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第6話『世界は少しずつ動き始める』

 唐突にぶたれた額を抑え、唖然としながらその少年を見ることしかできなかった。アリスも同じく、事態が飲み込めず硬直してしまっていた。


「なんで……? なんでオマエがここにいるんだ?」


 怒りに満ちた眼差しを向ける少年の名は〈神聖竜ネヴァ〉――まだ自分が中学のとき、《シード》の世界に降り立った時に創った、最初の分身。

 その姿には竜の要素も神聖さの欠片もない。あまりに色々と失敗し、神聖どころか闇が深すぎるため、アカウントごと乗り換えたのが、今のこのアバターだ。


「アリスっ! 気をつけろ! そいつは俺じゃないッ!」


 まったく、その通りだ。自身の心を代弁するかのようにネヴァは言った。


「は? はぁ!? それはこっちのセリフだぁ! て、てめェなぁに勝手に人の黒歴史にログインしてくれとんじゃぁぁ!」

「何言ってやがるこの犯罪者ッ! クソ野郎、オブラートに包まれて死ねや!」


 ネヴァが暴言を吐きながら押し倒してきた。しかしこちらも負けじと押し返す。頬を引っ張り、暴言を吐き、傍若無人に殴り合う。

 突如目の前で勃発した取っ組み合いに、アリスはすっかり混乱していた。互いが互いを偽者と言う。しかし両者ともに真っ当な生き方をしてきたか、武器を取ろうとはしない。そんな場所で唯一の武器になるのは言葉である。


「このクソ野郎! アカウント返せよクソ!」

「はぁぁぁ? おめぇが言うなよクソ!」

「だって装備……。装備に、いくら注ぎ込んだと思ってんだよ……うぇぇぇーん!」


 酔っても酔っていなくても、互いの語彙力にはさほど大差が無いらしい。しまいには、ネヴァの方は泣きだした。声は泣いているが、涙は流れない。

 この世界で泣くには、〈泣く〉というエモーション・スキルを使わなければならないのだ。ちなみに使うと三秒間だけ目から滝のように謎の液体が流れ出し、足元に水たまりを作る。身体に回転をかければちょっと宴会芸っぽくなる。

 

「マジ意味わかんないんスけど。これマジ通報モンじゃないッスかぁ」


 対するこちらは心の古傷を(えぐ)られる程度のダメージしか受けていない。いや、結構痛いけど。


「もういいッ! お前じゃ話にならん。サブリーダー達を呼べ……! 緊急会議だ……」

「てめーもしかしてメンバーの誰かかぁ? なんで緊急会議の存在を知ってんだ?」


 ギルド《ビヨンド》における緊急会議――〈サドン・ミーティング〉と呼ばれるそれの多くは、単なる暇つぶしである。仲の良いメンバーを集めて、テキトウに世間話をするだけ。

 他者とメンバーとの間でトラブルが起きた際、多少会議っぽい事をする時もあるが、ギルドとして半ば恐れられているため大抵は相手の方が引き下がる。だが、この事態が緊急会議の案件になる事には誰もが頷いた。


「今ログインしてんのはぁ……、鳴雷(ナルカミ)とユッキーか……まぁいつも通りだな……。待ってろー。今呼ぶぅ……」


 世界のどこかに居る二人のサブリーダーに連絡を入れた。緊急会議はギルドハウスのロビールームで行うことになった。事情を聞いたサブリーダーたちは、すぐにギルドハウスへと駆けつけてくれた。

 ロビールームはハウスの一階にある、受付のようなレイアウトの部屋だ。普段は誰もいない寂しい部屋だが、革のソファや植木が置かれていたり、中々本格的な場所である。部屋の隅にはエレベーターや階段の入口があり、各階に用意されたメンバーたちの部屋への移動手段となっている。


「で……メル――メルトさんがいつも通りログインしていたら、何者かにサブアカウントを乗っ取られたと……」


 確認の意味も込めてそう尋ねるのは、〈空鳴雷電(そらなきらいでん)〉――鳴雷と呼ばれる赤髪の騎士だった。彼はクールな性格で、品格のある騎士の服を着ている。いわく〝赤星〟に最も近い男。ギルドで二番目に強い〈魔法騎士(ルーンナイト)〉だ。


「違うッ! 俺が本物だ! これが偽者!」


 必死に反論しながら、ネヴァがこちらを指差す。偽物と言われるよりも、これ呼ばわりされることのほうに腹が立った。


「んだとこらぁ!」

「ふ、二人とも落ち着けよ……」


 再び始まろうとする取っ組み合いを止めるだけの勇気を、アリスは持っていない。彼女は冷静沈着だからといって、物事をテキパキと解決できるわけではない。


『二人とも自身が本物だと主張するなら、簡単に判別する方法があるだろう』


 誰もが混乱している中、その様子を落ち着きのある様子で、ソファに寄りかかりながら傍観していたユッキーこと、〈雪月〉がチャットを用いて言った。

 ユッキーは防毒マスクを身に付け、リクルートスーツのようにも見えるフォーマルな黒服をびしっと着ている。腰には金の装飾が施された黒い刀を携えており、小さな手で鞘を撫でていた。ネヴァと同じく全身を黒で統一しているが、痛々しい雰囲気までは真似できていない。頭上に現れるピンク色の可愛らしい吹き出しが全てを台無しにしている。

