第9話『よくわかる きょうかの やみ』
用意したのは純正な〝氷雪の法衣〟という青いローブ。
そして、魔法使いの攻撃力の要ともなる知力を一定量上昇させる〝知恵の書〟と呼ばれるスクロールアイテムを十個。
「成功率はぴんきりだけど、今回は100パーセントのモノを使うよ」
「はい、了解です!」
「まずは装備とスクロールを格納。リスト表示されたアイテムから〝知恵の書〟を選択してね」
ヴェは言われた通りに操作する。
すると、強化する事が可能な装備が一覧となって表示された。ここからは指示がなくとも直感で理解が出来たらしい。
一覧から〝氷雪の法衣〟を選択して、使用と書かれたボタンを押す。中毒性のある心地よい効果音と共に、知力の能力が付与された。残りの九個も、同じように使い切った。
「おおお……!」
「そう。ここまではいいかな? 装備によって強化出来る回数が、スクロールの成功確率によって能力の伸び幅が変わるから、気を付けてね」
しかし、ヴェは不審に思った。強化はあまりにも単純で、世界の闇を感じ取る事は出来なかったからだ。
「これで終わりですか?」
「何を言う……。これは前戯に過ぎぬ……。まだ強化は始まってすらいない……」
「ぜんぎ?」
「じ、準備運動みたいなもんだ! さぁ、次だ次だっ」
*
二年前、あるシステムの実装によって、この世界のバランスは壊れた。それはもう、繊細な硝子細工を、床に叩きつけるかのように。蟻の行列を、足で踏みにじるかのように。
それが〈スター・エンチャント・システム〉――文字通り、星の数だけ強化が出来るシステムだ。
通常のスクロールによる強化を終えた装備を、さらなる高みへと導く〝制限のない強化〟――。
それにより、この世界の人間の能力は果てしない域まで暴騰した。実装当初、未だ闇を知らず、力に対して貪欲であった者たちはみな、歓喜に満ち溢れていた。当時、十数人での討伐がやっとだったレイドクラスのモンスターは、一人の戦士の一振りの剣撃で沈むようになり。それが問題視され、新たに追加されたモンスターはそのインフレに合わせた調整をされているため、生半可なプレイヤーでは体力を削る事すらままならず、攻撃がかすれば即死する。
「そう……世はまさに、大課金時代ッ! ……を迎えたんだ」
「課金、ですか……」
「まぁ、習うより慣れたほうが早いよ。〝星の書〟っていうアイテム持ってない?」
「あ、あります」
この追加強化を行うためには、〝星の書〟と呼ばれるスクロールアイテムが必要だ。
世界中、ありとあらゆるモンスターが「課金してね!」と言わんばかりにぼろぼろと落とすこのアイテム。そのアイテムを選択すると、先程と同じように使用可能な装備がリストアップされる。
「なんだ、成功確率100パーセントじゃないですか」
「うん……とりあえず使っちゃえ」
強化が成功すると装備名の後ろに黄色い星の印が付与され、装備の能力がまんべんなく上昇する。
続いて二枚目を貼ろうとしたところで、ヴェはその手を止めた。気付いたらしい。成功確率が90パーセントになっていることに。
少し躊躇いがあったものの、貼り付ける。成功した事を伝える効果音に、ヴェはホッと胸をなでおろした。そして三枚目。成功確率、81パーセント。これも成功した。
「そこらで止めとくと良いよ。星の強化は、付ければ付けるほど成功確率が減ってくんだ。そして失敗を引くと、問答無用で装備破壊。前の確率から一割を引いた数値が次の成功確率になる。だから四個目の星を付けられる確率は73ぱー、その次は66ぱー、その次は……あれ、いくつだっけな……」
「……破壊を防ぐ方法はあるんですよね?」
「もちろんあるよ。一回千円になりまーすっ!」
「課金か……」
この話は多くの初心者のやる気を削ぐため、あまりしたくなかった。それでも、いつか知る事になるのに変わりはないのだから、早いうちに知っておいた方がいい気がした。それで、この世界から去る事になってしまっても、それはこの世界のクソ運営が招いた結果であって、一人のプレイヤーに過ぎない自分にはどうしようもない事だった。
