ループを繰り返した令嬢は、死の運命を回避するため家出を決意しました
世界は理不尽で出来ている。
そう知ったのは、確か三回目の時だった。
今が五回目で、最後を迎える瞬間でもある。
燃え上がる屋敷の中に一人、私は取り残されていた。
手足の腱を斬られた上で縛られ、身動き一つとれない。
地に伏している所為で煙も吸わないから、中々死ぬことすら許されない。
熱い。
痛い。
苦しい。
もう何度も……何度も味わってきた。
うんざりだ。
早く終わらせたい。
どれだけそう願って、涙を流したことだろう。
だけど、運命というのは残酷だ。
一人の願いなんて簡単には聞いてもらえない。
それどころか、望んでもいない力を無理やり与えられて……
「何で……どうして私に、こんな力があるの?」
疑問を口にしたところで、誰も答えてはくれない。
何も知らないし、気づきもしない。
教えても信じてはもらえないと、すでに経験済みだった。
ああ、痛みがなくなってきた。
意識も薄れて、何だかフワフワする。
ようやく死ぬことができる。
今度こそ安らかに、新しい生を宿して生まれ変わりたい。
そして目覚める。
私の身体に馴染んだベッドの上で、見知った天井が目に映る。
「……また、戻ってきてしまったの?」
六回目。
私は死に戻りを繰り返している。
十五歳の誕生パーティーの翌日。
それが今で、ここは屋敷の私の部屋だ。
窓の外を見なくても天気はわかるし、時計を見ればいつ頃にドアがノックされるかもわかっている。
三分後。
「そろそろね」
トントントン。
ドアをノックする音が聞こえる。
声を聞く前に、メイドだということも知っている。
「お嬢様、お目覚めでしょうか?」
「……」
「お嬢様?」
「ええ、起きているわ」
入室を許可すると、見慣れたメイドが顔を出し、挨拶をする。
「おはようございます。お嬢様」
「ええ」
「お食事の準備が出来ておりますが、どうされますか?」
「そうね。着替えたら自分で行くわ」
「かしこまりました」
彼女は一礼して、失礼しますと言い部屋を出ていく。
再び一人になった私は、大きくため息をこぼす。
そして、死の直前に浮かんだ疑問が、死に戻って改めて浮かぶ。
「どうしてこんな力が……あるのかな」
知ったのは当然、一度目を終えて二度目の時だ。
目が覚めると、私は見慣れたベッドにいた。
死んだはずなのにどうして、と最初は戸惑ったけど、すぐに過去へ戻ってきたのだとわかった。
ハッキリ言って、最初はすごく興奮した。
一度目の死に方が悲しくて、やるせない気持ちでいっぱいだったから、もう一度やり直せることに感謝すらした。
これは神様が私に下さったチャンスなのだと。
だけど、二度目も死んで、また繰り返して。
どう転んでも、私は死んで繰り返す運命にあるのだと知って、最後は絶望しか残らない。
考えて、悩んで。
結局私はそのまま着替え、朝食の席に向かった。
食堂には父と母、妹がすでに座っていて、部屋を訪ねて来たメイドも控えている。
「おはようございます。お父様、お母様」
「おはようアリシア。今日はいつもより目覚めが遅かったね?」
「昨日の疲れが出ているのよ」
上級貴族エールズ家当主レオナルド・エールズ。
その隣で微笑む女性が私の母、シェナード・エールズ。
私の両親で、とても優しい人たち。
そして、三度目の私を死に追いやった人たちでもある。
食事をしながら、お父様が言う。
「今度のパーティーはエルウィンが主役だ。アリシアを見習い、エールズ家の名に恥じない振る舞いをしなさい」
「はい!」
「良い返事だ。アリシアも、すまないが当日は支えてやってほしい」
「はい。お父様」
「お姉さまが一緒にいて下さるだけで心強いです!」
ニコニコと私に笑顔を向けるのは、エルウィン・エールズ。
二つ離れた可愛い私の妹。
そして、最初に私を殺した人。
「紅茶が入りました。お嬢様」