 彼女もこの世界において上位に君する実力者だ。しかし人と話すのが苦手なのか、普段からキーボードで会話に参加している。もちろん強力なモンスターに挑む際はこちら側に潜ってくるのだが、意思の疎通がしにくいのがもどかしい。


『本人しか知り得ない事を、質問すればいいだけ』

「あっ、確かに!」


 どうしてそんな簡単なことに気付かなかったんだろう。そもそも自分が本物なんだから、そんな発想に至らなかったのかもしれない。ネヴァも同じことを思っているのだろうか。だとしたら相当、頭のおかしい人だ。鳴雷は呆れ果て、溜息を吐いた。


『例えば、年齢』

「「二十五(にじゅーご)」」


 何のためらいもなく答える。ここにいるのは皆親しい間柄の人間だし、例えそれが仮想世界だけでの繋がりだとしても、年齢くらいは教えられる。

 しかしネヴァも同時に答えた。どこまで自分のことを知っているんだ、こいつは。もしかしてストーカーなんだろうか。そもそも、異なるヘッドギアでログインしようとすると、アカウント情報の他にも本人確認が必要になるはずだ。それで用いられているセキュリティに脆弱(ぜいじゃく)性があったなんて聞いたこともない。というかそれは世界規模で大変なことになる。


『じゃあ、初体験の年齢』

「「…………」」

『あっ答えたくないかな(笑)』

「てめぇ絶対煽ってるだろ! 悪いか、未経験者で! 俺は純潔だああああ!」


 ネヴァがユッキーに怒号を飛ばす。しかしその言葉、そっくりそのまま自分も言おうとしていたことに驚きを隠せなかった。しかしこれはチャンスだ。長年、チャットバトル――つまりはただの口喧嘩で培ってきた常套句を使う時機が舞い降りた。


「論点をすり替えてるあたりが怪しいよねぇ……。みんなぁ分かっただろ? こいつが犯人なんだよぉ……。やべ、気持ち悪くなってきた……」

「そもそもお前はなんで酔ってんだ! あ、もしかして酔った勢いでアカウントの入力間違えたとか? 入ったのが最強のアカウントだったから落ちたくないとか! そうなんだな!」

「んな奇跡的なミスあるかーっ! 誰なんウブッ――誰なんだ……お前は……」


 吐きそうになるのを抑えながら、ネヴァに罵声を浴びせ続ける。制限のない世界で繰り広げられる制限だらけの――ようするに語彙の足りない口論は、周囲の制止を無視しながらしばらく続くことになった。

 そして一時間以上に及ぶ問答の末、決定的な発言をしたのはこちらのほうだった。


「しつけぇなぁ……。もういいよぉ! オレの名前はぁ……舞島 (みつる)ッ! 彼女いない歴いこーる年齢の、社畜だよクソがぁぁ!」


 涙目になりながら放つ渾身の自己紹介は、部屋中に響くと同時に場を凍りつかせていた。本名を堂々と公表するのは初めてだが、悪用されることはないだろうし、別にもういいや。


「なん……だと……?」


 ネヴァはそれを聞いて、信じがたい事実を突きつけられたかのように硬直してしまう。


『言いやがった(笑)』


 すごく楽しそうで、それでいて煽りの混じるユッキーの発言を無視すれば、その場は何とも気まずい雰囲気に満ちている。


「……決まりだな」


 うん、と納得した面持ちで頷く鳴雷。何に納得してるんだこいつ。

 ネヴァは、それでも事実を受け入れられないらしく、こちらの両肩を強く掴み、そして尋ねた。


「お、お前の一番好きな食べ物は……?」

「な、何だよ急に……。うーん、カレーかなぁ?」

「お前は、隠してるけど実はロリコンか……?」

「はぁ?」


 縋りつくように問うネヴァの表情は深刻さを帯び、冗談で自身につるんでいる訳では無い事はひしひしと伝わっていた。

 そもそも、その問いの答えはキャラクターの風貌を見てしまえば一目瞭然である。ネットゲームのアバターには自身の理想、あるいは異性への願望が、どことなく映し出されるものだ。


 朱色を基調とした騎士のドレス。それを纏うのは、赤い瞳を備え、シルクのように軽やかな金髪を垂らした華奢な少女。


 ああ、どう見ても俺はロリコンだ――。


 しかし今はそれどころではないらしく、ネヴァは肩から震える手を離し、頬をつねったり引っ張ったりぎゅうぎゅうしたりしながら、やがてこちらを凝視して、問う。


「お前は……。お前は、俺なのか……?」


 先ほどから聞いていれば、互いの内情は、耳を塞ぎたくなるほどに一致していた。かと言って、そんな素っ頓狂な質問に「そうかもね」なんて答えられるわけがない。しかし断固として違うと言えなかったのも事実であり、自分は何も答えられず、黙ってしまった。


