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第三十六話

穏やかな調べが殺風景な渓谷の間を漂っている。


それは、実に耳心地のいい笛の音色だった。


ただ、鼓膜を振るわせるだけでなく、直接、脳に響いてくるかのような快感。


生き物が生成できる快楽物質、その全てをもってもしても、この旋律に敵うことは決してないだろう。


人間、エルフ、そして、七災魔によって生まれた眷属たち。


種族の垣根すらも超越して、その音は聞く者すべての心を震わせることができた。


もっとも、その調べを耳にした者は、醜き姿をした大鳥たちのみなのだが。


「……ぷっはは。傑作ね。ざまあないわ」


肩で息をしながら、アザミは空から飛来する肉塊の雨を眺めて嗤う。

 

実にスカッとする瞬間だ。ここ数日はストレスが溜まり続ける一方だったが、それも全て吹き飛んでしまったような気がしてならない。

 

鳥の怪物たちは次々に地面へと落ちていった。それは果実がつぶれるような音を立てた。

 

近くで死に絶えたばかりの鳥を、アザミは見下ろす。

 

ひどい造形だ。

 

血走った双眸。黒く、やたらと毛深い羽。顔から脚にかけてはイボのようなものが複数できている。

 

そのイボが地上に落下した影響で潰れ、緑色の体液が漏れ出している。たまらず、アザミは顔をしかめた。


どのような進化を辿ればこのような奇怪な見た目に変貌するのだろう。


アザミは異様に発達した口ばしを睨みながら考えた。

 

大鳥は七災魔の眷属なだけあって、いかにも邪悪な外見をしている。

 

それを差し引いても、身震いしたくなる気持ち悪さだ。生理的に受けつけない。


「アザミ……さん」

 

黙考していると、自らの名を呼ぶ声にアザミはハッとした。

 

振り向けば、よろよろと歩くサキの姿があった。今にも地面に倒れそうである。

 

「……笛の能力の代償、か。辛い思いをさせたわね」

 

「いいんです、このくらい。アザミさんやユウヤ君の痛みに比べたら、この程度……っ!」

 

サキは口では言うが、その顔は青みがかっていた。

 

笛の霊魂器。それは殲滅力に優れているが、その分、通常の霊魂器以上に体力を消耗する。

 

適正が高かったが故にサキはその所有者に選ばれたわけだが、しかし、彼女の体は脆弱だ。


勇者としてベネテラに召喚された時点で、身体能力は底上げされてはいるものの、とても戦いに向いているとは言い難い。

 

笛の能力を発動するのも、せいぜい一日に一回が限度なのである。


「ほら、肩貸すからつかまりなさい。歩くのだって辛いんでしょ」

 

差し出されたアザミの肩に、サキは一瞬もたれようとしたがすぐに静止した。

 

「ごめん……なさい。でも本当に大丈夫ですから——」

 

「うっさい」

 

アザミは構わずサキの腕を無理やり引いた。華奢な体がふわりと舞う。

 

わっ、と声を上げたサキはバランスを保とうと止む無くアザミの首に腕を巻き付けた。

 

いわゆる、おんぶの形だ。

 

「私の指示一つまともに聞けない奴に従う義理はないの。……さあ、いくわよ。まずはここを離れなきゃ」

 

言ってアザミは鳥の死骸だらけの道を、足場を探すようにして進み始める。

 

歩く速度は緩慢だった。手負いかつ人一人を背負っているのが祟っているのだろう。


 サキは申し訳なさそうにアザミの肩に顔をうずめた。


人肌の温かさが少しだけ伝わってくる。


衣服に隠されてはいるが、アザミの背中の筋肉は、ほどよく鍛え上げられているのが分かった。


そうして、微睡がサキの意識を奪おうとした瞬間のことだ。

 

きぃいいん、と空気を切り裂くような音が二人の耳朶を打った。

 

間髪入れず、二人の正面に隕石が落下したかのような衝撃が走る。

 

「——かっはっ!」

 

続けざまに耳に届いてきたのは胸を圧迫されたような男の声。

 

「……ユウヤ? あんた、どうしたのよ⁉」

 

男の正体を即座に理解したアザミは困惑の表情を浮かべる。サキもまた目を丸くして正面を見つめる。

 

彼は銀の魔弾の迎撃に出ていたはずだ。


大鳥どもの予期せぬ奇襲があってからは、その存在を忘れかけていた。


てっきり、彼もまた鳥の奇襲を受けていたものだと推測していたのだが、しかし、この有様は一体?

 

状況を読み込めない二人が茫然とする一方、地面に叩きつけられていたユウヤは渓谷の一点を指す仕草をした。


吐血の漏れ出る口元がわずかに動く。

 

「はやく……逃げろ……かはっ!」


端的な言葉に、しかし、二人は動けなかった。


彼女らの視線の先に、銀色の髪をなびかせた少女が立っていたからだ。



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