「ありがとう」
私の専属メイドの一人、アン。
小さい頃から一緒に過ごし、肉親を除けば一番心が近い友人のような存在。
だけど、五度目の私は彼女に殺されてしまった。
家族団らんの食事。
誰もが楽しそうに、当たり前のように過ごす日々。
私だけが知っている未来と、隠している本性。
この場にいる人は全員、私のことを殺したことがある。
そんな人たちと、私は普段通りを装って朝食を済ませた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝食を終えた私は、部屋に戻り考えた。
どうすれば死の未来を回避できるのか。
考えながら、これまでの失敗の記憶を思い出す。
一度目の未来。
死に戻りの力を知らなかった私は、何の不安も不満もなく日々を過ごしていた。
パーティーから一月後、そんな私に縁談の話が持ちかけられる。
相手は名だたる上級貴族、ダンデイン家の嫡男ウェールズ様。
家同士の関係は良好で、人当たりもよく、とても素敵な方だった……と、最初は思っていた。
縁談から約半年後に正式な婚約を経て、私はウェールズ様の屋敷に招かれ、一緒に暮らすこととなった。
幸せだった。
私のことを愛し、私も彼を愛していた。
だけど、近くに来てようやく知る真実もある。
ウェールズ様は……浮気性で、女癖が悪かった。
私の知らない所で、別の女性と逢引きしたり、口説いたり。
あろうことか、私の妹にまで手を出した。
最初は我慢していた私だけど、それを知ってしまった時を境に、ウェールズ様に追及した。
浮気のことや妹との関係を含めて、全て知っていると伝えた。
しかしウェールズ様は惚けて認めなかった。
だから私は、妹のエルウィンにも直接話をした。
きっとウェールズ様に騙されて、良い様に遊ばれているだけだと思ったから。
それは私の間違いだった。
最初に声をかけたのは、エルウィンの方だったらしい。
知ったのは死の直前で、彼女はギリギリまで知らぬ存ぜぬを貫き通した。
そうして最後に、本性を現した。
「お姉さまのことが邪魔だったんですよ? ずーっと、いなくなればいいって思っていました」
毒で苦しむ私に向けて、エルウィンが告げた一言。
ニヤリと歪んだ笑顔を……今でもハッキリ覚えている。
エルウィンは計算高く、嫉妬深く、卑しい性格なのだと知った。
私に見せていた笑顔は偽物で、可愛い可愛いと思っていた彼女なんて、本当はどこにもいなかった。
そして迎えた二度目の未来。
私は妹の本性と、ウェールズ様の真実を知っていた。
だから私は、ウェールズ様との縁談を断った。
これで死の未来は回避される。
後は妹、エルウィンと距離を置けば良いと思っていた。
しかし断ったことが良くなかった。
ウェールズ様の怒りを買い、彼が雇った暗殺者によって殺された。
まさかそこまでやるのかと驚きながら、胸から流れる血を押さえて静かに眠った。
三度目の未来。
二度の失敗を経て、私は深く悲しみ自暴自棄になっていた。
そんな私を心配してくれた両親に、私は真実を告げた。
今から思えば、本当に浅はかだったと思う。
ウェールズ様のこと。
エルウィンのこと。
死の未来と、繰り返していること。
それらを聞き終えた両親は悲しみ、同時に恐怖した。
私たちの娘は悪魔に取りつかれてしまっていると、両親は信じてくれなかった。
そのまま嘆き罵倒され、屋敷の一室に閉じ込められてしまった。
食事も与えられず、誰とも会わず。
衰弱して一人孤独に最後を迎えた。
それから四度目は、しばらく落ち込んで時間を過ごし、一度目同様にウェールズ様の家に入った。
入ってから、私は逃げ出した。
ここにいたら殺される。
だけど結局、逃げ出した先で盗賊に掴まり、散々辱められて……その後は覚えていない。
五度目は引き籠った。
誰にも会いたくないと、部屋から出なかった。
