第5話『鮮やかなる落とし子たち』
結局、不安になってしまったメルトはアリスに会いにいく事にした。転移用ギルドスキル〈ボンズ・オブ・ギルド〉を発動。同一ギルドのメンバーと同じ地域へ一瞬でワープ出来る便利な魔法だ。多くのプレイヤーからはポン酢と呼ばれている。対象がレイドダンジョンやギルドハウスの中にいると不発に終わるが、意図した場所に転移できるアイテムは課金しないと買えない為、代用品として重宝している。
淡い空色の光に包まれて転移した先は、見通しの良い荒野だった。西の空には折れた世界樹が目に映る。日中だというのに、青い月が彩度を落としながらも地上を見下ろしていた。
『枯れ果てた樹の海・東部』――大陸の中央にある世界樹から、少し東に進んだところに位置する場所だ。樹の海というが、その風貌は砂漠と言った方が近いだろう。樹木の一本すら生えていないし、地面は干上がりヒビだらけだ。
巨大な蜂のモンスターが生息する地域だが、俊敏なくせして攻撃力はほとんど無い。敵はこちらを見つけると勝手に襲いかかってきてくれるので効率よく狩りが出来る、言わば序盤でお世話になる地域である。
辺りを見渡すと、大量の蜂に囲まれ、ぶすぶすと攻撃を受けている女性がいた。ガラス細工のように透き通った巨大な杖を肩に担ぎ、蜂達を誘導するかのようにゆっくりと歩いている。彼女がアリスである事はすぐに分かった。
酔っていたメルトは空気も読まず、纏まっていたモンスター達を一掃した。アリスもその攻撃に巻き込まれ、八割くらい体力を失った。
「よっ!」
「あっぶ、おい! せっかく集めたのに……」
「わりわり。アリスの可愛らしい姿を見たくなってさー!」
「ふざけるな。代わりに集めてこい。岩場の安置にヴェ君が居るから、そこで集合だ」
「はい……」
普段は温厚なアリスが素で怒りを露わにしかけていたので、メルトは大人しく指示に従う事にした。
いくら長年の付き合いだからって、些細な事で友情は崩壊するものだ。酒の勢いで今まで幾度となく彼女に迷惑を掛けてきたし、幻滅もされた。けれど殆ど記憶に残ってない。その度に二度と酒はしまいと決意するのだが、疲れた身体は情けなく、再び麦酒が喉を通る歓びを求めてしまう。
言われた通りに蜂集めを始めるが、これが中々に面倒な作業だった。耳元に直接届く、大量の蜂の羽音。ぶぅんぶんぶん。とてもうるさい。実際にデータを録音してるのか、羽音のバリエーションがそこそこ豊富なのも腹が立つ。真顔で効果音のボリュームを下げ、作業を続けた。
「こんなもんかな――?」
ある程度の数が集まったので、岩場に向かおうと思った矢先。
今度は誰かの魔法によって周囲が爆発して、無音状態の蜂達がまとめて吹き飛んでった。
「のあああああああぁぁぁっ!」
思わず絶叫しながら背後を振り返ると、初心者と思わしき赤髪の魔女っ娘がキョトンとした顔をこちらに向けていた。
レベルは25。ソロでやってたとすればこの世界に降り立って半日も経っていないだろう。ぴちぴちである。
「だ、大丈夫ですか?」
「ウン。アリガトウ」
「手伝いましょうか……?」
「イヤ、ダイジョブ」
その言葉から察するに、他人のプレイヤー情報の見方も知らないようだった。心配そうな眼差しをこちらに向けてくる魔女っ娘。眩しい。
そりゃあこれだけ広い地域とはいえ、敵がまとまっていれば範囲技で吹き飛ばしたくなる気持ちは、彼女が可愛いから痛いほどよくわかる。それにここは初心者が訪れやすい地域。ある意味では無法地帯だ。つまり今のは仕方ない。事故のようなもので、彼女は可愛いし悪くないだろう。
自身をそう納得させて、許す事にした。つまるところ、キャラが可愛い女の子ならば多少の事は許してしまう。悲しきかな、それがメルトの性である。
「そうですか? ではわたしはこれで……」そそくさと去ろうとする魔女っ娘。
「あ、ちょい待ってー!」
「ほぇ?」
「あーその、今みたいに広範囲の技で誰かが集めた敵吹っ飛ばすと、下手するとプレイヤーも殺して犯罪者扱いになっちゃうから……気を付けな」
