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2話



 それらからしばらく、母さんはオレをずっと抱きしめ続けた。そんな母さんの背をポンポンと叩きながら、9年ぶりに再会した母さんの姿を見る。


 遠い記憶の母さんと比べ、皺が目立つようになり、茶髪に染めている髪は色褪せ、白髪が増えたように見えた。一回りほど小さくなったように見える母さんの背に回した手からは、力を入れてしまうと折れてしまうかのような脆さを感じた。


 そんな母さんの儚さに時の流れと母さんにかけた心労の重さを感じた。


「母さん、変なことを聞くけど、今日は何年何月なの? 」


「すんっ、最初に聞くことがそれなの? 今日は、2019年2月21日よ」


「2019年……」


 異世界に行ってから、3年近くの時が経っていた。しかし、異世界で過ごした期間の半分も地球では、時が経過していなかった。そのことに、落胆よりも安堵を覚えた。


「(ということは、今年で19歳か。25歳とかじゃなくてよかった……)」


 オレの青春は、化け物相手の血みどろの戦いで埋められていた。その半分をこの平和な日本で取り返すことができるというのは、嬉しいことだった。


 

 その後も母さんにいくつか質問をして、自分の置かれている状況を大まかにだが、やっと把握することができた。


 オレの魂が女神の導きで異世界に旅立った(拉致られた)日に、残された肉体は我を失った。


 その出来事が自転車で登校中だったせいか、通学路脇の用水路にオレは自転車ごと落ちた。用水路の中で頭から血を流しながら半狂乱になっていたオレは警察に保護され、そのまま精神病院に入院することになり、症状の重さから3年間ずっと入院することになった。言語を喋れなければ、理解もできず、頻繁に癇癪を起すため、ベッドに拘束され、食事の世話から下の世話まで母さんや看護師の手によって行われていたそうだ。


「前の直斗が戻ってきてくれて、本当によかったわ」 


 と、最後に涙ぐみながら締めくくった母さんの言葉を聞いて、オレは女神に呪詛の言葉を吐きたくなった。


 女神に願われて世界を救ったというのに、その働きに対してこの杜撰さな対応はあんまりである。


「世界を救った後は、元の世界で狂人として生きろってか? 随分と身勝手な女神様だ」


 母さんが看護師に呼ばれて部屋を出ていった後、女神の一連の杜撰な行いに悪態をついてしまう。

 悪気はないのだろう。世界を管理する立場の神とその住人であるオレとでは、見ているものが違う。

 それだけに腹が立ったともいえる。


 もう機会はないだろうが、次に女神と会うことがあれば、このことははっきりと文句を言ってやろうと心のメモに書き留めておく。


 



 それからしばらくして、母さんが高木という男性の医師と共に部屋に戻ってきた。


「こんにちは、阿木くん。僕のことは覚えているかな? 」


 にっこりと笑みを作った高木医師の質問に、首を緩く横に振った。


「いいえ、初めまして。ですかね? 」


「……うんうん、なるほど。それじゃあ、初めましてだね。僕は、ここで精神科医として働いている高木と言います。君がここで入院してから今日までずっと担当させてもらっています」


「ああ、そうだったんですか。僕自身全く覚えていないんですが、随分とご迷惑をかけたようで大変お世話になりました」


「うんうん、ありがとう。それで、君がこうして落ち着いて喋れるようになったことで僕から聞きたいことがあるんだけど、いいかな? 」


「(また、質問か……)はい。わかりました」


 内心げんなりとしたが、それをおくびにも出さないようにする。

 それから、看護師がした質疑の回答用紙を見ながら、高木医師はいくつかの質問を投げかけてきた。さっきよりも自分の置かれている状況を把握できているので、その質問をテキパキと答えていった。異世界に行っている間のことを、異世界のことも含めて「わからない」「覚えていない」と答えるだけなので、気が楽であった。実際、異世界で救世主している間の地球の記憶はないし、相手は精神だけが異世界に行った可能性を想定していないのだから、答えに困ることはなかった。



