死劇≠悲劇
生徒会会議室に辿り着く。礼良はなぜか俺の制服の裾を握ったままだ。俺は一呼吸入れて扉をノックした。すると中から千松会長の『入れ』という声が聞こえてきた。
「礼良、行くぞ」
「…………」
礼良は無言で頷いてくれた。俺は扉を開けて中に入った。
生徒会の会議室は小さなホールとなっていてかなり広い。だいたい教室二つ分くらいか。普段は長机が並べられているらしいのだが、今は部屋の隅に纏められている。奥で千松会長が腕を組んで待っていた。
「む? 一人ではないのか」
礼良の存在に気づくと、少し眉を上げた。
「すまん、一緒でいいか?」
「……構わんさ。彼女も関係あるかもしれん話だからな」
礼良も関係する……? 一瞬だけ疑問が湧いたがすぐに千松会長が続けた。
「桐島遊乃」
「は、はい?」
突然名前を呼ばれて驚く。生返事だったが千松会長は気にせず言葉を発する。
「質問する。岡山龍馬の通り魔事件、あれはお前が関わっているな?」
「……ああ」
嘘なんてついても仕方ない。俺は素直に肯定した。
「ふむ。ならば再び質問する。岡山龍馬は通り魔に襲われたのではなく、お前を襲ったのではないか?」
「……まるで見ていたみたいだな。その通りだよ」
「そうか。質問を続けるぞ」
千松会長は何もかも知っているようだ。ただ俺たちに裏付けを取りたいみたいに淡々と続ける。
「岡山龍馬がお前を襲い、そして自衛の為に殺した……そうだな?」
「それは……」
視線で答えを示す。礼良は少しだけ俺より前に出て千松会長に告げた。
「龍馬くんを殺したのは私です。遊乃くんは何も悪いことはしていません」
無表情だがしっかりと前を見据えていた。千松会長は何を思ったのか、少し笑った。
「いやなに、私は岡山龍馬を殺した犯人を警察に突き出そうというわけではない。桐島遊乃が殺されかけたということが重要なのだ。私がそれを知った時、ようやく確信を持ち始めた」
「「……?」」
俺と礼良は二人して首を傾げる。それを見た千松会長は一息ついて話を続けた。
「桐島遊乃。お前は人ならざる者と関わりがあるな?」
心臓が跳ね上がった。きっとアリスのことを言っているだ。アリスは自分のことを『妖精』と言っていた。ならばどう考えてもアリスしか思いつかない。
「ああ、そうだ」
「やはりな……。やっと見つけることができた。で、そいつは自分のことを何と言っていた?」
「え? 妖精って言ってたけど……」
「妖精? ふ、笑わせる」
そうは言うが、顔は全く笑っていない。千松会長は怒るかのように言った。
「そいつは妖精などではない。……死神だ」
「…………」
思いも寄らない単語が飛び出てきて無言になる。アリスが死神? 何を言っているんだ? アリスは俺を何度も生き返らせてくれた恩人だ。死神などではなく、俺にとってはむしろ天使のような存在だ。
「俺の中にいる……アリスは死神だと?」
「名をアリスというのか。私の中にもな、その人ならざる者の存在がいる」
「何!?」
千松会長はさして驚くことはないだろうと言わんばかりに溜め息をつく。
「名をアビスというらしい。お前のアリスと似たような名だな」
「にわかには信じ難いな……。」
「本当のことだ。それを証明してやる。今からアビスを顕現させる」
それを言うが早いが、千松会長は目を閉じて意識を集中させた。周りの空気が少しひんやりし始める。すると俺と千松会長の間に光が放ち出し、俺は堪らず腕で目を覆った。
「……?」
光が止むと、そこにはもう一人の千松会長がいた。しかし着ている服が明らかに違う。黒いフードを全身に羽織り、肩には馬鹿でかい、それこそ死神のような鎌を担いでいた。
「こいつがアビスだ。そしてアビスも死神だ」
制服の方の千松会長が説明する。
「その……アビスっていうやつは、なんで会長と同じ顔をしてるんだ?」
「死神を私たちの中から顕現する場合、宿った本人のイメージに合わせた姿になるらしい。私は私自身をイメージしたから私と同じ姿になっている。そうだな?」
千松会長はアビスに同意を求めた。アビスは首で肯定し、言葉を発した。
「私は死神ではあるが、人間の命を奪うような真似はしない」
声も喋り方までも千松会長と相違ない。双子どころか、クローンでも見ているかのようだ。
「だがアリスという死神は違う。人間の命を弄ぶ、排除すべき死神だ。私はそいつを追って人間の世界に来たのだ」
アビスが俺に鎌を向ける。人の背丈ほどもあろう鎌の刃は、人振りで俺をまっぷたつにしそうだ。俺は怯まず反論する。
