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僕と彼女と机と未来

 ガタガタと机が五月蝿い音を鳴らす。

 ほんの数ミリだけ、机の左前の足が浮いてしまっているせいだ。

 ほんの数ミリ、ほんの数ミリのせいで、僕の心は苛立つ。

 机を変えてもらいたかったけれど、これだけのことで交換などしてもらえないだろう。

 僕はこの癇に障る音を出す机と、今年一年間付き合わなければならなくなった。

 

 新学期。

 高校一年の新学期はこうして始まった。

 見知らぬ顔ぶれ、見知らぬ教室、見知らぬ校舎。

 そんなのは数日、数週間、数ヶ月、そんな時間が全て解決してくれる。

 今は目新しいと思っているものも、あっという間に風化して何て事のない風景の一部になる。

 だからまぁ、この机だってガタガタ鳴るのがごく当たり前だと思ってしまえば、気にもならなくなるだろう。

 

 早く友達を作ろう・・・・・・そう思った。


 ドギマギと落ち着かないこの気持ちも、誰か話す相手がいればきっとどうにかなるだろう。

 そう思ったからだ。

 しかし、何の接点があるのかわからない相手に、果敢に話しかけている周りの連中を見ると、みんな凄いもんだなぁと感心させられる。

 僕は受身になって誰かが話しかけてくるのを待つばかりだ。

 いつかけられるかもしれない言葉を待つって言うのは、途方もない時間に感じられた。

 待つ事に疲れた僕は、机に顔を伏せた。

 案の定、机は僕の体重のせいでガタガタと五月蝿く音を出した。

「あはは、はずれな机にあたっちゃったね」

 僕の後頭部辺りに声が聞こえる。

 僕は顔を上げ振り返った。

 そこには長い髪の女の子が立っていて、僕を見て笑っていた。

 顔を上げた時に僕の机はまたガタガタと音を出した。

「ほんと、この机五月蝿くて嫌になるよ。はずれだよ」

 言葉をかまなかっただろうか?

 きっとこの時の言葉を録音していたら、たどたどしく普段より半音高いギクシャクした僕の声が撮れていた事だろう。

「先生に言って変えてもらったら?」

「う〜ん、そこまでしないでもいいかなぁって。この嫌な音にもそのうち慣れちゃうんじゃないかってね」

「・・・・・・嫌な事に慣れるってどんなんだろうね」

 彼女の言葉のトーンが下がる、視線も下に・・・・・・床に向かう。

 何かまずい事を僕は言ったのだろうか?

「でも、そうだよね。慣れるよね!! うんうん、大丈夫大丈夫」。

 落とした視線は戻っていた、落ちた声のトーンは戻っていた。

 でもそれはまるで、自分自身に言い聞かせている言葉のようだった

「あ。私の名前は『桜小枝子さくら さえこ』よろしくね」

「僕の名前は『片山浩次かたやま こうじ』こちらこそよろしく」

 名乗りあうと、なんだかお互い急に照れくさくなった。

 そしてそのあとの言葉が出てこなくなる。

 

 それを察したかのように予鈴のベルが鳴った。


「またね」

「うん、また」

 不思議なもんだ、同じ教室にいるのに別れの言葉みたいなのを言うってのは。

 彼女は、桜さんは小さく手を振ると自分の席に戻った。

 僕は身体を前に向け、やがて訪れる先生に備えた。

 

 机はまたガタガタと鳴った。

 でも、もうそれほど嫌な気分にはならなかった。

 この机のおかげで、僕は彼女と会話が出来たのだから。


 

