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第2話『この世界は自由と退屈に満ちている』

 送別会のあとはアリスと別れ、一人の酔っぱらいはおぼつかない足取りで世界を散歩していた。

 特に目的があったわけでもない。それでも人の手によって創られたとはいえ、ここはファンタジーの世界だ。

 お気に入りの景色の場所はたくさんある。することがなくても、気分転換にうろついてみると、意外な発見があったりする。製作者の遊び心というやつだ。だからゲームは面白いんだ。


 そしてやってきていたのは『ミシリア』というすべての始まりの村だった。

 見上げると、後ろにひっくり返ってしまいそうなほどに大きな世界樹が(そび)え立っている。しかしその世界樹、あろうことか(みき)の中ほどで悲惨に折れて、煙を上げている。まるで大きな雷が落ちてしまったかのように。


 その(ふもと)にある緑豊かな村こそがミシリアだ。家の数も少なく、のどかな村だ。誰かに(しつ)けられた犬が、元気に走り回っている。村の奥、世界樹の根と隣接したところには白い石でできた神殿があって、この世界での長旅はここから始まる。

 かつてはたくさんの初心者(ニュービー)で賑わっていたものだが、今では少し閑散としていて、すこし寂しさを感じてしまった。


 草原の高台にあるこの村は、大陸の南側と、その向こう側にある水平線まで見渡せる。広大な世界を前にした新たな冒険者はここで、希望を胸に秘めるのだ。


 今でこそ、その景色も褪せてしまったが、初めてみたときは世界の作り込みに圧倒されたものだった。


「おう、元気かい?」


 急に後ろから声を掛けられて、びっくりして少し跳ねてしまう。振り返ると、村の住人かと思わしきおじさんがいた。


「おうよー!」

「ははっ、呑んでんなぁ。ほどほどにしとけよ!」


 彼はそう言って、すたすたと歩いて行ってしまった。彼は〝原住者〟と呼ばれる、この世界の人間――つまりはNPCだ。恐ろしいことに、普通の人間と何ら変わらず受け答えをしてくる。今もこの短いやり取りで、自身が酔っているということを悟っていた。


 このご時勢、人工知能が発達し、携帯の回線は5G(ファイブジー)に、そして特殊な電灯の光を用いてデータの通信を可能にする技術が世に普及しているとはいえ、人のような心を持つNPCなんて、明らかにオーバー・テクノロジーだ。

 専門的な知識を持たない世間一般の人々は、それも技術の進歩だと言われればそれだけで納得してしまう。


 この件に関しては運営も黙秘で、問い合わせには常套手段であるテンプレ返信。憶測こそ飛び交うものの、正体は不明。まさしく得体の知れない存在だ。


 しばらく歩いていると、あたかもさっき生まれましたと言わんばかりの初心者の姿をした男が、村をふらついているのが見えた。Tシャツに短パンという無防備な姿に、かしの木の杖を手に持っている。一応、魔法使いのタマゴらしい。


 自分もかつてあんなふうに、右往左往していたのだろうと思うと、微笑ましくてずっと見ていられる。ちょっとだけ、気づかれないように後をつけてみることにした。

 しかしその直後だった。何もないところから怪盗のような姿をした男が現れ、手にした短剣で初心者を斬り殺した。


「ありゃー……」


 その呆気なさに、思わず感嘆の声を漏らしてしまう。怪盗のような姿の男を視界に入れ、右手の人差し指でさす。すると視界に彼の情報が現れた。名前は、える……なんだ。えるえっくす……〈Lxmly〉。ややこしい名前だ。ただでさえ眩暈(めまい)がするというのに、危うく倒れるところだった。なんて読むんだこれ。えるえっくす……なんだこれ。


 ともあれ、彼の目的は(おおむ)ね見当がついた。この世界の物価はインフレの一途を辿っている。その対策とばかりに、新しく世界に降り立った者は初めから五百万ゲイルを持っているのだ。『ゲイル』というのはこの世界の通貨で、五百万あれば初心者ならしばらくは困ることはないかな、程度の価値。自分にとっては端金(はしたがね)に過ぎない。それを盗もうとしているのだろう。


 現に〝える〟なんとかさんは、横たわった遺体の前にしゃがみ込み、身体に手を添えている。あれは窃盗(スチール)の動作――つまりこの世界における犯罪行為だ。


「おい、何やってんのー?」


 どうにも居た堪れない気持ちになったため、〝える〟さんに声をかけた。しかし彼は濃紫のマントをこちらに向けたまま、なんの返答も寄越さない。このままでは本当に盗まれてしまう。無視されたのが少しムカついたので「せーいっ!」と叫び、思わず彼の頭を後ろから蹴り飛ばしてしまった。酔っているから仕方ない。


 ただの蹴りだからダメージこそ無いし吹っ飛びもしないが、どうやら精神的苦痛を与えるのには成功したらしい。彼は窃盗を中断し、ニヤついた顔をしながら、透明になって消えてしまった。