「うん。これで僕からの質問は以上かな。最後まで付き合ってくれてありがとう。お疲れ様」


 そう言って、高木先生がポッケに手を入れて、何かを差し出してきたので、受け取った。受け取ったのは、飴だった。


 何故、飴? と思いつつも、甘味の誘惑に負けて、その場で開封して飴を口に含んだ。レモン味だった。



「――いやぁ、しかし、本当に阿木君が元気になってくれてよかったよ」


 飴を口にしたのは9年ぶりであり、懐かしい味に目を細めていると、高木医師がしみじみとした口調で口を開いた。


「今日は午前中、僕は外出してたんだけど、阿木君が喋ったって電話が来て、びっくりしたよ。まだ、どうして君が回復できたのかわからないけど、本当によかった。よく頑張ったね」


 そう言って、高木医師は手を取って両手で包み込むように握手をして、労った。その言葉は、異世界で為してきたことに対するものではなかったが、こうして戻ってきた頑張りを労われたように思い、女神の仕打ちで荒んでいた心に沁みた。隣では、母さんが堪え切れずにハンカチで口元を押さえて嗚咽をもらしていた。


 母さんが落ちつくのを待って、高木医師は母さんに話しかけた。

 

「お母さん、明日以降からは阿木君の様子を見ながら、色々な検査をしていこうと思ってます。脳の検査も改めてやりたいので検査のために別の病院に行くこともあると思います。その際は、ご家族の方に介添えをお願いしたいので追ってご相談したいと思います。お薬の方ですが、急に無くすとぶり返す危険もあるので、少しずつ様子を見ながら減らしていこうと思います。それで問題がないようなら退院できると思います」


「はい……はい。わかりました。よろしくお願いします先生」


 母さんは、椅子に座りながら深々と頭を下げた。


 それを横目に、今の健常な状態で精神病患者向けの薬を飲んでしまって大丈夫なのかと、オレは不安を覚えるのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 高木医師との話が終わると、ひとまず今日の検査は終わりのようで、オレと母さんを残して、高木医師たちは部屋から退出していった。


「直斗、お母さんも面会時間がそろそろ終わりだから今日はこれで帰るわね」


「うん、今日は来てくれてありがとう」


「ああ、それと直斗が元気になったってお父さんにも連絡したら、このあと面会時間が終わるまでに来てくれるって」


「父さんが? 」


 自分の知る父さんは、仕事が忙しくて参観や運動会などの学校のイベントごとには参加できず、いつも夜遅く帰ってきてるイメージだった。休みの日でもない日に来れるとは思っていなかった。そんなオレの様子に、母さんは呆れた顔をする。


「当然でしょう? 長い間自分すらわからなくなってた息子が元気になったと聞いたら、親だったらすっ飛んでくるわ。直斗がここに入院してからお父さんも結構頻繁に会社から抜け出してきて、様子を見に来たりしてたのよ」


「父さんが……」


 それは自分の知る父さんの姿ではなかった。しかし、父さんからの愛情を感じられる話に胸が温かくなり、鼻の奥がツンとした。



 母さんが部屋から退出して、やっと一人なったオレは、ベッドにどっかりと座り込んだ。

 目覚めてからたったこれだけのやりとりの間に疲労が溜まっていた。突然地球に戻ってこれて心が動揺しっぱなしで、精神的な疲労があったことを加味しても、体にずっしりと重くのしかかるこの疲労は、まるで一ヵ月戦い通した後のような疲労感だった。

 女神が創造した高スペックな体での経験と比較するのもあれだが、遠い昔に感じる異世界に行く前の体であっても、ここまでの疲労を感じたのは、一日中試合をした次の日のような時くらいだった。


 そのままベッドに倒れ込む。干し草のベッドや硬い木板のベッドとは比べ物にならない柔らかさと肌心地のベッドにすりすりと、顔を擦りつけて堪能しながら、重いため息を吐いた。


「この疲れやすさと怠さは厄介だな」


 体の疲れは、行動力を低下させる。そこに思考が鈍る怠さが加われば、行動は消極的となる。

 人が活動をする上で疲労というのは、自分の限界と休息のタイミングをしる為に重要な体からの信号だが、それが過ぎれば、活動することを妨げてしまうのである。


 今感じている疲れやすさも怠さもすべて自分の肉体が入院している間に衰えてしまったことが原因であることは明らかである。そのことが忌々しく感じる。


 仰向けになったまま天井に手を掲げる。

 

「一体俺はどこまで衰えたんだ? 」


 違和感を感じるほどに膨らんだ自分の手を握りしめ、その力の無さに再度ため息を吐いた。


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