間違えた選択
みんなにとっての今日、俺にとっての昨日が始まる。遊利の朝練がないこと、礼良が迎えに来てくれたこと、校門前で龍馬にからかわれたこと、昼休みに生徒会長の千松里奈に睨まれたこと……全てが同じ時間に、同じ人物が、同じように行動していた。つまりは同じ時間に、同じ場所で、俺が殺されるということだ。なら時間をずらせば殺されることはないはずだ。
放課後のチャイムが鳴ると同時に、俺は荷物をまとめて教室を出た。
「遊利ちゃんは待たなくていいの?今日は部活、ないんでしょ?」
呼び止めたのは礼良だった。
「すまん、俺は先に帰る」
こうしている間にも俺が殺される時間が来ようとしている。俺は一刻も早く帰りたかった。
「そう、なんだ……」
少し悲しそうな顔をする礼良。しかし事情を説明したところで余計な心配をさせるだけだ。俺は一度だけ手を振って廊下を駆けた。
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なまった身体が悲鳴を上げる。久々の全力疾走はさすがに堪えた。だがなんとか家に着くことができた。後ろを気にしながら鍵を開け、入ると同時に素早く扉の鍵を掛けた。
「ふぅ……」
緊張が解けると、今までの疲れがどっと押し寄せてきた。靴も脱がずにその場で座り込んだ。
「……」
自分の家だというのに嫌に恐く感じる。静けさのせいだろうか? 呼吸を落ち着かせ、俺は家の全ての窓や扉をチェックしてみた。家を出た時と同様、きちんと鍵が掛かっている。なんの心配もない。
「遊利ー?」
一応妹がいないか呼んでみた。しかし当然のように返事はない。今日は部活はないはずだから、ゲームをしているはず、なのにいない……。俺が全力で走ったから知らぬ間に追い抜いた、というわけはない。なにせあいつは陸上部だ、断然遊利の方が速い。まさかとは思うが……。
『そのまさかかもしれんぞ?』
「うわっ!?」
突然、頭の中で声が響いた。アリスだ。
「いきなり話しかけるなよ、驚いただろ……それより、妹が犯人だって言いたいのか?」
『ない話ではないだろう? 本来いるべき人間がいないのだ、疑って当然だ』
「仮に、遊利が犯人だとしても動機がない。遊利は犯人じゃない」
『動機なんぞ他人に分かるものか。例え家族だとしてもな』
吐き捨てるかのようにアリスは淡々と告げた。だが誰がなんと言おうと遊利は疑わない、疑いたくない……。
自室でただ時が過ぎるのを待った。夕日が沈んだ頃にようやく遊利が帰ってきた。
「ただいまー……」
疲れたような声だ。俺は自室から出て玄関で遊利を迎えた。
「おかえり。遅かったな? 今日は家でギャルゲーやるんじゃなかったのか?」
「あー……なんかね、急にミーティングがあったんだよねー」
「陸上部の?」
「うん」
そっけない返事だ。遊利は靴を脱ぐとリビングに入っていった。
やはり遊利が犯人なのか? そんな考えが頭をよぎる。ミーティング? それにしてはタイミングが良すぎる。しかも帰ってきた時間は俺が殺された時間とほぼ同じ時間だ。本当は疑いたくはないがどうしてもアリスの言葉が引っかかる……。
俺が思いにふけっていると、リビングから大きな声が轟いてきた。
「ああー!!?」
遊利だ。俺は急いでリビングに走った。
「どうした!?」
「兄ちゃん、晩御飯の用意してないの!? 今日は兄ちゃんが当番でしょ!?」
「あ、ああ……そうだったな……」
しまった。いろいろなことがありすぎてすっかり忘れていた。
「もう……今日は私も疲れてるから、店屋物にする?」
「そうするか」
「えっへへー。何にしようかなー?」
久々の店屋物ということで上機嫌な遊利。まとめてある広告から好きなものを選んでいた。そんな遊利を見ていると、疑っていた自分がバカバカしく思えてくる。もう考えるのはよそう……。
「俺にも見せてくれよ」
俺は遊利と一緒に広告を眺めた。
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いつもの就寝時刻。本来ならベッドに身を投げ出して眠りに入るが今日(というか昨日?)の出来事を整理したかった。
「アリスー?」
『なんだ?』
「今日のところはもう大丈夫……なんだよな?」
『ああ、そうだな。だが前にも言ったがこれで終わりではない。犯人を突き止めて殺人をやめさせなければならない』
「そうだよなー……」
『まあそう絶望的になるな。これで目が覚めれば今回の死はもう来ない』
「ん?どういうことだ?」
『私が生き返らせるとその日の朝になると言っただろう? つまりは一度朝を迎えれば、例えその日に殺されても前日まで戻ることはない』
「なるほど……今日の分は回避したからもう一度回避し直す必要はないってことか」
『そういうことだ』
しかし事態が好転したわけじゃない。一つの死のループを抜け出しただけだ。アリスの言うように、犯人を特定しなければ、新たなループが始まってしまう。
「なんでこうなったんだろうな……」
『フン、今日はもう寝ろ。疲れただろう』
「そうだな……そうするか」
明日の事は明日にならないと分からない。分からない事を考えても仕方ないし、さっさと寝よう……。
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「遊乃くーん!遅刻しちゃうから先に行くねー!」
礼良の声で意識が覚醒する。始めは何を言っているのか分からなかったが、目覚まし時計を見て即座に理解した。
「やべえ! 寝過ごした!?」
目覚ましにセットし忘れていたようだ。遊利も今日は部活があるらしく、起こしに来てくれていない。大丈夫だ、急げば間に合う……!
