エピローグ 『Re』
私は幼い頃、父親から暴力を振るわれていた。それは殺意を持って行われた。殺す。殺してやる。そんな言葉ばかり浴びせられた。なんでそんなに殴るの? なんでそんなに蹴ってくるの? 漂う疑問は母親の言葉で拭き取られた。
「お父さんはね。ちゃんと、礼良のことも愛してるから……」
あれが愛情? 殺されそうな目に遭っているこれが? そういうことなの?
私は理解した。殺意と愛情が同一であるということを。幼い私はそれが間違いだとは気付かなかった。だから私は両親を殺した。殺意を持って殺した。包丁で無数に切りつけるだけでいとも簡単に殺せた。これが愛するってことなんでしょう? だけど虚しさがあった。孤独感があった。後悔した。死体となって横たわる二人の親。暴力を振るうでもなく、私を優しく抱きしめるでもない肉塊。無力な私はただただ泣き叫んでいることしかできなかった……。
独り身になった私を引き取ってくれたのは母方のおばあちゃんだった。おばあちゃんは優しかった。私を愛してくれた。でも、愛されれば愛されるほどに、そして私が愛すれば愛するほどに増していく殺人衝動に気付いた。このままおばあちゃんと一緒に過ごせば、また私は殺してしまうだろう。だから私は中学に上がると同時に一人暮らしを始めた。これで私は誰も殺さなくて済む、そう思っていたから。
中学ではイジメを受けていた。親がいないことを理由に男子生徒がちょっかいを出してくる。けどそんなことはどうでもいい。私は嫌われることで他人との距離を離したかった。そうすれば、私が殺人を犯すことはない。それが私自身の為になると信じていた。
放課後、二人の男子生徒が私に嫌がらせをしてきた。いつものことだ。教室内に二人の鬱陶しい笑い声響く。そんな時、彼は現れたのだ。
「おいやめろよ。女の子相手によってたかって」
助けなくても良い私なんかを、恐らく彼は善意で助けたのだろう。男子生徒を追っ払うと、彼は母のように優しく問いかけてきた。
「大丈夫か? あんなやつらのことなんかほっとけよ」
たまらず私は駆け出した。一直線に我が家に向かって走り出した。なんだろう、この気持ち……。湧いて溢れる感情。私が家に着いた時、異変に気付いた。私は安堵していたのだ。助けてくれて嬉しいと思っている。
親から愛情を注いでもらっていない私なんかが、他人から嫌われて生きることなんて無理だったんだ。そんな私を、彼は……。彼を好きになってしまいそうになる。好きになるということは、私が殺意を向けてしまうことと同義だ。だから隠そう。私の気持ち……。
それからというもの、私は彼にどんどん惹かれていった。募る殺意を抑えながら私は彼を好きになった。でも気持ちを伝えることはできない。伝えたらきっと、どんな答えが返ってきても彼を殺してしまう。そんな私を知ってか知らずか、中学を卒業する時、彼の友達が私に告白をしてきた。
「一目見た時から好きでした! 付き合ってください!」
体育館の裏での告白。ありがちすぎてヘドが出そう。イライラする。私が好きなのは殺したい相手だ。貴方は違う。私が殺したいのは貴方じゃない。
「……ごめんなさい」
だから断った。殺したいほどに好きなのは、あの時私に気付かせてくれた彼だ。彼が私の救世主なのだ。
その気持ちは高校生になっても変わらなかった。このままでいいのかと思った。だけど無理だよ。好きな人を殺してしまうなんて。
そしてそれは突然訪れた。朝起きると、私の頭の中で囁く黒い感情があった。
『殺せ。殺せ。殺せ。殺せ』
確かに私の中には殺意があった。だけど、こんなふうに誰かに操られるような感覚は今までなかった。
『殺せ。殺せ。殺せ。殺せ』
「うる、さい……!」
私は必死になって自分を抑える。お弁当作らなきゃ……。昨日、彼が言ってたんだ。私の料理を食べてみたいって。材料も既に買ってある。私はよろめく体を押して台所で調理を開始した。
その時にチラチラと目に入るのは、両親を殺した時に使った包丁だ。別の包丁はあるが、どうしても捨てることができずに未だに置いてある。自分への戒めかもしれない。
その日の昼休み。私は彼にお弁当を食べさせた。玉子焼きが美味しいと言ってくれた。私は天にも昇るような気分になった。彼が私の料理で喜んでくれている。それだけで満足。一緒に入っていた、あの包丁さえ見なければ……。