「だいじょーぶか少年よー。モノ盗まれてねーかー?」

『はい、おかげさまで……。ありがとうございます』


 死んでいた魔法使いに声をかけるが、当然のことながら反応は無い。死んでしまうと霊体になって自キャラの周りをうろつけるが、喋ったところでその声は誰にも届かなくなってしまう。

 それにしても、酷いやつがいたものだ。防御手段のない初心者を殺すことで金策するのか。儲かるんだろうか、少しばかり気になった。


「もう復活してもだいじょーぶだぜー。デスペナはまぁどんまーい」

『あ、後ろ!』


 死体に話しかけても、虚しい気分になるだけらしい。今の犯罪者がいつものようにアホウなら、そろそろ反撃が来るはずだ。そのために、わざと無知を装って死体に声をかけていたんだが。

 そして、予想していた通りだった。背後から気配を感じた瞬間、短剣の刺突が空に軽快な金属音を響かせる。体力が〝1〟だけ減ってしまった。


「……何か用?」


 溜息を吐きながら気だるげに振り返ると、端麗な容姿をした金髪の男が茫然自失といった状態で立っていた。仄かに青い光を放つご自慢の短剣で、一切のダメージが入らなかったことに驚いているようだった。

 たまにいるのだ。絶対に勝てっこないのに装備を奪おうと襲ってくる面倒な輩が。思考能力のない命知らずか、強者の証たる〝赤星〟を知らないエアプ野郎か。


「ど、どうしてダメージが入らないんだ?」

「はぁー……。お前さぁ、そんなにレベル上げといて〝赤星(あかぼし)〟の装備を知らんわけ?」


 呆れ混じりに彼の情報を一瞥する。表示されていたレベルは169――そこそこやり込まなければ到達できない数値だ。

 彼の名前は一般のものと違って赤い文字で表示されている。それはいわば、この世界における犯罪者を示すものであり。


 ――真っ当なプレイヤーが殺しても、差し支えのない人種だ。


 PK(プレイヤーキラー)と言い、モンスターだけでなく他のプレイヤーをも殺し、他者の装備を奪うタイプの人間。


 流動的にレートが変化するとはいえ、この世界の通貨は課金用のポイントに変換ができる。ゆえにうまくいけば、手っ取り早く金儲けができるのだが、リスクが大きすぎて高レベルになるほどそういった人は減っていく。


 一般プレイヤーはPKを殺したところで罪に問われない。デメリット無しに盗んでいた装備を奪い返せる。ゆえに多くのプレイヤーから命を狙われる。結果的に大損する羽目になる為、そういった犯罪者プレイヤーは名前の文字色とかけて〝赤字〟と呼ばれている。


「〝赤星〟……? え、プレイヤーネーム〈メルト〉ってまさか――!」

「ふふーん、お前も名前くらいは知ってると思うけどなぁ……?」


 そうまで言って、ようやく気がついたらしい。ここぞとばかりに堂々と腕を組み、したり顔で無知なる賊を見下した。今の自分、きっと最高にクールだ……!


「晒し掲示板で見た名前だ……!」

「ってそっちかいーっ! 失礼なこと言うな!」


 しかし彼の言うように、自分は強者として色んなところで名前があがる。他のプレイヤーから嫉妬混じりに目の敵にされることも少なくない。ましてや匿名性の高い掲示板で名指しで叩かれることなどもはや日常茶飯事だ。

 むしろ最近は、かたちがどうであれ名前があがることに(よろこ)びを感じるまでになりつつある。もちろんこれは誰にも秘密のことだ。


「いや驚いたな。あのメルトさんか! 自称、無敗の英雄という――」

「自称じゃないわーっ!」


 呼称は決して自称ではない。事実、過去二年間は一度も負けていないし、死んでもいない。匹敵する力のある者は世界でただ一人だけ存在するが、そいつは相手にしないと決めている。ゆえに無敗。


「凄いな……! 本当に赤い星がついてる。初めて見た!」

「いや、気づけよ……」


 一定の距離内で他者に視線を向けると、頭上に名前とレベル、所属ギルドが表示されるようになっている。脳の認識を利用しているらしく、目を逸らしたり死角に入ったりすることでそれは消える。

 そして他者から見える自身の名前の末尾には、赤い星の装飾が施されている。

 未だ日本では二人しか到達していない〝赤の領域〟。それはこの世界において最強の証明となるはずなのだが、知名度が低く、知らないというプレイヤーも多いのが現状である。


「メルトさん、よかったら写真撮っていいかい? ちょっとした記念にさ!」


 にこやかな表情をしながら〝える〟さんは近づいてきた。その動作は極めて自然で、油断すれば彼が犯罪者だということを一瞬でも忘れてしまいそうになるくらいだった。それからの彼の行動が読めたのは、自身が長年この世界に住んでいたことによる賜物だろう。


