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第8話『マーケットでの出会い』

 大陸の街に設置された〝転移門〟を潜ると、アバターは『ワープゲート』なる宇宙に浮かぶ巨大な基地を連想させるパイプ状の空間に伝送される。全体が浅い海のように青い、無重力空間だ。ここからでは壁や天井のようにも見えるところも実際は一つの足場であり、黄色や薄みどり色をしたランプが明滅を繰り返している。窓のような場所を覗き込むと、広大な宇宙の中に、青い月と地球のような星が鮮明に見える。

 その場所の足場には、ところどころ穴が空き、光が渦を巻いている箇所がある。それぞれが大陸上の各街に通じていて、人々の移動手段として役に立っている。

 中には自分で歩くと(のたま)って、広大な世界をその足で移動する物好きもいるのだが。


 人々がアイテムの売買を行う『露店街』は、『ワープゲート』を通じてのみ来れる場所の一つだ。どこを見渡しても折れた世界樹は見当たらないし、大陸から遠く離れた別の空間だと言われている。


「さてさて、手頃な装備はあるかねぇ」

「どのエリアに行くんですか?」

「装備を探すなら南がいいよ!」


 この世界の人口は、二年前を境に大きく減少した。それでもなお、この『露店街』をゆっくり見てまわるのには半日は要する。それだけ広大な場所だ。

 それゆえ、人々の間で街のどのエリアでは何を売るか、大まかな取り決めをしているのだ。もちろんそれは義務ではないため、他のモノをついでに売っている者もいれば、位置取りのために取り決めを守らない低俗な者もいる。

 そして〝転移門〟から最も近い街の南部では、主に装備品を売る者が集まっている。


「そんな決まりがあったんですね……。この前一人で来た時は知りませんでした……」


 一通り説明を聞いたヴェはそう言って肩を落とした。


「なぁんだ、もう来たコトあったんだ」

「はい……。ちょっと普通の回復薬じゃ物足りなくなったんですよね」

「確かにそろそろそんくらいの頃かぁ。ちなみに調合ポーションは街の西側だよぉ。でも金あんの? いくら薬といえど物価のインフレがひどいからな……」

「はは……。実は、まったく……」


 モンスターが落としたり、依頼(クエスト)でもらえる報酬のゲイルは昔から変わっていないというのに、貨幣の価値は下降を辿る一方だった。新たにこの世界に降り立った人間にとって、それがどれだけ辛いことか。低レベルでも扱えるアイテムは需要もなく、供給も少ない。見つけたとして、買えもしない。

 生産職の集まる組織が、策を講じているとはいえ、序盤ほど苦労するというおかしな構図が、この世界では出来上がっていた。


「あれ? ヴェくん発見! 偶然!」


 南部に向かっているとき、正面から現れた名前に見覚えのある女性が声を掛けた。


「あ、ゆずさん!」

「……知り合い?」

「はい。このギルドに入る前に知り合った方です」

「はいどーも! ゆずです!」


 短く纏められた青い髪と首に巻いた黄色いマフラーを風に揺らしながら、溌剌(はつらつ)とした挨拶とともに敬礼するのは、〈ユズ八〉という名の女性だった。


「……ゆずはち。たしか《ミルキーカフェ》のメンバーの」


 ヴェが目の前にいるというのに演技を忘れ、敵意を剥き出しにしながら言ってしまった。

 ギルド《ミルキーカフェ》――もう一人の〝赤星〟が率いる、絶対に敵にまわしてはならない最強の集団。そのメンバーを、長年この世界で生きてきた自分が知らない筈もない。



「ゆずはちじゃない! ゆずはだよ! そういうあんたは巷で話題のメルトさんじゃないの。顔赤いけど酔ってる?」

「よ、酔ってねえっ! 体質だっ!」

「あはは、小動物みたいで可愛いー! ヴェくんと買い物?」

「は、はい。ぼくの装備を新調してくれるみたいで……」


 ヴェは少し遠慮がちにそう答えた。それを聞いたユズはどこか嬉しそうな様子で、うんうんと頷いた。


「そうかそうか! うちらと一緒だね、こっちは帰るとこだけど。ほら、くーちゃんも挨拶して」


 ユズの背後に隠れていた少女がおどおどした様子で顔を出す。〈くーりん〉という名前の魔女っ娘だった。背丈よりも大きな杖を抱えながら、儚げのある姿を見せる。彼女もまた《ミルキーカフェ》のメンバーだった。


「ヴェさん、は、はじ、はじめまして……。メ、メルトさんっ。そのせつは、どうもお世話になりましたっ!」

「へっ」


 急に感謝されて、思わず変な声を上げてしまう。彼女のような初々しい赤毛の魔女っ娘と、関わった記憶がない。なんて惜しいことをしたんだ。連絡先の一つくらい聞いておけよと、過去の自分を呪った。


