表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新しい日本昔ばなし

作者: ninjin

第一夜

「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました・・・」

「ええ~、またモモタロウ~?」

 小学2年生になる息子にせがまれ、寝かせつけの昔話を話し始めたところ、我が子ながら実に我儘に育ってしまったものである。事もあろうに「桃太郎は嫌だ」と言う。

「じゃ、浦島太郎にするかい?」

「やだ」

「んー、そしたら3匹の子豚?」

「やだ」

「それじゃあ、フランダースの犬・・・いや、そういえば、お父さん、フランダースの犬知らないや」

「それ。それにして。フラダンスの犬!」

 クレヨンしんちゃんか?うちの息子は。

 子供には「フランダース」が「フラダンス」に聞こえるのか、それともクレヨンしんちゃんでしんのすけが言っていたのを、訳も分からず面白がっているのか?

 確かにうちの子はクレヨンしんちゃんが大好きで、毎週テレビにかぶりつきで見ている様だ。私も学生時代から大好きな漫画ではあった。

 だがしかし、あれは大人から見て子供の様子が可笑しかったり懐かしかったり、大人たちのくだらない見栄や日常生活の風刺だったりが面白いのであって、当の子どもが影響されてる様じゃ、親である私の教育がまるで為っていないと言われても仕方がない。

「だから、フラダンス、じゃなくて、フランダースの犬は、お父さん知らないんだって。お父さんも小さい頃、テレビ漫画で見てただけで、あんまり話を覚えていないんだよ」

 息子はキョトンとした目でこちらを見ている。

「ん?どうしたんだい?」

「おとうさん、テレビまんがってなに?アニメのこと?むかしはテレビまんがって言ったの?」

 その言い口調は、少し私を小ばかにしているニュアンスを含んでいた。これは絶対に妻の影響に決まっている。

 嗚呼、我が子ながら・・・でも、憎めないんだよなぁ。妻のことも大好き過ぎて、私自身が自分で自分に「俺、本当に大丈夫か?」と思うことさえある。

 会社の同僚は何時も、自らの嫁の悪口を言い、子供の反抗期を嘆いているけれど、私にはまったく理解のできない話だった。

 分かっている。結婚10年も経って「妻と子供が大好きです」とか、真面目にそんなことを言う奴は「気持ち悪い」奴に決まっている。私もつい10年前まではそう思っていた気がする、多分。

 まぁ、そんな話はどうでも良い。今は寝かせつけに何の話をするかを決めなければ。

「そうか、そうだね。お父さんの子どもの頃は『テレビ漫画』って言ってたけど、お父さんちょっと古臭いな。ははは。じゃ、古くない、『新しい』お話をしよう」


「昔々、あるところに・・・」

「え~、また一緒じゃぁん」

「ちゃんと聞いて。『新しい』タイプなんだから。じゃ、行くよ。昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんは住んでいましたか?」

「?」

「さぁ、答えて。住んでいましたか?」

「えっと、住んでいました」

「はい、住んでいましたね。ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きましたか?」

「ええと、行きました」

「分かって来たねぇ。そう、おじいさんは芝刈りに、おばあさんは洗濯に行ったんだよね」

「ねぇ、おとうさん、違う答えしていいの?」

「良いよ、好きに答えて良いよ」

「どうなるの?」

「さぁ?どうなるのかな?じゃ、続きを行くから、ちゃんとお布団に入って」

 私は半身を起こしてしまった息子をなだめるように布団に戻して、再び話に戻った。

「おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から何やら大きな桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてきましたか?」

 息子は少し考えてる風にしてから答えた。

「・・・来ませんでしたっ」

「桃は流れて来ませんでした。おばあさんは洗濯が終わると、家へ帰りましたとさ。おっしまい」

 息子は再び上半身を今度はガバッと跳ね起こし、目をぱちくりさせて私を見詰めた。

「おとうさん、ずるい」

「ずるくないさ、桃が流れてこなかったら、おばあさんだって洗濯が終わったら、そのまま帰るだろ?」

 クスクス笑う私に、彼は子どもながらの怒りの目を向けて「おとうさん、もいっかい」と言う。

「良いよ。じゃぁこうしよう。お手つきは3回まで。今ので1回。あと2回お手つきしたらお終い。分かったね」

 息子は何故かニコニコしながら自ら布団に潜り込む。

「じゃ、最初から。昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんは住んでいましたか?」

「住んでいましたっ」

「ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きましたか?」

「行きましたっ」

「おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から何やら大きな桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてきましたか?」

 息子はここで、すぅっと息を吸い込むようにしてから、

「流れてきましたっ」

 勢いをつけて嬉しそうに答える。

「よぉし、さっきのところまでクリアだ。良かったね。じゃ、次行くよ」

 私も段々と楽しくなってきた。

「おばあさんは、その大きな桃を川から拾い上げましたか?」

「ひろいました。ははははっ」

 何故だか息子はそこでゲラゲラ笑いだした。私も笑いを堪えながら、話を続ける。

「おばあさんは拾った桃を、家へ持ち帰りましたか?」

「もちかえりました」

「おばあさんは、持ち帰った桃を戸棚に仕舞って、おじいさんの帰りを待ちましたか?」

 あれ?息子は返事をしない。どうしたのかな、と思って息子の顔を覗き込むと、彼は少し考え込むような顔をして、私の方を見返してきた。

「どうしたの?」

「おとうさん、そういえば、『とだな』ってなに?」

「?」

 私も一瞬答えに窮したが、「ああ、成程」と合点がいった。

「ああ、戸棚かぁ。戸棚っていうのは、お母さんがいつも言ってる『収納』ってことだよ。台所の流し台の上とか下とかにあるだろ?ん?ちょっと違うか?でも、そういう物を仕舞う場所のことだよ」

 そういえば、妻は何でもかんでも『収納』という言葉を使う。彼女は「そのサラダボウル、収納に仕舞っておいて」「あなた、キッチンバサミを収納から取って」みたいな感じで、大体に於いて『収納』から物を出したり仕舞ったりを、私や息子に指示する役目の人だ。

 いや、勿論、彼女の悪口を言っている訳ではない。

 ふと、息子に目を遣ると、再び彼は眉間に小さな皺を寄せ、何やら考え込む様な顔をしていた。

「おとうさん、『しゅうのう』なんかにモモをしまうと、おいしくないよ。モモは冷蔵庫がいいんじゃない?」

「そうかそうか、じゃぁ、冷蔵庫に入れることにしよう」

 おや?何か話がおかしくなってきたかな。まぁ良いでしょう。子どもの想像力を無闇に否定してはいけないのだ。

「では、おばあさんは、持ち帰った桃を冷蔵庫に仕舞いましたか?」

「しまいましたっ」

「そして、おばあさんは、おじいさんの帰りを待ちましたか?」

「ユーチューブを見て待ちましたっ」

「ん?何でユーチューブなの?」

「だって、おかあさん、いつもおとうさんが帰ってくるまでユーチューブに教えて貰いながらお料理作ってるよ」

 へぇ、そうなんだぁ。毎日おいしい夕飯を作ってくれている妻に、改めて感謝だなぁ。結婚して10年、未だに日々新鮮な気持ちで毎日を過ごせるのは、私には過ぎた妻のお蔭だ。

 少し感動して、涙さえこぼれそうになる。

「どうしたの?おとうさん?」

 息子の言葉に我に返った。

「ああ、いや、何でもない。おかあさんは偉いね。毎日お料理のお勉強して、美味しいご飯を作ってくれてるんだね。おかあさんには感謝しなきゃいけないなぁ。毎日、美味しいご飯をありがとうって」

 すると息子はちょっぴり不満そうにこう言う。

「でもぼくは、本当はエビフライが好きなんだけど・・・もこみちさんは、エビフライ教えてくれないみたいなんだよね」

 ‼

 あ、そういうことね。結婚前の交際時代から、妻は速水もこみちの大ファンだった。別にそれはどうこういうことは無い。唯、『オリーブオイルを切らしたから、会社帰りに買って来て』とリクエストされる頻度が、多分、他の家庭より随分と多い様な気がしていたのは間違いではなかったという事が、今、証明されました。

 もこみちと言えば、=オリーブオイル。オリーブオイルと言えば、=速水もこみち。これ、日本の常識。『ちょっとあなた、そこのもこみち取って』と言われれば、そこにあるオリーブオイルを渡してあげれば良いのだ。

 気を取り直して、

「でもね、エビフライは家で作るのは大変なんだよ。じゃぁ、今度の休みはエビフライを食べにジョナサンに行こう」

 息子の顔がパッと明るくなって「うん、行こう、行こうっ」とはしゃぎだす。

「さて、どこまで話したっけ?」

 おや?

