第三十一話
「起きろ、ミオ」
名前をよぶ声に、意識が現実へと引きもどされる。
ミオが重いまぶたを開くと、まだ昇ったばかりの黄金色の太陽が視界に入ってきた。
しばし微睡んでいたようだ。両目の端にうかぶ涙を指で拭うとゴルドと目が合った。
「お前が寝ているところなんて半年ぶりに見たぜ。外見は幼子のそれだが。中身は立派な成人だもんな。少し、もうろくしたんじゃないか?」
「……別に、寝てない」
「はっ、そいつは無理があるだろ。相変わらず、変なところで意地を張る女だ」
ゴルドは呆れるようにため息をついた。その右手には単眼鏡が握られている。
「この依頼が終わったら少し休暇を取れ。体もそうだが、お前の精神が先に逝くぞ。というか、俺にも休みをくれ」
考えておく、とミオは控えめな声で言った。ゴルドが鼻で笑う。
ミオは視線を眼下に広がる峻厳な渓谷に移した。
ここはエコーズディープの最北端。
エルフ族の首都であるミスリルウッドとの境界付近に位置する物見やぐらだ。
元は監視塔かつ星の観測所としての役割もあったようだが、今は全く機能していない。
無人なのは例の城砦の一件のせいだろう。数週間前までエルフたちがいた形跡が所々に残っている。
散らかった状況からみて当時のエルフたちはよほど切迫した状況にあったに違いない。
「それで……どう。彼らは来た?」
ミオは物見やぐらの内側を一瞥すると、つとゴルドに問いかけた。
「ビンゴだ。お前が考えた通り、奴らこの高台を目指して進んできてやがる」
言いながら、ゴルドは手にしていた単眼鏡を差し出す。
それを受け取ったミオは、物見やぐらから南の方角へと単眼鏡を向けた。
彼の言う通りだ。渓谷に沿って前進する一団の姿がみえる。
笛型の霊魂器をもつ少女を隊の中心にすえ、前方には男の、後方には女の勇者が配置されていた。
警戒心が前面に出ている。言わずもがな、ミオたちの奇襲に備えてのことだろう。
「ところで、奴さんの狙いはこの物見やぐら付近……なんだよな?」
遠方に見える隊から視線を離さぬまま、ゴルドは確認するようにミオに言った。
「間違いない。彼らはこの場所で笛型の霊魂器を使うつもり。ここは高所かつ渓谷から強風が吹いているから、その音色は遠くまで届く。それはつまり……」
このエコーズディープを拡声器に見立てて、隣接するミスリルウッドへ死の音色を届けようという算段だ。
二日前、城砦の奇襲に失敗したミオは考えあぐねていた。
帝国の狙いが判然としない。
わざわざ他種族の領土へ侵入し、殺戮を行うのはなぜか。
強化オークに飽き足らず、あまつさえ勇者を率いてこの地に来たのはなぜか。
丸一日費やしても答えが浮かび上がらなかったミオは、ふと、自身の髪を撫でる渓谷の風に気を取られた。
そして、彼女の脳裏を駆け抜ける光があった。
ミオはその浮かび上がった一つの可能性を検証するべく、急ぎ隠れ家の洞窟へと戻った。
『アラン、あなたの城砦にはエコーズディープの地形を示す地図はあった?』
『……え、ええ。私はこの地の領主ですから、渓谷についての情報は全てあの城砦に保管されています。もちろん地形図なども。……しかし、それが一体何か?』
突然もどってきたかと思えば、わけの分からぬ質問をするミオに、アランは気おくれしていた。
問題は大ありだ。何でもう少し早く気が付かなかったのか。
『彼ら、エルフの首都を壊滅させるつもり』
ばかな。アランが目を丸くして言葉を漏らす。
『どうやって? 確かにエルフ族の首都であるミスリルウッドはこのエコーズディープに隣接しています。ですが、その境にはよそ者を通さない結界と門番が配置されているのです。それも厳重に無駄なく』
『あなたたちの警戒網が他の種族より抜きん出ているのは知ってる。でも、首都を滅ぼすのが人でもなく、ましてや魔儀でなければ話は違うでしょ』
『……まさか。いや、そんなことが出来るのでしょうか?』
出来る。いや、出来ると踏んで彼らはこの地に踏み入ったのだ。
『風の勢いが強く、ミスリルウッドにほどほどに近い場所を彼らは目指すはず。城砦には渓谷の正確な地形図もあったはずだから、今頃は目星もつけている。彼らはその場所で笛型の霊魂器を使用し、首都にいる階級の高いエルフを皆殺しにするつもり』
アランの背中に脂汗が浮かぶ。
確度の低い推測だ。しかし、容易に切り捨てられる内容でもない。
何より、彼女が話をしている時の瞳の鋭さには、話を否応なしに信じ込ませる力がある。
「時間がない。この領土で帝国の条件に当てはまる場所はいくつある?」
「こ、候補なら一つに絞られます。北端にある物見やぐらです。あそこは斜面が険しいですが、首都に近く風の勢いもある」
ミオはアランが最後まで言い終える前に歩き出していた。
帝国は既に動いているはず。
だが、移動速度でならこちらが勝るだろう。
今すぐゴルドを連れて動けば、先手は取れる。
そんな時だ。
「ミオ様ッ!」
自身を呼び止めようとする声にミオは停止した。
しかし、彼女が振り返ることはない。
声の主であるアランはミオを引き留めておきながら言葉に迷っているようであった。
数秒の間をおいてようやく発したのは、弱々しい嘆願だった。
「どうか、どうか我が一族を守ってください。これ以上、凄惨な運命にあう者がでないよう。どうか」
嗚咽まじりにする切望するアランは、はたしてどんな表情をしているのだろう。
知ったものか。自分は正義の味方ではない。
「私が依頼されたのは、この地で起きた異変を調査すること。その他は管轄外」
感情の起伏をまるで感じさせない口ぶりに、アランは肩を落とす。
押し殺したような声が洞窟内に無意味に反響した。
しかし、ミオは数歩進んで立ち止まり、再度口を開いた。
「でも、何とかする。首都には私の知人がいるから。彼女に死なれると私が困る」
アランがはっと顔をあげる頃には、ミオの背中は既に遠のいていた。
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