そんな私を最初に心配してくれたのは、メイドのアンだった。
彼女は小さい頃からよく知っている友人で、まだ一度も裏切られたこともない。
心が弱っていた私は、彼女にだけなら伝えてもいいかもしれないと、真実を話してしまった。
話を聞いたアンは私に提案した。
「私がお嬢様の代わりになります。そうすれば、死の運命を回避できるかもしれません」
その内容は、彼女が私と入れ替わって、私のフリをして生活するというもの。
無茶ではあったけど、容姿や背丈は近かったし、変装の魔導具もあったから、不可能ではなかった。
彼女は言った。
私が私のままでは、いつか同じ未来にたどり着く。
そうならないように、私が代わると。
初めて、ちゃんと私の話を聞いてくれて、考えてくれたことが嬉しかった。
だから私は、彼女の提案を受け入れた。
そして裏切られた。
身を隠す場所に案内すると連れていかれたのは、今は使われていない小さな屋敷だった。
そこに踏み入った途端に、彼女は忍ばせていたナイフで私を斬った。
手足の腱を斬り、動かない状態で転げた私に、彼女は下衆な笑みを浮かべていた。
「ずっとこの日を待っていました……」
「ど、どうして?」
「お嬢様は知りませんよね? 私が……あなたの両親に潰された貴族の娘だったなんて」
「え……?」
彼女は語った。
自分の過去を、その恨みを。
復讐する機会を窺い、この十数年間を過ごしていたことを。
「ありがとうございます。これで楽に、あの二人にも近づける」
「ま、待って!」
「さようなら。気の毒には……思いますよ」
私が連れてこられた屋敷は、彼女の両親が使っていた屋敷だったらしい。
彼女は私に成り代わり、屋敷に火をつけて去っていった。
きっとその後で、両親や妹を手にかけたのだろう。
みんな、一度は私を殺したことのある相手だ。
それでも、私の所為で殺されてしまうのだと思うと、罪の意識を抱かずにはいられない。
燃え上がる炎に包まれ、後悔しながら死んでいく。
「はぁ、はっ、ぅ……」
記憶に新しい絶望の光景が浮かんで、呼吸が荒くなる。
できれば思い出したくないことばかりだ。
だけど、思い出さずにはいられない。
考えなくては、また繰り返すだけなのだから。
「どう……しよう……」
五度の失敗。
それぞれに違う流れで、最後は誰かに殺されている。
ここまで失敗を繰り返すと、どうしたって無駄なように思えてしまう。
考えられる手で、残っているのは……
「自分で死……」
言いかけて、私は首を振る。
それは最後の手段だ。
怖いからじゃない。
もしも、それですら繰り返してしまうなら……本当に私の心は折れてしまう。
絶望をただ繰り返すだけになる。
悲しいことに、自死が心の拠り所になっていた。
「他に手は……他に……」
まだ試していない方法。
婚約を受け入れても死に、断っても死に繋がる。
真実を話しても、引き籠っても同じ。
逃げ出しても……
「違う」
五度の死の中で唯一、周囲とは無関係の死を遂げた。
逃げた先で悲惨な目には遭ったけど、可能性としては一番あったはずだ。
この家が、貴族令嬢という肩書が、死に近づいてしまっている要因ではあると思う。
だったらそれを捨てて、この家から離れよう。
でもきっと、それだけじゃ足りない。
だから私は決意する。
部屋の鏡の前に立ち、長く綺麗な金色の髪を見ながら。
「……女を捨てよう」
貴族であること。
女性であることを捨てて、男性のフリをして生きる。
そうして、私ではない別人になれば、死の運命を回避できるかもしれない。
逃げたその先で、幸せになれるかどうかはわからないけど。
少なくとも今、このままの未来よりはずっと良い。
それから私は、数日かけて準備をした。
どこまで逃げるか決めて、町や道順について調べ上げ、庶民の暮らしも頭に入れた。
生きていくために必要なお金も、自分の持ち物を売って集めた。
