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ホワイトオークの森  作者: は
2/3

苺月の花嫁

※本作はPixivに掲載した作品を転載したものです。



 苺月とは北方地域の方言であり、都の暦では早苗月と呼ぶ。

 南方の半島地域で水稲の田植えが始まり都周辺で春蒔麦が芽吹く頃、白楢の森を含む一帯では種々のベリーが一斉に実を結ぶのだ。

 鮮烈な苦みを宿す春の野草と対を成し、この時期の北方で実を結ぶベリー類は極上の甘味を蓄える。寒冷であるが故に時機を外さなければ虫食いも無く、猪や熊それに野鳥の群が食べてなお減る気配がない。


 故に、苺月。

 甘味に飽きた鳥や獣は口直しとばかりに虫を喰らうため、少々時機を外しても都周辺で採取する野苺よりもよほど綺麗で安全と言われている。




▽▽▽




 北方の森林地帯に棲む多くの鳥獣は苺月に子供を産み育てる。

 夏は麦芽草(ばくがそう)が。

 秋には樫や楢の実が。

 都近辺では狩り尽くされた大型の獣──たとえば大角羊や長毛種の猪、それにドードーなどの竜脚鳥──などが人里を荒らすことなく共存しているのは、春から秋にかけて草木が生み出す滋養の糧が尋常ならざる量だからだ。草食の亜竜すら目撃例のある白楢の森だが、正教会の喧伝により今も猛毒の危険地帯として多くの人に認識されているのが現状だ。


『──食べるかね』


 籠に山と摘んだベリーを一すくい、掌に乗せて鬼種のオークが近くのドードーに問う。一冬を過ごして羽が生え変わったばかりの若鳥はしばしオークの顔と掌を交互に見比べた後、ベリーではなくオークの腰に吊した草餅を物欲しそうに嘴で突いた。


 灰汁を抜いた栃実と栗を炊いた後に麦芽草を練り込んで作った草餅は、吊して干せば五年は保つ救荒食として生み出された。北方の村では今でも麦のパンの代わりに主食にしているし、旅商人や武芸者はカチカチになった草餅を持ち歩く。


『こちらが良いか』


 仕方なしと呟いて、オークは吊した草餅をひとつ取り出して握った。

 岩のように固く干した草餅もオークの握力の前ではあっという間に微塵となり、食べやすい大きさとなった草餅の礫をドードーは勢いよく啄む。のんびり味わっていたら群の仲間に感づかれて分け前が減るとでも考えたのか、しまいにはべろんべろんとオークの掌に残る一粒まで綺麗に舐め取ってからドードーは数度首を振ってからオークの前より離れた。


『他のモノも、野苺は要らぬか』


 ベリーの粒に併せて隙間を整えた熊手を担ぎ、オークは唸る。

 オークの言葉に、他のドードーも首を振る。見ればドードー達はベリーに群がろうとする虫達に舌をのばして次々と舐め取っている。この苦味が丁度いいんだよと言わんばかりに、丁寧に容赦なく葉や茎についた種々の虫を食べていく。


 白楢の森に近い草原地帯。

 今年もベリーを求めて多くの鳥獣が渡ってきたが、種々のベリーはその悉くを返り討ちにしたようだ。そのまま放置すればベリーは腐り落ちるだろうが、そこから厄介な黴や病毒が生えることもある。故にオークは鳥獣の余らせた野苺をかき集め、雪解けの清水で洗って陰干しした後に樽へと詰める。それが森の住人であるオークの仕事だ。


 春の野草を摘み、ベリーを集める。

 形の良いもの、よく熟れた野苺は砂糖と共に煮てジャムに仕立てたり、蜂蜜の中に漬け込んである。しかし少しでも傷ついたり形が不揃いのモノは陰干しで水気を飛ばしてから醸造し、途中で香草を入れることで発酵を止め、蜜のように甘い野苺のワインが出来上がる。