「アリスは俺を生き返らせてくれてたんだぞ? それも何度も。いくら死神だとか言われてもそれだけは変わりない」
「ならば本人に聞いてみるか? 私がアリスを顕現させてやる」
アビスはそう言って俺に近づいてきた。礼良は過剰に警戒したが、俺が首を横に振って身を引いてもらう。
「俺はどうしたらいい?」
「目を閉じて、アリスをイメージしろ。なるべくはっきりとな。実在する人物がいい」
そう言われて思い浮かぶのは礼良の顔だ。俺が目を閉じると、額に手の感触が伝わる。
「……いくぞ」
アビスが言うが否や眩い光が立ち込めた。その次の瞬間、ガタンという重々しい音がした。それを合図に目を開けると、長机の上に黒いフードを被った礼良が行儀悪く座っていた。
「……ちっ」
纏っている雰囲気は礼良のそれとは随分とかけ離れていた。担いでいる大きな鎌がそれを物語っている。
「……ようやく見つけたぞ、外道な死神め。逃げようとは考えないことだな。既にこの部屋には結界を張ってある」
アビスがアリスを睨みつける。傍から見ると千松会長と礼良が対峙しているかのようだ。
「逃げる? 馬鹿か。俺の能力を使えばこんな結界など意味をなさん」
アリスの声は頭の中でいつも聞いていたものと同じだった。ただ、喋り方や一人称が変わっている。
「何を言って……?」
「ふん……」
瞬間、アリスの姿が消える。次にアリスを捉えた時はアビスの目の前にいた。アリスが持っていた鎌がアビスの腹を突き抜けている。アビスが状況を理解した時、その大きな目を見開いて吐血した。
「がっ……は!」
アリスが鎌を抜くと、大量に出血しながらアビスが崩れ落ちた。アリスは無表情にアビスを見下ろす。
「これで結界が壊れないのは知っている。邪魔だてされると困るからな」
アリスは踵を返して俺の方を向いた。返り血を浴びたその顔は、龍馬を刺した礼良と遜色なかった。
「アリス……なんで……?」
自然と口からこぼれ落ちた。ずっと味方と思っていたアリスが残酷で残虐な行為をしている。そのことに対して受け止め切れていないからだ。
「なぜ、だと? 決まっている……」
アリスの肩が揺れる。その揺れは次第に激しくなり、哄笑となって押し寄せた。
「貴様の恐怖する顔が見たかったからだよ!!」
鳥肌の立つ笑みを浮かべる。それはまさしく死神を連想させた。
「そうさ、俺は人間の恐怖する表情がたまらなく好きなんだよ。だが死神が直接人間と接触するには人間を媒介に顕現しなければならなかった。故に他の人間を操って殺させていたのだ。そして何度も生き返らせて、また殺す。何度も何度もなぁ。」
愉悦に浸ったアリスの表情は、快楽の虜とも言うべきものへと変わっていた。
「私にアリスを探させていたのは、死神の世界では無作為に人を殺させてはいけないからだそうだ。だから検察官であるアビスが出向いたというわけだ」
千松会長が一人、安全圏で説明する。
「じゃあ礼良や龍馬が俺に襲ってきたのは……」
「俺がそうさせたんだよ、ばぁか!」
アリスは大声で俺を嘲笑った。全てはアリスの仕業だったのだ。俺が死に恐怖し、もがき苦しみ、挙句の果てには龍馬が……。
「だがバレたからには仕方あるまい。もう一度死んでもらうぞ、桐島遊乃」
アリスが血を帯びた鎌を俺に向ける。命を刈り取る為に作られたそれは、向けられただけでも恐怖を感じさせた。
「いいぜ、その表情! お前が死ねば時間が戻る。そしてまた記憶を消せばいい」
「また記憶を消す……?」
思い当る節があった。アリスが自己紹介した時、記憶が喪失したような感覚があるのを思い出した。
「ああん? そういえば言い忘れてたな。俺が生き返らせるために時間を戻す時、少しだが記憶をいじることが出来るんだよ。最初はいきなり犯人が小娘だってバレちまったからなあ」
「な……」
あの記憶喪失すらアリスが仕組んでいた。だとすればアリスの今までの助言は俺を助ける為ではなく、真犯人から目を逸らす為だったのか……。
「まあそんなわけだ。とっとと死んでくれ」
死神の鎌が振り上げられる。あの大きさだ、避けることは不可能だろう。ましてや相手は死神だ。アビスも一瞬で討ち取られたというのに、ただの人間である俺に何が出来ようか? 俺は死を覚悟してそっと目を閉じた……。
動かなくなった俺の代わりにアリスへ突っ込む影があった。
「ダメー!!」
礼良だった。どこから取出したのか、あの包丁を持ってアリスに突撃する。
「ぬ……うぅ!?」
咄嗟のことで反応出来なかったのだろう。アリスは礼良の持つ包丁で胸を抉られた。
「ダメだよ……。遊乃くんは……ダメだよ……」