準備が整ったのはパーティーから十日後。
夜遅く、みんなが寝静まった頃に、私は長かった髪をばっさりと斬り落とした。
今の私と決別する意味と覚悟を込めて、平民男性の服装に身を包み。
「――さようなら」
そうして私は屋敷を出た。
身の凍るような寒い風が、冬の始まりを告げている。
とても寂しくて、冷たい夜だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
季節はめぐり、春の早朝。
小鳥の囀りが聞こえてのどかさを感じ、窓から差し込む陽気の温かさで春の訪れを感じる。
自分の体に馴染んできたベッドから起きた私は、大きく背伸びをして窓の近くに歩み寄る。
「んぅ~ 今日も良い天気だ」
風を感じ、清々しい気分を噛みしめる。
私は服を着替えて支度を整えてから、階段を降りて一階の台所へ向かった。
もちろん服は、男用の服。
先生はまだ起きていないらしい。
いつものことだけど、先生は朝が苦手だ。
と言ってもまだ朝も早い。
朝食の準備を済ませた頃には、ひょっこり起きてくるかもしれないと、半ば期待しながら料理をした。
始めたばかりの頃は不慣れで、よく指を切っていた包丁も、今ではそれなりに慣れてきた。
「よしっ」
朝食の支度は終わった。
時計を見て、先生の席を見る。
案の定、先生はまだ起きてこなかった。
「仕方がないなぁ」
そうぼやきながら、私は二階への階段をのぼる。
嫌々しているわけじゃない。
むしろ、起こしに行くこの時間は、ちょっぴり好きだったりもする。
トントントン――
「先生、朝ですよ」
返事はない。
これもいつも通り。
一回声をかけたくらいじゃ起きてくれない。
「入りますよー」
ガチャリと扉を開けて、ベッドに寝ているその人の顔を見る。
私よりも白い肌に純白の髪は、一目見た時に女性と間違ったほど綺麗だ。
何より寝ている顔が穏やかで幸せそうだから、こっちまで良い気分になる。
だけど私は、毎朝のように心を鬼にして呼びかける。
「先生、朝ご飯できてますよ」
「ぅ~ もうそんな時間なのかい?」
「はい」
身体を揺すってようやく目を覚ました。
眠そうに瞼をこすり、ゆっくりと重たい身体を起こす。
大きな背伸びと一緒に特大の欠伸をして、スッキリした顔を私に向ける。
「おはよう、アレン君」
「はい。おはようございます。レイン先生」
先生を起こした後は、先に私一人で一階へ降りた。
遅れて着替えた先生が降りてきて、一緒に食卓を囲む。
美味しそうな顔をして食べながら、先生は何気なく私に言う。
「今日も美味しいね」
「ありがとうございます」
「いや、お礼を言うのはこちらだよ。いつもありがとう、アレン君。私は物作りこそ得意だが、料理はからっきしだからね。君が来てくれて助かるよ」
「そんなっ! 感謝しているのはボクのほうです! 路頭に迷っていたボクを拾ってくれたから、今もボクは生きてるんです」
「はははっ、それは大袈裟だよ」
そう言って先生は笑う。
大袈裟……確かにそう見えるかもしれない。
だけど、私にとっては大袈裟なんかじゃないと思う。
家出をした私は、王都から遠く離れたこの小さな街リルドにやってきた。
お金も用意していたし、働く場所を見つけてるための準備をしていたけど、現実はそこまで甘くないと実感させられた。
用意した手は悉く失敗してしまったんだ。
今から思えば当然だ。
素性も知れない人を簡単に雇ってくれるはずもない。
そうして路頭に迷って、半ばあきらめかけていた私の前に、先生は突然現れた。
三か月前のことを、今でもはっきり覚えている。
今日のような晴れ晴れした日とは真逆の曇天。
暗い路地でうずくまっていた私に、先生は声をかけてくれた。
こんな場所に一人でいると危ないよ。
そうかそうか、行くところがないのか。
もしよかったらウチの御店に来てくれないかな?
