第9話 『敵は金髪 前編』
第一章あらすじ。
高校生、浅倉健太は日本政府と健太の母親、浅倉澄佳が作り出した巨大ロボット〈エルフガイン〉のパイロットに据えられてしまった。敵は世界中の名だたる国家。未知のスーパーエネルギー〈バイパストリプロトロン〉コアを国家間で奪い合う〈ゲーム〉と呼ばれる戦争に巻き込まれ、戦い続ける健太。エルフガインは日本に侵攻したカナダ、北朝鮮、韓国、中国のロボットを撃破して日本を勝利に導いた。それで日本が獲得した〈コア〉は合計8個。アメリカとロシアに並んだ。しかし世界中に散ったコアの総数は40個。戦いは始まったばかりである……。
「わが国は本日午前11時をもちまして、日本帝国に対し宣戦を布告します」
壇上に昇った男が画面を直視しながら宣言した。
エルフガインコマンド武蔵野ロッジの2階ラウンジに髙荷マリア、若槻礼子、二階堂真琴、近衛実奈、エルフガインパイロットの大半が集まってテレビ画面を注視していた。画面に映っているのは7時のニュースだ。
イタリア現地時間で午前11時、日本では夕方6時に首相が宣戦布告を告げ、以来その模様は緊急特番として繰り返しながされ、1時間経ったいまニュースでふたたび放送されていた。情報はいくらか整理され、同時通訳より分かりやすい字幕が貼り付けられていた。
風呂上がりの健太は、階段を上がって自室に向かう途中でラウンジに集合した女性陣に気付いた。「あれ、みんな揃ってどうしたん?」
礼子が振り返った。
「健太くんまだ知らなかったの?こんどはイタリアが……」
「えっ!?」健太はタオルで頭を拭く手を止めた。「ひょっとして、〈ゲーム〉?」
「ひっさしぶりに出番みたいよ、お兄ちゃん」
「ほー、こんどはイタリア製のロボが相手か……」
「健太」マリアが画面のほうを向いたままおもしろがっている口調で言った。「首相のスピーチの次を見なよ」
日曜日だというのでマリアが遊びに来ていた。おかげで健太はなんとなく部屋から出あぐねていた。ハードディスクビデオに撮り溜めていた映画やアニメを見たりマンガを読んだり……風呂上がりには帰宅していると期待したのだが、がっかりしたことにまだ居る。
「なんだ?」
画面に目をやると、VTRはちょうどマリアが言ったシーンに差しかかっていた。ニュース解説者が言っていた。
「ここでパイロットの紹介となったわけですが、カメラの前に現れたのは意外な人物でした」
満面に笑みを浮かべたイタリア首相が壇上を譲るように手を差し伸べて脇に退くと、変わって登場したのは金髪の女の子だった。拍手と歓声。
健太は目を丸くした。「なんだって……?」
襞付きの白いドレスシャツに真っ赤なスカート……長い金髪は緩やかにカールしながら肩に掛かっている。カチューシャかリボンで前髪を梳き上げ、滑らかな額からハート型の顔の輪郭、くっきりした弓形の眉に、いくらかやぶにらみな碧眼の双方、引き結ばれた小さめのふくよかな唇……いかにも育ちが良さそうなどこぞの名門貴族という雰囲気。
ニュースキャスターが続けた。「えー、大変に美しいお嬢さんですがこのマリーア・ストラディバリさん、若干17歳だそうですね」
「はい、わが国でいわゆるヴァイパーマシンと呼ばれる特殊機材に適合したパイロットとして、およそ10万人から選ばれたそうです」
健太は名前に気付いた。「あれ、よく似た名前の人がひとりいるな」
「そうだよマリアお姉ちゃん!日本代表なんだから負けないようにしなきゃ」
「よせってば!名前なんかどうでもいいだろ……」
「でもきれーだな~……」健太は軽い気持ちで呟いたが、その結果女性四人の改まった凝視を集めてしまった。「いやいまのは無し!」
「なにがいまの無しだ。鼻の下伸ばしやがって」
健太はおもわず口元を抑えた。「の伸ばしてねーし!」
ひと月ほどまえのことだ。キスやら覗きやら健太の「悪行」がいっぺんに暴かれ、共同生活に微妙な雰囲気が垂れ込んだ。なのにようやく収まりかけたところにこれだ!