その助言によって、魔女っ娘はメルトが自身と同じ初心者ではない事に気が付いたようだった。
「あっ、ありがとうございますっ! 気をつけます!」
急に慌てふためいた様子をして、頭をぺこぺこ下げる魔女っ娘の姿がどこか懐かしく、思わず微笑んでしまった。
それから軽く雑談を交えながら冒険を助けているうちに時間は過ぎていき、彼女はログアウトしていった。
「ふぅ……」
彼女は光の欠片になって空に昇っていった。それを見送る自分の顔は、きっと満足げな表情をしているに違いない。酔っ払ったまま初心者を助けるのが、こんなに気分のいいことだとは知らなかった。アリスはきっと、いつもこんな気持ちで初心者を支援しているのだろうか。だとするならば、そう言った暮らし方も悪くはないのかもしれない。
そんなことを考えていると当の彼女から着信あり。その音によって、一気に現実へと引き戻された。そこらのホラー映画よりも恐ろしい事態だ。
「も、もしもーし……」
『おーい、まだかー? メルー……?』
いつにも増してトーンの低いアリスの声には、僅かながらに殺気を感じ取れた。顔は見ずとも機嫌が悪いのは手に取るように分かってしまい、背筋が凍りついてしまった。
「すぐ行きますうぅ! もう少々お待ちをおおぉ!」
それだけ言って電話を切り、全速力で蜂集めを再開した。
*
約束の場所に行くと、いかにも初心者っぽい魔法使いのローブを着た少年がいた。身長はそこまで高くないが、淡い空色に染まった短髪が中々に爽やかだ。
「じー……」
やはりどの角度からどうみても、名前は〈白き漆黒のヴェ〉だった。首を90度傾けてもだめだ。どうしても気になってしまう。字数の制限によって隠された名前のその先が。しかしここまで謎めいていると一種の謎解きかと思えてしまい、逆に訊きたくなくなった。
「やっほー」
初対面ではあったものの、堅苦しさなく気さくに声をかける。彼はこちらに気づき、振り向いた。何だか妙な既視感がある。この顔、どこかで見たことがある気がするのは気のせいだろうか。けれど酒の泉を覗きこんでも、記憶は浮かび上がらない。
時を同じくして、アリスも蜂にぶすぶす刺されながらやってきた。岩場の上にいたヴェは少したじろいでいる。彼の目には混沌とした光景が広がっているに違いない。アリスが岩場に登ると、彼女が連れていた蜂たちはしばらく右往左往した後に、こちら側へとターゲットを変えた。
「ヴェくん。攻撃してくれて構わないぞ」
「は、はい!」
「え」
まだ自分は岩場に登っていないというのに、アリスは容赦なくヴェに指示する。こちらを見下し、嘲笑するようなその表情はさながら悪魔のようで――。ヴェが氷結魔法を発動すると同時に頭上に青い魔法陣が現れて、サッカーボールぐらいの氷塊が小雨のように降ってきた。
「あべぶぶぶぶ」
痛いよ。体力は〝1〟しか減らないけれど、心が痛い。アリス、ひどい。ていうか、指示に従う新入りもどうなんだよ。
蜂たちが倒れていくたびに、ヴェのレベルが上がる。
「おめでとう」
「ありがとうございま――」ヴェが礼を言う間にまた上がった。
「おめでとう」
「あ、ありがとうござい……」
「おめでとう」
「……」
蜂たちが殲滅される頃には、ヴェのレベルが三つ上がっていた。これは俗にいう、パワー・レベリングというやつだ。ゲームとして楽しいかは別として、効率的に経験値を稼ぐことができる手段の一つだ。
アリスが属する〈賢者〉というジョブには、味方の獲得経験値を増加させるスキルがある。それも加わって、ヴェのレベルは蜂がやってくるたびに上がっていくのである。
ようやく魔法が止まって、メルトは岩場を登ることができた。
「てめえ新入りぃ! 度胸あんじゃねえかー!」
「えっ……すっ、すみません!」
「そう責めてやるなよメル。私が教えてやったんだ。お前は攻撃をもらって体力が〝1〟ずつ減っていくことに興奮するってな」
「んなワケあるかーっ! ていうか少しは疑えよっ!?」
普段はまじめなアリスがこんなことを謀った理由はなんとなく分かる。できる限り壁をなくしたいんだろう。この世界は上級者と初心者の格差がありすぎる。肩を並べて戦うのは、不可能なくらいに。
