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雪が降る

作者: 小雨

目を覚ますと壁掛け時計が 6:30 を指していた。どっちの 6:30 だろう…とちょっと考えて、夜勤明けだった事を思い出した。

ということは、おそらく 18:30 の方だな。

ひどく寒い。

窓の外を見てみると、雪がちらついていた。

僕は少しの間、見慣れた風景が白く染まっていく様を見ていた。


夜勤明けで帰ってきて眠ると、起きたときに非常に体が重い。やはり人間の体は、昼間起きて夜眠るようにできているのだろうか。

どうやら風邪をひいてしまったようでもあり、体が少し熱っぽかった。

今日からの三連休が風邪で潰れてしまうかもしれないことを思うと、僕は悲しい気持ちになった。

起きたときに、いつも喉がカラカラになってしまっているのが嫌で、僕はいつも小さな机の上にブラックコーヒーを置いて寝るようにしている。

机の上に無数に置かれているボトル缶の中身を手探りで確認すると、どれも空のようだ。

そういえば今日は、新しいボトルを置き忘れていたような気がする。

しかたなく起き上がってメガネをかけ、水を飲みに洗面所へ行った。


洗面所に行くと、父親が髪の毛を整えていた。父も夜勤明けだったため、眠そうな顔をしていた。僕と目が合うと、話しかけてきた。

「今ナリサちゃんの結婚相手の人が挨拶に来てるから、奏太もちょっと顔出しな」

そういえば、下の階から話し声が聞こえている。母と祖母が談笑しているようだ。

「でも俺ヒゲそってないしなぁ…行かないほうがよくない?」

「部屋に髭剃りあるだろ。もういい歳なんだから、ちゃんと顔出せよな」

「りょうかい…」

僕はしぶしぶ頷いた。あぁ…もうちょっと寝ていればよかった。

僕はこういうシチュエーションが結構苦手だった。

基本的に親戚付き合いがあまり得意ではなく、めったに会わない人々と何を話していいか分からなくて黙って座っている…ということがほとんどである。

そして、不幸な事に親戚は多い。


ナリサちゃんというのは僕より八つ年上の親戚のお姉さんで、三姉弟の次女だ。

小さい頃はよく遊んでもらった。

昔は「男になりたい」などと言って、一人称が「ボク」だったが、さすがに今はそんなことはないようだ。語学が堪能で、よく海外に旅行している。


この家の三姉弟とは家も近く、一時期一緒に住んでいたこともあり昔は仲が良かったが、大人になるにつれ、あまり会わなくなってしまった。

そういえば、一緒に住んでいたんだなぁ…。

小学校低学年の頃だったろうか。その時期の事はおぼろげにしか覚えていないが、当時の僕には一緒に暮らしていた理由は知らされていなかったように思う。

まだ妹が生まれる前で一人っ子だった僕は、姉や兄ができたみたいで単純に嬉しかった。


三姉弟の長女はかなり変わっているところがあった。どこか人とは違う価値観の中で生きているというか、ずれているというか、天才肌というか。絵を描くのがものすごくうまく、美大に進学した。

卒業後は芸術家になるだろうと思われていたが、美大卒業後にごく普通の男性と結婚して一児の母となった。平穏な結婚生活を送っているらしいが、彼女が結婚できたこと、彼女と結婚生活を営むことができる男性が存在したことに関して、周囲の関係者各位はかなり驚いたそうな。


一番年下の長男は、その当時小5だったにもかかわらず、中学生のような体格をしていた。

フランケン呼ばわりして、よく泣かされたのを覚えている。

彼は当時は歳相応の活発な子で、一緒に新聞紙を丸めてチャンバラごっこをした。

小1の僕は叩きのめされっぱなしだった。

当時の記憶はおぼろげだが、あの悔しさは覚えている。

去年の正月に久しぶりに会ったら、ヒゲを恐ろしく伸ばしていた。そして、寡黙な人になっていた。


三姉弟に共通して言えるのは、頭が良くて若干変わっている、ということだ。

天才と変人は紙一重か。



三姉弟の父親は、アルコール依存症だった。


父親は看板屋を営んでいて、一時期かなり羽振りのいい時期があったそうだ。その際事業を拡大しすぎたせいで失敗してしまい、いくつか工場をたたむことになってしまったらしい。

彼は優れた職人ではあったが、経営者ではなかった。全てを失わずに済んだのは、不幸中の幸いか。

それがきっかけで酒に溺れるようになってしまったらしい。


アルコールに支配された父親は、家族に暴力を振るうようになった。


三姉弟もそれを免れる事はできなかった。


後に聞いた話だが、三姉弟を庇った母親の耳を噛み千切ったことが、僕が三姉弟と一つ屋根の下で暮らすことになった原因だったらしい。


一度だけ、家に怒鳴り込んできた父親を覚えている。雪の降る、寒い日だったように思う。

母親に、二階に上がっていなさいと言われ、ストーブの炎しか明かりがない暗い部屋で、僕たちは息を殺して震えていた。

普段テレビゲームをしているにぎやかな部屋だったのだが、その日の部屋の雰囲気は様変わりしていた。

階下から怒鳴り声が聞こえてくるたび、僕たちは縮こまった。

どのくらいの時間そうしていたのだろうか。顔を腫らした僕の父が、部屋の扉を開けた。

その時階下で何があったのかは知らないが、三姉妹の父親は何故か僕の父親のことを「アニキ」と呼ぶようになった。


結果的にアルコールは、父親の体に歩行障害を引き起こした。

父親の暴力は、止まった。




僕は覚悟を決めてヒゲをそり、居間で新婚カップルと向かい合った。


ナリサちゃんは、八歳年上の男性と結婚した。

お腹の中にはもう新しい命がいて、11月に出産予定らしい。

ナリサちゃんはキレイな人で、身長も高い。いわゆるカッコいい女性だ。

旦那の方はどちらかというと冴えない中年男性、といったルックスだったが、僕は見てくれの価値観を乗り越えているカップルが好きだった。

出産予定月を聞いて、祖母が「それまでは生きてなきゃねぇ」なんて言っていた。

これは彼女のお決まりの台詞で、かつて「奏太が大学入るまでは生きてなきゃねぇ」「奏太が成人するまでは生きてなきゃねぇ」「〜卒業するまでは〜」「〜就職するまでは〜」などと、さまざまなバージョンがあった。

ちなみに現在は「〜結婚するまでは〜」のようだ。おそらくその次は「〜ひ孫が〜」だろうが、果たしてこれは見せられるかどうか。


晩御飯に寿司を取ったらしい。すでに皆食べ始めていた。起きてこなかったら僕の分まで食べてた、などと恐ろしいことを誰かが言った。


旦那さんはいい人そうに見えた。やはり何を話していいか分からなくて黙って座っている僕にも、気を使って色々話しかけてくれた。

普段なら逆に鬱陶しく感じるところなのだが、話がうまいのか、彼と話す事は嫌ではなかった。

何を聞かれてもうまい具合に切り返し、話を膨らませていく。頭のいい人という印象を受けた。会話に困ったときは互いにフォローしあい、いい夫婦だなと素直に思った。


帰り際、車に乗り込むナリサちゃんと目が合った。

何か言ってあげたいな…言葉を探して目が泳いだ僕に、ナリサちゃんは照れくさそうに微笑んだ。

結局僕は「おめでとう」とだけ言って、微笑を返した。


雪の中遠ざかる車を見ながら、僕は彼女の幸せを願った。



あぁ、どうやら本当に風邪を引いてしまったようだ。

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