「お兄ちゃん」実奈がいつになく深刻そうな顔で釘を刺した。「しっかりしてよね」
「ハイ……」
思えば一ヶ月前、パワーアップしたエルフガインで中国のロボと戦った際の戦闘記録データを島本博士がみんなに見せ――派手な「技名」を叫びながら戦う健太に四人が大笑いしたり……まこちゃんと先生はいくらかフォローを入れてくれたものの、健太のプライドはいささか傷ついたものだ。おまけにエロ仙人扱いまでされて……。しょせん女性4,男ひとりではとても太刀打ちできない。健太にとっては耐えがたきを耐えの日々が続いている。
中国との戦いが終わって一ヶ月あまり。その後は他国の侵略もなく長い梅雨が終わり、夏を迎えようとしていた。
アジア情勢――とりわけ日本に対する脅威が霧散した結果、国全体が一種の弛緩状態に陥っていた。とかくマスコミを中心に、やれ経済成長だ領土問題だ人権ががどうだと中国と関連した事柄が多く、それがもやもやしたプレッシャーとしてのしかかっていたのだろう。
日本はこの二十年でもっとも穏やかな夏を迎えていた。
大中国はほぼ消滅したも同然だった。
〈ゲーム〉での敗北と同時に共産党一党独裁体制は崩れ、同時に各地でさまざまな動乱が起こった。北はロシア、南はインド、長年抑圧されてきたチベット、そしてバイパストリプロトロンコアを問答無用で強奪されたモンゴルとパキスタンまでもが中国領土を侵食した。人民解放軍は有力者と結託して分裂、軍閥化が進んでおたがいに叩き合い、三国志時代に逆行していた。
その中でいち早く体制を整えた上海と香港は台湾と平和条約を結び……事実上中国最大の自治区となった。党の生き残りは重慶に立てこもり必死の抵抗を続けていたが、その命数はほぼ尽きたと言って良かった。
朝鮮半島は曲がりなりにも真の統一を果たした。しかし国内の立て直しと国境を接することとなったロシアに対抗するので手一杯だ。そのロシアの脅威が南北民衆にかつてない勤勉さと結束をもたらしているのだから、皮肉と言えば皮肉だった。
そんな情勢で日本だけが我が世の春を謳歌しているのはやや気が早すぎると言えたが、短い間に立て続けに勝利を味わい、閉塞していた外交事情もいくらか風通しが良くなり、社会全体の雰囲気は抑えようもなく高揚していた。
更には本当に異星人が存在しているという事実も、ようやく世間一般に受け入れられ……内容の善し悪しにかかわらず急激な変化というものは社会に運動エネルギーをもたらすらしい。
ようするに日本は一時的とは言え、社会動乱一段落後の陽気な活況を謳歌していたのだ。
ことお気楽な事柄となるととことん流されてしまう国民性である。
それは具体的に社会のさまざまな面に現れ始めた――たとえば、六月の結婚件数は昨年の十倍に跳ね上がった。国家危機に対面したことで突然将来の不安に苛まれた若者たちが、人生の伴侶を求めたのか、現代的な孤独生活に突如嫌気がさし、とにもかくにも人のぬくもりを求めたのか。
来年には新たなベビーブームが到来するかも知れない――。
人々の購買意欲が増大し、〈ゲーム〉の危機感に煽られ活発化し始めていた国内経済は、いよいよ本格的に活況を呈していた。それは太平洋戦争終了後の活性状態の再来か、はたまたたんに刹那的な馬鹿騒ぎなのか、いまはまだ分からない。
「あたしも結婚しよっかな……」天城塔子は溜息混じりに呟いた。
島本さつきはタブレットを操作しながらふんと鼻を鳴らした。テーブルのもういっぽうに座っていた久遠は神妙な面持ちでコーヒーカップを傾けた。
「ねえ、どう思う?」
「その問いにはロシアと欧州とアメリカをどうにかできたら答えるわ」
「分かってる分かってる……」塔子はうるさそうに手を振って言った。「まだまだ問題山積みだってのは分かってるのよ」
事実、塔子はイタリアの宣戦布告がもたらされた1時間後にはエルフガインコマンドにはせ参じていた。ところがさつきと久遠は食堂ラウンジにいて、イタリアの宣戦布告にさして感銘を受けた様子もない。それで塔子もやや頭を冷やしてテーブルに加わった。具体的な戦闘計画はまだまだ先、敵の情報もない今の段階で慌てる必要はない、というのがさつきの意見だった。
「で、イタリアは具体的にどうするつもりなのか、何か言ってきたんですかね?」
「ホットラインで政府宛にメールが送られてきたらしいわよ。明日さっそく特別便でイタリア外交特使がやってくるそうよ。〈ゲーム〉の準備調整のために」
「ほう……つまりあいつらサッカーの試合でもする感覚で遠征隊組んで、日本に戦いに来るってことですか」
「あの女の子と、おそらくヴァイパーマシンも運んでね。そうすると船便で……十日ってところかしら?」
「それでわが国はどう対応するんです?」
「それが妙な雰囲気なのよね……。早々と対イタリア戦争対策室を立ち上げたのはいいとして、なんだか歓迎委員会みたいなのよ」
「歓迎委員会?なにそれ」さつきがタブレットから顔を上げて尋ねた。
「やっぱりうちの国って、白人が相手だとあんなことになるのかしらねえ……。まるでダイアナ妃が来日した時みたいな騒ぎで」
さつきはまた鼻を鳴らした。「馬鹿馬鹿しい」
「専守防衛に徹するわが国としては、わざわざ敵がやってきてくれるというのは、ある意味ありがたい状況なのよ……だからってあんなに喜ぶこと無いのだけど……」
「なるほど、主戦論者たちに突き上げられて追い詰められている政府にとってはウェルカムってことですか」
摩訶不思議なことだが、エルフガインの勝利と現政権の支持率は一致していない。過去には漢字の読み間違いだけで首相が辞任したこともある与党だが、マスコミの突き上げは今回も厳しかった。現政府の屋台骨が崩れて仮に、着々と台頭しつつあるネオ保守の小湊派が政権を握ることになると、エルフガインコマンドの立場も不安定化すると思われた。久遠たちができることは勝利を重ね続け、その間に現政権の支持率が上昇するよう祈るだけだが、天城三佐の話によると政府はまたしても弱腰ぶりを露呈しつつあるように思えた。 久遠は立ち上がった。
「なんかやばい気がしてきました。ちょっとエルフガインコマンドをドヤさねえと……」
「賛成だわ」塔子が熱心に頷きかえした。「我々はいささかだらけてる。気合いを入れ直す必要がある。ちょっといい成績になったからってすぐにだらけてちゃ、いつまでたってもワールドカップ準決勝に食い込めないサッカーチームみたいだし」
「がんばって」さつきが熱の籠もらない声で言った。
エルフガインコマンドはなにもしていなかったわけではない。
離島への搬送訓練などは、多分に他国への威嚇を兼ねている。日本国は他国に侵略戦争を仕掛けない――憲法第九条はいろいろあって青息吐息とは言え、まだ生きている。その憲法に反するかのような行動をわざと示すことで、敵の出方を牽制しているのだ。
だが実情は、一部に他国侵攻を議論すべしという風潮が生まれ始めているため、政府はそうした主戦論に対するガス抜きとして、その気があるかのような振りをしているのだった。あくまで〈ゲーム〉での勝利を達成したい人間は、この戦争に防衛いっぽうだけで勝てるわけがない、と主張する。哀しいことだがその意見はある程度的を射ている。よく言うように古来、〈防衛軍〉が勝利を収めた戦争はない。
韓国と戦った際にはバニシングヴァイパーがソウル上空まで飛び、既成事実を作ってしまった感もある。髙荷マリアは弾一発、爆弾ひとつも落としていなかったのだが、首都上空に爆撃機を飛ばしてみせた際、いわゆる「ドゥーリットル効果」によって相手がどれほど狼狽したか、その絶大な効果が注目されていたのだ。同じことをまたやってみせれば、あっさり降参してコアを献上してくれる国がひとつふたつあるのではないか?