 ベリーは次の月まで実を結び続けるだろう。

 苦く焦がした大麦の茶を恋しく思いながら、オークは熊手でベリーの収穫を続けた。




▽▽▽




 木枠に荒い麻布を張る。

 炭を焼く窯の辺りは火事を防ぐため木々はなく、風通しもよい。

 炭窯の熱で地面は乾き、熱も帯びる。肥料や石鹸の材料となる木灰は白炭を仕上げる時にも役立つので灰置き小屋を建てているが、それでもかなりの量の木灰が踏み固めた土に撒かれて地面を白く変えていた。


 摘んだベリーは、軽く洗った後にここで干す。

 湿り気の多い森の中で唯一ここだけが常に乾燥しているため、オークは毎年ここでベリーを干す。森のネズミやリスなどの小動物は猛禽をおそれて草原には来れないが、干す際にこぼれ落ちた多少のベリーを頂戴する。たまに欲を出した数匹が駕籠や木枠に乗せたベリーに手を伸ばそうとするが、そういう不届き者は物陰に控えていた梟や飛蛇(ひだ)達の糧になって目的を果たすことはできない。


 オークが何十年と続けた習慣は、森の生き物達にそのような不文律を刻んでいた。

 森の主であるオークは、彼らの掟にあまり干渉してこない。掟が生まれるほどに己が毎年同じ事をしていたかと感嘆することもあったが、彼にとってはベリーの加工が第一だ。


 野苺のワインを作るのに必要な香草は、傷口を腐らせ高熱を出す風土病の薬でもある。

 この薬効をもたらす成分が酒精に溶け込む性質はアカデミアで古くより知られていたが、醸造を阻害する作用について判明したのは近年の話だ。


 干したベリーと生のベリーを潰しながら大きな桶の中で(もろみ)として仕込み、舌刺すほどの甘味が程々に落ち着いた頃合いを見計らって(もろみ)を搾り、香草を底に敷いた樽に詰める。

 樽は、手製だ。ホワイトオークの板材を組み、鉄を叩いて(たが)をはめる。作り始めた頃は水漏れがひどかったそれも、何十何百と作り続ける内に大分「まし」になった。


 鉱山跡に近い丘で暮らす小人達ならば「まだまだ」と駄目出しするような出来映えではあるが、小人達が気合いを入れて作った樽は総じて謎めいた仕掛けが満載されてしまうので、搾った酒を樽に注ごうとしても決して満たされることなく残らず小人達の胃袋に消えてしまうだろう。


 何事もなければ樽の中に香草の成分が溶け出す頃合いから飲み始めとなる。早ければ、およそ一月。炭酸が程良く抜けた酒精を手際よく瓶に十本ほど詰め直す。懇意にしている小人達が製作したそれは瓶だけでも相当に価値のある工芸品で、蜜蝋による封も考慮に入れた切り子細工が随所に施されている。


 五十近い樽より、選りすぐりの十本を瓶に詰める。

 残る酒は樽のまま廃坑を改造した酒蔵にて保管し、時折訪ねてくる物好きな旅人や小人達に土産として渡す。

 国教の坊主達は白楢の森を腐毒に冒された死の牢獄であると喧伝しているが、それをまともに信じているのは都の住人と敬虔なる国教徒達くらいだろう。


『こんなものかね』


 ベリーの草花と果実を意匠として丁寧に彫り上げた板を組み合わせ、細長い箱を作る。釘の一本も使わないそれは森小人より学んだ技法で、オークの外見からは想像できないほど繊細なものだ。天日で干した麦芽草に香草をまとめて束ねたポプリの袋を緩衝材代わりに箱に敷き、瓶詰めした野苺のワインを置く。


 草原のベリーはおおよその収穫を終えた。苺月が終われば長い雨の季節が始まり、麦芽草が本格的に生い茂るようになる。直に麦芽草を求めて南方から鳥や牛の群が渡ってくる──それを追いかけて野伏の狩人達もまた北に居住区を移すだろう。

 雨季には様々な草花や茸が森に生えてくる。


 そのままでは腐ってしまうものも、一手間かけることで日持ちする食材になる。家の前にある菜園も、春撒きの蕪菜は食べ頃となっている。元々は野草や団栗で中ってしまう居候達のために始めた菜園だったが、彼らが都に戻ってもオークはなんとなくそれを続けていた。