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予鈴の五分前に校門に到着。やっぱり走ればなんとかなるもんだな。
いつもより人通りが少ない昇降口だ。ちょっと違和感を覚えつつも靴を履き替えた。
「……ん?」
靴箱の中から手紙が出てきた。今時珍しいシチュエーションだ。差出人を見てみると、千松生徒会長からだった。
そう言えば、生徒会長からなぜか睨みつけられていた。もしかすると、この死のループについて何か知っているのかもしれない。いや、そんな都合良くはいかないか。
俺は周りに誰もいないことを確認し、封を切った。中に一枚の紙に、短く言葉が綴られていた。
『放課後、屋上に来い』
何かあるのは確かなようだ。なら行って話を聞きたい。しかしアリスは疑問符をつけてきた。
『行くのか?』
「え? 行くとマズいのか?」
『おいおい、このタイミングで、この状況で、突然の呼び出しだぞ? 悪い予感しかせんな』
「でも行かないと何も進展しないのも確かだ」
『……まあ、お前が良いなら私は構わんがな』
アリスの言いたいこともわかる。だけど、千松生徒会長がもし何か知っているのなら、それは俺にとって知らなければならないことだ。もうあんな怖い思いはしたくないから……。
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夕日が教室に差し込む放課後。俺は昨日のように素早く教室を出ようとした。
「遊乃くん……今日も一緒に帰らないの?」
礼良がしょんぼりした表情で俺を呼び止めた。龍馬も同じ意見だった。
「女の子一人で帰らせる気かよ、俺は帰り道が反対方向だから護衛出来ねえんだぞ?」
「本当にすまん、今日は生徒会長に呼び出されてるんだ」
「生徒会長?」
「ああ、屋上に来いって」
俺は一言謝罪してその場を後にした。
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屋上へと続く階段を昇る。普段は鍵が掛かっている扉も、今日は開いていた。外に出ると風が少しだけ吹いていた。夕日も沈みかけている。辺りを見渡してみるが千松生徒会長の姿はなかった。
「……帰るか」
いないのならば仕方ない、今日のところは諦めよう。俺は来た道を辿って階段を降りた。
すると、ふと俺に影が差し掛かった。誰か後ろに、いる。振り向こうとする俺よりも早く、何かが目の前を通り過ぎた。糸の様なものだ。それは俺の首に巻き付き、窒息させようと力強く締め付けてきた。
「う……ぐっ!?」
助けを求めようとも声が出ない。気管を閉じられているせいだ。抵抗するがなんとも位置が悪い。階段を降りている途中だから、俺が下になっている。吊るされている状態に近い。もはや意識が飛びそうなのを知ってか知らずか、後ろにいる人物はより一層力を込めて俺にトドメを刺そうとする。
「か……は、え……」
断末魔すら上げることも出来ず、俺はまた、死んだ……。
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『だから言っただろうに』
朝の目覚めと同時に発せられるアリスの声。首に違和感を感じつつもアリスに返答した。
「そう、だな……」
時刻は目覚ましよりも早かった。しかしなんとも言えない吐き気がする。さっさと起きて学校へ向かおう……。殺されると分かっていても、逃げ出すわけにはいかないから。
遊利は部活でいなかった。朝食を自分で作り、もそもそと食べていると、玄関の呼び鈴が俺を急かす。
「遊乃くーん? 起きてるー?」
礼良だ。今日も迎えに来てくれたらしい。
「おう、今行くよ」
最後の一口を放り込み、鞄を持って玄関へと向かう。扉を開けるとニッコリ笑顔で礼良が挨拶をした。
「おはよう、遊乃くん」
「ああ、おはよう」
いつもの日常風景、のはずなのに、これから自分が死んだ現場に近づこうとしていると思うと、少し体が震える。そんな俺を気遣ってか、礼良が心配そうに尋ねてきた。
「遊乃くん、大丈夫? 顔色悪いよ?」
「……そうか? 俺は、平気だぞ」