もちろん政府の答えは「ノー」である。
バイパストリプロトロンコアの保有数はいまや八個。ロシアとアメリカに並んだ。現政権にとってはそれだけで息が詰まりそうなほどの重圧だった。この上どこかに戦争を仕掛けるなどとんでもない!
それは平和憲法を立て看板とする者のけじめというのではなく、ようするに事なかれ主義者の思考放棄に近い。良くも悪くも恐竜並みに鈍重な官僚組織故、である。
久遠一尉が言った。「コアの保有数はアメリカ八個、ロシアが八個、そして日本も八個だ。……さておまえらがどこかの国で、コアをたくさんゲットしようと思ったらどこに喧嘩を仕掛ける?」
「そりゃ、日本かな……」健太が確信を欠いた口調で応えた。
「だよなあ?つまりそう言うこった。わが国はきわめて、危機的な状況を迎えているのだ」
「イタリアもそう考えたということなんですか?」
「イタ公だけじゃありませんよ先生。おそらく今回の動きは旧EU加盟国の結託によるものでしょう」
「えっ!?それじゃ、えーとフランスとかドイツとかも日本を標的にしたってことなのか?」
「イギリスもベルギーもギリシャ、スペインオランダブルガリアも、その他たくさん。まあ日本に固執してあんまりガード下げてるとロシアやアメリカに脇を襲われるだろうから、どこまでやってくるかは分からんが……ヨーロッパ人は共同謀議が好きなくせに仲良くするのが苦手な連中ばかりだから、どこまで連携できるのか疑問だし」
「で、イタリアがババを引いて1番手になっちゃったんだね」実奈が言った。
「そんなこったろう」
「でも油断できませんよ」真琴が口を開いた。「イタリアの宣伝……のやり方というのでしょうか、日本の厭戦気分をうまく煽っている気がするんです……」
久遠はわが意を得たりというように真琴を指さした。「さすが二階堂のお嬢さん、よく気付いた」
真琴は恥ずかしそうに身を縮めた。健太が尋ねた。「どういう意味?」
「思いだせ。テレビであのイタリア人お嬢さんを見たとき、敵愾心が沸いたか?」
「あ……そう言われてみると……」
「おれが心配のあまり夜にのこのこやってきたのはそれを警告するためだ。イタリア人は日本全体に蔓延しているその辺の雰囲気を見抜いているようだ。日本人ほぼ全部がおまえと同じような感覚なんだと思え。けなげにも単身日本に戦いを挑んでくる女の子……場合によっては判官贔屓の風潮が国内に生まれるかも知れねえんだ」
そう言われてみるとたしかに気が重い。あの金髪の女の子は敵。健太が倒さねばならない敵なのだ……。
それを頭に叩き込むのは難しかった。
「おお……」思ったより深刻な事態に陥っていることにようやく気付き、健太は思わず呻いた。
四人の女性パイロットが健太に注目した。
「ちょっ!?また?」
「なんかな~、心配……」実奈ちゃんが腕組みして懸念を表明した。冗談なのか本気なのか分からない!
「しっかりするって誓ったばかりじゃないか!……先生やまこちゃんまで、そんな目でおれを見ないでくれ!」
「健太さん心根が優しそうだから……」そう呟いたとたん真琴はハッと手で口を押さえた。
実奈が嬉々とした表情で言った。「真琴お姉ちゃん、なんで赤くなってるのかな?」
真琴はますます身を縮めた。
(なんでもじもじすっかな!)健太はどぎまぎした。(ひょっとしてこれが漫研の連中が言うところの〈萌え〉ってやつなんか!?)
