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ホワイトオークの森  作者: は
3/3

蛙月の交響曲

※本作はPixivに掲載した作品を転載したものです。

ひとまず完結です。




 白楢の森がある北方地域の雨季はあまり長くない。

 潤沢な地下水に湿地帯と幾条もの河川。それらの源となるのは真冬に降り積もる分厚い雪で、錫鉱山による森の皆伐と鉱毒汚染が起こるまでは史書に記されるほど美しい清水の湧く場所として知られていた。


 都の辺りも、深く井戸を掘れば飲用となる生水は得られる。が、都で整備を進めている上下水道の用水は雨水や溜め池を源としており、アカデミア主導で開設した浄水施設の稼働率は決して高くない。更に非合法に増設された水道管が旧市街区に無数にあることから、都における水資源の状況は御世辞にもよろしくない。


 それ故、水の消毒を兼ねた薬茶を常飲する喫茶の習慣が都より南方の地域で根付いている。

 消毒作用のある笹を基本として様々な香草生薬を組み合わせたそれは生水を飲めぬ人々の工夫より始まったものだが、大陸の縦断に成功した隊商より茶樹の苗と珈琲の種子が持ち込まれたことで、人類の喫茶文化はハギス王朝期に一気に花開いた。




▽▽▽




 北方において麦芽草の丈が伸びる雨季明けの数週間は草食の獣が数を増やす時期であり、それは同時に肉食の獣にとっても狩りの季節となる。

 そして都より南方の地域では春先に孵化して成体となった無数の蛙が田圃に現れ大合唱をする季節でもある。


 塩漬けにした鴨や野豚の脂で揚げる蛙肉は、この時期の珍味。

 指先ほどの小さな蛙を丸ごと素揚げにする一方で、中型の兎ほどの大きさまで育った個体は丁寧に臭みを抜き香草と酒で揉み込んだ後にワラビ粉を衣にして揚げ煮にしたものは貴族の食卓にも上る一品だ。

 様々な亜人──獣人や妖精族など──が暮らすハギスの国において、両棲類は数少ない「禁忌ではない食べ物」とされている。


 家禽や家畜の飼育ですら、泥酔して前後不覚となった獣人や翼人の襲撃を受けることがある。特に加護を受けて野獣の姿となり得る獣人などは、都においては蛙以外の食肉を口に運ぼうとしない程だ。そして困ったことに野豚や野牛等に連なる獣人というのは彼らの種族でも多数派を占めるらしく、そのため都に定住する獣人は酸味の強い山羊や羊の乳製品に豆類を主食としている。


 そんな彼らにとって雨季後に出回る蛙料理というのは、新年に振る舞われるアーモンドクリームと蜜漬野苺の十段重ねパイよりも尊く価値のあるものらしい。


『当方としては生きた心地のしない季節ではありますがね旦那様』


 都にあるアカデミアの食堂。

 歴史あるアカデミアの食堂は一般にも開放されており、学究の徒はもちろん様々な旅人に冒険家たち、それに都でも低所得とされる住民等も多く利用している。


 燕尾服を着た大きな蛙──身の丈15インチ強という、実に食べ応えのありそうな肉付きである──が、ずり落ちかけた山高帽の位置を戻しながら目の前で蕎麦実の粥を口に運ぶ鬼種オークのグリムを恨めしげに見る。


『我が身が歯車と発条の集合体でなければ、本日までの数日間で地上に存在するすべての調理法の餌食となっていたでしょうとも』

『ドラゴンに丸飲みにされても平然と半年間のバカンスを堪能して帰還する変態が何を言うかね』

『失敬な。堪能したのは百五十五日と十八時間です、ほかに三十時間ほど特別リゾート地にやってきた不幸な冒険家達の治療と素敵なリクリエーションに興じたことは事実でありますが』


 暖めたカップに発酵茶を注ぎ、羊の乳と蜂蜜の壷をたぐり寄せながら、燕尾服の蛙は旦那様と呼んだオークの言葉を訂正する。

 カエル執事。

 アカデミア中興の祖であり魔女の島より来たという奇人バルゼット卿の従者としてやってきたそれは、北アポロジア大陸で稼働が確認されている自動人形の一体である。


 ステライト鋼の骨格に金鉄の歯車、発条に至ってはアカデミアの総力をもってしても解析不能。筋肉と皮膚は、バルゼット卿の残した資料でも僅かに幾つかの仮説が記述されているのみ。

