終わらぬ死劇
今日は日曜日。朝早く起きる必要はないがいつもより早く目が覚めた。というか、あまり寝られていない。しかしそれでも眠気は全くと言っていいほどなかった。
「どれにすっかな……」
今は自室の立て鏡の前で着ていく服装を選んでいる。そう、今日は待ちに待った礼良との初デートの日なのだ。事の次第は数日前に遡る……。
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「ねえ遊乃くん。今度の日曜日、デート……しない?」
「……は?」
いつもの下校中、礼良がいきなり切り出した話題は俺の思考を一瞬停止させた。言葉の意味を理解した途端、顔が熱くなるのが分かる。
「ダメ?」
「ダメなもんか! いやむしろいい! いいですよ、デートしましょう!」
テンションが上がりすぎて違う喋り方になっている。礼良はクスクスと笑いながら話を続けた。
「じゃあ日曜日の十時に駅前でね」
「あ、ああ……」
本来ならそういうのは男性からするべきことだとは思うが、この際なんでもいい。好きな人とデートができるんだ、気合いを入れて臨もう。
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そんなわけで今に至る。情けないが、礼良に感謝だ。鏡の前で四苦八苦している間に時刻は七時すぎを知らせていた。
「……これでいいかな?」
英語が印刷された黒のポロシャツにグレーのパーカー、下は青いジーンズにしてみた。全身の前後左右を確認してみて思った。
「普段とあんまり変わらないな……」
いや逆にその方がいいのかもしれない。という、半ば現実逃避的な考えに至った。
現在は八時すぎ。約束は十時なのだが待っているのも生き地獄なようなものなので、とりあえず待ち合わせ場所まで行ってみよう。確か日曜日は遊利の部活は休みだったはずだ。俺は出掛けることを遊利に告げるため、遊利の部屋をノックした。
「遊利ー?」
返事はない。もう一度ノックをしてみるがやはり何も反応がない。屍かな?
「入るぞー?」
部屋の中に遊利はいた。しかし、パソコンにヘッドホンを着けてギャルゲをしているようだ。これでは気付かないのも仕方ない。なので俺は肩を叩こうと近寄ろうとした。その瞬間、遊利は奇声を上げた。
「うひょー! マヤちゃんキターーー! パンツミシテ!」
俺の存在にも気付かず、変態発言をする遊利。パソコンの画面にはそのマヤとかいう女の子が映っていた。遊利はクリックしながらハアハアしている。すると画面が変わってCG、いわゆるキャラクターグラフィックが映し出された。どうやらマヤが転んで主人公の上に乗っかっているらしい。
「縞パン! キタキタキターーー!」
もうこいつはダメなんだな、と思い、その場をそっと離れることにした。部屋から出るときに聞こえてきた『リア充シネ!』というのは俺宛てではないことを祈る。
遊利の部屋を出たところでアリスが話し掛けてきた。
『いいご身分だな。こんなときにデートとは』
「なんだよ、別にいいだろ。もう死のループは終わったんだ」
『どうだかな。ここ数日、生徒会長からの連絡がないことも気になる。まあ私からは、あまり浮かれないほうが良いと忠告だけしておく』
せっかくいい気分だったのに水を差された。最近なぜかアリスの機嫌が悪い。まあいいさ、今日は存分に楽しむさ。
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礼良の家に寄って直接礼良を迎えに行っても良かったが、それじゃあ新鮮味がないと思い、そのまま駅前に行く。ゆっくり歩いたつもりだが思ったより早く着いてしまった。時刻は九時前。さすがにまだ来ていないだろうとは思いつつも辺りを見渡してみる。すると、聞きなれた愛しい声が俺を呼んだ。
「遊乃くーん!」
振り返るとそこには礼良がいた。手にはバスケットを持ち、青いワンピースに白いカーディガンを羽織った礼良が手を振りながら俺に駆け寄ってきた。
「すまん礼良、待たせたか?」
「ううん、そんなことないよ」
よく見ると礼良は珍しく化粧をしているらしい。赤い口紅がなんとも言い難い艶やかさを醸し出している。
「ど、どう?遊乃くん、私、変じゃない?」