久遠はパイロット全員の様子を注意深く観察していた。少なくともメインパイロット以外は全員女性。相手が女の子だとしても躊躇はないだろう。その点は安心だが問題はもうひとりのボンクラ小僧だ。
「ふん」マリアが立ち上がった。
「明日から訓練だからな」久遠が立ち去ろうとするマリアに言った。
「分かってるよ」マリアは振り返らず階段に向かった。自宅に戻るのだ。マリアだけが武蔵野ロッジにいまだ引っ越ししていない。アジア方面の危機が去ったいまはテロの危険も激減したため、島本博士も無理強いはしていなかった。健太としてもくたびれる相手と同居しなくて済むのはありがたかった。
「それじゃあおれも帰るとするか……」久遠は立ち上がった。「明日はガッコだっけ?」
「ええ、月曜日だから」礼子が答えた。
「そうすか……もうすぐ夏休みでしたっけ?」
「あと2週間くらいです」
「夏休みの前に今回の件はなんとかしたいですな。それじゃまた、明日」
久遠がマリアのあとを追って立ち去った。
(夏休みの前になんとかって、軽く言うな~……)健太は顔をしかめた。(なんとかならなかったら敗戦国として夏休みを迎えることになっちゃうんだぜ……)
翌日授業が終わり、健太はシミュレーター訓練が始まるまでの暇つぶしのつもりで国元廉次に付き合った。
マンガ研究同好会は3年の教室ひとつをまるまる占領している。30名あまりの部員がいくつかのグループに分かれて活動していた。カードバトル、携帯ゲーム、ノーパソでなんかやってるもの、ケント紙に屈み込んで絵を描いているもの、ガンプラを組んでいるのもいた。人数は多くてもそれぞれ趣向に分かれ連帯感は薄い。
その中でも明らかに浮いているのが3人……。
机を4つ並べてプラモを組み立てているメンバーの中に二階堂亮三と杉林信がいた。組み立て中のガンダムの隣にエアガンが無造作に置かれていて、なにやらミリタリー談義の最中だ。ワン・シャオミーはマンガを描いている女の子たちに混じっていた。
(よりによってなんで漫研に入部してるんだか……)
「亮三さん」
「やあ浅倉くん」
健太は廉次と一緒に椅子を引っ張ってきてグループの輪に加わった。亮三はクラスメートだが、転校してまもなく「さん」付けが違和感なく定着した。どう見ても二十歳以上で、先生方もどう呼びかけるべきかときどき混乱しているくらいだ。
「ホントに漫研に入部したんだ……」
「うん、今度みんなでサバゲーやるんですよ」
「なるほど」ニワトリの集会にコヨーテが紛れ込むようなもんだなと思った。
「亮さんとワンちゃんが来てくれたら、狭山のサバゲ倶楽部の奴らに一泡吹かせられっから!」廉次が嬉しそうに言った。
「この前の冬はひどい目にあったもんな」そのときの記憶を思いだして健太は顔をしかめた。
「国元~。ひとの腕当てにしてんじゃね~よ。来週までにオレ様が紙やすりで人殺せる殺人マスィーンに作り直してやっから。泣いてもいいけどきたね~からゲロ吐くなよな」
「マジで?それだとオレ機動歩兵になっちゃうなあ……」いまひとつ冗談と受け止めきれない杉林の口調に廉次はそわそわと答えた。
独特の斜に構えた態度で杉林信もまた一目置かれている。見かけ通り背が低めの甘いマスクという容姿を生かしてクールぶった中二病を演じているのかと思いきや、ある放課後、やや不良気味の上級生にガン飛ばしたとからまれ、四人を瞬殺した。それでなくても体育と柔道の授業で転校組三人の「戦闘力」は校内周知だ。漫研に入部したのは運動部からのひっきりなしの誘いを断つためかも知れない。
「ところでさ、こんどはイタリアだって。どう思う?」
今朝のテレビから学校の休み時間まで誰もが議論している話題を振ってみた。
「ああ、どうなんでしょうなあ。なにやらサッカーの親善試合じみてますが」
廉次が言った。「へ?〈ゲーム〉ってそもそもそういうもんなんじゃないの?」
「そうかも知れませんが、どうもこの国は緊迫感が足りない。少しは想像力を働かせて負けたときのことを考えませんとなあ」
健太は尋ねた。「やっぱ負けたら、なんか酷いことになるかな?」
「そりゃあ……日本人と違ってヨーロッパの白人国家は容赦ないですよ。ヴェルサイユ条約をご存じか?尻の毛まで抜かれるでしょう」
「あいつらヨーロッパの隅で千年もゴタゴタ続けてたもんな~負けた相手には手加減なさそうだよな~」健太以上に偏った知識をマンガや小説から仕入れこんだ廉次が、利いた風な歴史観を開陳した。
「へー、それじゃどうなる?巨額の賠償請求に領土割譲?」
「イタリアの財政は逼迫してるから遠慮なくたかるでしょう。企業を潰して国有化、日本語の使用禁止……」
「うへっ言論トーセーとか戒厳令とか?おれら二等市民扱いで?」廉次の口調はなぜかうきうきしていた。
「ヴィトンが安く買えるかも……」
「健太」すかさず少し離れた机でマンガを描いていたシャオミーが改正した。「ヴィトンはフランスね」
まわりの女子が爆笑した。健太はしょんぼりした。
「お~い、いちばん大事なこと忘れてっぞ」杉林が付け加えた。「反政府派が北海道に立て籠もって内戦始まるんじゃねえの?」
「おおうっ、けっこうシビアじゃん!」廉次はおもいきり顔をしかめた。がしかし、やっぱりちょっと嬉しそうだ。
亮三が重々しく頷いてみせたが、その目は健太にまっすぐ向いていた。
「あのパツキン女子さ、あさって来日だってよ。」直前の会話をコロッと忘れた廉次が嬉しそうに言った。「羽田に降りるから都内まで厳戒態勢だって。オレガッコサボって観に行っちゃおうかな」
健太は溜息を漏らした。
「戦いに来る連中をテロから守るために厳戒態勢か……。やっぱこの国、なんか変なんじゃない?」
亮三が笑った。「ことフェアプレイとなると、わが国は優等生になってしまいますからなあ」
「それこそスポーツの時だけにしてもらいたいよ……だいたいさ、ルールは破るためにあるってヨーロッパ人が言ったんじゃなかったっけ?」
「F―1やル・マン24時間レースなんて、バレなきゃ何でもありだちゅう話ですからのお。なんでもかんでも規則でがんじがらめにするのが大好きなのに、奇妙なことですが」
「おたがいにズルばっかりしてるから、そうしなきゃ安心できないんだろ?だいたい騎士道精神なんて実現不可能だから尊ばれるわけで」
「それは、武士道も似たようなものですが……じゃがフェアプレイを貫きながら勝利できれば、偏屈なヨーロッパ人も賞賛せざるをえないでしょうな」
まるで健太に釘を刺すような言い様だ。私立防衛大学なんて裏で工作するのが専門みたいなイメージなのだが、ひょっとしてダーティワーク専門だからこそ清々堂々の戦いを尊ぶのだろうか?