「この世界で強くなるには、膨大な時間を掛けて金策をするか、札束の力で手っ取り早くぶんなぐるかのどっちかしかない。まぁ、どんなネトゲもそんなもんだけど。そしてあたしは後者。汗水垂らして得た金を、ドブに流し込んでるの……。この前だって……なけなしの給料をぶちこんで……結果は変動なし……ふふ、笑えるでしょ。ふふ、ふふふ……」
その声に、生気は宿っていない。噴水の前に座り込んで、地面に「くそげー」と指で描きながら言った。たかが数万では、もはや能力は伸びるかも分からない、そんな世界に自分はいる。《ミルキーカフェ》の遥華もそうだ。たぶん二人の累計課金額を合わせれば現実でそこそこの一軒家とか買えると思う。そんなことに嘆かないからこそ、この世界で生き続けているのだが。
「課金しなければそこそこ可愛い彼女と付き合えてる自分もいたのかな。七色の光が彩る夜のプールで、華奢な身体つきをした、扇情的な水着の彼女とイチャついて、その日を明かすような、考えられない別の未来が待っていたのかな。でもなぁ、もう閉じ込められちゃってるしなぁ。……いやいや、そもそも三次元には興味ないと、高校のときに誓ったのを忘れたのか。今更になって何を嘆いているんだ自分は。でもあの時少しゲームから身を置いて、青春の風が吹く部活に所属して、彼女作って同じ大学を一緒に目指して、同じサークルで新しくできた友達とバカ騒ぎして、号泣せずには居られない卒業式を迎えて、今ごろ新しい家族のために貯金しながら、円満な家庭生活を――……」
「ああっ、メルトさん戻ってきて! 闇に飲まれてる!」
「ふぁっ……! と、とにかく! うぶ……この強化システムのせいで能力値は爆発的に伸びたの! ちょっと見ててっ!」
……はて、これを他人に見せるのはいつ振りだろうか。
そんな事を心の中で考えながら、靴を履き替えた。見た目は変わらない。栗色に染色した、悪魔のブーツだ。
目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をしながらしゃがみ込み、地面に手を添える。買い物に一喜一憂する人々の声を小耳に挟みながら、精神を集中させていく。流れる時間が、次第にゆっくりとなり、一点に纏まっていく。
「とうっ!」
気合の入った掛け声。それと同時に、周囲には暴風と砂埃が舞いあがる。
「あれ……メルトさん?」
ヴェが気づいた時には、その場には誰もいなかった。周囲を見渡すが、今まで目の前で話をしていた人がどこにも居ない。飛んだと思って空を見ても、太陽の光が遮ってよく見えない。
「わぁぁぁぁぁっ! ちょっと高すぎぃぃぃぃ!?」
一方その時、自分は激しく後悔しながら絶叫していた。
西陽が地平線を照らす雄大な景色を、恐怖に満ち、白目を剥き出しにした顔で眺めながら、以前飛んだ時のコトを思い出していた。
今はむかし、ギルドの中に悪ノリで高跳び大会を開いたアホウがいました。周りが反対する中、挑発を受けた自分はそれを受けて立ったのです。当時から負けず嫌いでしたから。もはや最初から決勝戦だったその大会で、二人同時に飛び立って――。そして途中で気づいたんです。誰が結果を判定するの、って。そのまま仲良く地面に墜落して、虚しい決勝戦は幕を閉じたのでした。
……で、今履いている靴は当時のそれよりも、強い。
重力こそ地上と同じく空気もあったが、景色はどうみても宇宙だった。綺麗だなあ。そのまま落下の慣性に身を任せ、考えるのをやめ――なかった。一瞬の閃きが、頭を横切ったのである。
「そっ、そうだ! せめて足から落ちれば地面に埋もれる事はないハズ!」
重心が頭部にあるようで、力を抜くと身体は頭を下にして落ちていく。なんとかそこを踏ん張って、強引に姿勢を整えようとした。しかし物理演算のシステムもしつこくて、無理矢理にでも自分の頭を地面に埋めたいらしい。
「チッ、こんにゃろ言う事を――ってあら? あらぁぁぁ――!?」
必死に空で踠くうちに、計算がおかしくなっちゃったようで。突として自身の身体は回転を始め、頭が下を向くたびにその速度を増していく。
「いやいやいやいやいやいや! それはまずいってぇぇぇぇ! やめて吐く! マジで吐く! だれかたすけてよぉぉぉぉ!」
自業自得たる悲痛な叫びは誰の耳に届くこともなく、虚しく消えていくだけだった。