小さなアイテム屋さんを営んでいるのだけど、一人で切り盛りするのは大変でね。
事情も深くは聞かず、先生は私を自分のお店に招いてくれた。
名前を偽り、性別を偽り、何もかも騙している私の言葉を疑わずに聞いてくれた。
それがどれだけ嬉しくて、安心したかを伝えられないのが心苦しい。
せめてもの恩返しに、私にやれることは何でもしようと誓った。
いつの間にか食べ終えた先生が、手を合わせる。
「ごちそう様。じゃあ私は、先にお店のほうを準備しておくよ」
「はい。ボクも片付けが終わったら行きます」
先生が先に部屋を出ていく。
私もせっせと朝食の片づけを済ませて、その後を追って家を出た。
お店は家の隣にある。
木造の喫茶店みたいにおしゃれな建物で、濃い茶色の木の看板には『マジックオーダー』とお店の名前が書かれていた。
玄関から入ると、カランカランとベルが鳴る。
「アレン君だね」
「はい。ボクは店先のお掃除をしてきますね」
「頼むよ。終わったら商品の整理を手伝ってもらえると助かる」
「わかりました」
掃除道具を持って私は店先へ再び出る。
使い古された箒で玄関の前を掃いていると、ふとお店の看板が目に入った。
マジックオーダーと聞いて、最初に何を連想するだろう。
このお店では、魔導具からポーションまで様々なアイテムを販売している。
街の人たちからは、困った時の何でも屋さん、と呼ばれていたりもした。
一番の特徴はこのお店で売っている商品は全て、先生が自らの手で作った物だということ。
そう、先生は魔導具師だった。
「すごいなぁ先生。魔導具師なんて王都でも数えるくらいしか聞かないのに」
そう言って、感心しながら思うことがある。
先生は一体、何者なのだろう。
私のことを先生が知らないように、私も先生のことを知らない。
このお店はいつから経営していたのか。
その前はどこで何をしていたのか。
私を見つけてくれたのは……本当に偶然だったのか。
聞きたいことはたくさんあって、知りたいと思う気持ちも本物で。
だけどそれを聞いてしまったら、今の関係が壊れてしまうような気がするから。
私は感じた疑問をそっと胸にしまい込んで、掃除を終えた。
「先生、終わりました」
「ありがとう。じゃあこっちも手伝ってくれるかい?」
「はい」
棚に並んだ商品を綺麗に並べ直す。
小瓶に入ったポーションは割れないように丁寧に。
魔導具も、効果別で探しやすいように並べていく。
見習いになったばかりの私には、ここにある商品のほとんどが新鮮で、手が届かない代物だ。
でもいつか、先生のようにいろんな物を作れるようになって。
そうして先生の役に立ちたいと思う。
どれだけかかるかわからないけど、時間をかけられるということは、私にとっては幸福で――
カラン。
「ん? お客さんかな?」
「みたいですね」
まだ開店時間には早い。
時折来る急ぎの要件なのかもしれない。
「アレン君」
「はい」
作業の手を止め、私が応対に向かう。
「いらっしゃいま――」
最後の一文字を詰まらせた。
そこに立っている人たちを、私は知っていたから。
いいや、正確には一人だけだ。
私が顔と名前と、性格も含めて知り尽くしている人物が……二度と会いたくない人物が、目の前に立っていた。
「ウェールズ……様?」
「おや? 僕の名前を知っているとは感心だね」
さわやかに笑う彼に、思わずぞっとする。
忘れるはずがない。
忘れたくても、忘れられない結末が脳裏に過る。
「ん? うーん……君は……」
彼は顔を近づける。
しまったと、今さら思っても手遅れ。
思わず名前を声に出してしまったことも相まって、疑われているに違いない。
私が誰なのかを。
「君、名前は?」
「ぼ、ボクはアレンと言います」
「アレン……そうか、ならば違うな。少し似ているが、青年とあらば人違いだ」
私は心の中でホッとする。
どうやら人違いで納得してくれたらしい。
今の私はちゃんと青年に見えているみたいだ。
あれ、でも待って?
何でウェールズ様はここに来たの?
「あ、あの……どのようなご用件でしょうか?」
「用があるのは君にじゃない。レイン殿を呼んできてくれないか?」
「は、はい」
先生に用事?
