夜明け
傾き砂に埋もれながらも聳え立つ塔には入口はなく、外壁を少し登った先にある窓から入るしかなさそうだった。僕は何度かの滑落を経て窓からの侵入に成功し上へ上へと登っていく。
壁には時折いくつかの絵画が掛けられていて、在りし日のこの世界の様子を窺い知ることができた。かつては緑あふれる栄えた都に建っていたこの塔は、大きなお城の一部だったらしい。
そしてこの塔には二人の姉妹が暮らしていた。仲睦まじく肖像の中で並んでいる姉妹は歳こそ離れているものの瓜二つで双子のようだ。二人とも美しいブロンドで瞳は翠眼、背の高い子は少し気の強そうな顔立ちをしていて、小さな子はなんとも柔和な顔立ちだ。
僕はその二人の姿を見て、胸の奥がチクチクと痛むのを感じる。何故かはわからない、わからないがとても胸が痛んだ。
この世界に何が起きて、このように荒れ果ててしまったのか……この子達は何処へ行ってしまったのだろうか……
絵画の列が途切れると、僕の脳裏に浮かんでいた美しい世界にも終わりが訪れる。階段が尽きる先には暗い暗い夜空が広がっていた。もう屋上まで登ってきてしまっていたのだ。
傾いていて立っていると少し眩暈のようなものを感じる屋上には、一つの石碑が建っていた。何のための石碑かは僕にはわからない。何か文字が掘ってあるように見えたので僕は少しずつ近付いていくと、突然僕の意識とは無関係に身体が動き始めた。
僕は石碑の前に跪いて、背負った麻袋から何かを取り出す。それは花束だった。その白い小さな名も知らぬ花を石碑に捧げる。多分だが、これは誰かの墓碑なのだろう。僕には誰のものかはわからないが……夢の中の僕は知っているようだった。
空が少しずつ白んでくる、もう夜明けが近いのだろう。目的を果たし危機も去る、僕の役目も終わりなのではないだろうか……そう考えていた時だ。どこから声が聞こえてくる。
――会いに来てくれたのね……
君は……
――思い出せなくてもいいの、あなたに会えただけで私……
僕は君に……
――また会えるから……必ず……どこか違う時代……違う世界で……
待って!待ってくれ!君は……!
――また私を見つけてね……そして私を……
夜が明け朝日が昇る、蠢いていた影達は何処かへと消え地上にはただ砂煙が舞うだけだった。
そうして僕は目覚めた、姿なき彼女との約束を残して。
「ふぅ~ん……それで結局誰だったの?」
「わからないよ、声だけしか聞こえなかったし……心当たりは全くないね」
この夢の顛末は以上だ。結局沢山の謎を残したまま終わってしまったが……話を聞いていた沙樹もまるで意味がわからないと言った様子で、話し終えた後そそくさと朝食の片付けをはじめてしまった。
まあ、結局は夢の話だ。荒唐無稽なものであって意味など持たないはず。ただ僕は最後に彼女と交わした約束だけがどうしても胸に引っ掛かっていた。
「お兄ちゃん?そろそろ出掛けよう、デートだよデート!」
「はいはい……デートね」
沙樹の身の回りの物を買い足すために買い物に行く約束をしていたのだが変な時間に寝起きしてしまったせいか、少しだけ眩暈がする。買い物は明日にしたいところだが沙樹が嬉しそうにはしゃいでいる姿を見ていると言い出せそうになかった。
支度を整えマンションを出る、雲一つ無い快晴で春先にしては暖かく花や緑の香りが漂ってくる、これから本格的に春がやってくるんだな。
「お兄ちゃん!はやくはやく!置いていっちゃうよ~」
そういってこちらを見ながら駆け出す、マンションの敷地の外はすぐ車道になっているので不用意に飛び出すと危ないんだが……沙樹に声を掛けようとした所で僕の心臓が跳ねた。
車がきている。
「沙樹!危ない!」
「えっ」
僕は咄嗟に沙樹の手を掴んで引き寄せた。ただ僕の足下が覚束なく、沙樹と入れ替わるように僕は車道へと投げ出されていた。
そうか……いつか……君とどこかで……
――――リュウ?大丈夫?
誰だろう……僕を呼ぶのは……
――――リュウ!起きて!
「んぁ?」
「リュウ!ずっとうなされてたのよ?悪い夢でも見たの?」
「あぁ?うーん……クロエ……?」
「そうよ、しっかりなさい」
僕は目が覚めるとクロエに膝枕をしてもらっていた。うなされている僕を心配して傍についていてくれたらしい。
あの夢はいつかの僕だったのだろうか。違う世界、違う時代の僕……前世の記憶が戻ってからというもの錯綜する前世の記憶に呑み込まれてしまいそうで恐ろしい。
そういえば夢で見た肖像画はクロエによく似ていたな、もしかすると僕は違う世界でクロエと何か約束をしたのかもしれない。
「――というわけなんだ、夢でみた絵にクロエそっくりな子が描いてあって、多分あの声はクロエだったんじゃないかと」
「ふーん、で……何を約束したか憶えてる?」
「最後の方は声が途切れ途切れで……何の約束かクロエは憶えてるかい?」
「さぁね、知らないわ。貴方が自分で思い出すまで私も思いだしてあげないから」
「えぇ……意地悪しないで教えてよ。気になるじゃないか」
「こういうのは女の子の口から言わせるものじゃないのよ!貴方が自分で思い出して?そして約束を必ず果たして頂戴ね」
そう言ってクロエは僕の額に口付けた。
彼女との約束か……僕は必ず思い出す、そしてもう忘れない
何度生まれ変わっても