 今の今まで『エビフライっ』とはしゃいでいたと思ったのだが、いつの間にか息子はスースーと寝息を立てている。

 私は起こさない様にそっと息子の寝床から起き上がり、ちゃんと寝たかどうか、確認する様に顔を覗き込んでみた。

 何だか嬉しそうにニヤついてる。

 エビフライの夢でも見ているのか、桃を冷蔵庫に仕舞っている夢なのか・・・。

 私は小さく「おやすみ」と言ってから、息子の部屋の扉をゆっくりと閉めた。

 リビングキッチンに戻ると、妻がこちらを見ながら「寝た?」と訊いてきた。

 私はキッチンカウンターの調味料置きに目を遣りながら「うん、思ったより早く寝てくれた」と答えた。

「何か、あなた楽しそう」

「え、そう?」

「うん、楽しそうよ」

「ところで、明日、帰りにオリーブオイル買ってこようか?」

「どうしたの?お願いしようと思ってたんだけど、超能力?」

 妻も可笑しそうにクスクス笑う。

 調味料置き場のオリーブオイルの瓶は、1/3ほどになっていたから。


第二夜

翌日、午後7時頃に家に帰った私は、買ってきたオリーブオイルを妻に渡しながら「マサキは?」と訊くと、妻は「宿題やってる」と答えた。

「俺、先に風呂に入るわ」

「あら、そう。ビール用意しとけば良い?」

「ああ、お願い」

 風呂は簡単にシャワーで済ませて、とっとと上がって寝間着替りのジャージとTシャツに着替えてキッチンに戻ると、キンキンに冷えたビールと冷奴の塩辛添えが用意されていて、正面の席には妻、右隣には息子が座って、私の風呂場からの帰還を待ち構えていた。

「あれ、宿題はもう終わったの?」

「うん、おわったよ」

「ご飯はこれからかい?」

 この質問には妻が答える。

「それがね、今日は帰って来るなり珍しく、すぐに部屋に籠って宿題始めてね、途中でご飯食べて、あなたがお風呂に入っている間に『宿題終わった』って出てきたのよ」

「へぇ、偉いじゃないか」

「それが、何か可笑しいのよ、この子。昨夜、何かあった?」

 私と息子は顔を見合わせて、プッと吹き出しそうになった。

「あなた達、ちょっと変よ」

 そう言いながら、妻も何だか楽しそうだ。

「そうだ、お父さんがご飯食べ終わったら、今日はお母さんも一緒に、昨日の『あれ』やるかい?」

「うん、やろうやろうっ。おかあさんもっ」

「なぁに?あなた達、やっぱり変よ」

 息子が塩辛をせがむので、少しだけ舐めさせると、満足そうに「うまい」と言ってもう一口せがむ。空かさず妻が「子どもには辛すぎるからダメよ」とくぎを刺す。

 私は笑いながら「あと10年経ったら、一緒に飲もうな」と息子をなだめると、ここでも空かさず妻に突っ込まれた。

「10年経っても、まだマサキは飲んじゃダメでしょ。お酒は二十歳からなんだから」


 息子の部屋で、文字通り3人川の字になって寝そべって、私が息子の左、妻は右に、お互い肩肘を立てて、両サイドから息子を見守る態勢だ。

 やけにワクワク感満載の表情をしている息子に尋ねてみた。

「どうしたの?やけに楽しそうだね」

 息子は私と妻を交互に見やってから、何故だか頭から布団を被って、その後チラッと目だけを出して「早くやろうよ。おかあさんもじゅんびして」と言う。

「じゃぁ、続きからやろうか」

「ダメ、さいしょから」

「えー、そうなの?」

「そうなの。おかあさんもいっしょだから、そうなの」

「おお、何か某公共放送の番組タイトルみたいだね」

 妻は「だから、何なの、あなた達は?」とクスクス笑う。

「じゃぁ、おかさんといっしょ、いや、おかあさんもいっしょに、新しい昔話、最初から始りはじまりぃ。パチパチぱちぃ」

「イエーイ」

 今度は妻がキョトンとして私と息子を交互に見比べた。

「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんは住んでいましたか?」

「すんでいましたっ」

 息子がちょっと可笑しなテンションで元気よく答える。

「おかあさん、あのね、おとうさんの質問に答えなきゃ、さきに進めないんだよ。しっぱいすると終わっちゃうんだよ」

 多分妻にはまだ、ちゃんと内容が理解できるほどには伝わっていない。私は続けた。

「ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きましたか?」

「行きましたっ」

「おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から何やら大きな桃が、どんぶらこどんぶらこと流れてきましたか?」