 ネヴァは力なく、その場に崩れた。

 仮にそうだとするならば、俺は一体だれなんだ。現実世界では奴隷のように仕事をし、唯一の生き甲斐であった《シード》の世界では、別の自分がいて。だとしたら、これからどこへ行けばいいんだ。誰と遊んで、何をして過ごせばいいんだ。

 脳裏には、ある光景が浮かび上がる。職場の錆びた鉄格子。何かの拍子にそれが外れ、窓に開く、大きくて暗い穴。


「待て」


 トーンの強いアリスの声で、ネヴァは我に返った。それは彼にとって救いのような言葉だった。


「今日の会議は終わりだ。鳴雷、ユキ、今日はありがとう。少し席を外してほしい」

『え、なんで?』

「すまない。ちょっと心当たりのある事があってな、少し三人だけにして欲しい」

「……詮索はしないでおくよ。話が纏まったら教えてくれ。俺だってこのギルドのメンバーなんだ。仲間外れはゴメンだぞ」

「ああ、ありがとう」


 サブリーダーの二人は、納得こそいかない様子だったが、部屋を後にする。アリスの発言の意図を理解できる者はいなかった。


「さて、メルト。一つ確認を取りたいんだが、……ログアウトって出来るか?」

「ふぇ? あぁー……。やろうとしたけど出来なかったんだよなぁ……ヒぅッ、あのぉーあれよ、あれ。なんかボタンがあれなんらよぉ」

「ふむ……」

「待て待て待て! 今の『あれ』の応酬で通じたのかッ!?」


 絶望に打ちひしがれていたネヴァも、あまりの強引なやり取りに思わず突っ込みを入れてしまう。


「うっせーニセモノ」

「なんかそれすげぇ腹立つんだけど!」


 アリスのわざとらしい咳払いが、再びピリピリとしだした雰囲気を払拭する。


「……おそらく、メル――ネヴァ君の考えている事は、正しい」

「な……」

「メル――メルト君は、この世界――《シード》に精神ごと幽閉された可能性が……高い」


 思いつめた様子で俯いてしまったアリスの声は、どこか弱々しく震えていた。


「それって……出られねーの?」

「……分からない。そもそも、ゲームの世界に閉じ込められるなんて普通に考えればありえない。ありえない筈なんだ……」

「ふぅん……」


 普通に考えれば、深刻な状況。酔っていたのは不幸か、それとも幸いか。この時の自分は、置かれた状況を楽観視し過ぎていたらしい。


「まぁ、いいんじゃね?」


 なんとなく、かつてからそれを望んでいた気がしたのだ。



 *



 大陸の地下に広がる広大な『地下迷宮』――。

 アンダー・グレイブとも呼ばれるその場所で、更生中の犯罪者が二人、景色の変わらない暗い通路を進みながら、会話をしていた。


「メルトがハッキングの被害にあった? それマジ?」

「間違いない。シャバにいる知り合いから聞いた」

「それ、装備ヤバいんじゃねえの。あの人、一つに数十万はかけてるだろ」

「それは分からんけど……。オークションに出されでもしてみろ。良かれ悪かれ、世界が大きく動くぞ――!」

「ハハッ、何カッコつけてんだ」


 その時、地鳴りと共に迷宮全体が大きく動き出す。時間切れだ。


「くそッ! 間に合わなかった! おい、フレンドしようぜ! 早く!」

「おう! よろし――なァァァァァァ……」


 その地下迷宮は、生きている。

 出口を隠すかのように一定周期で形を変え、犯罪者達が外に出るのを妨げる。メルトに喧嘩を売った〈Lxmly 〉も、地獄のような更生施設に苦戦している真っ最中だった。



 一方、『ギルドタウン』にある、一軒の喫茶店――。

 とは言ってもそれは外観だけであり、実際に営業している訳ではない。そこもまた、とあるギルドの本拠地だった。


「それって本当なの? このゲームのセキュリティって国が用意してるんでしょ。それが破られたって、やばいんじゃないの?」

「それもだけど、もし故意にメルトさんが狙われてたとしたら、次に標的になるのは遥華(はるか)ちゃんじゃない!」


 メンバーの女性たちが、座席でくつろぎながら話し合う。

 そのギルドの長であり、ハルカと呼ばれる女性もまた、世界最強と言われる〝赤星〟の一人。

 唯一、肩を並べるメルトが被害に遭った事を知り、他人事ではない様子だった。


「だ、大丈夫っしょ……たぶん……。大事なアイテムはロック掛けといたし、ろ、ログイン鯖にそんな深刻な脆弱性(エクスプロイト)があったとしたらすぐにでも修正(メンテ)が入ると思われ……」


 辿々(たどたど)しい様子で遥華はそう言う。

 どこから漏洩したのだろう。メルトがパスワード・クラッキングの被害に遭ったという誤った噂は、世界の内外、様々なルートを通じ、瞬く間に多くのプレイヤーの耳へと届いた。


 多くの住人に不安感を招いた事件となるが、三日後に運営から、前代未聞の告知がなされることになる。


『弊社のログにハッキングの痕跡はございません』


 それはまごうことなき事実だったが、住人からの信用は些細な事で失墜する。悲しきかな、それは運営の宿命である。

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