 三ヶ月が過ぎた。


 ガタガタ五月蝿いこの机にもやっとなれることが出来た。

 けれど、このクラスにもこの教室の風景にも僕は慣れる事が出来ずにいた。

 机の中から教科書を取り出そうとして違和感を感じた。

 机の中になにかブヨッとしたものが入っている。

 僕は周りに気を配りながら、こっそりと机の中を覗き込んだ。

 その感触の主は腐ったパンだった。

『またか・・・・・・』

 またかと思えるほど、こんな事はごく普通の出来事になってしまっていた。

 そう、それこそが僕がこのクラスに馴染めないでいる原因だった。


 そう、僕はイジメといわれるものを受けている。


 クラスでイジメを受けているもの。

 それは僕、そして『桜 小枝子』


 あのときの言葉が思い出される。初めて彼女と会話した時の言葉。

『・・・・・・嫌な事に慣れるってどうなんだろうね』

 彼女の言葉は今のこの状態を予言していた。

 桜はこの学校に来る前からイジメを受けていた。

 彼女が何故そんな目に合わされるのか、僕にはわからない。

 いじめる相手はそれをわかっているんだろうか?

 それとも、何でも良かったんだろうか?

 たまたま目に付いたのが桜だっただけで・・・・・・


 しかし、それが中学、高校と続かなくてもいいじゃないか。

 それとも、それが桜の運命だとでもいうのか?

 

 僕はクラスの女グループに嫌がらせを受けている彼女をほおっておけなかった。

 それは漫画みたいな正義感。

 いや、桜にイイ格好を見せたかったのかもしれない。

 正義なんてどうでも良かったに違いない。

 

 きっと僕は、彼女と最初に言葉を交わした時に。

 好きになっていた。

 一目惚れをしていた。


 どうせ運命なんてものがあるのなら、こっちのほうが運命であってほしい。

 

 僕の行動は桜に対するイジメをさらにエスカレートさせただけだった。

 そして、数日もするとそのイジメは僕に対しても牙をむいた。

 結局、僕の安っぽい正義感は、物事を全て悪いほうに向かわせた結果に終わった。

 

 朝登校すれば、机の上にはゴミがおかれている。

 休憩中に席を外して戻ってくれば、教科書がなくなっている。

 クラスメイトは誰も口を聞いてはくれない。

 僕らと会話する口はないが、裏で陰口を叩く口は山のように持ち合わせているようだけれども。

 

 昼休み、僕と桜は二人で教室を抜け出す。

 そして校庭の大きな樹の下で弁当を食べる。

 この時間が唯一の心の安らぎ。

 きっとこの瞬間も僕らの陰口を叩いていることだろう。

 僕らの机や鞄に細工をしていることだろう。

 でも、ここではそんなことは考えない。

 考えないようにする。

「私今日早起きして頑張ってお弁当作ったんだよ」

 桜は手下げ袋の中から弁当箱を取り出す、二つ取り出す。

 そして僕の手にその一つを手渡した。

 僕はどうしていいのかわからないまま、なんとなく受け取ってしまった。

「一個作るのも、二個作るのも同じだから・・・・・・ね」

「そ、そっか。ありがとな」

 桜はモジモジしながらこっちを見ている。

 僕だってそれに負けないくらいモジモジしている事だろう。

「食べないの?」

「食べるよ、もちろん食べる食べる!!」

 僕は勢いよく弁当箱の蓋を開ける。

 そこには色鮮やかな色彩のお弁当があった。

 手間がかかっている事は一目瞭然でわかる。

 食べるのがなんだかもったいなかった。

 このまま家に持ち帰って飾っておきたいくらいだった。

 でも、目の前にはドキドキしながら僕が弁当を食べるのを見守る桜の視線。

 僕はその視線に押されるように弁当を口に運ぶ。

 それは当たり前のように美味しかった。

「ねぇ、美味しい?」

 返事などしなくても、僕の表情からわかりそうなものだろうけれど、桜はきっと言葉がほしいんだと思う。


 気持ちを表す確実な言葉が。


「うん、とっても美味しいよ」

 桜は僕の言葉を聴くと、安心したかのようにホッと胸を投げ下ろす。

「じゃ私も食べよーっと」

「おいおい、僕は実験台だったのかよ」

「えへへへっ」

 小悪魔のような表情で笑う桜。

 僕も合わせて笑った。

 