「ああ……すごく、いいと思う」
上目遣いで尋ねてくる礼良。思わず見惚れてしまうほどの美人が目の前にいる。本当に、礼良を好きになって良かったと心の底から打ち震える。
「良かったぁ……」
はにかむ表情もまた可愛い。俺が殺されそうになったことなどもうどうでもいい。
「さ、行こうぜ」
「うん。……!?」
突然、礼良が視線を変える。日曜日故の賑わいを見せる人混みの中を、礼良は凝視していた。
「どうした礼良?」
「……なんでもない。行こっ」
よくわからないが、礼良がなんでもないというのならばなんでもないんだろう。
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行き当たりばったりで映画館に行く。定番の恋愛ものだ。席に座ってから礼良と手を繋ぎっぱなしのせいで内容は頭に入って来ない。礼良から手を繋ぎたいと言い出したことだ。いやまあ、手を繋ぎたかったのは俺としても同感なので何も言うまい。
映画館を出ると、雰囲気を読まない腹が自己主張を始める。時刻的には昼飯の具合か。
「腹減ったな。何か食いに行くか?」
しかし礼良は首を横に振ってずっと手に持っているバスケットを見せてきた。
「私、サンドイッチを作ってきたの。どこか落ち着いたところで食べよ?」
なるほど、礼良の手作り料理か。普段学校でも食べさせてもらっているが、こういう時だと気持ちが高ぶってくる。ならお言葉に甘えて御相伴に預かろう。
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近くに広い公園があるので、そこで昼食を済ませた。今は商店街でウィンドウショッピングと洒落込んでいるところだ。
「……くく」
「もう! 遊乃くん、笑わないでよ!」
「いやすまん、でもな……ぷっ」
礼良が作ったサンドイッチはいわゆるロシアンサンドイッチだった。たくさんあるサンドイッチの中に、ひとつだけ大量のマスタードが入っていると、礼良から告げられたのだ。しかし引き当てたのはなんと礼良自身というオチだ。これが笑わずにいられようか。あの礼良の慌てようったらない。
「くっくっく……」
「遊乃くんなんか知らない!」
少し笑いすぎたようだ。礼良は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。そんな礼良もまた可愛らしい。
「ごめんごめん、機嫌直してくれ」
礼良の頭を優しく撫でる。サラサラの髪の毛が俺の手を包み込む。
「……今回だけだよ?」
「ああ」
「じゃあ許してあげる」
礼良の顔が明るくなった。嬉しそうにスキップしながら俺を追い越す。俺は少しだけ早く歩いて礼良を追いかけた。
「あ……」
礼良がある店の前で立ち止まった。ガラス越しに展示されているウェディングドレスを見ている。どうやら結婚式をサポートする店のようだ。
「キレイなドレス……」
お前の方がキレイだよ、なんて口が裂けても言えない。それくらい礼良は見入っていた。
そういえば、結婚なんて考えていなかった。叶うなら礼良と結婚したい。
「ねえ遊乃くん。」
「ん?」
礼良はドレスを見ながら俺に問いかける。
「卒業したら、私と結婚、してくれる?」
一瞬めまいがした。そんなこと言われたら目を合わせなくなるじゃないか……。
「……もちろんだ」
なるべく平常心で答えたつもりだ。礼良の顔が見れないよう、俺は空を仰いだ。
「うん、ありがとう」
その時礼良がどんな表情をしたのかは分からない。でも、幸せそうだということはすぐに分かる。だって礼良は、俺の未来のお嫁さんだから。
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商店街を歩き回った俺たちは、昼に訪れた公園に戻りベンチに腰をおろしていた。夕暮れ時に遠くの方で家族らしき団体が帰り支度をしている。
「楽しかったか?」
あまり彼氏らしいことが出来なかったが一応訊いてみる。
「愚問だよ、遊乃くん」
「え?」
「私は遊乃くんと一緒ならどこでも楽しいよ」
そう言ってもらえるとデートをしたかいがあったというものだ。誘ったのは俺じゃないけど……。
「……」
礼良が横でモジモジし始めた。顔も心なしか赤い。夕日のせいだろうか?
