子子子子子子
突然の……短編!
水とお湯は、温度が違うだけの同じものである。沸騰する温度に達しなくてもそれ以前に既に水をお湯と認識できるようになるポイントがどこかにあって、しかしそれは厳密でない。「お湯を沸かす」時にそこに存在しているのは水である。
そんなこんなで浦上高雄は、温水プールと銭湯の魅力的な差異をあまり見出せずにいた。そこにあるのはお湯の範疇における水の温度のスペクトラムと、水着一枚着ているか全裸かの程度の問題だ。
大きな浴槽の隅っこに、縮こまって座っている。ネズミの高雄にとっては、それが一番心安らぐ状態だった。
カエルの子は、オタマジャクシである。変態の過渡期の姿こそあっても、水とお湯のそれに比べれば両者は案外明確な違いをもつ。そろそろ陸を出ても構わないだろう、という意識の変革が、カエルやオタマジャクシの変態の過程のどこかにあるに違いない。
あとは、今高雄の隣にいるオスのライオンも大きな変化を持つものだ。成獣になる成長の過程で、彼らはタテガミを得る。
獅子の子は子獅子である。オタマジャクシほど気の利いた名前はそこにはないけれど、何かもっと特殊な名称を与えてもいいような差異がそこにはあるような気がする。瓜坊、みたいな。
個体名としては、このおそらく子獅子ではない男は桂和樹という。
タテガミをこんなに濡らして、後でドライヤーが面倒くさくはならないのだろうか、と高雄は、和樹が濡れているのを見るたび思う。子獅子が子獅子でなくなる過程のどこかで、和樹もそんな面倒くささと折り合いをつけたのかもしれない。
「あー、改めて入ると、案外気持ちいいな。風呂ってやつ」
高雄と和樹が、いつものようにふたりでスポーツセンターのプールで泳いだ帰り。近くに銭湯があるから行ってみようぜ、と誘ったのは、本来は水が苦手なライオンのはずの和樹だった。このライオンは、いつの間にやら目ざとくスポーツセンターの近くに銭湯を見つけていたのである。
これまで散々水に浸かってふやけてきたのに、なぜその直後さらに水に浸からねばならないのかを分からず、高雄はとにかく拒否したものの、「裸の付き合い」「背中を流すから」などの意味不明な和樹の言説に圧倒されて負けた。
幼少期からずっと水苦手のために爆速のシャワーだけで風呂を済ませてきたと語る和樹が、どこでそんな風呂場のロマンティックを学んできたのかが意味不明だった。高雄も、ホテルやら寮やらの大浴場に入ったことはあっても、自主的に地元の銭湯なんかに来たことはなかったけれど。
夏頃には子供用プールに浸かっただけで震え上がっていたこのライオンも、今では呑気に大浴場にどっぷり浸かって脚を伸ばすようになっている。こうまで水に慣れるように育て切った高雄自身の手腕は、こうしてたまにセルフで面倒を呼ぶ。
「な、高雄! 結構いいもんだろ!」
「声、でかいよ。めっちゃ響いてる」
「すまんすまん。で、さ。結構いいだろ。銭湯って」
「銭湯自体初めて来たくせに、何でそっち側の態度が取れるの」
でもまあ、温かくて、悪くない。それはまあ、事実かなと高雄も思う。
最近は寒さも厳しく、プール終わりには少し冷えるのがいつものことだった。特に今日なんかは、どうせすぐに風呂に入るのだからとドライヤーで体毛を乾かすのも軽く済ませて、急ぎで銭湯まで駆けてきたのだ。
そのせいで、体毛の湿り気が冷たい風に吹かれると凍ってしまいそうなほど寒かった。今はその氷をゆっくりゆっくり溶かしているような気持ちよさである。
……いや待て。そもそも普段ならちゃんと乾かしてプールを出るのだから、あの寒さも今の暖かさもやはりマッチポンプ的な作用なのではないのか……? 高雄は、隣の和樹をちょっと睨んだ。
「ん? どした?」
「とんだ策士だなぁと思って。騙されるところだった」
「?????」
「まあいいけど」
「えー、なんの話だよー!」
「こっちの話」
和樹がとにかく傲慢であるということについて、高雄は前々から振り回され続けてきた。水泳を教える、というそもそものふたりの関係の発端も、和樹のゴリ押し気味な申し出に高雄が根負けしたのが始まりだった。それ以降も、和樹はよく自分の主張を通すためにとにかく全力で押してくる。本気で高雄が嫌がっている時には、高雄も頑なに突っぱねるか、あるいは和樹側がそんな高雄を察したのか引いてくることもあるが、そうでもない限りは無理矢理に通してくる。高雄にも、押しに弱いところがあった。