 するとそこで、息子は妻の耳元に何やらコソコソと耳打ちをして「ね、言ってみて」と促した。

「じゃ、流れて来ませんでした」と、どうやら息子に言われた通りに妻が答えた。

「桃は流れて来ませんでした。おばあさんは洗濯が終わると、家へ帰りましたとさ。おっしまい」

 息子がゲラゲラ笑いだして、妻は更にキョトンとしている。

「おかあさん、失敗すると、お話は終わっちゃうんだよ」

 息子はまだ笑っている。

「でも、お手つきは3回までだから、あと2回だいじょうぶなんだよ。次は僕だからね」

 妻はそこでやっと「ああ、なるほど」という表情をして、私の方を見て笑った。

「じゃぁ、流れてきたことにして、続き行くよ。お手つきはあと2回だからね。おばあさんは、その大きな桃を川から拾い上げましたか?」

「ひろいましたっ。次、おかあさんの番だよ」

「おばあさんは拾った桃を、家へ持ち帰りましたか?」

「持ち帰りました、で良いの、かな?」

 息子は「うんうん」と言うように頷いて、話の続きを待っている。

「おばあさんは、持ち帰った桃を戸棚に仕舞って、おじいさんの帰りを待ちましたか?」

 息子は待ってましたとばかりに、はしゃぎ声で答える。

「冷蔵庫にしまって、おじいさんの帰りを待ちましたっ」

「おお、そうだね。冷蔵庫に仕舞った方が、冷えていて美味しいもんね」

「?え、そんなのアリなの?」

「そうだよ、おかあさん。だってこれ、新しいタイプのむかしばなしなんだもん」

 妙に自慢げに妻に説明する息子を見て、吹き出しそうになってしまった。

「夕方、おじいさんは山から帰って来ましたか?」

 今度は妻が答える番だ。妻は少し考えてから

「おじいさんは、夕方ではなくて、連絡もせず夜遅くに帰って来ました、っていうのはどう?」

 そう言って、私の方を見た。

 どうやら私に対しての当てつけの様だ。

「仕方ないじゃないか、俺だって早く帰りたいのは山々なんだけど、残業の日だって、付き合いの日だってあるんだから・・・」

「いいのいいの、責めてるわけじゃ無いんだから。(笑)ただ、電話くらい、してくれても良いんじゃないかなって、ちょっと思っただけだから」

「分かったよ。次から電話する」

「おとうさん、おかあさん、ケンカはダメだよ」

「ああ、大丈夫。喧嘩じゃないよ」

 笑いながら息子に答えると、妻も笑いながら息子の額を撫でてやっていた。

「では、気を取り直して。連絡もせず夜遅くに帰って来たおじいさんに向かって、おばあさんは何と言いましたか?」

 あれ?何か話があらぬ方向に向かっている気が・・・ま、いっか。

「おかあさんなら何て言う?」

「そうねぇ・・・じゃ、マサキだったら何て言う?」

「うーん、ぼくなら『明日は早く帰って来てね』って言う」

「じゃあ、おかあさんもそう言うかな」

 二人のやり取りを聞きながら、私は涙が出そうになる。そして、明日は残業も上司の誘いも絶対に断ろう、と心に固く誓った。

「どうしたの?おとうさん?」

「いや、何でもない」

「あなた、ちょっと面白い」

 妻は少し意地悪そうにそう言うと、息子に向かって「ねぇ」と同意を求めるように声を掛けたが、息子にはよく分からなかったみたいだ。

 私は苦笑しながら、続きを始める。

「おじいさんは、明日は早く帰ると約束しましたか?」

「しましたっ」

 息子が嬉しそうに答える。

「良いの?あなた、そんな約束して?」

「え?俺?おじいさんの話だよ」

 私は恍けて見せたが、直ぐに付け足した。

「でも、明日は絶対に残業もしないし、誘われても飲みにも行かないよ」

「あら、嬉しい。明日はおつまみ1品増やしちゃおっかしら(笑)」

 マズイ、また涙腺が緩みそうだ。

「おとうさん、早く、次行こう」

 息子に催促されて我に返る。

「おばあさんに約束させられたおじいさんは、お風呂にしましたか?ご飯にしましたか?」

「ちょっと、あなた。『約束させられた』っておかしくない?(笑)」

 おっと、少々間違えた。しかしそこはまだ空気の読めない息子が助けてくれる。

「ご飯にしました」

「ご飯を食べ終わったら、おばあさんは・・・」

 そこで息子が被せる様に言ってくる。

「おばあさんは、冷蔵庫からモモを取り出して言いました」

「え?おばあさんは何か言ったのかい?」

 ちょっと間があって、息子はゲラゲラ笑い出しながら「違った、ちがった。おとうさんが何か考えて」と、私に責任を押し付けてきた。

「そうだなぁ・・・!おばあさんは叫びました。あれ?桃かと思って拾ってきたけど、桃じゃなくて、桃太郎じゃったぁ‼」

「ええーっ」

 妻と息子は同時に声を上げる。

「あなたっ、桃太郎を冷蔵庫に入れてたの?」

「いや、俺じゃない、おばあさんが入れたんだよ」

「モモタロウ、カゼひいちゃうよっ」

 盛り上がってきた。

「おじいさんは、驚いて桃太郎を受け取ると、台所から大きな包丁を持って来て、」

「やめて、あなたっ。切っちゃうつもりでしょう」

 息子は笑いが止まらないらしい。

「え?やっぱりダメかい?」

「ダメに決まってるでしょ(笑)」

 まだ笑いの止まらない息子は、もんどりうって足をバタバタさせている。

 妻の制止を振り切るように、私は同じ件を話し始める。

「おじいさんは、台所から大きな包丁を持って来て、テーブルの上でその包丁をシャカシャカと研ぎ始めましたか?」

 妻が少しホッとしたように、それでいて呆れたように「はいはい、研ぎました」と言う。

「その包丁は良く切れる様になりましたか?」

「なりましたっ」

 息子も戦線に復帰した。

「包丁を研ぎ終わったおじいさんは、台所に包丁を戻して、お巡りさんに電話しましたか?」

 妻が再びキョトンとして「どうして警察に電話するの?」と尋ねる。

「だってそうだろう。おばあさんは川で溺れていた桃太郎?か、どうかは知らんけど、兎に角、川で溺れていた子どもを助けて、家に連れて帰って来ちゃたんだから、警察に届けない訳にはいかないだろう。黙ってたら、誘拐罪で捕まっちゃうかもしれないし」

「そっかそっか、でも、冷蔵庫に入れちゃったけど、大丈夫なの?」

 妻の返しに息子、速攻で流れ弾に当たって戦線離脱。ゲラゲラ笑った後、はぁはぁと息も絶え絶えになり、野戦病院に緊急搬送が必要かも。

「マサキ、大丈夫かい?」

 上手く返事が出来ないらしいが、何とか首をコクコクと縦に動かし、意思表示を試みている様だ。私はそれを「僕のことは構わず前進してくれ」と受け止めた。

「そうだった、桃太郎は冷蔵庫で冷やしちゃったから、お湯を掛けて3分待とう」

 段々自分でも何処へ行きたいのか分からなくなってきたが、こうなってしまっては仕方がない。

「おばあさんは桃太郎をお椀に入れて・・・いや、一寸法師じゃないから、お椀じゃ入らないなぁ。・・・大きな鍋に入れて、お湯を掛けて蓋をして、3分待ちましたか?」

 愛する息子の屍を乗り越えて、私は妻に質問した。

「どういうこと?」

「『どういうこと?』じゃなくて、3分間待ちましたか?」

「じゃ、待ちました」

「3分待って蓋を開けると、そこには、鍋から生まれたぁ、ゆで太郎ぅ」

「それは、お蕎麦屋さん!」

 そう言って妻もゲラゲラ笑い出した。

 どうやら、2人とも本日の戦線復帰は難しそうである。

「さて、じゃあ、今日はここまでにしようか」

 まだ2人はもだえ苦しんでいる。

 私は妻と息子を部屋に残して、扉から出ようとした時、「あした、また続きだよ」と息子が言った。

「良いよ、明日は真っ直ぐ帰るって、おかあさんと約束したから・・・おやすみ」

「マサキぃ、良かったねぇ。おとうさん、明日も早く帰って来るって。おかあさんも楽しみぃ」

 家族って良いなぁ。また泣きそうになった。


 10分後、私がキッチンで氷を入れたグラスにハイボールを作っているところに妻もやって来て、「私も一杯貰っていいかしら?」と言うので、「良いよ」と応じて今作ったばかりのグラスを渡して、私は再度、自分の分を作る。

「もう寝たの?」

「うん、笑い疲れたんじゃない?あっという間だったわよ(笑)」

 チビリとグラスに口を付けてから「何かおつまみ出しましょうか」と言う妻に、私も頷いてから「簡単でいいよ」と返事をすると、3分後にチーズとリンゴにサラミとキュウリがテーブルにやって来た。

「で、明日は続きからやるの?」

「そうだねぇ、何も考えてはいないんだけど・・・」

「ゆで太郎から?」

「・・・あ、ああ、そう言えば、そんな話で終わったんだっけ?」

「なに何?本当に先も何も決まってないの?」

 私は笑いながらリンゴとチーズと爪楊枝に刺して、「別にリンゴ太郎でもチーズ大王でも何でも良いんだよ」と言って、口に運んでパクリと食べる。

「なにそれ?私はゆで太郎、好きよ。安いし、美味しいし」

 妻が変に真面目顔でそんなことを言うので、私は今口に入れたリンゴとチーズを吹き出しそうになった。

 そういえば、妻の「ゆで太郎」デビューはつい一年ほど前だった。

 何故だか知らないけれど、急に「立ち食い蕎麦に行ってみたい」と言い出した妻と息子を連れて行ったのがゆで太郎だった。

『なんだぁ、立って食べなくて良いのね』と言う妻に、本当に立って食べなきゃいけないのは駅ナカと駅前くらいで、郊外店は大概座れるレイアウトになっていることを説明して、席を確保してから食券を買って、カウンターで番号札と引き換えてから出来上がりを待つことを教えた。カウンターに貼り付きで待っていると、他のお客さんの邪魔になるので、お冷を注いで、自分の番号の呼び出しがあるまでテーブルで待つ、という作法もちゃんと注意事項として。

 妻は言う。「あなたばっかり、いつもお昼は美味しいもの食べているって、ずるい」

 いやいや、それは違う。毎日蕎麦ばかり食べている訳ではないし、のり弁当の日だって菓子パンの日だって有りますよ。そりゃあ給料日当日は洋食屋のランチを食べに行ったりもするけれど、それでも「家で君の作ってくれた料理が一番美味しいよ」と、いつも思っている。料理の出来ない私としては、家に居て自分で美味しいものを作って食べることの出来る妻の方が、余程ずるいと思うし、それ以上にいつも感謝のしっぱなしなのだが。

 それにしても、ゆで太郎を絶賛する妻は、何となく可愛らしい。そう言えば、ずっと以前、まだ結婚前だった頃、初めて吉野家に連れて行った時も、偉く感動してたっけ。『つゆだくって、サイコー』とか。