 歯車王国末期の作とされバルゼット卿により修復を受けたとも、女神アポロダインに討たれた魔王が姿を変えたとも言われているが、アカデミアにおいて判明しているのは現在の彼の所有者が鬼種オークのグリムという事実だけだ。


 もっともオークが住まう白楢の森は冬は分厚い雪に覆われるため、寒くなると暖炉の側を片時も離れようとしないし隙あらば最寄りの温泉で連泊していることがイール十三世の手記に残されている。


『それにしても私が生意気なドラゴンの若造の胃袋でブートキャンプをしている間に旦那様が斯様に面白愉快な出来事を経験されていたとは』


 不覚の極みでございますなあ。

 蝶ネクタイの位置を整えながらカエル執事は強がって笑う。

 海棲生物の中で最大級の身体を持つブルードラゴンの胃袋に百日以上閉じこめられても、燕尾服には染み一つどころか臭いすら付着していない。剛胆きわまりないカエル執事だが、それでも都にて飛び交うカエル料理の数々に舌鼓を打つ人々の姿は恐ろしいようで膝をカクカクと震わせている。


『いやはやヒューマンが大好きなくせに恥ずかしがり屋で引きこもり万歳な旦那様が今の時期に都を訪ねるとは。いえ、おかげで私も衣をつけて菜種油の高温プールでカリッとシンクロナイズドスイミングする罰ゲームを五件目にて回避できましたので万々歳でありますが』

『小蛙の素揚げ盛り合わせを注文していたはずなのだが』

『そのようなものは旦那様のお口に合いませんので執事特権にて昆布と大豆の煮物に変更させていただきました』


 大豆、美味しいですしね。

 栄養価的にはバッチリですと涼しい顔でカエル執事は大豆と昆布を魚醤油で味付けした煮物の小鉢を持ってきた。


『小蛙なんてものは川魚の餌みたいなものではありませんか旦那様。雨季が終わって甘ったるい食事から解放された喜びは理解できますが、過度の塩分は禁物ですぞ』


 オークの恨めしげな視線を軽く受け流し、カエル執事は大仰に頷くばかりだ。


『ならば』

『大型の蛙は人気メニューでありますから既に売り切れでありますよ』


 出来る執事は違いますからな、と。

 腰を振りながらカエル執事は売り切れ御免の赤札が架けられた食堂の献立表を示す。

 洒落た茶店で頼めば大蛙のバタア焼に大麦の乳粥を添えてチップ込みで大銅貨が二十枚近くとられるような料理が、この食堂なら中銅貨五枚程度で済む。そしてバタア焼も揚げ物も、一つの大鍋で調理することで脂の中に旨味が溶け込み、それが巡り巡って蛙の中に還元されるのだ。


 故に真の蛙好きはアカデミアの学生食堂それも売り切れ間際の時間帯を狙うのだ──などと自慢げに語りもする。

 その語りを手紙という形とは言え毎年のように送りつけてくるアカデミアの旧友は、オークの向かいの席にて満足そうに大蛙の骨をしゃぶっている。


「知ってるかいグリム、丘クラゲばかり食べて育った大蛙ってのは骨周りの肉が甘いンだよう」


 色素のない白い肌を黒の衣で包み真鍮の飾り板を衣から幾つもぶら下げた妖精族の女が、オークの中指よりも太く長い骨を葉巻のように噛みながら笑う。


『ル・ドオラ、嫁入り前の身ではしたない真似は止せ』

「ハハハ。胸を出して尻を振れば物好きな小僧くらいなら勘違いしたかもしれないがネ。歌曲に出てくるような清楚ナ妖精なンて今や絶滅危惧種だよウ」


 香油をしみこませた白銀の長い髪を揺らし、ル・ドオラと呼ばれた女は大蛙の骨を皿の上に置いて指先で軽く叩く。それだけで蛙の骨は青黒い塩の塊となり、それも空気に解けるようにして消えた。


「まア、魔女の島に棲む原種なら御伽噺に出てくるような妖精サマらしく振る舞うンじゃあないのかナ」

『おまえらの種族は極端なのしかおらんのか』


 イナい、とル・ドオラは即答する。

 原種とされる妖精族は魔女の島より生まれたとされ、外より来る神々を駆逐しただの、その身を竜に変えて世界の果てに至っただの、どこまで真実なのか分からない様々な逸話を持つ。