「あれま、くーちゃんはメルトさんと知り合いなんだ!」

「あ、あのっ……。し、知り合いといいますか……。さばくみたいなところで、メルトさんが集めてた蜂さんたちをふっとばしてしまいまして……。ごめいわくを、おかけして……ぐすっ」


 次第に語気が弱々しくなっていくくーりんを、ユズは慌ててなだめる。そのやり取りを尊い気持ちで眺めていると、飛んでいた記憶が、まるで原動力を取り戻した電球のように、ふっと蘇った。


「ちょっとメルトさん! なに乙女を泣かせてんの!」

「えっ、今の俺――じゃなくてわたしのせいなのっ!?」


 納得は出来ないが、この世界の向こう側で涙目になっているであろう女性をほうっておく訳にもいかず。

 周囲のプレイヤーの視線も集まりだしたので、必死にくーりんの髪を撫でたりした。おそらく、それ自体に意味は無かった。



 *



「ヴェさんっ! わ、わたしも、あなたと同じくニュービーなのです。お、おたがい、がんばりましょうねっ……?」


 ようやく落ち着きを取り戻したくーりんは、上目遣いでヴェにそう言う。

 ヴェは胸を押さえながら膝をつき、見えない矢を受けたような声を上げた。


「グァァ……!」


 少し心配な事がある。いつか彼は心臓発作で萌え死ぬんじゃないか。ユズは困惑し、くーりんは半ば怯えた様子で、それを見ていた。仕方ない。彼にはまだ早いと思ったが、事実を教えてやるしかないらしい。


「ヴェくん。見かけに騙されないで。あいつら《ミルキーカフェ》の加入条件――それは〝主婦である事〟だから……」

「えっ? そうなんですか!?」

「うん。……だからちんちくりんなあの子も現実では――」

「あああっ! や、やめっ、それ以上言わないで! 男の夢を壊さないでぇ!」


 ヴェは耳を塞ぎながら、嫌だ嫌だとのたうち回った。耐えるのだ、少年よ。


 実際、それが彼女たちのギルドが最強と言われる所以(ゆえん)である。

 暇を持て余した主婦たちは、そこらの学生よりも恐ろしい。ことネトゲにおいて、無職ニートは時間こそが武器となり、社畜たちは金を武器にして生きている。しかし主婦のネットゲーマーは、その両者のメリットを兼ね備えていると言っても過言ではない。こんなこと主婦に言ったら怒られそうだが、ぶっちゃけ家事なんてすぐ終わるし、子育ても小学校入学まで凌げば多くの時間を持て余すようになる。

 そんなプレイヤーが集結してるのが《ミルキーカフェ》だ。普通なら、ネットゲームやってる女の子とか女性というのは男たちに囲われ、そしてレアアイテムとか課金アイテムとかを貢がれる。いわゆる〝姫プ〟というやつだ。姫プレイ。

 でもこの世界の男たち、どうやらちゃんと学習能力はあるらしい。《ミルキーカフェ》の女性陣は恐ろしいらしく、よもや誰も囲おうとしない。「男子禁制」なんていう、生易しい言葉で表せるものではない。どちらかというと「頼むから女性だけでやっててくれ」というか、そんな感じに思わせるだけの恐ろしさが、彼女たちにはある。



「ははっ、その加入条件はマナーを重視するための建前みたいなモンだよ。あたしだってまだ二十四だしね」

「ババアじゃん……」

「おい今、何か言ったか」

「い、いえ、何も」


 ここが殺害(PK)禁止区域である『露店街』で助かった。

 ユズはニコニコと笑っていたが、その向こうから溢れんばかりの殺意が見て取れる。もしこれが一般フィールドだったら、それはもう、とても大変な目に遭っていたに違いない。

 さすがにこんな事で犯罪者である〝赤字〟になるのはリスキー過ぎるが、相手は《ミルキーカフェ》のメンバーだし、装備の強化はともかくレベルはメルトよりもひとまわり高い。

 とにかく何をしてくるか分からない。女性って怖いんだよ。ヴェくん。


「それに、ここにいるくーちゃんもまだ学生だよ。あたしよりずーっと若いんだから! うぅ……いいねぇ。あたしも若かりし頃に戻りたいよ……」

「あ。あ、あのっ……、はいっ……」


 くーりんはユズのノリについて行けずに頭をぺこぺこ下げていた。会話もぎこちなく、まだこの世界に慣れていない様子だった。彼女はまだお姫様としての資質があるようだったが、それもいつまで保つだろうか……。