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私はついに彼を殺した。包丁を握り締めて、彼を見下ろす。ああ、死ぬことに怖がっている表情だ。大丈夫だよ。すぐに楽にしてあげるから。
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「…………!?」
あの黒い囁きを聞いてからはそんな夢ばかり見る。現実味がある嫌な夢。頭が痛くなりそうだ。彼を殺す夢など見たくない。殺意こそあれど、好きな人を死なせるなんて……。相変わらず私の頭の中では黒い感情が渦巻いていた。もう慣れたものだ。でも今日は一段と囁いていた。
『殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!』
いや、囁きどころではない。叫んでいる。ふつふつと沸き起こる殺意が私を包んでいく。
「あ……がっ……」
もはや抑えが効かない。彼を見ただけで襲ってしまうのが目に見えている。吐き気がして、洗面所に駆け込む。大量に吐いた。殺意が私の許容量を越えている。鏡にはやつれた私の顔が写っていた。吐いたおかげか、少しは落ち着いてきた。一応制服には着替えたが、やはり彼の顔を見れば自分が何をするか分からない。こんな状態で学校になど行けない。雨音だけを聞いて一日が過ぎるのを待った。そうだよ。明日になればいつも通りの日が来るはずだ。
しかし現実は非情だ。なんと彼の方からから私のところへやってきたのだ。お見舞いに来てくれたらしい。だけど迎え入れるわけにはいかない。彼を殺してしまう。そんな私の思考とは裏腹に、私は彼を家に入れた。甘えている。私は彼に甘えているんだ。もしかしたら彼がまた助けてくれるかもしれないと期待している。
『殺せ!!』
何かが吹っ切れた。私は台所へ向かい、あの包丁を持った。殺そう。殺して楽になろう。私も、彼も。
「礼良!!」
突然名前を呼ばれて振り向く。彼がいた。まるで私が殺すことを知っていたかのように。彼は言った。私のことが好きだって。私の一番欲しかった言葉だ。また私は彼に救われた。私の殺意は彼の為に行使しよう。彼を妨げる者は、例え死神だろうと容赦しない。
それはすぐに訪れた。彼の友達の、私に告白したあいつだ。あいつは彼を殺そうとしている。許さない。だから殺した。それで終わりであってほしかった。殺意がある、ということはいずれは彼に向いてしまう可能性があったからだ。それを裏付ける包丁の携帯。それは生徒会長からも指摘されたことだ。彼は知っているの? 私が殺意を持っていることを。
遅くなったけど、初めてを捧げた夜に訊いてみた。
「私のこと、愛してる?」
彼は当然のように肯定してくれた。ならもう、大丈夫かな……。私が包丁を見せても、彼は変わらず笑顔でいてくれた。私の愛情を受け止めてくれる。感謝してもしたりないくらい。
私はためらいもなく彼を殺した。あとに残ったのはやっぱり後悔だった。最期の最期まで彼は私のために尽くしてくれた。そんな彼を私は殺してしまった。
「ごめんなさい……」
謝罪の言葉を口にする。それが彼に届いているかはもう分からない。泣きじゃくってもどうにもならないのは分かってる。それでも涙が止めどなく溢れてくる。彼は私を許してくれるのだろうか?
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あれから何日経っただろう?もしかしたら何年も経っているのかもしれない。
白い病室に私はいる。私がここにいる理由。多分、狂ったように謝り続けたからだろう。
だけどもう流す涙も、謝る言葉も出ない。私は枯れてしまったのだ。私を救ってくれる彼はもういない。分かってる。自業自得だ。そんな時だ。誰かが部屋の中に入ってきた。私に良く似ている男の子だ。ううん、違う。彼にも良く似ている。その子は私に優しく話しかけてきた。
「大丈夫だよ。」
その言葉はこの子のじゃない。誰のかは、多分私にしか分からない。分かってしまった。
「うん、ありがとう……」
ああ、ようやく、私は、また泣くことができた。枯れたはずの私は、本当の幸せを見つけることができた。最期に、彼と同じように、笑顔でいることができた……。
Fin...