 そしてル・ドオラのような大陸種の妖精族は、人間と変わりはない存在だ。魔法の力に長けているため不老不死という印象を持たれがちだが、種族としての寿命は人間よりも多少長い程度だ。原種の妖精にはそもそも死の概念が備わっていないとアカデミアの学者たちは推測しているが、彼らとてバルゼット卿の残した手記以外に原種妖精族を知る術はない。ル・ドオラは星詠みと錬金術を探求する過程で「気づけば不老になっていた」という、アカデミアではそれほど珍しくもない超越者の一人である。


「大陸の妖精ってのはア、淫魔の変異種じゃないのかってえ俗説が流れるくらい好色だからネエ」

『妊娠率が高くない上に一度の出産で一人しか生まれないのでありましょう。種族を維持するための涙ぐましい努力ではありませんか、ル・ドオラ師』


 ぎりぎりのミニスカートに谷間を露出しながら愛想を振りまく妖精種の娘達を一瞥して嘆息するル・ドオラに、カエル執事が無表情のまま茶を届ける。


 アカデミアにも妖精種の女学生は大勢いるし、食堂のみを利用する妖精種の娘も少なくない。アルビノであるル・ドオラに比べて血色の良い彼女たちは小麦色に焼けた肌を惜しげもなく晒し、場違いな出土品じみた過激でキテレツな衣装を着ている。


『……努力、なんですよねえ多分あれは』

『召喚魔法で取り寄せた異郷の書物に、妖精種の衣装が記載されてることが多くてな』

「衣装の図案というカ、ありゃあポルノグラフィーだよネエ」


 なんとか言い繕うとするカエル執事に、沈痛な顔でオークは答え、ル・ドオラが渋い顔でトドメを刺す。

 人間と違って鬼種と交わって生まれた子はすべて妖精種となることから血走った妖精種が鬼種のオークに迫る事例は過去にも幾度かあったが、アカデミアで封印している異郷の書物では実に様々なオークや怪物達が妖精種の少女達に子種を提供している描写が克明に記載されていた。


 それらの書物は異郷の神々が持ち込んだものであったり召喚魔法の暴走にて現出したものと言われており、冒険家や憲兵達が発見次第アカデミアに届けて厳重に封印をかましているのだが、定期的に新作が出現する上に特殊性癖の好事家達が密かに蒐集しているため、大陸妖精達への精神汚染が改善される目処は現時点では立っていない。


「これらの資料が真実ならば、妖精種というのは本当に淫魔の系譜なのかもしれない」


 召喚魔法の権威たる老いた魔法使いの苦渋に満ちた言葉が、当時の記録として今もアカデミアに残されている。魔法に対する適性の高い妖精種はアカデミアの門を叩くことが多く、秘匿とされつつも山のように集められた破廉恥なる資料を読んで吹っ切れてしまった大陸妖精種の少女たちの暴走を嘲笑できる者はアカデミアにはいない。


「困ったコトに、アカデミアのお墨付きってェ名目でアレが最新流行の衣装ダなんて誤解する娘も多くてネエ」

『白楢の森に近い北方で集落を構えていた大陸妖精達は、男も女も毛皮の服で全身を包んでいるな』

『そりゃあ旦那様。あの地にてヘソとフトモモを露出しようものなら、冬場なら半刻絶たずに凍り付きましょうよ』


 さもありなんと二人と一匹は頷いて、食後の茶を口にする。


『冒険家たちの好む英雄詩に出てくる妖精というのは清楚にして可憐、慎ましくも凛として気高く美しい少女──なのですがねえ。さすがに島の原種妖精を過剰に美化した物語にはツッコミを入れざるを得ないのですが、モデルとなった当人を知っている身としては』

「田舎の方に行けバ、ウン、箱入りで育てられた娘あたりナラひょっとして色ボケしてない可能性が」


 甘い菓子で稚児を囲った年増の話が、どうして純愛物語に化けているんでしょうねえとカエル執事は首を傾げ。詳しく聞くと間違いなく外交問題に発展するから適当に聞き流してル・ドオラは視線を逸らし。