「……あー、そうだそうだ。どっかでヴェくんが着けれる魔法使いの装備見てない? 探してるんだけど……」


 助け舟を出すというわけではないが、何だか居た堪れなくなってしまい、話題を変える事にした。

 いつまでも世間話をしていては、手頃な価格で買えるものも買えなくなってしまう。資金に余裕こそあれど、節約出来るならばそれに越した事はない。


「あたしは七時二〇分エリアで買ったよ」

「わかった、サンキュー。それじゃ、またいつか会おう」

「ふふ、はいよ!」


 ユズたちと別れ、半ばそこから逃げるように、装備を探しに向かった。


「な、何だか……すごいですね……あの人……」

「メルトさんの事? そりゃまぁ、有名な人だからねえ」

「ほ、ほんとに……この世界に住んでる人みたい……」

「ははっ、それ本人の前で言ってみなよ。きっと喜ぶから!」


 そんな自分たちの背を見送りながら、ユズとくーりんはそんな言葉を交わしていた。



    *



「メルトさん、さっき言ってた〝七時二〇分エリア〟って何ですか?」


 街中に出された様々な露店を物色しながら、ヴェは尋ねる。

 自分も横目でそれらを見ながら、おぼつかない足取りで進んでいた。人が多すぎてよくぶつかりそうになる。まっすぐ歩けよこいつら。


「ああ、マップを見てみぃ」


 意識を向けると、視界の死角となる位置からゆっくりとエリアマップが映し出される。

 ここ『露店街』は環状の公園のような場所だ。中央には噴水があって、この周囲には出店できないため集合場所として利用される事が多い。


「七時二〇分――よーするに、マップの形を時計に見立てて、短い針がその時間を指した位置の事だよ。方角で言えば……、ちょうど南西くらいかな。そのへんを物色すれば装備があると思……っ、う」

「な、なるほど……」


 途中で吐きそうになるのを抑えながら説明した。


「お、あれかな?」


 視線の先には、いかにも魔法使いっぽい装備が並ぶ店があった。やはりと言うべきか、商人ギルドの誰かの店だ。収益度外視と言えるような破格で低レベル装備が並んでいる。初心者を助けたいという気持ちがひしひしと伝わってくるラインナップだ。このレベルの装備だと転売しようとする輩もいないんだろうか。

 他のどの店もそうだが、店主の眼差しは冷たく、視線はロボットのように微動だにしない。


「ど、どれも高いですね……」


 並んだ装備に手を添えると、詳細な能力値や設定された価格が表示される。これが高いと言えるのが、初心者プレイヤーの可愛いところであり、辛いところでもある。それでも彼らも商売だから、そこは譲り合いだ。


「ほい購入、ほい購入、ほい購入、ほい購入、購入、購入、購入、購ヒぅっ、購入……」


 とりあえず売られている装備を買い占めた。

 購入された装備は、自身の所有物としてカバンの中に格納されていく。ヴェは唖然とした面持ちで、その様子を見ていた。

 品物を完売した店主は、店と共に何処かへと消えてしまった。


「え、え……? 今の方はどこに?」

「店を出してんのは人間じゃない。本人に似た身代わりロボットみたいなもんだよ。たまに、自分で売ってるヤツもいるけど、そういうのは時間を無駄にしすぎだ」

「え……じゃあぼくがこの前、店の人に無視されたのって……」

「それはたぶん、洋服屋でマネキンに話しかけるのと同じだよ。よかったね……頭おかしい人として、晒し者にされなくて……っ」


 平静を装って助言した。口元を強くしめながら、笑いを堪えるのに必死だった。

 購入した物を整理する為、街の中心部にある噴水広場へと足を運ぶ。自分たちの他にも、似たような目的の者や、誰かと待ち合わせをしているような者もいて、なかなかに賑やかだ。さすがは世界で一番人が集まる場所なだけはある。


「なんか、すいません……。たくさんお金を使わせてしまったみたいで……」

「二千万ゲイルなんて大した額じゃないからだいじょーぶ」

「ぼくにとっては大金ですよ……」

「まぁまぁ、今からヴェくんには強化の仕方を教える。ある程度、自分の力で装備を何とか出来るようにするためにね」

「はい! ……メルトさん?」


 自分が浮かない表情をしている事に、ヴェは気づいたらしい。それもそうだ。この先に待つ〝制限のない世界〟――聞こえはいいが、かつて60万人もの人々が一堂に会していた美しき世界を、一夜にして消した闇のシステムである。


「先に言っとく。装備の強化ってのはね……この世界の、闇なんだ……。二年前、《シード》というゲームを終わらせた……最悪のシステムがあるんだよ……」

「そ、そうなんですか……」

「暗黒面がおぬしを見ておる……。覚悟はあるか? 闇に触れてもなお恐れず、この世界を愛し続ける覚悟は……?」


 随分と大袈裟だな、と内心思いつつも、ヴェは「もちろん!」と返事をした。

 それが〝制限のない世界〟へと足を踏み入れる、第一歩だとも知らずに。蛮勇だな。しかし未知に対して貪欲な姿勢、嫌いじゃない。彼の覚悟を認め、静かに頷く。


「では、強化を始めよう――」


 その宣言と共に、暗黒の儀式は始まった。

 自分の瞳は(すで)に光を失っていた。

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