そうして二日が過ぎ、羽田にイタリア政府の特別便が飛来した。
さすがに楽隊の出迎えや赤絨毯は敷かれなかったが、屋上展望台に陣取ったマスコミのカメラは専用機を降り立ちまっすぐリムジンに乗り込むイタリア代表の姿を追った。先を争う過熱報道と、それを揶揄するネット民の皮肉なコメント。良くも悪くもいつもの日本の姿だ。
イタリア代表一行は都内のホテルに向かった。ちょうどワイドショーの時間であり、報道陣がヘリをチャーターして大名行列じみた様子を逐一中継した。
「今夜六時から晩餐会が開かれ、その場で我が国代表との顔合わせも行われるようですね」
「はあ、つまりあの巨大ロボット――つい先日ようやく、えー、「特殊面制圧支援機、エルフガイン」という正式名称が発表されましたが――その操縦者もいよいよ明かされるんでしょうか?一部の専門家のあいだでは無人操縦だと指摘されていましたが……」
「どうやら人が乗っていたらしいんですね。政府の発表ではひとりのパイロットに4人のサポートチームが乗り込んでいたそうで、いずれも自衛隊から選抜されたらしいですが」
「すくなくともティーンエイジャーの女の子ではないんですね?」
「ははは……ですが晩餐会は厳戒態勢でマスコミはシャットアウト、一度だけ撮影の機会があるだけのようです……」
「このような戦争の仕方に対する疑念は、以前より一部民間団体から声が上がってますし、そうした意見を支持する与野党議員も少なくありませんからねえ」
「それでは街の声はどうか、リポーターの平西さんに伺ってもらいましょう――」
というわけで、晩餐会のカメラに注目された一団に健太の姿はない。
(まあ、タキシードというガラじゃねえけど……)
赤坂の迎賓館の控え室、学生服姿の健太はクッション入りの長椅子にもたれて、ぼんやり天井を見上げていた。いまごろ、玄関ロビーのマスコミの前で、自衛隊の人がイタリア代表団と対面している。健太に変わってパイロット役を演じているのは実際にストライクヴァイパーの控えパイロット担当者だから、まるっきり嘘ではない。
(だからといって納得しかねる)
外国人と直接対峙させられたらそれはそれで腰が引けるとは言え、ちょいと気持ちが傷つくというものだ。
だが久遠一尉は命令を拡大解釈した。パイロットは換えを用意するが、晩餐会に来るなとは言っていない。
「ひとめでもいいから直接敵を見てこい」
久遠はそう言って健太たちを送り出した。
さいわい、実奈はある筋では高名な人物だ。弱冠12歳で慣性制御技術につながる量子理論の基礎を考案した天才少女。真琴はやはり名門二階堂家の一員であり、政財界に顔が利く。晩餐会の末席にテーブルを確保することなど造作もなかった。一部の代議士は露骨に嫌な顔をしたそうだが、夕食会のテーブルには健太たちエルフガイン代表全員が付くことができた。健太は実奈のいとこで付き添い役、マリアは真琴の姉でやはり付き添い役、礼子は担任の先生(ほぼ事実)。わざわざ偽の経歴まで用意したものの、誰も健太たちに興味を示す様子はない。
女性陣はみな盛装している。
ぴっちりしたドレス姿の礼子先生を拝めるだけでも来た甲斐はある。
それに料理も美味しい。
「もう少し濃い化粧でも良かったわね」礼子が声を潜めて言った。笑っている。
礼子先生はなにか光沢のある水色のドレスを着ている。胸元に同じ布製の薔薇が一輪。じゅうぶん綺麗だ。しかしまわりのテーブルに着いた女性は、たしかにもっとけばけばしく着飾っている。肩も背中も剥き出しで胸ぐりも深く開いている。どういう経緯で晩餐会にいるのか、ということでは健太たち以上に謎めいた人たちだった。
「政治家センセの愛人とかなんだよまじで。あとは多額献金した暇なお金持ち」パーティー慣れしている実奈が言った。日本の誇る天才児だというのに、文科省大臣でさえ実奈が誰だかよく分かっていなさそうな挨拶を一度交わしたのみで、あとは誰もテーブルに寄ってこない。あとは真琴が何度か知り合いらしき人物とお辞儀をかわしただけ。
マリアが遠慮なく辺りを見回しながら言った。「へー……100人くらいしかいないのに半分はそんな、たんなる数合わせみたいな面子なわけ?」
「それじゃおれたちが居たって別にいいじゃん、て気分にもなるな」
「なに言ってんだよ健太お兄ちゃん!お兄ちゃんは本来ならあそこに座ってなきゃならないんだよ!」そう言って実奈は遙か上座のテーブルを指さした。
マリーア・ストラディバリと自衛隊員が同席している席だ。
「まあそうだけど」
マリアが「ハン」と軽くせせら笑ってそっぽを向いた。
傍目に見ても、第1礼装の格好いい自衛隊員とひときわ洗練されたマリーア・ストラディバリ嬢のツーショットは、そこだけ華やかに場が明るくなっているように見えた。
(次元が違う……)
夕食会はときおりスピーチを挟みながら1時間以上続いた。誰でも知ってる有名なタレントが司会を務め、第一線のアーチストが生歌を披露したり、慣れない健太にとってはやや退廃的な印象だ。まさしく別世界。埼玉の生活とは遠く隔たったセレブリティワールドだ。
スピーチの半分は英語かイタリア語だから同時通訳されてもたいして頭に入らない(そもそも感銘を受けるほどの内容のあるスピーチでもなかった)。
