婚約するはずだった恋した人を姉に盗られました。
ファシリーヌ・ミトス公爵令嬢はそれはもう、被害妄想が激しい姉だった。
「わたくしは、可愛がられていないんだわ。いつも妹ばかり可愛がっていて。
妹はそれはもう可愛いのですもの。だからわたくしをないがしろにして」
そんな事はないのだ。
ファシリーヌとミレンティーナは美人姉妹として有名である。
どちらも金の髪に碧い瞳。
歳はファシリーヌが19歳。ミレンティーナが17歳である。
ただ、姉は父ミトス公爵の前妻の娘で、ミレンティーナは後妻である現公爵夫人の娘である。
事ある毎に、ファシリーヌは周りに言いふらすのだ。
自分は家では酷い扱いを受けていると、両親はミレンティーナばかり可愛がっていると。
当然、姉妹仲は悪く、会えば、
「ミレンティーナ、酷い。いま、わたくしを睨んだわね」
「睨んでなんておりませんわ。お姉様」
「いえ、睨んでいたわ。本当に酷い妹だこと」
だから、こんな酷い被害妄想を持ったファシリーヌ。だが外面は良く、付き合いも広く、色々な人達に、
「ここだけの話なのですけれども、わたくし、ほら、前妻の娘でしょう?だから、後妻である母もその娘である妹も、わたくしに対して態度が冷たくて。わたくし、本当に辛い思いをしているのですわ」
「まぁ、お可哀そうなファシリーヌ様」
そんな調子なので、皆、ファシリーヌに同情してくれて。
ファシリーヌはいい気になって、母や妹の悪口を言いふらす。
それに困っているのはミレンティーナである。
ファシリーヌより、勉学も優秀なミレンティーナ。
父公爵はファシリーヌに婿を取るより、ミレンティーナに婿を取って
ミトス公爵家を継がせたいようで、とある日、皆で食事をしている席で、ミレンティーナに、
「お前の婿になるアトレ公爵令息、バルトスをと考えているのだが。彼は次男で、歳もお前と同い年。アトレ公爵も乗り気でな。家柄的にも申し分ないから、この話を勧めようと思っている」
公爵夫人も喜んで、
「よかったわね。ミレンティーナ。バルトスと言えば、顔立ちも整っていて、貴方もお会いしたことがあるでしょう?」
「はい。王都で開かれたパーティで、一曲踊ってくださったことがあります」
「バルトスは出来の良い令息だと聞いているわ」
ミレンティーナは嬉しかった。
バルトスとは、王都の夜会に出席した時に、ダンスを一曲踊った事があって、黒髪黒目のとても素敵な人で。
少し、テラスで話をしたが、紳士的で、話題も豊富で。
密かに忘れられない人だと思いを募らせていたのだ。
ミレンティーナが、両親に向かって、返事をしようとしていると、姉であるファシリーヌが、
「わたくしが公爵家を継ぐのではなくて?どうしてミレンティーナに婚約の話が出て、わたくしに話がないのよ。この話はわたくしが受けます」
ミトス公爵は慌てたように、
「お前は領地教育は嫌だと家庭教師もつけていないではないか。何度も言っている。この公爵家を継ぎたいのなら、領地教育を受けろと。ミレンティーナは私の手伝いを良くしてくれる。しっかりと領地の事を学んでいる。お前はそれに比べてどうだ?」
「わたくしの婿に来る人にやらせればよいではありませんか。わたくしの仕事は社交ですわ。美しく着飾って、微笑むだけで、わたくしの役目はそれでよいのです。やはりお父様は、わたくしを虐げている。わたくしに婚約の話を持ってこないで、ミレンティーナにもっていくだなんて」
ミレンティーナは、立ち上がって、
「わたくし、この話、受けようと思います。お姉様は勉強をちっともしてこなかったですわね。わたくしはこのミトス公爵家の為、領地の事を真剣に勉強して参りましたわ。父の執務も手伝っているのはわたくしですっ」
「あら、社交は誰がやると言うの?貴方、領地経営は男性にやらせておけばよいのに。ああ、やはりわたくしは虐げられている。お父様やお母様、妹に虐げられているっ」
さめざめと泣くファシリーヌ。
ミトス公爵夫人は、慌てたように、
「虐げていないといつも言っているでしょう?ファシリーヌ。貴方が公爵家にふさわしければ、貴方に婚約話を持っていったのに、貴方はちっとも領地の事を勉強しないのだから、仕方ないわ。それに比べてミレンティーナは」
「酷いっ。だから、領地経営は男性の仕事ですわ。わたくしは社交に役立ちたいと」
ミトス公爵は、
「ともかくだ。この話はミレンティーナ。ミレンティーナが婿を取る方針を変えるつもりはない」
「酷いっ。酷いわ」
困った姉である。
公爵家を姉が継ぐならかまわなかった。
領地の事を勉強して、ちゃんと領地経営がしっかりと出来るのなら。
外から婿に来るバルトスだって、全て丸投げされたら困るだろう。
勿論、社交は大事である。だがその前に領地の事を一番に考えたい。
それなのに。姉は領地の事をまったく考えず、着飾って社交だといって、出かけてばかり。
両親が理解があってよかった。
バルトスに会える日を楽しみにするミレンティーナであった。
一月後、バルトスとの顔合わせがあると言うので、バルトスがミトス公爵家を訪れるのを楽しみに待っていたのだが、
バルトスがやって来るなり、大きな薔薇の花束をなんと、一緒に出迎えたファシリーヌに手渡したのだ。
「貴方と婚約を結べることを嬉しく思います。ファシリーヌ嬢」
驚いたのは両親とミレンティーナである。
ミトス公爵は、
「婚約相手はミレンティーナのはずだが」