また一方、ひとり地上に残されていたヴェは、噴水に腰をかけながらぼうっと空を眺めていた。既に待つこと一〇分。
「メルトさんどうしたんだろう……。落ちちゃったのかな……?」
落ちちゃった、と言うべきか、今も墜ち続けている。そのことにヴェは気付いていない。
「親分っ! あれなんだッ!? なんか降ってきやすっ!」
近くにいた柄の悪いプレイヤーが驚いた声を上げながら空を指をさすので、それに従って天を仰ぐと、いつの間にやらそこに居た。
あまりにも高いところから、高速回転しながら飛来する赤い物体。あの高さで、それをひとだと知覚できる者は大方この場から去っており、周囲は困惑し、ざわつき始めた。
「――ぁぁぁぁぁあああああッ!」
だんだんと、クレシェンドのかかっていく悲鳴。かと言って、誰かが助けるでもなく。そして逃げようともしない。人々はただ茫然と立ち尽くしながら、噴水に巨大な水柱が上がるのを見届けていた。
「えええー……。メ、メルトさん大丈夫!?」
真っ先に我に返ったヴェは、慌てて噴水を覗き込み、噴水の底に頭から突き刺さる自分に声をかけた。
「屈辱だ……」
「はい?」
「水面に叩きつけられた上、水底におもいきり顔をぶつけるなんて……屈辱だ……」
ヴェは力なくぽつぽつと呟く自身の様を見て、これが強化の闇か、と思い知らされたであろう。
走ろうとすれば壁や人に衝突し、少し強めにジャンプをするとロケットのように打ち上がる。機動力があり過ぎると、この世界では生きていけない。そこに居合わせた人々に、身体を張ってそれを伝えたのだった。
*
「で、各装備に付与された星の数の平均が6個を超えれば初級者は卒業よ! 中級者――エピック・クラスのプレイヤーである証として、自分の名前の横に〝青星〟がくっ付くのだ!」
「メルトさんの赤い星はその上のランクって事ですか?」
「うむ。13個を超えればマスター・クラスである〝緑星〟に、23個を超えるとレジェンド・クラスの証である〝赤星〟が付く。あと、武器に限っては星をつけるとその数に応じた色のオーラを纏うようになる。他人の強さを見分けるなら大体星の数が指標になるってわけ。ちなみに〝赤星〟に到達してんのはあたしと《ミルキーカフェ》のリーダーだけだよ。まぁ、これから増えてくと思うけどね」
自身が〝赤星〟に到達するのには、それはもう莫大な金が溶けていったものだ。一つの装備に星を23個付けるのに最低20万円はかかり、それを十五ヵ所。靴だけは少し控えめというか、これ以上強化する気が起きないゆえ、実際はもっとかかっているに違いない。現段階で靴以外の全ての装備に星を最低28個は付けている。
その全てを現金で解決したわけではないが、それまで蓄えていた資金はほとんど使い切った。
「〝緑星〟にでもなれれば、現状実装されてるレイドボスは全部倒せると思うよっ。そっからは、自己満足って言われてるなぁ」
「なるほど……頑張ります!」
「さてと、じゃあ買った装備は全部強化しちゃうか」
震えた手付きでヴェに渡す装備を強化していく。視界はぼやけ、微かに曖昧な意識の中で生活するのが当たり前になりつつあったため、危なっかしさはあるものの操作を間違える事は無かった。完成した装備一式は星の数こそ少ないが、今よりはだいぶマシのはずだ。
それらをすべてヴェに渡し『露店街』を後にしようとした時、自身の元に一通のメッセージが届いた。差出人は先程別れたばかりのユズだった。
「ちょいと待ってね」
ヴェにそう言い受信箱を開き、ユズから届いたメッセージを展開する。
『一度決闘をしてほしい! 〝転移門〟の前で待ってるぜ!』
メッセージは短く、用件のみが綴られていた。
決闘というのはプレイヤー同士で戦闘するコンテンツだ。
勝者には〝デュエルポイント〟なるものが加算され様々なアイテムと交換出来る。しかし大した景品がない為、参加する者は互いの実力を試すといった目的である事が多い。
それを読むなり、胸に微かな躍動感が迸る。口の端が思わずつり上がってしまう。強くなりすぎた結果、これまで誰にも決闘を挑まれず、日頃から退屈していたのだ。
そんな時に売られた喧嘩、受けて立たないわけがない。
『すぐいく!』
そう返事をして、ヴェと共に『露店街』の入口へと向かった。