ただひとり、マリーア・ストラディバリが完璧な日本語で短い挨拶をしたときだけは違ったが。
「日本の皆さん」
若いのに自信満々、颯爽とした物腰で不敵な笑みはハリウッドスターのようだ。
「招かれざる客である私たちのためにこのような席まで設けていただきましたことにお礼を申し上げます」お辞儀した。「この通り、わたしは日本語を勉強しました。いつかこの国を旅行者として訪れたいと思っていたからです。しかし世界は突然混沌として、わたしたちは運命の悪戯によって国のために刃を交えることとなってしまいました。わたしはそのことを遺憾に思っています……。こうして日本に赴いた今でも迷いはあります」マリーア・ストラディバリはいっとき言葉を切り頭を垂れた。ふたたび顔を上げたとき、その美貌に浮かんだ決然とした表情に皆がハッとさせられた。「「ゲーム」の結果がどうあれ、わたしたち2国のあいだに遺恨が残らぬよう、願っております」マリーアが丁寧にお辞儀してスピーチを終わらせると、自然に拍手が沸きあがった。本物の感嘆がテーブルのあちこちから聞こえた。
「敵もなかなかやる」
上座のテーブルに座った久遠一尉は感心していた。向かい側ではさつきが淡々とパスタ料理を食べている。さきほどからスピーチにはまったく関心を示さないが、ひと言も聞き漏らしていないのを久遠は分かっていた。
「オリーブオイルが多すぎであまり好みじゃないわ」さつきは皿を押しやり、別の料理を物色した。
「このあと舞踏会場に移るまで居ます?」
「わたしはイタリア人がヴァイパーマシンを持ち込んでくるまでやることがないわ。でも酔っぱらい相手にくだらないお喋りは興味ないわね」
「帰るなら送ってきますよ?」
「久遠くん、あなたは子供たちを引率しなさい。わたしは電車で帰る」
久遠の隣に座っていた天城塔子が、ワイングラスの陰で人の悪い笑みを浮かべながら言い添えた。「さつき、久遠くんはどこか別の場所で一杯飲みませんか?って言ってるんじゃないかしら」
さつきはフォークを止め、久遠を見た。「ほほう……」
久遠は苦い笑みを浮かべて俯いた。(余計な側面支援は無用だよ!)
この前うしろから抱きついて以来、久遠に対するさつきの態度はまったく変化無しだ。情緒的にまったく無関心な態度は、正直言って冷淡な余所余所しさよりも堪えた。
食事会が終わり、一団は隣の舞踏会場に移った。
おたがいカクテル片手に会談の場ということらしく、食事会の時より人数は増えていた。政治家が入れ替わり立ち替わり訪れていた。ふたたび場違いな気分の健太たち一行は壁際でその様子を眺めていたが、さつきが現れ「もうそろそろ帰るけど、一緒に行く人は?」と尋ねると、健太以外の四人が一緒に帰ると答えた。
「健太くんはもう少し居てね」
「ええ?おれひとりで……?」
「まだ天城さんがいるわよ」
「帰りはどうすりゃいいの?」
「電車使ってよ。もしくは自腹でタクシー」
健太は溜息をついた。「はいはい……」
「お兄ちゃんまた拉致されたりしないでね」
「わ、わあってるよ!」
「健太さん、それではお先に」
「はいお疲れ」
そうして健太はひとり取り残された。
(あーあ……おれだってあと10分か15分したら帰っちゃおうっと!)
透明人間になった気分でぶらぶら会場を歩き回り、ときどきマリーア嬢を遠目から眺めた。常に日本人に囲まれ、見たところ笑顔で会談中だ。
しかし結局5分も過ごしただけで飽きたので、会場脇のドアから夜の庭に出た。生暖かい空気だ。それで会場内はエアコンが効いていたことに気付いたが、いまさら戻るのもかっこわるい。緩やかに起伏した芝の上を噴水まで歩いた。噴水の会場に面していない側の縁に腰掛けた。
まわりのビル街のおかげで明るいが、夜天は青みがかった黒一色で星は見えなかった。健太は制服のポケットに手を突っ込んだまま俯いているうちに眠気を催した。
「ねえ」
「ン……」
「ねえラガッツォ、起きて」
「ん……はいよ……」
健太はしょぼついた眼をしばたきながら起き上がった。どうやら眠り込んでしまったらしい。エルフガインに関わってから、いつでもどこでも眠れるようになってしまったのだ。混乱した頭で決まり悪さを覚えつつ声のほうに顔を向けた。
金髪白人の少女が、優雅に屈み込んで健太を見つめていた。
「おわ」
健太は電気ショックを受けたように一気に目覚めた。
マリーア・ストラディバリはクスッと笑って半身を起こした。健太も慌てて立ち上がろうとしたが、少女は健太の肩に軽く手を当てて押し留め、くるりと身を翻して隣に座り込んでしまった。
「や、やあ……」
「ハイ!あなた日本の学生?ジュニアハイスクール?」
「えーと……ハイスクールだよ」
「そう、日本人て若く見えるから年齢が分からないの」
「日本語ホントに上手なんすね……その、ストラディバリ、さん」
「マリーアと呼んで。あなた名前は?」
「健太……浅倉健太」
「アサクラ……」少女は弓形の眉を寄せ、首を傾げた。「ひょっとして、アサクラ博士の関係のかた?」
「おれの母親だよ」
「ああ!」マリーアは両手の平を顔の前に合わせて大きな笑みを健太に向けた。
またしても母さんの名前が門戸を開いたようだ。
いったいどれほど有名なのか?