 物騒な話はすべて聞き流して明日はどこか信用できる店で蛙料理を頼もうと考えながら天井を見上げたオークは、そこに見慣れぬ魔法陣が出現したのに気付いて硬直した。


『召喚術式の法円でありますな』


 オークの反応に気付いたカエル執事が天井を見上げ、即座に魔法陣の種類を識別する。


『察するに書物の出所となる異郷と結ぶ門を構築しようと試みたのでありましょう。本来ならば人間の魔力程度で開くものではありませんが──なるほど私の余剰出力に引っ張られて陣を再形成しましたか』


 ケロケロと鳴きながら状況を分析して納得するのはカエル執事だけである。

 おそらくいつものように異郷の書物を召喚しようとしてアカデミアの術師が唱えた魔法が、馬鹿げたエネルギーを内包するカエル執事の存在によって暴走したらしい。カエル執事の言葉より断片的に情報を整理して現状を把握したル・ドオラは、天井の魔法陣より現れるであろうモノに備え袖の内側で術印を結ぶ。オークは低く唸る声で短く『散れい』と発し、野次馬を含めて周囲に集まろうとしていた者達を退散させた。


『旦那様、孵化が始まります』

『うむ』


 カエル執事の言葉にオークは頷く。召喚の魔法陣は人ひとりを包めるほどの巨大な卵殻を形成し、そのまま地面に落下する。衝突した衝撃によるモノか卵殻に無数の亀裂が生じ、魔法陣を構成する光と文字が消滅していく。初めて見る現象にアカデミアの学生や教師陣はどよめきの声を上げ、遠巻きにではあるがアカデミアの関係者は誰一人逃げようとしていないようだ。


「執事サン、島の記録じゃア異郷から来たヒトには一体どんなのがイるのカイ?」

『名の知れたところですと千寿の巫女と、天の狗星にございますな』


 カエル執事の回答に、ル・ドオラは短く「最悪ダネエ」と唇の端を歪めた。


『有名なのかねル・ドオラ』

「原種妖精族の国が滅ンだ時に現れた魔人と、アポロジアの神聖帝国を北の端に閉じこめた魔王サマだよ」

『そんなモノが来ると?』

『私の所有するエネルギー程度では、そのようなものを招くのは不可能でしょうな』


 物騒な説明を始めるル・ドオラに眉を顰めるオークだが、カエル執事は呑気に三つ目のカップを用意して湯を注いで温めている。


『確定ヒューマノイド、潜在的な力はなかなかのモノがございますが常識的な範囲と言えましょう』


 カエル執事の言葉と共に卵殻は砕け散り、中から一人の少年が現れた。人間に違いないが背丈は低く、そして身の丈より大きな背負い袋には鉄鍋や包丁などの調理道具が山と詰め込まれているのが見えた。右手には麦に似た穀物を蒸したモノを入れた丼が、左手には何かの揚げ物を盛りつけた皿がある。


『ようこそアカデミアへ、旅の御方』

「……とりあえず飯の途中だったんだが、喰う時間はあるかい?」


 友好的に語りかけるカエル執事に少々面食らった様子ではあるが、沈黙を肯定と受け取ったのか最寄りの卓に丼と皿を乗せると手を合わせて食事を再開した。魚醤にも似た香ばしい匂いを発する揚げ物に、周囲の野次馬たちが思わず唾を飲み込み喉を鳴らす。


『美味しそうな揚げ物ですな』

「倫理的に問題ありそうなんで、あんたにはお裾分けできないけどな。共食いはイヤだろ」


 蛙肉ですか。

 蛙肉だよ。

 全身よりぶわっと脂汗が浮かぶカエル執事とは対照的に、学食の蛙料理よりも美味そうな匂いを発する少年のそれに学食にいた全員の視線が集まる。


 蛙肉と聞いても忌避の感情を示さなかった周囲の反応を察してか、少年は背負い袋の中から笹の葉に包んだ蛙の脚肉を大量に取り出した。

 ごくり、と大きく喉を鳴らしたのはオークのグリムである。


「大殿蛙の山椒揚げ。辛いのが苦手なら揚げた後に黄身酢で和えるけど」

『旅の御方、こちらに水牛の胸肉があるのですが』

「揚げ物にするなら蛙肉でしょ」


 カエル執事の必死な誘導を無視して少年は食堂の厨房を借り始め、その姿をじっと見つめていたル・ドオラは明日からのミニスカート着用を密かに決意した。




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