 きっと僕はこう思っている。

 イジメられて良かった。

 お陰で僕と桜は当たり前のように二人でいられる。

 二人の時間を過ごすことができる。


 でも、それはきっと僕だけの感情だ。

 桜が、彼女がどう思っているのかはわからない。

 なぜなら、あと20分もすれば昼休みは終わる。

 そして、またあの教室に戻らなければならないからだ。

 

 桜の笑顔が教室で見られることはない。

 桜の言葉を教室で聞くこともない。

 

 桜はきっとこの昼休みの時間だけ、唯一自分としていられるのかもしれない。

 じゃあ、他の時間の桜は一体なんなんだ。

 そして僕は?

 僕もそうなのだろうか・・・・・・

 

 無情に昼休みの終わりを告げるベルが鳴る。

 それと同時に僕らの顔から笑みが消える。

 僕らは戻らなければならない。

 教室と言う名の現実へ・・・・・・


 教室に戻ると、僕と桜の机にマジックで『死ね』と書かれていた。

 僕はノートと教科書を広げて、その文字を隠すと何もなかったかのように振舞った。

 桜はなにもしないまま、ボーっとその文字を眺めていた。

 そのまま午後の授業は始まった。



 次の日。

 桜は死んだ。

 

 あの机に書かれた言葉の通りに桜は死んだ。

 一時間目の授業が始まる前に先生が桜の自殺を告げた。


 嘘だと思った。

 これはきっと夢なんだと。

 まだ僕は夢の中なんだと。

 だから、これは嘘だ、そして現実なんかじゃない。

 僕は椅子を持ち上げ、窓に向かって投げつけた。

 ガラスが割れて辺りに飛び散った。

 椅子は階下に落ちていった。

 キャーだの

 ワーだの

 クラスメイトがなにかわめていている。

 それはきっと言葉なんかじゃない。

 こいつらに言葉なんかない。

 

 言葉がある人間って生き物ならば

 人を死ぬくらい追いつめたりなんかしないはずだ。

 そんな馬鹿な真似なんかしないはずだ。

 

 桜を・・・・・・小枝子を死なせたりしないはずだ・・・・・・


 僕の身体は羽交い絞めにされ押さえつけられた。


 大きな樹の下で

 僕らは話をした。

 教室では出来ない話をした。

 どうでもいい馬鹿な話もをした。

 そして笑った。

 回りを気にしないで笑った。

 

 僕は彼女が好きだ。

 始めてあった時から、僕は彼女に引き寄せられていた。

 まるで彼女はブラックホールのようだ。

 知らぬまにひきよせられる、近くに居たくなる。

 彼女と過ごす時間はゆったりと流れる。

 まるで時が止まったかのように。

 止まればいい。

 何度となくそう思った。

 

 彼女は言葉を大事にした。

 気持ちを言葉で伝えてもらわないといつも不安そうな顔をしていた。

 なのに僕は彼女に伝えられなかった。


「好きだ」


 彼女にその言葉を、その想いを伝えられなかった。

 

 

 気がつくと保健室のベッドの上に僕はいた。

 錯乱して暴れた俺は取り押さえられ、保健室に運ばれた。

 そして意識を失ったのだと言う。


 伝えなくちゃいけない。

 僕はこの思いを伝えなくちゃいけない。

 彼女の所に行かなくちゃいけない。

 

 死んだ彼女にどうすれば会うことができる?