深く刺さった包丁はアリスの胸をさらに抉っていく。アリスは何の抵抗もせず、振り上げた鎌を落として床に倒れた。
「人間如きにこの俺が……!」
血が吹き出す胸を抑えるが、そんな程度で収まる勢いではない。アリスは悪態をつくので精一杯だ 。
「やったのか……人間」
アビスが這うように起き上がる。アリスほどの重症ではなさそうだ。
「死神といえど、致命傷というものはある……。私の場合は運良く致命傷を外したが、こいつはそうも……いかないらしい」
先程と立場な逆になった。今度はアビスがアリスを見下ろす。
「くっそぉ……ここまでか……」
尚も捨て台詞を吐くアリス。しかし続けてこう言った。
「最後に教えといてやるぞ、桐島遊乃……。俺が操れるのはお前に対して殺意のある者だけだ……。そいつの殺意を増幅させ、タイミングを見計らって爆発させる」
「殺意のある者だけ……?」
礼良の殺意は好意からくるものだった。だが龍馬は違う。龍馬が俺に殺意を抱く理由が分からない。
「鈍感なお前には理解できんだろうさ……」
「……もういいか?」
アビスは答えを聞かずに鎌をアリスに突き立てた。断末魔もなくアリスは息絶えた。
「死神は死なない。しばらくすればまた復活する。その前にアリスは死神の世界に送り届ける」
アビスはそう言うと、遺体となったアリスを抱え、鎌で空間を裂いた。裂かれた空間の向こう側はまるで異世界に繋がっているみたいに黒々としていた。
「ではな人間。手間を掛けさせたな」
恐らくはこの場の全員に言ったのだろう。アビスは誰とも目を合わせず空間の中へと消えていった。
「……」
「……」
「……」
三人の沈黙が場を支配する。最初に口を開いたのは千松会長だった。
「私のやるべきことは終わった。結界も解いてあるし、あとはお前たち次第だぞ」
そして部屋を出ようとする時、最後に付け加えた。
「彼女が包丁を持っていた理由も、考えておけよ」
そう言うと千松会長は部屋から出て行った。礼良と二人っきりになり、しばらく黙り込んだあと俺は礼良に質問をぶつけた。
「礼良は知っているのか? 龍馬が俺を襲った理由……」
礼良が包丁を持っている理由なんかよりも龍馬のことだ。それだけはいくら考えても分からない。礼良は震える手で包丁を持ちながらヘナヘナと地べたに座り込む。俺は思わず駆け寄った。
「龍馬くんはね、私のことが好きだったんだよ。告白されたこともあるよ。だから私が遊乃くんと付き合ってるのが許せなかったんだよ、きっと……」
そばにいなければ聞こえないくらい小さな声で答えが返ってきた。こんなに弱々しい礼良は初めて見るかもしれない。
「大丈夫だ礼良。俺はここにいるから……」
抱きしめることしか出来なかった。それでも礼良は、あの時のように抱き返してくれた。
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それからはあっという間に時間が過ぎていった。卒業と同時に、俺は両親が経営するゲーム会社に就職した。本社ではなく小売店での仕分けや会計等の雑用だ。それでも俺は必死に働いて、結婚式の費用を貯めていった。
礼良とは同居という形になっている。俺が礼良の家に引っ越して、二人暮らしを始めた。礼良が家事全般をしてくれているおかげで、俺は気兼ねなく働くことができた。
そして目標の金額に達し、念願の結婚式を上げた。初デートの時に見つけたあのドレスを礼良に着せてあげることができた。やっと彼氏らしいことができたと思う。結婚式には俺の両親も来てくれた。忙しいはずなのに、来てくれて嬉しい。礼良も嬉しいのか、目に涙を浮かべている。俺も我慢しきれず、めいいっぱい泣いた。
そしてその日の夜……。
「礼良……俺……」
「うん……いいよ?」
結婚してからと決めていた初夜。俺と礼良はようやく、本当の意味で一つになれた。
「ねえ、遊乃くん……?」
「ん〜?」
交わったあと、礼良が俺に訊いてきた。
「私のこと、愛してる?」
礼良の手には包丁が握られていた。ああ、分かってたさ。礼良を選んだ時から分かってたことだ。
「もちろん。世界で一番愛してる」
他人の手垢がベタついた、ありふれた言葉だけど、俺が心から思っている真実だ。礼良はそれを聞くと、無表情に涙を流していた。
「私もだよ、遊乃くん」
包丁が俺に向かって飛び込んでくる。死神はもういない。だからもう生き返ることはできないけど、せめて最期にこれだけは礼良に伝えよう。笑顔でいるために……。
「ありがとう、礼良」
Dead end