余波
忖度と保身をするのは軍であり、将官などの個人ではありません。大きなうねりに個人や少数集団では対抗出来ないことにしてあります。
忖度と保身によって始まった和平交渉と自主軍縮だが、当然上手く行く訳も無い。
停戦を日本陸軍支那派遣軍が一方的に宣言したが、中華民国側がそれを認めることも無かった。
停戦がなったのは、宣言後一週間してからだった。
そこから休戦までの交渉は厳しかった。中華民国側からすれば、先に根を上げたのは日本で有って、我が国が勝ったという認識にもなる。
上海条約(日中和平条約)が締結されたのは、それから1年近く経った1940年冬。条約交渉と調印式は上海租借地で行われた。
戦乱でずいぶん荒れている上海租界だが、それでもまだ外よりはマシであった。海外の目も多く、和平が為ったことを海外に宣伝する意味も有った。
主な内容は、
日本は、撤兵する。
日本は、謝罪をする。
日本は、賠償金を支払う。
日本は、速やかに租界を返還する。
日本は、20年後に租借地を返還する。
日本から言い出した和平だけに日本に厳しい条約で有った。海外からは異常な事態と受け止められた。全く理解できない停戦なのだ。まさか、忖度と保身によるものとも思うまい。平和になったと言って喜ぶ無邪気な人たちが多かったが。
租界の返還は、欧米諸国にとっても気になる事だった。上海租界には日本も含まれている。と言うよりも日本が事実上の支配者だ。
租借地は大連という要衝であり、日本が20年後とは言え、返還する事は大きな意味を持つ。特にイギリスは驚きと警戒心を持ってしまった。
また、中国共産党が何か喚いているが、あくまでも戦っていたのは日本と中華民国であり、交渉はこの二者で行われた。
国内では「勝った勝った。日本は強い」等の宣伝をしていた陸軍が、一方的に戦争の舞台から降りたのだ。当然の如く各地で暴動などの騒乱が相次いだ。陸軍と憲兵隊が治安維持に出動しても火に油を注ぐだけであった。海軍が陸戦隊を臨時編制して、各地に赴く結果になっている。
その騒ぎに紛れるように、ノモンハン事件の責任追及が厳しさを持って行われ、陸軍から大勢の人間がいなくなった。左遷ならマシな方で、予備役編入や軍籍が抹消された者や、辻政信や服部卓四郎他数名のように物理的にいなくなった者も含めて。
海軍も同様だった。古くは美保関事件から友鶴事件、第四艦隊事件まで。軍政・軍令関係の高官の処分が甘いと思われていた事件の再分析が行われていた。軍政・軍令関係の高官が減り、藤本喜久夫造船少将の名誉が回復された。
平賀譲造船少将は、海軍造船関連や東京帝大での独善的な行動を咎められ、東大総長の座を罷免され予備役編入となった。
締結された和平条約には、賠償金の項目がある。それは[日本の国家予算3年分20年払い]という巨額だった。
捻出は困難を極める。どこかを削らなければいけない。
では、どこだ。
真っ先に対象とされたのは陸軍だった、次いで海軍。その次に半島。
支那事変勃発後、特別会計であった軍事費をゼロ査定とし特別会計その物をなくした。これにより戦費を賄うための国債発行も中止となる。
従来の正常な国家予算の枠内で軍が運営される正常な状態に戻る。
陸軍は、動員解除は当然だった。細かいところは後ほどやる。
海軍は、艦船の廃艦と新規建造の抑制。
どちらも航空戦力は減らさない。大事だと言うことが痛い程理解できた。
歩兵部隊や戦艦に固執している人間も当然いるが。
半島は、赤字を垂れ流しているだけなので独立させようと言うことになった。
日本がある程度、近代化を進めてきた。どこか拾ってくれる国があるだろう。半島が自力で独立国家を運営できるなど誰も考えていなかった。出来ていれば、日本が併合などする訳も無かった。
半島を独立させるのは良いが、台湾はどうする?黒字化が近いぞ。
最近になって日本になったのは同じだ。ここでも困った。
結局、独立か日本に留まるかを投票して決めるとなった。
「台湾は大丈夫だと思うが、問題は半島だ。日本に留まるが多ければどうしよう」
「そこはアレだ。集計を操作する」
「大丈夫か?国際監視団を呼ぶのだろう?」
「そこだよ」
「何だよ」
「半島は日本併合前なら、ロシアくらいしか魅力を感じていなかっただろ」
「不凍港と凍らない台地のみでだな」
「そうそう。だが、日本が、半島を近代化するためにある程度社会資本を整備し、法体制も変えた。併合以前よりも人材教育をしたんだ。ほとんど無の状態からだ。先行投資が少なくて済む。ここに魅力を感じる国家もあるようだ」
「ソ連との緩衝地域になってくれる国が出来れば有りがたい。ああ。ナニか?目をつぶっていると」
「水面下では、話がついているようだ」
「じゃあ、心配ないな」
彼らの心配は杞憂に終わった。
半島では日本からの離脱が票数60%以上有った。
台湾は危なかった。日本からの離脱が40%近くも有ったのだ。
自主軍縮は世界各国に驚きをもたらした。特にドイツである。日独伊3国同盟締結に向けて工作をしていたのが無駄になった。事実、1939年秋から同盟工作は進んでいなかった。ベルギー・オランダ侵攻をしたので日本から良い反応が返ってこない。それどころか、日独伊防共協定の破棄も言ってきた。
ホワイトハウスでも警戒された。日本を追い詰め暴発させるか、根を上げさせて良く言うことを聞く同盟国にすべく工作をしているのだ。まさかするとは思わなかった中国からの撤兵を実現されては、対日禁輸政策を解くしかない。ストレスは溜まった。
クレムリンでは、満州を手に入れる事が容易くなるなら歓迎、と言った雰囲気だった。
ダウニング街では、東南アジアに掛かる圧力が減りそうなので歓迎された。しかし、租界返還と租借地返還は警戒されている。