「どうした礼良?」
「遊乃くん……私……」
「ん〜?」
「……お花を摘みに行ってくるね」
「あ、ああ……。ああ! いってらっしゃい」
一瞬だけどそれが隠語だと理解出来なかった俺を殴りたい。礼良はバスケットを持ったままお花を摘みに行った。女の子って、大変だな……。
しばらくベンチで一人になる。俺は何をするでもなく、遠くを見つめる。周囲は怖いくらい静まり返っていた。風が俺を撫でる音と同時に足音が後ろから聞こえてきた。礼良かな? と思いながら振り向こうとしたその時。
ガンッ!
振り向く前に俺の視界が揺らいだ。何か堅いもので後頭部を強く打たれたようだ。クラクラする頭を抑えながらベンチから転げ落ちる。
誰だ?
誰とも知れないそいつは再び俺の後頭部に堅い一撃を加える。
「ぐわっ!」
俺は地面にうつ伏せになりながら思考を巡らせる。
礼良じゃない。別の誰かだ。それを裏付けるかのように、俺の最期の光景は、俺の名前を呼びながら駆け寄ってくる礼良の姿だった。
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変わるはずのなかった日曜日がまた始まる。俺はベッドの上で頭を抱えた。
(まだ終わっていなかったのか……?)
答えはすぐに返ってきた。
『だから言っただろう?』
上機嫌なアリスが微笑する。俺からすれば笑い事ではない。
「礼良は殺人を止めてくれたはずだ。なのにどうして……」
『お前は死に魅入られている。一つや二つ程度片付けたのでは到底終わるはずがない。残念だったな』
「そんなの、またもう一度犯人を突き止めて、やめさせればいいだけだろ」
『そう簡単に上手くいけば良いがな』
礼良の時だって大丈夫だったんだ。今回だって、きっと……。
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礼良とのデートは映画館には行かず、すぐに公園でサンドイッチをごちそうになった。少しでも殺人という未来を変えるためだ。
昼過ぎになり商店街をぶらつく。
「遊乃くん、大丈夫?」
礼良がそう訊いてきたのには理由がある。ロシアンサンドイッチのマスタードを引き当てたのは礼良ではなく俺だったからだ。
「……かひゃい」
礼良が持ってきた水筒のお茶をがぶ飲みしたが、それでもまだ舌が痺れている。
「ごめんね?辛いの苦手って知らなかったから……」
「いやいいんだ。むしろ嬉しかったよ。礼良の作るサンドイッチは格別に美味いからさ」
ヒリヒリするのを我慢しながら笑顔を見せる。すると礼良は心配そうな表情を少し和らいでくれた。
歩くこと数分、あの店の前で礼良が足を止めた。ウェディングドレスが飾ってあるあの店だ。
「キレイなドレス……」
前回と同じセリフ。やはり口が裂けてもあの言葉は言えない。
「ねえ遊乃くん」
「ん?」
もう、礼良が何を言おうとしているか分かっている。それでも俺は聞き返した。
「卒業したら、私と結婚、してくれる?」
「……もちろんだ」
今度はしっかりと礼良の目を見て答えた。でも、礼良の顔は俺の想像とは違っていた。
「うん、ありがとう」
どうしてそんなに悲しそうな顔をしているんだ?