 そんな事を考えながらふと、妻に目を遣ると、妻もこちらを見ている。

「あなた、ちょっと、何ニヤけてるの?(笑)」

「え?ニヤついてた、俺?」

「うん、ニヤついてた。何か思い出し笑いみたいに」

 どうやらお見通しのようだ。

「そうだねぇ。昔のことを思い出してた。君を初めて牛丼食べに連れて行った時のこと」

「やだぁ、なにそれ(笑)」

 それから、他愛もない昔話でハイボールをもう一杯飲んで、とてもいい気分で床に入った私は、「片付けをしてから私も寝るわ」と言った妻がやってくる前に気を失っていた。


第三夜

「さて、鍋から生まれたゆで太郎は、元気に大きく育ちましたか?」

妻は「夕飯の後片付けをしてから私も行くわ。始めておいて良いわよ」と言うので、息子と私は先に息子の部屋で話を進めることにした。

「そだちましたっ・・・っていうか、おとうさん、ゆで太郎で、ほんとに良いの?」

「さぁ、どうだろう?でも、良いんじゃないかな。だって新しいお話なんだから」

「そうだね、新しいんだもんね」

「じゃ、始めるよ。ある日、大きくなったゆで太郎は、おじいさんとおばあさんに言いました、か?」

「言いましたっ」

「・・・何と言いましたか?」

「???・・・」

 息子の頭の中で『?』マークがぐるぐる回っているのが手に取るように分かる。

「さぁ、何と言ったかな?」

「えー、分かんないよぉ」

「じゃあ、お話終わっちゃうよ」

「えー、ずるいよ、おとうさん・・・ちょっとまって、おかあさんを呼んでくるっ」

 息子は布団から跳ね起きて、部屋から走って飛び出すと「おかあさん、早く、早く」と、妻の手を引いて連れてきた。

「はいはい、どうしたの?」

「おかあさんが考えて」

「何を考えるの?」

「だっておはなしが終わっちゃうんだ」

「終わっちゃダメなの?」

「おとうさんが、ずるいこと言うんだもん」

「お母さんもまだお片付け終わってないんだけどなぁ」

「ダメダメ、早くしないと終わっちゃうから」

 大概の場合そうだが、子供と大人の会話はかみ合わない。

「あなた、いじわるしてるの?」

「ずるいとか意地悪とか、二人とも酷いこと言うなぁ。仕方ないじゃないか。新しい昔話なんだから、新しいことを考えないといけないんだよ」

 私の答えも大概適当になって来た。

「それで、私は何を考えれば良いのかしら?」

 息子が答える。

「ゆで太郎がなんて言ったか、だよ」

「マサキ、ちょっと待って。いきなりそんなこと言われても、話が分からないわよ」

 息子が、「そっか」という顔をして、「だからぁ・・・」と説明し出したのを私が遮って言う。

「いや、分からないまま、何て言ったか、考えてごらんよ。新しいことが起こるかもしれない」

「そおねぇ、じゃあ、こんなのはどうかしら。ゆで太郎は『美味しい天ぷらそばが食べたい』と言いました」

「僕も食べたいっ」

「俺も食べたいっ」

「私も食べたいっ」

 3人で交互に顔を見合わせてゲラゲラ笑い出した。

「じゃあ、明日は俺も仕事休みだから、ゆで太郎に天ぷら蕎麦を食べに行こうか。あ、そう言えば、マサキ、ジョナサンにエビフライ食べに行くって言ってたけど、エビの天ぷらで良いかい?」

「うん、いいよいいよ、天ぷらで」

 嬉しそうに息子が頷く。

「なに?エビフライって?」

 妻は少し訝し気に私に訊いてきたが、そこはスルーした。いや、別にもこみちに嫉妬していない。

「じゃあ、明日は朝一でゆで太郎に決定。確か7時オープンだから、6時半に家を出よう」

 私がそう言うと、妻は不満げに意義を申し立てた。

「私はお洗濯とかもしなくちゃなんだけど・・・」

「それじゃあ、明日は皆、朝5時起床で、おかあさんのお手伝いをして、洗濯終わらせてから出掛けよう。ね、そうしよう、マサキ」

「うん、お手伝いするよっ」

「わかったわ。じゃあ、マサキもあなたもちゃんとお手伝いしてね。明日早いんだったら、もう寝なくちゃじゃない?」

「えー、でもお話は?」

 今度は息子がクレームを申告だ。

「よし、今日はこの先、お父さんがお話してあげよう」

 既に話は昔話でも何でもなくなっていて、荒唐無稽の意味不明。とッ散らかり過ぎて無茶苦茶だ。、しかもその先は何も考えていないのだけれど。

「大きくなったゆで太郎は、おじいさんとおばあさんに言いました。

『明日の朝、美味しい天ぷらそばを食べに行きたいと思います』

 すると、おじいさんとおばあさんも言いました。

『わし等も美味しいおそばを食べに行くことにしよう』

 3人は翌朝、おそばを食べに行くことにしました。

 翌朝、ゆで太郎とおばあさんとおじいさんが早起きして洗濯をしていると、何やら玄関からピンポーンと、呼び鈴が鳴りました。

 おばあさんが『こんな早くに何だろう?』と慌てて玄関に行ってみると、そこには何と、大きな桃がコロンっと転がっていました・・・」

「え?ぼくがゆで太郎で、おとうさんとおかあさんが、おじいさんとおばあさんってこと?」

「え?私はおばあちゃんってこと?」

 息子は面白がっているが、『おばあさん』にされてしまった妻は、少し不満そうだ。

「え?食いつくの、そこ?玄関に桃が転がってるんだよ、しかも朝っぱらに、コロンって・・・気持ち悪くないかい?(笑)」

 息子は再びゲラゲラ笑い始める。

「そう言えばそうよねぇ。気持ち悪い。」

「おかあさんは・・・間違えた、おばあさんは『なに、これ、気持ち悪ぅ』と言うと、その大きな桃を思いっきり蹴っ飛ばしました。

 すると、大きな桃から『痛てっ、何すんだよ』と声がしました。

 おばあさんはびっくりして『キャー』と叫び声をあげて、おとうさんに・・・あ、また間違えた。おじいさんに助けを求めました。

『どうしたんじゃ?』

 助けを求められたおじいさんがおばあさんに尋ねると、おばあさんは『桃が・・・桃が・・・あわわわわ・・・喋ったのよぉー』と絶叫しました。

 おじいさんは『ゆで太郎、収納から大きな包丁を持って来ておくれ』と言って、自分は急いで玄関に向かいました。

 ゆで太郎も慌てて収納から大きな包丁を取り出すと、一目散に玄関に走りました。

『はい、おじいさん、包丁持ってきました』

 そう言って、ゆで太郎がおじいさんに大きな包丁を手渡すと、おじいさんは、大きな包丁を振り上げて・・・」

「やめてぇっ、二人とも!」

 リアルの妻が絶叫し(笑いながらだけれど)、息子は身もだえが止まらない。

 ニヤニヤしながら、私は言う。

「今日はここまで。明日早いから、もう寝よう」

 

第4夜

 朝からとても良い天気の洗濯日和。

 5月後半の土曜日、午前5時は既に薄日も射して、何とも清々しい。

 妻に渡された洗濯籠を持って、息子と2人でベランダに出て、息子は1枚ずつ洗濯物を私に手渡す係で、私はそれを干す係だ。

 妻はキッチンでおむすびを作っている。

 昨夜、息子を寝かしつけた後、「ゆで太郎で朝食を摂ってから、お弁当を持ってどこかに行きましょう」と妻が言うので、急遽そういうことになっていた。

 朝からお弁当を作っている妻の姿を見て、息子はもうワクワクが止まらない様子で、「どこ行くの?ねぇねぇ、どこ?」と必死に行き先を訊こうとしたが、私も妻も実際には行き先も何も決めてはいなかったので、妻は「おとうさんに訊いて」とはぐらかし、私がちょっと困ることになる。

「さぁてねぇ、どうしようか。そうだなぁ・・・鬼退治にでも行くかなぁ」

 要らないことを言った。息子は即反応した。

「どこどこ?おにたいじって、どこに行くの?おにがしま?どこ?」

 洗濯物を干し終わって、妻のお弁当作りをちょっとだけ手伝って(焼き上がった卵焼きと揚げ上がった唐揚げをパタパタと団扇(うちわ)で扇いで冷ますくらいだが)、出来上がったら準備完了。

 時間は丁度6時半になろうかというところで、ここまでは全てが予定通りだ。

 但し、玄関の呼び鈴も鳴らなかったし、桃も転がってはいなかった。


 ゆで太郎のオープン時間きっかりに駐車場に到着し、まだお客の誰も居ない店内で3人ともかけそばと天ぷら盛りを注文した。

「エビ天美味いかい?」

 私が尋ねると、息子は親指を立ててそれに答える。

「何処でそんな『グー』みたいなの覚えるんだい?俺、そんなのやらないけど」

 妻が笑いながら「学校の友達じゃないかしら」と言う。

「へぇ、今の子ってアメリカ人みたいだな」

「あなた、それ、昭和過ぎ」

 また妻が笑う。

 蕎麦をすすりながら考える。さて、鬼ヶ島って何処に行けば良いんだろうか。

 結論、妻の実家にしよう。妻は嫌がるかもしれないけれど、明日の日曜日も仕事は休みなのだ、最悪、泊まっても構わない。

 妻が嫌がる理由は、日帰りだった場合、帰りは確実に酔っぱらった私を連れて、自分が運転して帰らなければならないから。

 私は一番先に食べ終わって、2人が食べ終わるのを待ちながら、頭の中で作戦を練る。作戦と言うのは、今日こそどうやってお義父さんを打ち負かそうか、という作戦。

 おや、桃太郎・・・ゆで太郎・・・鬼退治・・・打ち負かす・・・きび団子は無いけれどおにぎりのお弁当を持って・・・犬も猿も雉も居ないが妻と息子を連れて・・・1人足りないけど・・・ま、いっか・・・。私が桃太郎みたいになってきた。