『親愛なる友アルフレッドと、お転婆メアリへ。今年も苺月が終わり、君たちの好物だったワインを仕込んでみた。都の洗練された貴醸とは比べものにならない田舎酒だが、こちらは十年前と変わらず──』


 ドードー鳥の羽を加工したペンを羊皮紙に走らせていたオークが、その手を止める。

 真鍮枠の眼鏡を外し、ペンを置く。

 チェスの賭でこてんぱんに負けたオークは、憲兵隊の相談役と共に都を訪ね、現帝に謁見した。五歳の時に僅かな家臣と共に白楢の森へと匿われ十年を共に過ごした少年は、多くの仲間を得て家族の仇を討ち都を取り戻して立派な君主となった。


 御年二十五歳。

 国を治めるには若輩と言われることも少なくないが、苦楽を共にした多くの仲間が支えることで彼は幾つもの困難を乗り越えたようだ。玉座にて威厳を放つ若き王の姿は、オークの記憶にある優しくも病弱な少年の面影など微塵も残っていなかった。

 頼もしくもあり、寂しくもある。


『──いかん、いかん。未練がましい』


 再建した王宮での出来事を思い出し、オークはしかめ面になる。

 玉座の間の赤絨毯を鬼種であるオークが歩くのは、ハギス王朝でも初めての出来事だったらしい。

 煌びやかな服を着た国教会の坊主らが杖を震わせながらオークを睨みつけ、しかし彼らが遺失した未知なる聖句を鬼種が朗々と唱えたことに度肝を抜かれた。


 その後の王宮にて彼らが対応を誤らなければ、オークが保管していた二十三巻もの写本をアカデミアに横取りされることなく国教会の権威を高めることも可能だったろう──アカデミアに残った|真なる妖精族《EverLastings》の知己からの手紙は、久しく味わったことのない痛快さであったという言葉で結ばれていた。


『文化人らしく振る舞えば小僧に恥をかかせずに済むと思ったが、やりすぎたか』


 オークがアカデミアにいた頃は、国教会の管理する聖典に欠損はなかった。聖典の写本は、文化人や高貴な身分の人間が教養や信仰の証として推奨されていたのだ。坊主達が国教会で出世するためには写本はもちろん、その内容を理解することが大事とされていた。


 オークが納めた聖典写本は、国教会が現在の形に整う以前の時代に存在した複数の外典を編纂したものだ。思想哲学を体系づけた正典に比べ、開祖とその弟子達が数多の種族と出会い問答した内容をまとめたのが外典である。学術的価値は高いものの多種族との共存を肯定する開祖の言葉は、国教会が長らく偽書であると定め、写本どころか閲覧すら制限していた。それが先帝崩御時の混乱期に生じた火災で焼失した──教会関係者はそのように考えていた。


『写本の予備があるならば是非寄進されたし、か』


 幾人もの行商人を経由して届けられた紙片には、簡潔にまとめると前述の一言になった。予備の写本を差し出せば討伐令を取り下げ、白楢の森に関する批判を改める用意があるとも。

 複数の手紙が存在するのは、その数だけ国教会内部に派閥があり、写本の入手に成功した者が権力を掴む構図が見て取れた。素直にアカデミアに頭を下げてこれまでの非礼を詫びれば良いだろうに、田舎暮らしのオークの方が与し易いと考えたのか。


 なるほど。

 オークの手元には、確かに複数の写本がある。都に届けたのは最も出来の良い一組であるが、他の写本も読む分には支障のないものばかりだ。オークはその中で習作として書き上げた羊皮紙によるそれを取り出し、これで良いと頷いた。




▽▽▽




 ハギス王朝イール十三世は文武に優れた帝である。

 先帝崩御後の混乱期、わずかな家臣達と共に北方に逃れ、腐毒に冒された森を再生させた鬼種グリムの庇護下で育った。亜人への差別意識を持たず、またアカデミアに連なる数々の知識を学び、また北方の凶暴な獣達を狩って暮らしたことから卓越した武力を鍛え上げた。