「すごいわ!それでいらしたのね!どうしてここにジャポーネの学生がひとりいるのか、フェスタのあいだじゅう気になってしかたなかったの!」
健太はどぎまぎした。女の子に1時間以上気にしていたと言われたのだ。
「そ・それを確かめるためにわざわざ来たの?」
「まあ、そうね。それに歳が同じそうな人だったから……」
「ああ」健太は苦笑した。「ずっとおっさんたちに囲まれてたもんなあ」
「そうなのよ。敵のわたしに腐った卵を投げてくるような態度はなくて助かるけれど、無理してブロークンな英語で話しかけてこられて、ちょっと疲れちゃった……わたしイタリア人なのになぜ英語で話しかけてくる?こうして日本語喋れるのに」
「スピーチで言ってたな?」
マリーアは頷いた。「本当に旅行したかったの。なのに準備をしているあいだに世界中が国境を閉ざしちゃったじゃない!とっても哀しかったわ……。名所を巡ったり大好きなマンガやアニメのグッズを売っているところでショッピングしたかったのに」
「へえ……秋葉原とか?」
「ナカノブロードウェイとかね。オオサカもぶらぶらしたかったわ」
マリーアはきゅうに黙り込み、顔をうつむけた。
「それが……こんな任務を背負わされて日本に来ることになっちゃったんだな」
「シ」マリーアはぽつりと答えた。「こんな皮肉な巡り合わせ……。日本をやっつけるために」
「あの……もしかして、戦いたくない?」
マリーアはきっぱり首を振った。
「ううん。もう覚悟は決めたから、全力を尽くすわ」
「……しっかりしてるんだな」
マリーアはすっと顔を上げると、明るい口調に戻って尋ねた。
「ねえ、健太のマンマの話聞かせて」
「マンマ?ああ母さんか……。ええと、おれもあんまり覚えてないんだ。優しくて綺麗な人だったけど、いつも忙しくて……」
「そう……アサクラ博士はイタリアでは有名なのよ。知ってた?」
「アメリカ人に悪魔呼ばわりされてるって聞いたよ」
「ヨーロッパでも似たようなものだけど、わたしは尊敬している。教皇様も悪魔呼ばわりには反対表明しているのよ。イスラム諸国では救世主と呼ばれているの、それも知らなかった?」
「え?そりゃ知らなかったな。なんで?」
「だって彼女はアラブを一世紀続いた石油の呪いから解放したんですもの!西洋人に滅茶苦茶にされた国は、石油を掘るのをやめてバイパストリプロトロンの明かりを灯して、いまでは慎ましやかな信仰の世界を取り戻してる。おかげで地中海はかつて無い平穏状態なの……。旧EUの偉い人は誰も認めたがらないけれど、ノーベル財団は浅倉澄佳を平和賞候補に推しているのよ」
「全然知らなかったよ。そんなニュース日本にはまったく入ってこないもん」健太は溜息をついた。「母さんのことだって、こうして他人に聞かされることのほうが多いくらいだ。まあ正直に言えば母親なんて、いて当然みたいに考えてて、ある日突然いなくなってからなんにも知ろうとしてなかったって気付いたんだけどさ……」
「あらまあ、もったいない。でも親類なんてそんなものかも知れないわね。わたしだってパドレのこと優しいけど娘に甘すぎるくらいにしか思ってないもの。外じゃけっこう厳しい軍人みたいなんだけど」
「ピンと来ないよな?おれも母親が天才でメンサに入ってて、イスラム圏で大人気だったなんて、言われても「はあそうですか」って返すしかないよ」
「でも……それがわたしがこうして日本に来た理由でもあるのよ……」
「え?どういうこと?」
「イスラム諸国は〈ゲーム〉に参加しないと表明している。なぜかというと、コーランが偶像信仰を禁止しているから、ロボットを造れないの。そして、〈ゲーム〉の趨勢が見えたときには、イスラム圏にあるバイパストリプロトロンコアをすべて優勢な国に委ねるつもりなの」
「ふむふむ」
「でも彼らはもうほとんど決めているのよ。コアを委ねるのは日本しかないってね」
「え?なぜ……」
「だって、そうじゃない?彼らは散々コケにされたアメリカ人に渡すつもりはない。似たような理由でヨーロッパにも渡せない。とすると、あとは日本かロシアでしょ?となると議会制民主主義の振りをした独裁国家より日本を選ぶ可能性は高い。なによりもまずアサクラ博士の国だわ」
「それで、焦ったきみたちは日本をまず叩き潰すことに決めたのか……」
「そうだと思う。わたしも詳しい事情は教えられてないけど、推測するのは簡単でしょ?」
「ま、そうだろう……」
「残念な話だけれど、そういうこと。ヨーロッパの国はどこも隣を牽制しているばかりですっかり出遅れちゃったから、またしても結託して、日本を標的に決めた。わたしはその1番手よ。嫌な役目だけど国の将来を考えるならしかたない。人生ってままならないわね?」
「だな」
マリーアはじっと健太の横顔を見た。
「な、なんだ?」
「この国に来てひとつだけ嬉しいのは、まだ汚い言葉を一度も聞いてないことよ。その点は感謝したい……」
健太は決まり悪げに笑った。「それはネットの書き込み見てから言ってくれ。ひでえもんだよ。ガイジン嫌いで〈ゲーム〉に批判的な連中はいるんだぜ」
マリーアも笑い飛ばした。「そんなことはどの国だって言えること。でも戦って勝負が決まれば、あなたたちは素直に従いそうだわ。わたしの国の人たちも同じくらい公正なら良いと、わたしは思ってる。正々堂々と。後腐れない戦いよ」
「そうだと良いとおれも思ってるよ」
「あたしたち青いこと言ってるかしら?」
「いーや」健太は首を振った。「時には単純な信念が必要だ」
「グラッツェ、健太!」マリーアは両手を健太の手に添えた。「おかげで戦いに専念できそう。さて、クラーレに浸した弾をデュランダルに込めなきゃ!」