 2人が食べ終わったところで、ゴホンっと如何にもそれらしく咳ばらいをして見せてから、私は宣言する。

「いざ往かん、鬼ヶ島へ鬼退治だ、よ」

「やったー。おにたいじぃ」

 息子のはしゃぎっぷりとは対照的に、妻は何かを察したようで、溜息交じりにこう言った。

「あなた、懲りないわね。本当に大丈夫?」

 私は笑いながら「うん、大丈夫。今日は作戦がある。必ず打ち負かす」と答えた。

「いいけど、今日は泊まりましょうね。私はあんな山奥から夜中に運転は嫌よ」

 本当に察しが良い妻である。

「大丈夫。今日は時間もまだ早いから、電車で行こう。それに明日も休みだから、たまには旅行気分で泊まるのも良いし。あ、今からお義母さんに電話してよ。今日3人泊まっていいか?って」

「別にマサキも一緒に泊まりたいって言えば、喜ぶことはあっても断られることはないけどね・・・。私は、またあなたがうちのお父さんにコテンパンにやられるのが心配なのよ。だってあの人、限度ってものを知らないんだから・・・。明らかに自分が強すぎて、普通の人がどの程度か分かっていないし、すぐ嵩に懸かってあなたに強要するじゃない。あなたもあなたよ、調子に乗って飲んじゃうから・・・」

 妻の父親、つまり私の義父は恐ろしい程の酒豪だ。そして、何故だかそのことに誇りを持ち、男の価値はお酒の強さだと思っている節がある。

 妻との結婚の承諾を貰うために、初めて妻の実家を訪れたあの日もそうだった。

「お、お嬢さんとは、け、結婚を前提に、お付き合いを、さ、させて頂いて居ります。つ、付きましては、今後の結婚の、ご、ご承諾を、頂きたく・・・」

「いいよ、いいよ、そんなに畏まらなくても。それより、今日はとても良い日だ、お酒はいける口ですか?飲みせんか?うちの娘で良ければ承諾も何も、貰ってくださるなら喜んで嫁に出しましょう。但し、私に飲み比べで勝ったらね」

 お義父さんはニコニコしながらそんなことを言うものだから、私も軽い気持ちで「はいはい、喜んで」とばかりに請け負ったのが運の尽き。その翌日の昼前に気付いたときは、妻の実家の座敷の布団の中だった。

 その後、半年で5回ほど、同じことを繰り返し、その都度コテンパンに飲み負かされて、とうとうお義父さんの承諾は受けないままに入籍、結婚してしまって現在に至る。

 しかしお義父さんはそのことを怒るでもなく、今でも「私はまだ認めていないよ」とニコニコしながら言うだけなのだが、それがまた私にとっては釈然としない。

 いや、私にも分かってはいるのだ。お義父さんが本気で認めていない訳ではなく、私を虐めたり貶める意図も勿論無く、単純に私を「息子」と思って可愛がってくれているのは。

 私もお酒は嫌いではないし、お義父さんとの会話もそこそこに楽しいので、年に2、3度、10年間、翌日には必ず『もう2度とお酒は飲まない』と呻いているにも拘らず、全く学習能力も無いままに、本日も鬼退治宜しく、妻の実家に乗り込むことになった。

 あれから10年も経っているという事は、お義父さんも、もう65歳。そろそろ衰え始めても良さそうなものなのに、一向にその気配はない。それはそれでとても良いことではあるのだけれど。

 しかし、本日は10年間無策だった私が、初めて『策』を講じて戦いに挑むことになった。

「その名も『酒呑童子大作戦』っていうのはどう?」

「何それ?」

 足柄峠の麓にある大雄山駅で電車を降り、妻の実家まで歩く道すがら、息子ははしゃいでピョンピョン跳ねる様に先を行き、妻に「危ないわよ」などと注意されながら、私は小田原駅で買った井上酒造の箱根山の1升瓶をぶら下げて、右のポケットにはウコンの力、左にはヘパリーゼを1本ずつ忍ばせている。これも小田原駅のドラッグストアで購入していた。「本当に大丈夫?」と呆れ半分、心配半分といったところの妻に逆に質問する。

「え?酒呑童子、知らない?」

「知ってるわよ、あたしは生まれも育ちも足柄よ。源頼光四天王のひとり、姓は坂田、名を金時、幼名をして金太郎と云う・・・」

 何故か浪曲チックな調子を込めて妻が言うので、笑ってしまう。

「そうそう、それそれ」

「あ、」

 妻が『分かった』と言う顔をした。

「ねぇねぇ、しゅてんどうじって何?」

 先を歩いていたはずの息子が、いつの間にか私の傍らに戻って来て尋ねる。

「酒呑童子っていうのはね、昔丹波の国に居た、悪い鬼のことだよ。丹波って言っても分からないか。まぁ良いや、兎に角マサキ、今日の君は坂田の金時、つまり金太郎ってところだな」

「あれ、僕はももたろうじゃないの?」

 ああ、そうだったっけ。色々めちゃくちゃになって来た。私が桃太郎気分になっていたが、倒す相手は酒呑童子で、息子は金太郎。きび団子は無いけれど、おむすびを持っていて、お供は居ないが、家族で妻の実家に向かっている。

 そして妻が突っ込みを入れる。

「ゆで太郎でしょ!」

 その先は

『じぃじは鬼で、しゅてんどうじなの?』

『いや、そうだけど、そうじゃない』

 とか、

『おとうさんとおかあさんは、おじいさんとおばあさんってこと?』

『おかあさんがおばあさんって、どういうことかしら?』

 とか、

『犬とサルとキジはどうするの?』

『おとうさんがサルで、おかあさんはキジ。犬はじぃじの家のゴン太(柴犬)ってことで良いんじゃない?』

 とか、

『やっぱりじぃじは、鬼は鬼でも、良い鬼だよ』

『だったら、退治しちゃダメだねぇ』

 などと、実にくだらなくて、それでいて何とも幸せで阿呆な家族の会話が続くこと30分ほど、とうとう鬼ヶ島(妻の実家)に到着した。

 妻の実家の門扉に辿り着く50メートルほど手前で、息子に『じぃじには桃太郎の話も、酒呑童子も絶対に喋っちゃダメだよ』と念を押し、妻には『別にこのお酒に眠り薬は入ってないから』と言うと、妻は『当たり前でしょ』と笑った。

 息子が走り出し、妻と私より一足先に玄関を開け、大きな声で挨拶をする。

「こんにちわぁー。じぃじ、ばぁば、鬼たいじに来たよぉー」

 あーあ、言っちゃったよ。まぁ、良いけどね。

 妻がクスクス笑っている。

 家の奥からお義母さんの声がする。

「まあ、マサキ、よく来たわね。大きくなったねぇ。鬼退治って、なぁに?早く、お上がりなさい」

 玄関まで出迎えに来てくれて、矢継ぎ早にしゃべるお義母さんのその脇をすり抜けて、息子はお義父さんの作業部屋に飛んで行った。

「じぃちゃんがお待ちかねだよ。アキラさん、遠いところご苦労様です。佳代子もアキラさんも、上がって上がって。離に3人分、お布団用意してるから。意外と早かったわね、何時に家を出てきたの?あ、お昼はまだ?もう食べたの?お蕎麦でも作ろうか?」