 十五歳で旅に出たアルフレッド王子が仲間を集め都を奪還した一連の物語は、都の劇場で連夜上演される作品であり、行商人が客集めにと方々の村落で披露する紙芝居の定番でもある。先帝を呪い殺し都を苦しめた大怨霊をアルフレッド王子が不可思議なる剣で貫くと剣はたちまち見上げるほどの巨樹となり大怨霊を飲み込んで討ち滅ぼした──事実に基づく山場だというのに、劇場の脚本家も紙芝居の作者も演出が現実に追いつかないと嘆いている。


 無論いつも同じ筋書きというわけではない。

 最初の仲間でありパン屋に身をやつしつつ王子を支えていた子爵家令嬢との恋物語や、魔法を使う不思議な猫と旅をする羊飼いの少年(ニコラス)との知恵比べなど、関係者への綿密な取材と情報公開に基づく新作エピソードが山のように存在し、全ての物語を上演するには七日七晩でも足りなかったと演出家が語るほどだ。


 そんな現帝がパン焼きを趣味としているのは、今のところ王宮関係者だけが知る秘密である。

 仕事に煮詰まる、妃と喧嘩をする、暇を持て余す。理由は様々だが、我慢できなくなると現帝は厨房の片隅でパンを焼く。干したベリーをたっぷり混ぜ込んだ雑穀のパンは彼の最も得意とする一品で、一緒に混ぜたクルミやハシバミの実が上品な香ばしさを生んでいる。


 王宮の職人が焼き上げる真っ白で柔らかいパンとは対照的なそれは、書類と格闘する官僚達への夜食差し入れや、庭師や門番達のおやつ、あるいは領地を持たず都に暮らす下級貴族達への土産として提供される。製作者の名は原則として非公開だが、宮廷で十日も働けばイヤでも製作現場を目にすることになるし、焼き上がったパンはお世辞抜きに美味かった。


「この人、旅に出なかったら本気でパン屋に婿入りするつもりだったのよね」

「何を言うか。余は今でも都で十本の指に入るパン職人であると自負しているのだぞ」


 その日も厨房の片隅にてイイ笑顔でパン生地を練っていた現帝に、妃となったばかりのパン屋の娘が声をかけた。

 この人、苺月の前後は狂ったようにパンを焼くのよね。

 旅立つ前の事を思い出し、そして旅立ってからもパン焼きの禁断症状に苦しんでは民家の台所を借りようと時々暴走していたアルフレッド王子の姿を思い出しながら妃は肩をすくめる。


 パン焼き中毒という点では妃も現帝と大差なく、夫婦喧嘩ともなれば厨房の両端でパン職人の頂点対決が開催される。最近では料理長がテーマを決めて素材を揃え、厨房のパン職人も参戦させているほどだ。


「もっとも余はな。あの白楢の森で摘んだベリーを使ってパンを焼けば、今でも都で一番のパン職人であると思うのだぞ」

「へえ、大きく出たわねアルフレッド」

「無論だ。あの森の木の実、ベリー、蜂蜜。それらを使って焼き上げたパンの味はな、世間知らずの小憎たらしいガキを一国の君主に変えるくらい美味いんだ」


 小麦と雑穀麦の粉を練り上げながら力説する現帝の前に、妃は楽しそうに幾つもの硝子瓶を置く。

 種々のベリーを干して蜂蜜に漬けたもの。

 南方種よりも倍以上に大きく香ばしいナッツ類。

 瑞々しくカットされたばかりの巣蜜。

 そして精緻なカットグラスの器に入った野苺のワイン。


 どうだとばかりに妃は並べたものを見せつけ、現帝はぽかんと口を開ける。宮廷には最高級の食材が集うはずなのに、それを圧倒する品質のベリーやナッツ類に厨房の職人達も目を丸くする。


「……メアリ、これ」

「私の『とても古いトモダチ』が結婚祝いを届けてくれましたの。今からそのトモダチとお茶をするので、貴方は思う存分に世界一美味しいパンを焼いて下さいな」

「待ってくれメアリ。余が悪かった。これは不意打ちだ、いや虫の報せと言うべきか。彼が来ているのだろう、いや、言わなくていい。よけいな混乱が起こるから肯定も否定もいらない。確かにずっと願っていたものばかりだ、それには感謝する。だが」