「いえ、私はファシリーヌと婚約したいです。気の毒なファシリーヌ。何でも貴方達は前妻の娘だからって、冷たく接しているとお聞きしました。
社交の場で何度かファシリーヌと会いましたが、とても優しい素敵なお嬢さんだ。だから、私はファシリーヌと婚約したい。気の毒なファシリーヌを支えて、この公爵家を盛り立てていきたいのです」
ミトス公爵は、呆れたように、
「この公爵家を継ぐのはミレンティーナだ」
バルトスはファシリーヌを抱き締めながら、
「貴方達は間違っている。ファシリーヌが可哀そうだ。ああ、こんなに震えてファシリーヌ。私が守ってあげるから。すでに私とファシリーヌは男女の交わりがある関係です。私がしっかりついています。ですから、どうか、ファシリーヌと婚約させて下さい」
ミレンティーナは、失望した。
姉が社交の場で動いたのだ。バルトスを誘惑したのだ。
自分はたった一回、ダンスを踊って話をしただけの関係である。
社交界にだって、あまり顔出ししない。領地の事を一番に考えたくて、父について勉学に励むのに精いっぱいで。
なのに姉は遊び歩いて、挙句の果てに婚約するはずだったバルトスを盗られてしまった。
ミレンティーナは許せない。
そう思った。
バルトスに対する淡い恋心も吹き飛んだ。
だからだからだから……
はっきりと宣言する。
「姉に何を聞かされたか知りませんが、このミトス公爵家を継ぐのはわたくしと決定しております。領地経営についての勉強も、ほぼ終わっておりますわ。ですから、今度はアトレ公爵夫妻にこの話をお伝えください。バルトス様がどうしても姉と婚約したいと言うのなら、平民にでもなったら如何。この公爵家は絶対に渡さないわ。この公爵家を継ぐのはわたくし。わたくしなのだから」
バルトスは真っ赤な顔をして、
「やはりファシリーヌを虐げている悪女なのだな。私がファシリーヌを守ってみせる。ああ、ファシリーヌ。私と共においで。こんな酷い家を出て行こう。我が公爵家で匿ってあげるから」
「嬉しいわ。バルトス様」
ファシリーヌはバルトスと手に手を取って出て行った。
ミトス公爵はため息をついて。
「あの二人どうするつもりだ?アトレ公爵家は嫡男が継ぐことになっているのだろう?そもそも、勝手な事をして、アトレ公爵が許すとでも?」
ミトス公爵夫人も、
「そうですわね。どうするつもりなのかしら。我が公爵家は、ミレンティーナ、貴方に婿を取って継がせる方針に変わりはないわ」
「有難うございます。お母様」
ミレンティーナは心に傷を負ったけれども、ここでしっかりしないといけないと、再び、心を奮い立たせるのであった。
結局、勝手な事をしたと怒り狂ったアトレ公爵に家をたたき出されたバルトス。ファシリーヌはそんなバルトスを見限って、ミトス公爵家に戻って来た。
「バルトス様ったら、行くところがないっていうのですもの。だから、わたくし、家に戻ってきましたわ」
ミトス公爵はファシリーヌに向かって、
「お前は修道院へ送る。今回の件、私は怒っているのだ」
「ああ、お父様はやはりミレンティーナが可愛いのね。わたくしを虐めて」
「ああ、可愛いとも。我が公爵家に害を与える事しかしないお前より、ミレンティーナは公爵家の事を真剣に考えてくれている。害を与えるお前は修道院へ行かせる。当然だろう?」
ミレンティーナに、ファシリーヌは泣きついてきた。
「わたくしは貴方の姉よ。姉が修道院へ行かされるなんて。ねぇ、バルトスの事は謝るわ。だから、ミレンティーナ」
ミレンティーナは、怒りを込めて、
「わたくしは怒っているのよ。お姉様。貴方にとってわたくしはお姉様を虐める悪女なのでしょう?でしたら、その通り。わたくしは悪女なのですわ。ですから、お姉様。修道院へ行ってくださいませ。お姉様がいなくなってせいせい致しますわ」
ファシリーヌは泣き崩れた。
ミレンティーナは、少し可哀そうに思ったが、この姉は懲りずに、次に婿候補が現れたら、それこそ、また邪魔をしてくるだろう。
だから、心を鬼にすることにしたのだった。
アトレ公爵家は、三男のシャルドを新たなる婚約者にと紹介してきた。
歳はミレンティーナより一つ年下の16歳である。
「兄がとんでもない事をしでかしまして、申し訳ございません」
「いえいえ、こちらこそ、姉が……申し訳なかったですわ」
互いに顔合わせをした時に、謝った。
シャルドは、ミレンティーナに向かって、
「私はまだまだ未熟で、でも、ミレンティーナの力になりたい。そう思っております」
「まぁ、とても嬉しいですわ」
両親達は別の席で話をし、ふたりきりで、テラスでお茶をし、色々な話をした。
その中で、婚約するはずだったバルトスは、行くところが無く彷徨っていた所をムキムキ達に取り囲まれ、辺境騎士団という美男が大好きな騎士団へ連れていかれたとの事。彼は顔は整っていたから……
でも、もうどうでもよかった。
シャルドはバルトスに兄弟だから似ていたけれども、雰囲気が柔らかくて、とても謙虚で、好感が持てる。
話も話題が豊富で楽しくて。
時は春。綺麗な春の花々が咲き乱れる中、新たな恋に胸を弾ませるミレンティーナ。
いえ、これは政略。恋なんて胸を弾ませてはいけないわ。
でも……
綺麗な色とりどりの花を見上げて、
「少しくらい、恋したっていいじゃない?」
「何か言いましたか?」
「いえ、何でもないわ」
ミレンティーナの新たな恋は始まったばかり。