浮かんだ疑問の答えを探す様に、先生の所へ向かう。
先生は変わらず商品の整理をしていた。
そこに話しかける。
「先生、その、先生にお客様です」
「私に? 誰だい?」
「えっと……ウェールズ・ダンデイン様、です」
私が名前を伝えると、先生の表情が少しだけ強張ったように見えた。
でもすぐに普段通りの穏やかさを取り戻して、作業の手を止める。
「わかった。すぐ行くよ」
私は先生の後ろをついていく。
変に目を合わせないよう、背中に隠れながら。
玄関へ向かい、先生とウェールズ様が顔を見合わせる。
「おお! 貴方がレイン殿かな?」
「はい。この店の主レインです」
「お初にお目にかかる。僕は由緒正しきダンデインの家名を持つ者、ウェールズ・ダンデインだ」
「王国の貴族様ですね? そんな方がわざわざ何用でここに? 私のような一介の商人に御用があるとは思えませんが」
ウェールズ様が小さく笑う。
「ご謙遜なされるな。王国において……いや、貴族や王族で貴方のことを知らぬ者はいないよ。元宮廷魔術師にして、王国最高の魔術師と謳われた貴方を……」
「元……宮廷魔術師?」
またしても、思わず声に出てしまった。
それにウェールズ様が反応する。
「おや? 君は従業員なのに知らないのかい? 彼ほど優れた魔術師はいないよ。戦闘においても、技術面においてもね」
「……」
凄い人だとは思っていた。
けど、そんなに凄い人だったなんて予想外すぎて、声もでない。
「その様子じゃ本当に知らなかったようだね」
「今の私は、ただの店主ですよ」
と、先生が口を開く。
「王国とも関係ありません。ですので、用件が国のゴタゴタならばお引き取りください」
「いや違う。依頼はあるが、それはあくまで個人としてだ」
「個人ですか」
「ああ、実は探してほしい人物がいてね」
ドキッと、嫌な予感がする。
いやいっそ、予感ではなく確信だろう。
「私の縁談相手、婚約者になるはずの女性が行方不明になっていてね? 名前はアリシア・エールズという。そう、ちょうどそこの彼のように綺麗な金色の髪をしている女性だよ」
指をさされて焦る。
出そうになった声を、必死に抑え込んで平静を装う。
やっぱり、私を探しに来たんだ。
「人探しであれば、私でなくともよかったのではありませんか?」
「何を言う。貴方に任せれば確実であろう? 宮廷付き時代、賊の潜伏先を探し出し、古代の秘宝すら容易く見つけ出した貴方の魔術なら。逃げた女一人くらい、簡単に探し当てられるであろう?」
「……わかりました。居場所を見つければいいのですね?」
「ああ。どこで何をしているのか、教えてもらえればそれでいいよ」
ど、どうしよう。
話が進んで、私は一人焦る。
先生に私の正体がわかってしまう。
嘘をついていることが知れてしまう。
ウェールズ様に見つかれば、私はまた繰り返す。
あの悲劇を……死のループを。
「アレン君、準備を手伝ってくれ」
「……」
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
また死ぬの?
せっかく逃げて来たのに、最初に戻されるの?
「アレン君? アレン君?」
嫌……嫌だ嫌だ嫌だ。
もう死にたくない。
殺されたくない。
一人になりたくない。
焦り、不安、恐怖……絶望。
負の感情と記憶が頭の中を支配して、現実から目を背けてしまう。
聞こえてない。
何も、誰の声も聞こえない。
そんな私の肩を――
「アレン君」
先生は優しく、支えるように掴んだ。
「先……生」
「大丈夫。私に任せなさい」
「え?」
それって、どういう……
「準備を手伝ってくれるかい?」
先生は普段通りに落ち着いた顔で、私に呼びかけてくれた。
もしかしたらと、期待が一瞬浮かぶ。
不確定な予想でしかないけど、先生の言葉を信じたいと思った。
「……はい」
だから私は答えた。
先生に言われた通りに準備を手伝う。
水晶と、赤色の布。
占いでもするかのような装いに、ウェールズ様が尋ねる。
「この水晶は特別な物なのかな?」
「いいえ、これはただの水晶です。相手を映し出すための媒体でしかありませんよ」
「ふむ、よくわからんが、それで居場所がわかるのだな」
「はい。少しお待ちください」
そう言って、先生が水晶をじっと見つめ、両手をかざす。
淡い紫の光を水晶が放ち始めたのは、その直後のことだった。
綺麗な光……でも怪しい光。
先生が魔術を使う所を、今になって初めて見る。
「――わかりました」
先生の声にぴくっと身体が反応する。
「ほう! もうわかったのか? さすがであるな」
先生……
「で、どこにいるのだ?」
「……」
「どうした? もったいぶってないで早く教えてくれたまえ」
先生は口を噤んだまま、難しい顔をする。
そしてゆっくりと、その口を開く。
「大変申し上げにくいのですが、その方はもう亡くなっております」
「なっ……」
え?