「だが?」

「──イール十三世ではなく、世間知らずの小憎たらしいアルフレッドとしてグリムに再会するチャンスが欲しい。頼む、メアリ!」


 口髭を麦の粉で白くしたまま悲鳴じみた懇願をする現帝の姿に、妃は完全勝利とばかりに胸を張った。




▽▽▽




「──せめて鳩でも使って事前に連絡をくれたら、御馳走を用意して歓待したのに」


 客人を招く質素な部屋。

 旅をしていた頃のアルフレッド王子の友人達を招くための特別な応接室で、髭についた白い麦の粉を洗い落とした青年が膨れ面で口を開いた。


 現帝イール十三世その人である。


 しばらく前に謁見の間で再会した折りには覇気あふれる君主として接した青年は、今は随分と砕けた雰囲気だった。肩肘を張らずに振る舞える場所は君主にとって弱点ともなり得るが、青年はまともな代わりがいるならば玉座を明け渡しても構わないと考えている。むしろパン屋になりたいから、誰かまっとうな形で帝位を狙ってくれないかなとも。


『ああ、うん。チェスの王者を送り込むような大人げないにも程がある真似する者が、四六時中威厳のある君主として振る舞える道理もないか』

「おじさま、わかってるう」


 焼きたてのパンを摘みながら、妃が同意する。

 白楢の森にあるオークの家にあるものと同じデザインの素朴な木のテーブルが中央に置かれ、アルフレッド王子とメアリ妃がただの少年少女だった頃に愛用していた食器類を再現したものが並べられている。


 この部屋で彼らと過ごすことが出来るのは、この国において最も名誉な事であり、現帝の信頼を勝ち得た者だけがその権利を有する……案内してくれたメイドの説明を思い出し、オークは気恥ずかしくなって頬をかきつつ焼きあがったパンを口にした。

 青年が作ったパンはなるほど自慢するだけあって宮廷で今までに食べたパンのどれよりも素晴らしい味だと内心舌を巻く。そんなオークの驚きを満足げに眺めた後、妃は呆れたように手を振った。


「この人ね、旅の最中もピンチになると『グリムおじさんは、こんな時にこう言っていた』なんて小難しいこと並べ立てて周りを煙に巻いたり、突拍子もないことばーっかりやってたの。そのくせ暇になると『山芋の鍋を食べたい』『そろそろアンズ茸の季節だ。ドードー鳥の舌を薄く切って一緒にソテーすると絶品なんだけどなあ』とか、ベッドの中でもうるさいのよ」

「あー、あー、言わない約束じゃなかったのかあ。それ言うなら君だって『夜更かしして風邪を引いた、野苺のワインを飲みたい』とか『草餅はやっぱり栃の実を粉に挽いて麦芽草を練り込まなきゃ駄目だ』とかベッドの中でうるさいじゃないか。おかげで決意してからプロポーズするまでどれだけ時間がかかったと思っているのさ!」

『知らんがな』


 ぎゃあぎゃあと喚き始める青年達を前にして、毒気の抜けた顔でオークはぼそっと呟いた。なるべくして夫婦になった二人ではあると、目を細めながら。




▽▽▽




 それから間もなくの話である。

 イール十三世の成婚を祝し王宮を訪ねていた諸侯に、ワインのボトルが贈られた。近年製法が復活した吹き硝子技法による、いわば最新技術の製品である。太古の形式に沿った容量と形態で製造された硝子瓶には、遮光のためか全周を覆うように羊皮紙が巻き付けられていた。


 古語に近しい文体で記されたそれが聖典の写本であることを諸侯の多くは理解し、しかし見覚えのない文言が並ぶことに違和感を抱いた。それが失われた聖典二十三巻の断片であると気付いたとき彼らの多くは所領に帰還しており、拝領した各数本のボトルが持つ意味と価値を理解して──時間差はあったものの、当然のように大騒ぎとなった。


 国教会の坊主達はその事実を知るや各地に使者を送りワインボトルの譲渡を求めるものの、多くの諸侯にとって家宝に等しいそれを手放す道理など無く。

 失われた聖典二十三巻は国教会の権力争いの道具にされることはなく、数年後に活版印刷の試作品としてアカデミアより各地に贈られた。印刷された聖典の表紙裏には野苺の紋が箔され、イール十三世成婚を記念した製本であると記されている。





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