 妻と私は顔を見合わせて、笑いを堪え、妻が答える。

「おかあさん、お蕎麦はいいや」

「あら、お昼は済ませてきたの?」

「お昼はまだだけど、お弁当持ってきたから。3人分しかないけど、おかずとおむすびを少し作り足して、皆で庭で食べない?」

「あらあら、そうなの?良いけど、それにしても可笑しな娘でごめんなさいね、アキラさん。実家に来るのにお弁当持ってくるだなんて」

 私は妻を見やって、笑うしかない。


 先週の金曜日夜10時55分頃、地元駅前のドラッグストアでの店員さんとのやり取り。

 閉店直前のドラッグストアに駆け込んだ私は、ウコンの力1本持ってレジに向かった。

 レジでは気の良さそうな中年薬剤師?が会計をしてくれたのだが、支払いを済ませて店を出ようとしたところで不意に話しかけられた。

「お客さん、今日は結構飲まれましたか?明日の二日酔い止めにウコンを飲まれますか?」

「え、ええ。そうですけど」

「それ、今度、是非、お酒の前にウコンを飲んでみてください。それから、飲んだ後にはヘパリーゼとかの肝臓水解物がお勧めです」

「へぇ、そうなんですか?」

「はい、ウコンはどちらかというと、肝臓を刺激して肝機能を高めます。肝機能を高めて、アルコールの分解を促進してくれます。それに対して肝臓水解物は、働き過ぎて疲れたり傷ついたりした肝臓を修復するアミノ酸だと思ってください。そうすると、何が起こるかというと、先にウコンを飲んだ場合、鞭打たれた状態の肝臓は、そこからいきなりガンガン働いてアルコールを分解し始めるので、例えば普段ビール1杯で酔っぱらう人が、おや?2杯飲んでも大丈夫だぞ、ってなる感じです。但し、それをやると、ついつい調子に乗って飲み過ぎちゃいますので、充分お気を付け頂きたいのですが。そして、働き過ぎた肝臓を元に戻してあげるために、飲み終わった後とか、お休みになる前なんかに、ヘパリーゼを飲むということですね。そうすると、疲れたり傷ついたり熱を持った肝臓が修復されるということですね。肝臓って、人間の臓器の中で、唯一再生可能な臓器なんですね。心臓とか肺とかは一度傷つくと、二度と元に戻りませんけど、肝臓だけは元に戻っちゃうんですよ。例えば、肝臓癌で、癌の部分を切除するとするじゃないですか。ちゃんと養生すれば、半年後、1年後には元の大きさに戻るそうです。あ、でもですね、元々健康診断で肝機能で引っ掛る人は、そもそもウコンはやめた方が良いです。肝臓を鞭打って無理やり働かせているみたいなものですから、刺激されて、その時は肝臓の機能は上がるのでしょうけれど、結果としては肝臓を傷めつけていることになっちゃうそうです。ところで、お客さんは肝臓、大丈夫ですか?引っ掛ったこと無いですか?」

「いえ、会社の健康診断では、どこも悪いところは無いですけど、今のところ」

「それは良かったです」

 実に饒舌に話すその薬剤師と思しき店員の話には、非常に説得力があり、11時を過ぎて、アルバイトスタッフが閉店作業をしている最中だったが、ヘパリーゼも1本追加で購入した。

「ありがとうございます。お気をつけてお帰りください。またのご利用、お待ちしております」

「いえいえ、こちらこそ。おやすみなさい」

 その日はウコンの力とヘパリーゼをどちらも同時に飲んでみた。

 確かに翌日、ちょっと飲みすぎたなぁと思っていたにも拘らず、思いの外スッキリとした朝を迎えることが出来た。


 ということで、今日は先にウコンを飲み、最後にヘパリーゼを飲む予定だ。

そして息子をお義父さんと私の間に座らせ、お酌をさせる。更には、「おとうさんにに1杯注ぐのに対して、じぃじには2杯注ぐんだよ」と、確り言い聞かせておく。

孫にお酒を勧められたお義父さんは、必ず何時ものペースを乱されて私より先に酔っぱらってしまう筈だ。

勿論、寝首を掻こうという訳ではない。お義父さんが酔っぱらって、先に床に就いてしまえば私の勝ちだ。

ちょっとだけニヤニヤしてしまう。


お昼を食べた後、息子は朝も早く、ここまでの道すがらはしゃいでいたせいか、すっかり疲れて昼寝に入ってしまった。

私と妻は特にやることもなく、お義母さんに付き合わされて、街のスーパーマーケットへ夕飯の食材の買い出しに、お義父さんは裏庭の家庭菜園で畑仕事をしながら夕飯までの時間を過ごすことになった。

スーパーマーケットで妻が桃を見つけて、私を見て少しニヤつくような表情を浮かべながら、買い物かごに入れた。2個で1280円也。

「あれ、もう桃が出てるのねぇ。ちょっとお高いわねぇ。でも初物だから、ま、いいか」

 お義母さんが桃の並んだ棚の値札を見ながら言う。

 私がボソッと「これじゃあ、出てくるのは未熟児だな」と言うと、妻は一瞬何のことか分からなかった様だが、直ぐに笑い出して「やだぁ、もう。引っ張り過ぎぃ」と、私の背中をバシッと叩いた。

「痛いよ」

「あら、ごめんなさい。でもだって、思い出しちゃったじゃない」

 そう言って、まだ笑い続けている。

「いやいや、ニヤニヤしながら買い物かごに入れたのは君じゃないか」

「どうしたの?あなた達、ちょっと変よ」

 お義母さんの言葉に、私は妻とお義母さんを見比べて、ああ、親子だなぁと思い、ほっこりした気分になる。


 まだ外は随分と明るい午後6時頃、息子と一緒に風呂から上がってくると、居間の食卓には所狭しと並んだ料理、そしてお義母さんと妻が最後の1品を運んで来て、皆が着席。夕食会の始まりだ。

 私にとっては、いざ、決戦の始まり、といったところか。ウコンも飲んで、息子の着席位置もばっちりだ。

「さぁさぁ、お待ちどう様でした。頂きましょう。今日はマサキが来てくれて、ばあばもいっぱいお料理作っちゃったから、いっぱい食べてね。そうそう、後で桃も有るからね」

 息子が即座に反応する。

「もも、どこ、どこ?ばあば、見せて見せて」

 お義母さんは「はいはい」と言って立ち上がり、息子もそれに付いて行ってしまった。

 おーい、私の友軍が初戦から行方不明だ。まぁ、仕方ない、宣戦布告のお義父さんへのお酌開始。

「では、お義父さん、お注ぎしましょう」

 私はそう言ってスーパードライの大瓶をお義父さんの陶器のビアタンブラーに傾ける。お返しにとばかりにお義父さんも私のタンブラーに並々と注ぎ返してくれる。

「乾杯。頂きます」

 決戦の火蓋は切られた。

 妻は呆れた顔でこう言った。

「二人とも、飲み過ぎないでね。特にお父さんはアキラさんに飲ませ過ぎないで、あなたは調子に乗って飲まないで」

「はいはい」

 二人同時に答えると、お義父さんと顔を見合わせてぎゅーっと飲み干したビールは実に美味しかった。

「おとうさん、もも、大きかったよ!でも、ちょっと小っちゃかった!」

 おいおい、一体どっちなんだ。

 私は息子を着座させて、「ほら、頂きなさい」と促す。

「いただきまーす」

 遅れてきた友軍に勇気百倍、私も楽しくなってきた。


 お義父さんの話は実に面白い。面白いというより、興味深くて、話し上手というべきか。

 近況の出来事から始まり、時事、政治、歴史、囲碁に釣り、科学、宗教、裏庭で採れる野菜の話・・・。勿論、生業である陶芸の話も。

 私にもこんな父親が居たら良かったのに、と思ったことは、この10年しょっちゅうだ。

 私に実の父親は居ない。いや、何処かに居るのだろうけれど、それは今となっては分からない。私が生まれたとき、既に父は居なかった。母親は父の話は全くしなかったし、私もそんなものだと思って、自分から敢て話を聞こうともしなかった。

 随分と大きくなってから、母方の親戚に何となく聞いた話なのだが、どうやら私の父親は、日系の在日米軍人だったらしい。その親戚も大して親しく付き合っていたわけでもなく、子供の頃たまに会うと、「偉いね。大変だね」と声を掛けてくれるのだが、私は何も偉くないし、大変と思ったことも無かったので、今風に言うと「ちょっと何言ってるか、分からない」とでもいったところだった。

 母親と二人だけの生活も全く不安も不満も無く、彼女も多分、実に普通に私を育てて、大学も出してもらい、普通に中堅の商社に就職した。

 父親が居ないことよりも、その父親が日系米国人で助かったと思っていた。見た目、まんま私は日本人だから。もろに分かりやすいハーフは何かと生き辛いだろうなあ、と勝手に想像していたから。

 一つだけ残念だったのは、私は英語が全く喋れない。

 母親は貿易会社で英語の通訳をしていたので、勿論英語はペラペラ。父親はアメリカ人だったので当たり前に喋れただろうし、何故、母は私に英語を教えてくれなかったのだろうかと、不思議でならない。

 まぁ、一番の理由は、私が小学生の頃は英語自体に興味がなく、中学・高校生になっても英語の授業が大嫌いで(授業というより先生が嫌いだったのかもしれない)、教えようとしても聞く耳を持たなかったのかもしれない。

 そんな母親も6年前に他界して、今更ながら、もう少し親孝行しておけば良かったなと思うこともあるけれど、母親は亡くなる前に私達家族3人を病室に呼んでこう言ってくれた。

