第六話
突如、ミオの背後に現れたのは、緑色の皮膚に黒い毛並みをした馬……のような生き物。
ケルピー。主に水中、水辺に住まうとされる幻獣の一種だ。
彼らの住処に近寄れば、瞬く間に水中へと囚われる。捉えた獲物を溺死させ、その死肉を貪るのが彼らの狩りだ。
ただ、ケルピーはベネテラに生息する幻獣の中では、それほど脅威のある生き物ではない。
純粋な戦闘力であれば、エコーズディープに住まうグリフォンの方が、よほど危険な存在といえよう。
しかし、だ。
ここは彼らの本拠地なれば、話は大きく異なる。こと水辺に関しては尚更。
水中のケルピーほど、厄介な幻獣はいないのだから。
今、件の幻獣は、不意打ちの形でミオの背後を取った。彼女の着ていたフードを咥え、己のフィールドである水中へと強引に引きずり込む。
「ちっ、迂闊だった。この河はケルピーの住処か!」
ゴルドは言葉を吐き捨てながら、慌てて河の中を覗き込んだ。
水中は予想以上に深い。この河はケルピーたちにとって絶好の狩場といえよう。ゴルドの中で嫌なイメージが沸々と湧き上がる。
「まずいぞ。どんな幻獣、眷属だろうと屠るのがアイツの弾丸だが、場所が水中じゃわけが違う。早く何とかしねーと」
すると、河の下流の方で水面が揺らぐのが目に入った。
恐らく、水中でミオが抵抗しているのだろう。彼女はその方向に連れ去られたに違いない。
「ちくしょうが、何とか自分で解決してくれよ。俺様は泳げねーんだからな!」
言うが早いか、ゴルドは一目散に下流の方角へと駆け出すのだった。
・・・
セレナ河 下流 水深十メートル地点
油断した。
ミオは嵐のような水流に揉まれながら、自分の愚鈍さに、ほとほと呆れていた。
敵は全て殲滅したと思い込んでいた。その軽率な判断がいかに危険な思考か、これまでの戦いで十二分に知っているはず……なのに。
銀の魔弾として恐れられる勇者が何たる様か。ミオは内心、舌打ちをしながら、自身の右手へと視線を移す。
武器は手元にある。が、弾倉は装填していない。それ以前に、水中では銃火器など何の役にも立ちはしまい。
勇者であるミオの肉体、もとい身体能力は、元いた世界の人間たちとは比較にならないほど向上している。
しかし、水中の中でエラ呼吸ができるようになるわけではない。あくまでも、人間としての機能はそのままだ。早く、打開策を打たなくては、酸素がもたない。
思考が混濁する中、ミオは腰元へと手を伸ばす。そこに、この状況を変えるための一手があると知って。
だが、直感で危機を悟ったのか、そうはさせまいと、ケルピーが激しく動きだした。
荒々しい水流の中で、ミオの体は四方に揺れる。酸素を口から漏らさないよう、こらえるので精一杯の状況だ。
……マズイ。
ミオがないはずの冷汗を流しかけた、その時。ケルピーの前方で激しい爆発が起きた。
その爆発は一度では終わらない。小型爆弾のようなものが、連続で水中へと投下されていき、派手な蒸発を次々に引き起こす。
一瞬、身を竦ませたのはミオも同じだった。だが、その爆発の原因はおおよそ理解できる。
恐らく、ゴルドによるものだ。
『ッ! 今しかない』
ミオは腰元の短刀を素早く握った。左手で握ったそれを、怯んだケルピーの首元に全力で突き刺す。水中のせいで思った以上の力を発揮できなかったが、威力は十分だった。
刹那、断末魔の叫びが水中に轟く。首元から緑色の血液を放出したケルピーは、もがき苦しみながら、やがて水底へと沈んでいった。
解放されたミオが、何とか水面へ浮上すると、ぎょっとしたゴルドと目が合う。
「たくっ、らしくもねぇな」
「……ごめん、油断してた」
一瞬の沈黙の後、ミオは差し出されたゴルドの手を取った。小さな緑色の腕が、彼女の華奢な体を地上へと引き上げる。
かくしてようやく、一息つける時が来た、かに見えた。その時だ。
「あなたたちは……?」
不意に、ミオとゴルドは臨戦態勢を取る。さらなる新手かと身構えたが、声のした方角から現れたのは、しかし、彼らにとって予想外の人物だった。
「……白銀の髪に、銀色の銃。それに、コボルトの王を従者にする者。もしやあなたは、銀の魔弾、シルバーブレッド⁉」
突如、姿を現したのは、身なりの整った一人のエルフ。
エレシアの話にあった、エコーズディープを統治する貴族なのだろう。その中性的な顔立ちは、一見すると女のようにも思えた。が、声色からして男であるとミオは推察する。
エルフは、二人の警戒するような視線を一身に浴びながら、突然、その場に膝をついた。
「お願いします。裏切りの勇者……いえ、シルバーブレッド。どうか、あの侵略者たちを我が領土から駆逐してください」
「侵略者だあ? そいつらは何者だよ」
ゴルドが怪訝そうに尋ねた。エルフの貴族は、少々、気圧された様子で答える。
「ええ、あなたたちも、よくご存じでしょう。何せ奴らは、あなたたちと同郷の者なのですから」
ゴルドの横にいたミオが、微かに身じろぎした。まるで、エルフが次に口にする言葉を悟ったかのように。
そして、彼女が示したわずかな反応を知ってか知らずか、エルフの貴族はその言葉を淡々と述べるのだった。
「そう。敵は帝国の勇者たちです」