 そんな事わかるはずがない。


 そうだ。

 僕はその前にやらなければならないことがある。

 

 もう大丈夫ですと保険の先生に告げると、僕は教室に戻った。

 クラスメイトが怪訝そうな顔で僕を迎えた。

 僕はクラスメイト全員に笑顔で返した。

 そのまま笑顔で自分の席に戻ると、机を持ち上げた。


「死ね」


 そう一言つぶやくと、近くのクラスメイトの頭めがけて机を振り下ろした。

 面白いくらいにそいつは吹き飛んだ。

 それを面白がることも、悲しむことも僕にはない。

 僕は休むまもなく、机をさらに次の相手にむけて振り下ろす。

「ひぃぃ」

 間抜けな叫び声を上げて、また一人崩れ落ちた。

 なぜだろう、僕には感情がわいてこない。

 興奮する気持ちも、罪悪感も、なにもかも。

 まるで流れ作業でもこなすかのように、僕は机をクラスメイトの頭めがけて正確に振り下ろす。

 3,4人と倒れていく。

 何人かは教室のドアから逃げ出した。

 何人かは腰を抜かして倒れたまま。

 僕に近づいて止めようなんていう人は誰もいない。

 ひきつった顔で笑いながらおしっこを漏らす女がいた。

 イジメのリーダー格の女だ。

「なぜ? なぜそんな事をするの? 助けて・・・・・・」

 なぜ?

 君達はいつも小枝子にむかって『死ね』って言っていたじゃないか。

 小枝子はいつも言葉を大事にしていた。

 その小枝子に『死ね』って言ったんだ。

 それがどういう意味だかわかる?

 わかる訳がないよね。

 だから、あんたはそこで無様におしっこを垂れ流しながら死んでいくんだ。

 僕はその女に向かって机を振り下ろす。

 何度も何度も念入りに振り下ろす。

 いつしか教室の中には、僕と動くことの出来ないクラスメイトだけになっていた。

 僕は窓にむかって机を投げつけた。

『さようなら、僕に小枝子との出会いをくれた机』

 僕がこのクラスで好きになれたのは、小枝子とその机だけだ。

 

 僕はクラスを出てふらふらと歩いた。

 いつしかあの大きな樹の下に僕はたどり着いていた。

 言えなかった言葉を、僕は言いに行く。

 僕の手の中には割れたガラスの破片が握り締められていた。

 それで深く手首をえぐる。

 手首から飛び散る血が僕の視界を赤く染めた。

 薄れ往く意識の中で僕は考えた。

 

 きっと悪かったのは僕なのだと。


 僕は彼女を助けることが出来た唯一の存在だったんだ。

 なのに僕は彼女と二人で居れることができるこの状況に満足した。

 あまつさえ、それを嬉しいとすら思った。


 きっと未来は変えることが出来ていた。

 それを放棄したのは僕。


 彼女にあったら謝らなくちゃいけない。

「ごめんなさい」

 小枝子は許してくれないかもしれない。

 それでも僕は続けてこう言う。

「それでも、僕は小枝子が好きだ」

 その時、あの大きな樹の下で見せた笑顔を小枝子は僕に見せてくれるだろうか?

 もう一度、もう一度だけ。


 小枝子の笑顔が見たい。

 言葉が聞きたい。

 

 思考が出来なくなってきた。

 僕はもうすぐ死ぬ。

 目が見えない。

 僕はもうすぐ死ぬ。

 

 小枝子、君は死ぬときどんな気持ちだったんだ・・・・・・

 

 見えないはずの僕の目に、光が見える。

 眩しいほどの光が。

 


「あはは、はずれな机にあたっちゃったね」

 僕の後頭部辺りに声が聞こえる。

「ほんと、この机五月蝿くて嫌になるよ。はずれだよ」

「先生に言って変えてもらってきたら?」

「・・・・・・そうだね、そうしよう。嫌な事は直していかなくちゃね」

「うん、あきらめたり、妥協なんかしてちゃだめだよね」


「僕は君が好きだ」

「私もあなたが好き」

 

 僕の見たかった未来がそこにはあった。




 おしまい☆

 


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― 新着の感想 ―
[一言] またこれもすごいですね。 主人公が、ね。 最高。
2008/06/03 22:46 退会済み
管理
[一言] 確かに道徳の教材として使えばいいかもしれませんが、イマイチ面白さに欠けるような・・・
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