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夕刻、またあの公園にいる。歩き疲れた俺と礼良はベンチで休んでいた。
楽しかったか? と訊こうとした。だけどやめた。答えは分かってる。だから違うことを言う。
「礼良と一緒ならどこでも楽しいな」
そうだ。礼良となら、どこでだって楽しめる。俺の嘘偽りのない真実だ。
「私もだよ、遊乃くん」
満面の笑み。ちくしょう、かわいいなコノヤロー。
と、一人ハイテンションな俺をぶった切るかのように尿意が押し寄せてきた。おそらくは昼間のお茶のせいだろう。空気読めよな、全く……。
「すまん礼良、ちょっとトイレ」
「え?あ、うん、いってらっしゃい」
言ったあとで気付く。デート中にトイレ行くとか普通に言っちゃったよ……。まあいいや、それより急がないとヤバい。
用を足して公衆トイレから出ると、礼良が待っていた。そんなに俺に会いたかったのかな? という浮かれた考えがよぎったが、雰囲気はそんな感じではない。
「遊乃くん、私たち誰かに追われてる」
小声で、なおかつ早口で礼良がはやし立てる。周りを見渡してみるが人影はない。しかし、この前の殺人という事象があった俺は礼良を信用する。
「どこにいるか分かるか?」
「分かんない。とりあえず、この場所から離れよう」
礼良は俺の手を取って早足で歩き出した。
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だんだんと人気のない場所へ行く。辺りはすっかり暗くなり、月明かりは俺と礼良だけを映し出していた。
「ここに入ろう。」
礼良が指差したのは古びた廃工場だった。言うほど近場ではないが、こんなところに廃工場があるとは知らなかった。礼良は勝手知ったるや、ずんずんと奥へ入っていく。手を繋いだままの俺の体は意識を無視して礼良の後を追う。
俺の知らない機械や道具があるなか、そっと礼良は身を潜めた。俺も同じようにしゃがむ。
カツン、と。
俺たち以外の誰かがいることを示す足音が聞こえてきた。息を殺して壁を背に来た道を覗く。
そこには誰もいなかった。
「遊乃くん!」
礼良の叫び声で後ろを振り向く。男が鉄バットで俺を殴ろうと振りかぶっている姿があった。
間に合わない。そう思った矢先、再び礼良の声が響きわたる。
「うああああ!!」
礼良が男に体当たりを仕掛けたのだ。男はよろめいて月明かりに姿を現した。
「龍馬……?」
確かに鉄バットを持っているのは龍馬だった。だけど様子が明らかにおかしい。殺気立ち、血走った目で俺を睨んでいた。
「遊乃くん逃げて!」
礼良の声が俺を我に返させる。その時、龍馬が口を開いた。
「なんでお前なんだ! なんで俺じゃないんだ!」
そう言うと龍馬は鉄バットを振りかざした。絶対に龍馬の状態は普通じゃない。俺はただ龍馬の振り下ろす鉄バットを見つめた。
「させない!」
視界に礼良が入る。龍馬の体はくの字に曲がり、礼良に突き飛ばされた。
「大丈夫? 遊乃くん」
「…………」
礼良の手には赤く染まる返り血が着いていた。バスケットの中にあったのだろう、包丁を持って。
突き飛ばされた龍馬は起き上がってこない。横腹から血が吹き出し、止血しなければ助からないのは目に見えていた。
「礼良、俺……」
「ごめんなさい。あとは、私に任せて?」
龍馬はもうどの道助からない。そう諭すかのように礼良は優しく問いかけた。俺は自分の無力さを呪い、歯ぎしりを起こす。龍馬をこんな目に合わせたのは俺のせいなのかもしれない。龍馬の言葉を思い返しながらその場を去ることしか出来なかった。
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翌日、普段通りに登校する。正直に言うとあまり寝られていない。あれから礼良の連絡はないが、学校へ行けば何か分かると自分に言い聞かせながら、一人で登校する。校門前にはいつものあいつはいなかった。自然と涙が溢れてくる。俺は必死に堪えながら教室へと向かった。
教室では先に礼良が到着していた。俺自身も早く家を出たつもりだったが、礼良はそれを見越していたようだ。
「礼良、昨日はどうした?」
「…………」
礼良は答えてくれない。しかし、疑問はすぐに解消された。
朝のホームルームで、担任の先生から通達された。
龍馬が通り魔に遭って死亡した、と……。
礼良が何をやったのかは知らないが、どうやらそういうことになっているらしい。ゆえに今日は昼には下校だそうだ。
そして昼過ぎ。俺は礼良に声を掛けた。
「なあ礼良。龍馬は、その……」
「…………」
「…………」
やはり口を閉じたままだ。教室は俺と礼良の二人きりで静まり返っている。そんな空気が充満している時、教室の扉をノックする音が俺と礼良の視線を集めた。
「話がある。生徒会会議室に来い」
千松生徒会長だ。それだけ言うと、素早く去っていった。
タイミング的に、やはり龍馬やアリスのことが関係していると見て間違いなさそうだ。俺が会議室に向かおうと足を踏み出した瞬間、礼良が俺の服の裾を握っていた。
「私も……行く」
俯いたままの礼良だったが、声に力がこもっていた。
「ああ、行こう」
もう終わらせるんだ、こんな悲しいことは。