プロローグ 銀の魔弾
時刻は真夜。深々と更ける暗い森の中を駆ける五台の馬車があった。
商人が所有するものとは異なり、堅牢に作られた鋼鉄の馬車。その側面には帝国を象徴する黒い鷲の紋章が刻まれている。
馬車は整備されていない天然の街道を猛然と駆けていく。かなりの速度で馬を走らせているせいか、車輪が少しでも窪んだ場所の上を通過する度、荷台がひっくり返りそうになるほど揺れていた。
異常な速度だった。
まるで暗がりを怖がる子供のように、馬車は森の出口を目指して驀進する。その光景を目にした者たちは、御者の頭がいかれたか、あるいは馬が暴走しだしたのでは、と考えたに違いない。
五代の馬車には、いずれも重厚な甲冑を身に着けた騎士たちの姿があった。
少しでも視界をよくしようと面頬を外した彼らの顔は、蒼白く、そして小刻みに震えている。
無論、馬車に乗った騎士たちが恐れを抱いているのは、決して森の暗さに対してではない。
それは暗闇という漠然とした概念ではなく、形持つ物。つまるところ、後方から迫りくる一人の人間に対してであった。
縦一列に組まれた馬車。その最後尾。手綱を握っていた一人の騎士が後ろに視線をやりながら、バツが悪そうに舌打ちした。
「ちくしょう、ちくしょう! 何なんだよアイツは⁉」
額を流れた冷汗が、振り返った拍子に後方へと吹き飛んでいく。後ろにヤツの姿は見えない。
けれど、微かにだが、暗い木々の彼方に銀色の輝きが見えて騎士は戦慄する。
「あいつだ。きっと例の裏切り者に違いないッ——」
手綱を握る騎士の隣にいたもう一人が、突然何かを思い出したように言った。
「う、裏切り者? ……それってまさか⁉」
「ああ、間違いない。銀の魔弾——シルバーブレッド」
それは、千年の歴史を持つ帝国が畏怖する者の名。そして。
「裏切り者の勇者の一人だ!」
その時だった。
互いに見合っていた二人の内、手綱を握っていた騎士の側頭部を何かが貫いた。
ほとんど同時に鮮血が吹き、脳漿と血の混じった液体がもう一人の騎士の顔にべったりと張り付く。
無残な仲間の死に様に、ひっ、とこれ以上ないほど低い声を漏らした騎士は、慌てて後ろを振り返った。
後方に、燦然と輝く銀色の光があった。それはまるで真っ暗な夜空に唯一映る星のよう。
しかし、その銀色の輝きが瞬間、爆発的に赤色へと変わる。
それは、銃口から出たマズルフラッシュであることを、しかし、騎士は知る由もない。
射出された一発の弾丸は、寸分の狂いもなく騎士の丸出しの眉間を撃ち抜いた。暗闇に数滴のどす黒い血が舞う。
電池の切れた玩具のように、突然魂の抜けたようになった騎士は馬車からするりと落ち、鈍い音を立てながら後方へと流れていく。
「最後尾がやられた!」
縦一列の配置。列の後ろから二番目の馬車に乗っていた騎士が、半狂乱になって叫んだ。
御者を失った最後尾の馬車はやがて減速し、森の深淵に飲まれていった。しかし、依然として銀色の輝きは後方から迫っている。
残り四台の馬車はさらに速度を上げた。
「おい、飛ばしすぎだ! この速度じゃ道の先に何かあっても反応できないぞ!」
「うるせえ! あのまま走ってたんじゃ、いずれ追いつかれるだろ。仕方ないが、今はこうするしか——って、マズイ!」
先頭の馬車に乗っていた騎士が、前方に小さな影を捉えて目を見開く。
人間の子どもだろうか。わずか数十メートル先に見えるその影は、狂奔する馬車の存在に気が付いていないのか、ぴくりともしない。
間に合わない。轢き殺すしか……。
手綱を握っていた騎士が覚悟を決めたその時、木々の間から薄紫の光が差し込んだ。それは偶然にも、馬車の先を照らしだす。
月光に照らされて姿を現したのは、人の子とは全く異なる生き物だった。
緑色の肌に小さなとんがり帽子。小さな革靴に小型ナイフを握るその生き物はゴブリン——のように見える。
あろうことか、その生き物は、かすかに笑っているようだった。
直後、馬車は速度を緩めることなく、その生き物の上を容赦なく通過した。
ガタン、グチャ、という最悪な音が響くも、馬車は何事も無かったかのように走行を続ける。
二度と経験したくない出来事だ。だが、見間違えでなければ、最後に見えたのは人ではなかったはず。ならば、まだ救いがあるというもの……。
つい先ほどの嫌な感触に身を震わせた騎士が、わずかに安堵の息を漏らした、その時だ。
「あーあ。ひでーなアンタら」
「「……は?」」
突然、頭上から降ってきた何者かの声に、騎士たちは間の抜けた声を出した。
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