「あのな――」

「悪いね。隙だらけだ!」


 予想どおり彼は不意打ちをするかのように、刃物をこちらに向けた。黒紫色の光を纏った軽やかな斬撃が、確かに首元を撫でていく。

 これは〈暗殺(アサシネイト)〉という短剣のスキルだ。ダメージ倍率が極端に低く、リーチの短い攻撃だが、与えたダメージ分の確率で対象を即死させる。そしてこの世界では、頭部に攻撃を受けると通常の十倍ものダメージを受け、たいていの攻撃で致命傷を負う。

 体力が〝1〟だけ減った。その数字は虚空へと浮かび、やがて薄っすらと消えていく。十倍のダメージを受けた上で〝1〟だけ減るということはつまり、内部的には〝0.1〟もくらっていないということになる。しかしどう足掻いてもダメージの下限は〝1〟だから、攻撃が身体に当たりさえすれば確実にそれだけ体力は減る。


「あれえ……?」

「さて、どうすっかねえ……」


 苦笑しながら身震いする〝える〟さんを他所に、虚空から赤い光を発する斧を取り出した。刃は血に塗れているかのような暗い赤に染まり、表面には青い稲妻が迸るこの世界では最上級の斧だ。

 勝てっこないと理解するだけの知性はあったのか、彼は尻尾を巻いて逃げ出した。逃げ足だけは早いらしい。


 しかし一度売られた喧嘩を見逃してやるほど、自分は人に優しくない。ゆえに、ここからは反撃の時間だ。

 アイテムリストを開き、自身の愛用する靴を装備する。ガッチガチに強化した鋼鉄の鎧靴だ。しかし見た目は栗色でお洒落なブーツに変わっている。これは能力に関与しない〝コスチューム〟と呼ばれる装備で、キャラクターの風貌を幅広く着飾るためだけにある。


「やばいよあいつ……! 本当に同じゲームをやってるのかっ……?」

「……ぉーい、待ってよぉー……」

「え――?」


 突然の事態に〝える〟さんは状況が理解できなかったらしい。それもそうだろう。

 (すで)にそれなりの距離があったはずなのに、ほんの一瞬にして彼を追い越し、声をかけながら超スピードで前方にある白い石柱に衝突したのだから。轟音とともに砂埃が舞う。しかし街中にあるオブジェクトの多くは〝破壊不可能〟に設定されているため、無傷なまま鎮座している。


「おっと、履く靴を間違えたらしい……」


 舞い上がった砂埃の中から声が聞こえたらしく〝える〟さんは戦慄している様子だった。


 ここは制限のない自由な世界。靴を強化すれば、した分だけ機動力も伸びていく。

 そして自分は既に、自身での制動が困難な域まで靴を強化していた。少し慌てて走ろうとすれば壁に激突してしまう。歩けば丁度いい速度になるのだが、不便で仕方がないから普段は強化を微妙にしたものか、裸足のどちらかで過ごしているのだ。


「ひ、ひいぃ……!」


 慌てて踵を返そうとする〝える〟さんに向け、斧を投げ飛ばした。〈トマホーク〉という、斧スキルを習得していけば序盤で使えるようになる威力控えめな遠距離攻撃だ。赤い竜の面影が重なるその攻撃で、斧は回転しながら標的へと向かい、そして一撃にしてその犯罪者を処す。


「勝負にすらならんわ。『地下迷宮(アンダー・グレイブ)』で自慢しとけ、あのメルト様に喧嘩を売ったとな! ハァーッハッハッハッハッハ――うっ……吐きそう……」


 刃に触れただけで敵は死ぬ。頂点を目指すうちに辿り着いたその域は、退屈に満ち溢れた世界だった。無敗の英雄は愉快そうに空を仰ぎ、高らかに死者を嘲笑(あざわら)う。それでも心は満たされなかった。



 ……それにしてもだ。いつまで経っても酔いが醒めないのはどうしてだろう。すでに起きてから一時間は過ぎている。最後に酒を飲んだのは昨日の仕事帰りだから、二日酔いに悩まされるとしても、もうちっとマシなはずである。

 機嫌こそいいが、気分は悪い。今にも吐きそうだ。酩酊(めいてい)状態のからっぽな頭でもこの状態が続くと良くないのは分かっていた。もしかすると、身体のどこかが悪いのかもしれない。顔を洗うついでに、少し休んで様子を見ることにした。

 メニューを開き、ログアウトボタンを押す。慣れた動作ゆえ、見ないでもできる。しかしログアウトしない。押し間違えたか、ともう一度メニューを開いたところで、手を止めた。


「んん……?」


 思わず眉間に皺を寄せた。メニューウィンドウにあるはずのログアウトボタンが、うまく視認できないのだ。

 空間にモザイクがかかっているように見える。あるにはあるのだが、どうも表示が壊れていて押そうとしても反応しない。指がウィンドウをすり抜けてしまう。いや、あるのか? そこだけ視界が霞んで、よく見えない。ピントが合わないというべきか。


「もしかして、これ……」


 信じがたいが焦りと共に一つの懸念が芽生えた。何度やっても結果は変わらないし、確信と言っても差し支えはないか。


 ――ひょっとすると、自分はゲームの中に閉じ込められたのかもしれない。


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