「死んでいる……だと?」
「はい」
「どういうことだ?」
「言葉通りです。死因こそ確定はできませんが、おそらく事故でしょう。ですので、申し上げ難いですがと前置きをしました」
「な、なんと……」
虚言。
先生は嘘をついた。
それが嘘だとわかるのは、この場で私と……先生だけだと思う。
「……仕方あるまい。邪魔をしてしまったな、レイン殿」
「いいえ、お力になれず申し訳ありません」
「いや、わかっただけで十分だよ。料金はあとで家の者に送らせる。では失礼するよ」
「はい」
ウェールズ様はさっさと店を出てしまった。
二人だけになる。
いつも通り……にはならない。
少し気まずい雰囲気のまま、先生が言う。
「アレン君、今日はお昼まで臨時休業にしよう」
「え?」
「色々と、話したいこともあるだろう?」
そう言って先生は微笑む。
ようやく確信した。
先生は……全て知っているんだと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
お店は臨時休業。
札を掛けて、私たちはリビングの椅子に座る。
向かい合い、テーブルには紅茶のカップが置かれている。
互いに無言のまま時間は過ぎた。
「あの……」
自分でも不思議だ。
最初に静寂を破ったのは、自分の声だった。
「先生はその……知っていたんですか?」
「何をかな?」
「……ボクが、いえ私が誰なのか。隠していることも……」
「うーん、そうだね。君が女性で、元貴族の令嬢で、悲しい運命を背負っていることは知っているよ。君の想像通りさ」
「そう……ですか」
じゃあ本当に、先生は知った上で私を匿ってくれたの?
ウェールズ様の話が本当なら、先生はとても凄い人で、私の秘密なんて簡単に暴けたはず。
あの時だって、探し人はここにいると、言えばよかったのに。
「どうして……助けてくれたんですか? あの時も、今も」
「それについては先に謝っておくことがあるよ」
「え?」
先生は改まって言う。
「私はあの日、偶然君を見つけたわけじゃない。知っていたんだよ……君のことを、君があそこにいることをね」
「し……っていた?」
「うん。君と出会う前に知っていた。私と同じような境遇の女の子がいて、苦しんでいると」
「――!?」
知っていたという言葉より、その後のセリフが頭で弾けた。
同じような境遇と、先生は言ったのだ。
「先生は……一体」
「私もね? 君のように繰り返しているんだよ」
「っ――先生も?」
「うん」
衝撃を受けた。
信じられないと思いながら、信じられてしまう同じ境遇。
繰り返す。
人生をループする。
「私の場合は死がトリガーではないけどね。今から約二年後、ある日を境に戻されるんだ。宮廷付き時代まで」
「そんな……どうして」
「わからないよ。色々と調べたけど手詰まりだった。そんな折に知ったんだ。自分と同じ人がいることをね」
それで……先生は……
「私を見つけて、助けてくれたんですか? 同じ境遇だから」
「うん。君のループの原因……死を回避すれば、この現象にも終わりが見えるかもしれないと思ったんだ」
「そう……ですか」
あれ?
ちょっとだけ私、ガッカリしてる?
「ただ、もちろんそれだけじゃないよ」
先生は続ける。
私を優しく見つめながら。
「同じ境遇がいることは……私にとっても救いだった。話したところで理解は得られない。この苦しみは、孤独は、知る者にしか理解できない。ずっと……寂しかった。君もそうじゃないかい?」
「私は……」
そうだ。
私も……寂しかったし、辛かった。
誰も味方はいないと知って、孤独に押しつぶされた。
「そんな時に知ってしまった。自分を理解できる人がいるかもしれない。その人も苦しんでいて、潰されそうになっているかもしれない。だったらもう、助けずにはいられない。手を伸ばさずにはいられない。私の苦しみを理解できるとすれば、君だけであるように。君の苦しみを理解してあげられるのは、間違いなく私だけだから」
「私を……先生はわかってくれるんですか?」
「ああ、私はわかるよ。その孤独も、寂しさも、後悔も」
理解してくれる。
同じ気持ちでいてくれる。
それはもう、諦めてしまっていたことだった。
だけど――
「今さらだけど、改めて言うよ。一緒に、幸せを探そう。君は生きて良いんだ」
先生は、ほしい言葉をくれた。
ずっと心のどこかで、誰かにそう言ってほしかったんだ。
生きていても良いよと。
運命からはまるで、お前は死ぬべきだと言われているようにさえ思っていたから。
その一言がどれほどほしくて、嬉しかったか。
「は……い、はい」
涙が止まらない。
止め方を知らない。
何度も流したはずの涙が、今は少しだけ温かく感じる。
これがそう……うれし泣きというものか。
六度目にして、ようやく知った。