タテガミの立派な成獣であるはずの和樹が、そういうところはずっと子供っぽいのは、彼の心はまだ未成熟ということなのか。それとも、元来そんな性格なだけか。
プールと銭湯では、そういえばもう一つ違うところがあった。運動のためか休養のためかという点である。裸になってただのんびり湯に浸かっていると、高雄は口が勝手に緩んで、余計なことまで不意に話してしまいそうになる。
……裸の付き合いって、こういう効果か。
銭湯のお湯が、心を休めてだらんと引き延ばしていくのだ。
「和樹くんって、ひとりっ子?」
「そうだけど。何急に」
「ぽいなーって思って」
「どゆこと?」
「ぽいなってこと」
「はぁ。……そういや高雄は? きょうだい、いる?」
「いないよ。ほぼ」
「ほぼってなんだよ」
「じゃあ、いない」
「よくわかんねえの。ネズミって、大家族なイメージあるけどな」
「そんなの、全然昭和だよ」
「まあ、どこもそんなもんなのか。んー、でもあれかな。高雄はどっちかというとお兄ちゃんぽいかな」
「そうなの?」
「そっけなくて、だらってしてて、冷たいけど、ほんとは優しい兄って感じ。従兄弟とかにさ、そういうひといたなぁ。そのひと思い出す。俺ひとりっ子だけど、従兄弟は多いんだわ」
「待って、結構な割合僕に対しての悪口じゃなかった今?」
「そうかも?」
「何なんだよ。……じゃあ、あれ。さっきのひとりっ子ぽいってやつ、僕もあれは和樹くんはめっちゃワガママで自己中だよなーって意味で言った」
「褒めの部分は!?」
「声でかいって。んー……ワガママ言って引っ張ってくれるときは助かることもある、かも」
「はあー。えー、助かってるならまあいいけど。ていうか、そういうのひとりっ子ぽいでまとめるの良くないぞ。そんなの環境とか性格にもよるだろ」
「急にごもっともだ」
「俺が若干ワガママなの、まあ、わかるっちゃわかるし。全ひとりっ子の責任にするのはちょっと」
「非を認めてる」
「んなこと言ったら、高雄だってさあ」
「はいはい。怠け者の冷血漢ですよ僕は」
「俺そこまで言ったっけ?」
「これは僕の心から出た言葉だから、僕の自認」
「あ、非を認めた」
「認めることもある」
「……別に、直せって意味じゃないからな。そういうモンとして友達だから、それはそれで」
「え、あ、うん。それはまあ、僕も」
湯の中で、気づけば高雄も脚を伸ばしていた。引き伸ばされているのは心だけではなかった。疲労が足の先から溶け出しているような感じがする。
高雄も、そもそも水は得意でも長風呂する方ではない。まして誰かと一緒に、こうして話しながら入浴することなんてもう何年振りかもわからない。その誰かが家族でないことも含めて、珍しい体験に溢れていた。
和樹と、子供みたいなようで、どこか折り合いのついたおとなみたいなじゃれあいの会話をした。
子供っぽくワガママな和樹が、不意に見せる奇妙に理知的な部分とかが、高雄は存外嫌いではない。やんちゃでワガママでライオンっぽいライオンを、じっくりと煮込んで溶かしてよくよく話してみないと、それは、現れないものだった。
水と熱湯の中間の何かにぼーっと浸かる。
生まれたままの姿になって、それでも体は子供じゃない。
何もかもを曖昧にしていく魔力の水槽に、心地よく溶かされていく。
あ、これ、プールとは、明確に違う。
単なる温水のバリエーションの幅の中に、高雄はなんとなく線引きを得た。それは心地のいい気づきでもあった。
「そろそろ出るかー」
「……僕は、もうちょっといようかな」
「えー、マジ。気に入った? ここ」
「気に入った……かも」
「じゃあ俺も、まだ浸かろうかな。そんでさ、また来ようぜ。」
「気が向いたら」
「俺が来たくなったら、また無理矢理引っ張ってくかも」
「それも、だめじゃない」
「よかった」
呟く和樹の微笑みがおとなっぽく見えたのは、単に暖かさで表情が緩んでそうなっているというだけなのだろうか。
そういえば、銭湯での風呂上がりにはミルクを飲む奇習があると聞く。まるで幼児退行みたいな。
やっぱりここは、変な場所だ。
ボツにして一年くらい放置してたネタを読み返したら結構悪くなかったので完成させました