ダメだダメだ、礼良にこんな顔をさせるなんて。俺が今抱えている問題は礼良に知られたくない。知ったら、泣いてしまうどころじゃなくなる気がする。ただでさえ礼良は両親を失って寂しい思いをしているんだ、これ以上礼良の暗い表情なんて見たくない。
「……ホントに大丈夫?」
「大丈夫だって! ほら見てみろよ」
俺は礼良を笑わすようなヘンテコな踊りを踊って見せた。道端で恥ずかしいが、今はそんなことどうでもいい。
「フフフ……」
良かった、笑ってくれた。しかし周囲の痛い目線はさすがにいつまでもは喰らいたくないので、早足で学校へ向かった。
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校門前で龍馬と合流し、昇降口に入る。前回は時間ギリギリだったから人通りが少なかったが、今回は余裕を持って登校している。なので、人はそれなりにいる。
俺の靴箱の中には思ったとおり、手紙が一通入っていた。差出人はもちろん千松生徒会長からだ。それを見た龍馬が俺を茶化す。
「おいおい、ラブレターかよぉ。ずりぃぞ、お前だけ」
「そんなんじゃねぇよ」
「まだ見てねえのになんでそう言い切れるんだよ?」
それは内容を既に知っているからだ、なんて言えるわけない。それに龍馬や礼良の手前、見ないと後でめんどくさそうなので封を切って一枚の紙を取り出す。
『放課後、屋上に来い』
やはり同じ内容だった。
「わ、もしかして二人っきりで……ってことなのかな?」
「屋上とかもう告白ムードMAXの場所じゃんか!」
乾いた態度の俺とは正反対に二人のテンションが高い。本来ならそういう反応なのだろうが、俺はこの手紙から連想させるのは階段での絞殺だ。テンションなんて、上げようもない。だが屋上にさえ行かなければ死を回避できるはずだ。何の心配も、ない。
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放課後になると同時に龍馬が急かしにきた。
「屋上、行くんだろ?」
「……いや」
「なんでだよ、生徒会長からの誘いだぞ? 告白じゃないにしても、行かないとマズイだろ?」
「今日は、どうしても外せない用事があるからな……」
行けば俺は誰かに殺されてしまう。
「ふーん……。ま、俺には関係ないか。じゃあとっとと帰ろうぜ」
「ああ。礼良も、帰ろう」
「え? ああ、ごめん、私、ちょっとその……おトイレに行ってくるね。先に帰ってて」
そういうと、礼良は慌ただしく教室を出て行った。野郎二人で取り残された俺たちは少し驚いていた。
「礼良が一緒に帰らないなんて、珍しいな」
「まあそっとしといてやれよ。女性にはいろいろあんだよ……」
龍馬は何か分かっているようだったが、俺にはイマイチピンと来ない。
「俺は先に帰るが、遊乃は待っててやれよ? また女の子一人で帰らせるなんて許さねえからな」
そんな台詞を吐き捨てて、龍馬は本当に帰ってしまった。だが龍馬の言う事も最もだ。それなら校門で礼良を待つとするか。
一階は一年、二階は二年、三階は三年の教室が並んでいる。俺は二年生だから二階にいるので、階段を使って一階に降りなければならない。俺は教室を出て階段へ向かう。その途中、他のクラスも覗いていく。まだ数人の男女が楽しげにだべっていた。こちらに気づくと気さくに手を振ってくれた。俺も手を振り返し、先を行く。
教室を二つ三つ通り過ぎたところに階段がある。一歩階段に足を踏み入れた時、カツンと、足音が聞こえてきた。その一瞬で理解した。
---後ろに誰かいる。
俺が振り向こうとするその瞬間、背中に感触があった。手を、当てられている様な感覚。その次、俺の体は宙に浮いていた。いや、放り出されたのだ。階段の上から突き落とされた。しかも頭から着地しようとしている。逃げることも避けることもできない俺は、最期に、自分の首の骨がぐぎりと折れる、嫌な音を聞いた……。
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何度経験しても死ぬのは嫌だ。例え生き返るとしても。だから俺は繰り返す。いつかこの死のループから抜け出すために。