「アキラ、お母さんはとっても楽しい人生だったよ。ありがとうね。佳代子さん、孫の顔も見せてくれて、ありがとうね。アキラのことお願いしますね。アキラを良い旦那さん、良い父親にしてやってください。お願いしますね。マサキちゃん、まだ分からないと思うけど、おばあちゃんはもうすぐ居なくなっちゃうけど、またね。本当に楽しい人生だったわ」

 妻は泣いていた。私も泣いた。息子は不思議そうな顔をしていた。

 その一週間後、母は息を引き取った。癌だった。

 癌が発見された時には手遅れだった。

 私は医者に「何とかしろ。どうにか手術をしてくれ」と何度も食って掛かったが、医者は首を横に振り、転移が酷くて手の施しようがないと言う。後は抗がん剤と放射線治療で延命しながら一縷の望みに賭けるか、だと。

 母は治療を拒否した。

 母に呼ばれて、母の言葉を聞き、私はそれ以降最後の一週間は、医者に盾突くのを止めた。

 そんなこともあって、私は妻の実家で、お義父さんとお義母さんの元気な姿を見るにつけ、嬉しい気持ちになるし、自分の親には出来なかった親孝行を、妻と一緒にしてあげたいなぁと、いつも思う。

 何より、私には無かった、父親から話を聞くという経験をお義父さんは与えてくれて、何とも言い難い感謝の気持ちと喜びとでいっぱいなのである。

 未だに結婚を認めてもらっていないけれど、それはさて置き・・・。

 本日もお義父さんは「舌好調」で、企て通りの息子の上手なお酌もあり、益々上機嫌に面白話を繰り出してくれる。息子のお酌に合わせて、今日の話はお義父さんが子供だった頃の田舎の遊びの話、虫捕りの話、妖怪の話が中心だ。

 私は私で「へぇ」とか「そうなんですか」とか、ゲラゲラ笑わされたりと、実に楽しい。

 しかも、全然酔っている気がしない!

 やっぱり、今日は、いけるんじゃないかしらん?

 飲んで、食べて、喋って、彼此もう2時間になる。流石に息子も飽きてきたようで、それを見て取ったお義母さんが「桃を出しましょう。マサキ、いらっしゃい」と、息子を台所に連れて行ってくれた。

「ところでアキラくん、今日持って来てくれた1升瓶、開けちゃって良いかな?」

「勿論もちろん。お義父さんと飲むために買って来たんですから、飲みましょう、飲みましょう」

 ここまでスーパードライの大瓶を4人で6本、お義母さんと妻が1本、お義父さんと私が5本、うち3本はお義父さんで(友軍の実に巧妙な作戦遂行のお蔭だ)、私は2本くらいだろうか。しかしその差は僅かビール1本。お義父さんにとってはハンディにもならない。

 いつもの私なら、この辺りで既に怪しくなってきて、この先は何を飲んでも味も分からず、唯々深みに嵌っていくだけの筈なのだけれど、今日の私は、感覚としては全く素面(しらふ)と変わらない。

 私が1升瓶を取りに立ち上がろうとすると、妻が「いいわよ、わたしが取って来てあげる」と言って先に立ち上がった。それから食卓を一瞥してほぼ食べつくされた皿を確認すると、「何かちょっとつまむ?」と尋ねた。

 お義父さんが答える。

「おお、そうだな佳代子、今日畑で採って来たキュウリが冷えてるから。それと、こないだ取り寄せた、とっておきのこのわたが冷蔵庫にあるから、かあさんに言って出してもらってくれないか」

「分かった」

 妻が居間から出ていくと、入れ替わりに息子が、切り身になった桃を乗せた皿を持ってやって来た。

「おとうさん、ももたろうは、まだ、たねだったよ」

 私は思わず吹き出しそうになる。そうか、そうか、成程ね。

「ばあばが、『早すぎたのかな?』って、言ってた。そうなの?」

 お義母さんも話をややこしくする天才かもしれない。

「そうだね、まだ小っちゃかったから、早すぎたかもしれないなぁ。でも、桃太郎が入っていたら、桃、食べれないよ」

「そだね」

 思ったより簡単に納得した。ははぁ、さては、もう眠くなってきたな。ここまでのお役目ご苦労。君の奮戦のお蔭で、おとうさんは今日こそはじいじに勝てそうな気がするよ。

 お酒とおつまみを持った妻とお義母さんが居間に戻り、息子と3人で桃を食べながら、お義母さんが「お二人は、桃、如何なさいますか?」と尋ねると、お義父さんは「俺とアキラくんに一切れずつ、ぐい吞みに入れてくれ」と言った。

 お義父さんは、桃の入った大ぶりのぐい吞みを一つ私に手渡し、「アキラくん、これがまた美味しいんだよ」と言いながら、封を切った箱根山の最初の一杯を注いでくれ、自身のぐい吞みにも並々と注いだ。

「じゃ、アキラくん、今年の桃の初物に乾杯だ」

 さぁ、ここからが本当の戦いだ。負けられない戦いがそこにはあるのだ。

 私はぐい吞みの香りを確かめて、それからその半分ほどを喉に流し込む。舌の奥に乗った瞬間、軽くはあるが、フレッシュな桃の香りが鼻に抜け、何とも言えない爽やかな飲み口になっている。

「お義父さん、これ、いけますね」

 お義父さんはニコニコしながら「うんうん」と頷く。

 このわたをちびりと摘んで、これがまた美味い。このわたの辛みが残った舌で、薄味のキュウリの胡麻たたきが口の中をリセットしてくれて、ぐい吞みの残りを一気に空ける。

「お、アキラくん、今日は調子が良さそうだね」

 そして、ここからまた、お義父さんの面白うんちく話が始まった。

「桃は元々、中国原産の果物でね、不老不死の・・・」「日本書紀にあるイザナギ、イザナミが黄泉の国から逃げ帰る時、追ってくる魑魅魍魎に投げつけたのは、3個の桃で・・・」「桃太郎は桃から生まれていないのだよ。おじいさんとおばあさんが桃を食べて・・・」「現在の日本の桃は、明治期以降に入って来た西洋の・・・」「桃太郎の犬、サル、キジは悪霊若しくは悪鬼が『居ぬ』『去る』『来じ』って言われたりも・・・」

 そしていつの間にか、桃の話はモンゴル帝国の西進へと進み、中東の宗教事情になり、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の同根説から異端説に至り、ルネサンス、魔女狩りを経て、何故か明治維新の話へと。司馬遼太郎の功罪を語り、午後10時前の現在は何故か時の政権批判。

 政権批判、そこはスルー。

 そしてお義父さんは、一気に国の財政、税制問題をまくしたてると、一息ついてから一言。

「いやぁ、今日はよく飲んだ」

 ん?

 そして続ける。

「アキラくん、ワシは久しぶり酔っぱらったよ。もうこれ以上は飲めないなぁ」

 はい?

「アキラくん、やっと佳代子とのことを認められるよ」

 えっええー?

 『その時』というのは、こんなにも呆気なく訪れるものなのか。いや、訪れるものなのであろう。

 え、あの、お義父さん?そんなものですか?

 言葉が上手く出ない私に、お義父さんは右手で「まぁまぁ」という様な制止する仕草を見せると、急に背筋を伸ばして両手をテーブルに付いて深々と頭を下げる。

「アキラくん、佳代子のこと、これからも宜しくお願いします。勿論これまでもアキラくんには感謝しているんだ」

 これまで何度となくお義父さんとお酒を酌み交わして、こんなに頭がクリアなことは初めてな上、お義父さんのこのような言葉は予想だにしていない私だった。

 お義父さんは立ち上がり、ワザとらしく肩を揺らして酔ったふりをしているように見えたが、本当のところは分からない。

「今日は本当に楽しかった。孫にお酌してもらうのも良いもんだねぇ。それじゃ、ワシは先に休むよ。おーい、かあさん、今日はもう寝るぞぉ。布団敷いてくれぇ」

 奥の部屋から「はいはーい、もうお布団敷いてありますよぉ」と、お義母さんの声がした。

 私は居間を出ていくお義父さんの背中を見詰めながら「おやすみなさい」と声を掛ける。

 お義父さんの背中が、やけに小さく見えたのは、気のせいだろうか・・・。


 その後、私は食卓の皿と、半分ほど残った一升瓶を台所に運び、洗面所を借りて歯を磨いた。

 洗面台の鏡に映る自身の顔を見ても、やはり今日は酔っぱらった感じではない。

 離に戻ると、息子は既に夢の中、妻は何やら昔のアルバムらしきものを見ながら、「おかえりなさい」と言った。

「ああ、ただいま」

「なんか、あんまり嬉しそうじゃないわね?」

「そうかい?」

 私はハンガーに掛かった上着のポケットから煙草の箱を取り出して、網戸を開けると、そこにあったサンダルを突っかけて裏庭に出た。初夏の夜の風が少しひんやりとして心地よかった。