メルトの所属するギルド《ビヨンド》は基本的に『誰でもウェルカム、去る者追わず』というコンセプトで切り盛りしている。とはいってもこの世界では上位にのさばるギルドであり、メンバーの平均レベルも相当高い。
ときおり、興味を抱いて入ってくる初心者は、半ば殺伐とした雰囲気に嫌気がさして、すぐに出ていってしまう。
時の流れは集団としての強さ、そして名声を与え、その代償としてコンセプトを形骸化させた。人が入るのは嬉しいが、去っていく人を見送るのはそれ以上に心苦しい。
だからできる限り、その隔たりを無くそうとしているのだろう。
そう悟ったメルトは、彼の緊張感をほぐすために質問を投げかけた。
「……何歳?」
ネットゲームの世界において、他者の個人情報を尋ねるのはマナー違反だとよく言われる。しかし逆に、そんな事気にせず活動している者も少なくない。自分は後者の人間だ。大雑把でも年齢が分からないと、どんな話題を振ればいいのか分からないし、コミュニケーションが取りづらいという考えだ。そもそも酒の入った自分に礼儀なんて言葉は無かった。
「え、えっとぉー、はたちです!」
「ふぅん……?」
少し前かがみになって、色っぽい上目遣いでヴェを眺めた。彼は一歩引き下がり「な、なんでしょうか……」と目を泳がせた。それは仕方ないだろう。メルトは誰がどう見ても美少女なのだから。ただ一人、アリスは溜息を吐いて呆れていた。
その後、アリスと二人でまだ初心者だというヴェに色々な事を教えた。次の狩り場だとか、金策のポイントだとか、注意すべきプレイヤーだとか。そうこうしているうちに時間はあっという間に過ぎていった。すでに陽は沈み、時間は夜の十九時をまわった頃。
「そろそろ落ちますね!」
「うんっ! おやすみっ!」
わざとらしい可憐な声音で挨拶をした。ヴェは自身のことを十五歳の美少女だと思っている。なんども経験してきた――被害にあってきたことであり、その演技はあまりにもうまかった。
そう、これは洗礼だ。
知識のないままネットゲームを始めると、男なら誰もが一度は通る道。
現実で出会いがないと、駄目だと分かっていても仮想空間で出会いを求めてしまう。人間は寂しい生き物だ。《シード》の世界では可愛い女の子だったプレイヤーも、実際会ってみるとガタイの良い体育会系の男だったりする。絶対に男だと自身に言い聞かせても、実際に会ってみてやっぱり男だとがっかりする。そういうのを、今までに何度も経験してきた。
「あぐ、そ、それとメルトさん! あの、昨日はありがとうございました! お礼を言う前にどこかに消えてしまって……。それだけです、では!」
ヴェは顔を赤くして照れながら、そそくさとログアウトしていった。光になって昇っていく彼を、ポカンと見送るしかなかった。最後になんの話をしていたのか全くわからなかった。
「へ?」
「ああ、聞いたぞメル。強きを挫き、弱きも挫くようなお前が初心者を助けるなんてな。ちょっと見直したよ」
「へっ?」
「もしかして、覚えてないのか……」
「はは、わりー……。なんも覚えてねえ……」
「妙だな……からかってるのか? せめてもう少し酔いが醒めてても――ん?」
アリスは遠方に、見覚えのある男がこちらに向けて全速力ではしってきていることに気づく。全身を闇を彷彿とさせる黒い衣装でキメた、銀髪で、蒼眼と黄金眼のオッドアイの少年。今では、こういった風貌を表現するのに便利な言葉がある。中二病だ。
「どした? アリスー?」
「メル、あれって……」
アリスが茫然と指をさす方向に目をやる。そこに見えた人物を見て、絶句した。
それは本来、ここに居ることが許されない存在。彼は大慌てで岩場によじ登ってきた。
「てんめえぇぇぇぇぇ……っ!」
そしてこちらを一瞥するなり、憤怒に満ちた雄叫びを発しながら殴りかかる。その標的は他でもない自分で。しかし自身の美貌を見るや、だんだんと勢いが衰えていく。
自分のサブキャラにデコピンされたのは、これが初めてだと思う。