「あ、い、いえ。大丈夫です(トット・ヴァ・プラン)


 エリザベートは旧知の間柄であることを示すため、ヴァンの肩を抱き寄せた。


 リュシアンの彫り深い顔の真ん中でふたつの瞳が一瞬、輝く。


「……なるほど。そういうことか。エリザベート。その者についてはお前に任せて良いんだな?」


「ええ。もちろん」


「そうか。ところで、お前の職はなんだ?」


「私は、畑仕事しかできません……」


卑下(ひげ)するな。畑仕事ができる、と声を大きくしろ」


「……え?」


「手を見せろ。……ふむ。働き者の手だ。この辺りは小麦だけでなく葡萄やオリーブの栽培も盛んだ。エリザベートのところで働くのが嫌になっても、その手を見せればすぐに仕事は見つかるだろう。もし見つからなければ私の元へ来い。我が髭に誓って、仕事を与えよう」


「私のところで働くのが嫌になるって、どういう意味? うちの方が、リュシアンのところよりいい職場よ」


「それはそうとエリザベート。先日、マリウスとの結婚は嫌だと言ったな?」


()ええ(オック)


「ならば、ヴァンと結婚しろ」


「はあ?! って、ヴァン、なんで泣いてるのよ! そんなに嫌?!」


()いえ(ノン)、手を褒められたのが嬉しくて……」


 エリザベートは視線を少年の手に向ける。

 たしかにリュシアンの言うように、働き者の手だ。さすが領主はしっかり見ている。


(初めて褒められたみたいな反応をするってことは、この子も、頑張りが認められずに辛い日々を送ってきたのかな……)


 エリザベートが共感の眼差しを向ける先で、少年は日焼けして節くれだった指で涙を拭き続ける。


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