 月に照らされた畑の緑が、所々月明りを反射して、何とも幻想的な風景に見えた。

 妻も私の傍らに来て、一緒にその風景を眺める。

「子どもの頃はね、あたし、この田舎が大嫌いでね、早く出て行きたいってばっかり考えていたわ」

「そうなんだ」

「そう。でも、今はちょっと変わってきたかも。離れて初めて分かることってあるじゃない?」

「そうだね。何となく分かる」

「ほんと?良かった」

 私は煙草に火を点け、一服深く吸い込んでから、ゆっくり煙を吐き出すと、グラッと世界が歪んだ。

 それを見て妻が笑う。

「やっぱりちょっと酔ってるみたいね」

「少し酔ったかな。流石にね」

 そうは言ったものの、多分これは煙草のせいだ。

「さっきね、昔のアルバム見てたの。そしたらね、丁度今の私たちくらいの歳のお父さんとお母さん、それに子どもの頃のわたしが、TOKYOディズニーランドで写ってる写真があって、それを見てたら、何だか泣けてきちゃって。今でこそ、お父さんも陶芸で充分稼げるようになったけど、当時は多分、金銭的にはすごく苦しかったんだろうなぁ、それでもわたしがせがむものだから、結構無理して3人でディズニーランドに連れて行ってくれたんだろうなぁ、って、そんなこと考えてたら、何となくね・・・」

 そうなんだろうな、と私も思う。

 子どもの頃に分からなかったことも、今になって分かること、あの時の大人が言っていたこと、親が何を思っていたか、その大人や親と同じ年齢になって初めて気付く。

 そして、多分今もそうなのだ。

 私たちが、今のお義父さんやお義母さんの歳になって初めて、その気持ちに寄り添えるのかもしれない。

 それから半時程だろうか、妻と私は月夜の畑を眺めながら、我々の昔話に花を咲かせた。

 ほんの30年ほど前の昔話。

 そして、何とも心地の良いまま、ヘパリーゼを飲んで、床に入った。

 深い深い、眠りの中、私は夢を見た。


 最終夜

「昔々、或るところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

 ある日、おじいさんは裏庭にトマトとキュウリを採りに、おばあさんはスーパーマーケットにお買い物に行きました」

「それ、昨日のじぃじとばぁばじゃん」

 息子が嬉しそうに突っ込みを入れる。

「そっか、昔じゃなくて昨日だね。

じゃ、昨日、

おばあさんがスーパーマーケットでお買い物をしていると、果物売り場に、何やら大きくもない、かといって小さい訳でもない、中くらいの桃が『2個 1280円』と書いて並んでいました」

 息子は笑いを堪えて聞いている。

「おばあさんは『ちょっとお高いわね』と思いましたが、『でもマサキちゃんが来てるから、買って帰りましょう』と言って、その桃を買って帰りました。

 おばあさんは桃を冷蔵庫にしまって、おかあさんと一緒にお料理をしながら、おじいさんの帰りを待ちました。

 おばあさんとおかあさんがお料理をしている間、おじいさんはいつの間にか帰って来ていて、お風呂に入って、その後、マサキもおとうさんと一緒にお風呂に入りました。

 お風呂で、おとうさんがマサキに言いました。

『今日、金太郎はお酒を注ぐ係だよ。おとうさんに1杯注いだら、じぃじに2杯注ぐんだよ』

 金太郎は、あ、間違った。マサキは『分かった』と頷いたあと、訊きました。

『あれ?僕は金太郎なの?』

 おとうさんも訳が分からなくなっていて、マサキが金太郎なのか、桃太郎なのか、はたまたゆで太郎なのか、困っていました。

 するとおかあさんが言いました。

『そこは、ゆで太郎でしょ!』

 おかあさんの魔法で、マサキはゆで太郎にされてしまいました」

 息子はゲラゲラ笑っている。

 話としては、別に面白くも何ともないのだが、子どもにとってはツボがあるのかもしれない。続きを話すことにする。

「ゆで太郎になってしまった桃太郎で金太郎のマサキは、お風呂から上がると、おとうさんに言われた通り、おじいさんに2杯注いだらおとうさんに1杯だけ、おとうさんに1杯注ぐとおじいさんには2杯、お酒を注ぎました。

 ゆで太郎がお酒を注いでいると、おじいさんはみるみるうちに酔っぱらい、何だか随分楽しそうになっちゃいました」

 息子が笑い過ぎて苦しそうにしているところに妻もやって来た。

「今日も『新しい昔話』の続き?」

 息子が頭を振って「ちがうちがう」と否定する。

「今日は『昨日』のむかしばなし、だよ」

「???なに、それ?」

 私は「良いから良いから」と言って、妻にも息子の傍らに横になるように促した。

「随分楽しくなっちゃったおじいさんは、おとうさんにもお酒をどんどん勧めますが、ウコンの力を飲んでいるおとうさんは全く、ちっとも、これっぽっちも酔っぱらいません。

 おとうさんは思いました。『今日こそ勝てる!』『もう少し頼むぞ、ゆで太郎!』

 ところがゆで太郎はお腹いっぱいで、もう無理でした。

 それを見ていたおばあさんが、ゆで太郎に言いました。

『マサキちゃん、桃が冷蔵庫にあるから取りに行きましょう』

 ?

 あれれ?おとうさん、また間違ったかな?

 ゆで太郎に『マサキちゃん』っておかしいなぁ。

 マサキは、ゆで太郎?金太郎?桃太郎?

 まぁ兎に角、おかあさんからゆで太郎にされてしまった金太郎で桃太郎なマサキは、喜び勇んで台所に向かいました」

 妻も最初から聞いていた訳ではないのに、息子につられて笑い転げている。

「台所から桃を持って戻ったゆで太郎は言いました。

 『おとうさん、ももは大きかったけど、ちょっと小っちゃかったよ』

 おとうさんは笑いを堪えて言いました。

 『それは、中くらいって言うんだよ』

 ゆで太郎は『中くらい』を覚えた。レベルが1上がった。タラララッタタ―♪

 おばあさんも台所から戻ってきましたが、その手には大きな包丁が握られていました。

 包丁の刃が、キラリンッと光りました。

 それを見たおかあさんが叫びます。

『やめてぇ!』

 おばあさんはニヤっと笑うと、その大きな包丁で・・・桃を・・・丁寧に剥き始めました。

 綺麗に桃の皮をむき終わったおばあさんは、桃を切り分けて言いました。

『まだ種だったねぇ。もう少し待ったら、桃太郎になったかもしれないのにねぇ・・・知らんけど』

 ゆで太郎はちょっぴりがっかりしましたが、桃を美味しく頂いて、お腹いっぱいになって、離でぐっすり眠りました。

 じぃじも酔っぱらって、ぐっすり寝ました。

 ばぁばもお片付けをしてから、ぐっすり寝ました。

 みんなお腹いっぱいで、楽しい気分でぐっすり寝ました。

 そして次の日、ゆで太郎とお父さんとお母さんは、じぃじとばぁばから、裏庭で採れたキュウリとトマトとナスをお土産にどっさり貰って帰りましたとさ。

 おしまい」

「さっき食べた!」

「そうだねぇ。お母さんの作ったナス味噌とカプレーゼ、美味しかったよねぇ」

「あら、ほんと?嬉しい。生のバジルが無かったから、キュウリで代用のイタリア国旗だったけどね」

「さ、明日から学校だ。おやすみなさい」

「はーい、おやすみなさーい」

 妻と私は部屋の明かりを消して、もう一度息子に「おやすみ」と言ってから、部屋を後にした。



 リビングキッチンに戻って妻が言う。

「でも、あれよね。鬼退治に行って、お土産、キュウリとトマトとナスって・・・」

「いやいや、それだけじゃないさ。俺は、もっともっと沢山貰ってきたよ・・・」

 妻は私の言葉に少し考えてから、「そうよね」と笑った。

 

 



 おしまい


お読み頂き、ありがとうございます。

昔話(お伽噺)って、良く出来てますよねぇ。

昔の人のいろいろな知恵だったり、教えだったりが、

実はぎっしり詰まっていることに、大人になってから気付かされたりします。

そして、そんな昔話に限らず、大人になって気付くこと、知ることも沢山有って…。

では、また、別のお話で、お待ちしております。m(._.)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