マリーアの薄緑の瞳がすっと健太に寄り……ふたりは口づけした。「うお!」健太は突然のキスに全身の細胞を緊張させたが、体は麻痺したように身動きできなかった。
マリーアは素早く立ち上がると「チャオ!」といって軽やかに立ち去ってしまった。
(おおう)健太はその場に固まったまま揺れ動く金髪を見つめ続けた。(おまえはまたしてもやったな)
五日後。
イタリア船団が木更津に到着した。イタリア人たちは先日ヤークトヴァイパーが地ならしした道を使って埼玉まで機材を運び込む。さすがに政府も輸送作業に進んで協力したりはしなかったが、イタリア人たちが金を払って輸送会社を雇うことは容認していた。それに道中の警備に警察と機動隊を動員していた。自衛隊は動員されなかったが、無人偵察機やヘリを飛ばして動向を逐一伺っていた。地上にも自衛隊員を派遣して輸送トラックの列を監視させた。
「大きい」
天城塔子は立ち入り禁止柵が並んだ市街地の通りに立ち、幅40メートルにわたって更地となった柵の向こう側を眺めていた。五万トンクラスの輸送船二隻から吐き出された二連コンテナの特大のトレーラートラックが、列を成して通過していた。時速30㎞ののろのろした行列だ。見物人は大勢いた。
「輸送は丸一日続くそうです」塔子の傍らで携帯で話していたアシスタントの二等陸士が言った。塔子は頷いた。
(やっぱり妙な雰囲気だ)敵の戦闘部隊が国土に堂々と上陸して戦闘物資を運んでいるというのに、見物人の様子ときたらサーカスのパレードを眺めているような調子だ。(そんなわたしでさえイタリアの輸送部隊に誰かが狼藉を働きやしないかと心配してるんだから……)
イタリア人たちはエルフガインコマンドから直線距離で15㎞離れた、鴻巣のゴルフ場跡地にキャンプを張った。日本政府に提供された無人地帯のおよそ25ヘクタールにバリケードを設け、その敷地内で彼らが持ち込んだヴァイパーマシンを組み立てるのだ。
境界線の外側は埼玉県警と機動隊が警備して野次馬を遠ざけている。敷地の内側はイタリア陸軍が警備巡回していた。
にもかかわらず見物人は全国津々浦々から集結している。ひとつにはイタリア人たちは作業を隠す気がぜんぜんないからだ。ずらりと並べられたコンテナはその外郭にレールを備えており、コンテナどうしが勝手に連結し、積み上がって巨大な建造物に生まれ変わりつつあった。その光景だけでもちょっとした工学的見せ物であった。
それに加えて史上初めて日本に上陸したイタリア製の攻撃ヘリコプターが飛び回り、105㎜砲の旋回砲塔を備えた物々しい外見のチェンタウロ八輪装甲車が走り回っているのだ。この機会を逃すまいと日本じゅうの軍事おたくが集まってしまった。日本が負けたらそれほど珍しくもなくなるだろうというテレビ文化人の皮肉も通じはしない。
とはいえ軍事マニアは比較的御しやすい相手だ。
熱意と真剣みでは軍事マニアに負けない人たち……大段幕を掲げたありとあらゆる市民団体が集結した。いわく――
「このような戦争は断固反対!」
「平和な埼玉を返せ!」
「税金のムダ遣いをやめよ!」
「エルフガインコマンドは悪魔の手先!」
こんなのもある。
「政府は宇宙移民船を造り、選ばれた人々だけで逃げようと画策している!宇宙開発を止めろ!」
さつきはあきれ顔で言った。
「宇宙移民船をこっそり建造しているのはアメリカでしょうに……」
「ロスアラモスで建造中の特大核融合装置のこと?そんなことに使おうとしてるのかしら……」塔子が尋ねた。
「それをストーブ代わりにタイタンあたりに引っ越して、ドゥームズデイをやり過ごす……彼らならその程度は考えるでしょうよ。あくまでプランBでしょうけれど」
「いささか理解しがたいんだけれど、便利なバイパストリプロトロンに頼らず核融合を開発しようとするのはなぜ?」
「彼らなりにリアリストだから……得体の知れない便利なエネルギーより自分たちで作りだした物のほうが安心できるのでしょ?」
「なるほど」
「それに核物理学はアメリカ人が発展させたという自負がある。かれらはそういうの大事にしたがるから。OHVの大排気量エンジンに固執したり、彼らが発見した冥王星が大好きだったり……一種のノスタルジーね」
「銃社会の維持も。スミソニアンに一度行ったけど、たしかにアメリカ人は本当に自分たちが発展させた物を大事にしてるのよね。日本なんていまだに航空機と自動車の国営博物館がないのに。歴史の浅い若い国だからってことかしら」
意外にもさつきは首を振った。
「それはわたしたちが思い込み、彼ら自身も信じたがってるイメージだけど、実際には違う。議会制民主主義を250年維持している国だわ。日本よりずっと老獪と言っていい。だけど老人はせっかちでしばしば愚かな判断を下すし、嫉妬深くて偏屈だわ。それこそ冷戦以来アメリカがしてきたことでしょう?」
「そういわれると確かに……老人の国ねえ……」塔子は感心した。「さっすが、頭のいいひとは言うことが違う。そういうことならライデン1型に頭を押さえられてさぞ立腹しているんじゃない?ご自慢の宇宙開発でわたしたちにリードを許しちゃって」
さつきは肩をすくめた。
「宇宙は広い。たいていの人は感覚的に理解できないけれど、月軌道の直径ぶんだけで地球25万個分の容積なのよ。静止衛星軌道に宇宙基地をひとつかふたつ浮かべただけで、なんでも監視できると考えるべきではないわね」
「ということは、かれらはどのみちじきに宇宙船を建造するってことか……」
「わたしなら月の裏側にする。後ろめたいことをこっそり進めるにはうってつけだから」
「あなたと話してると想像力が膨らむわ……」塔子は皮肉っぽく言ったが溜息のつきかたからして、さつきの言葉を真剣に受け止め、新たな頭痛の種ができたと考えているようだ。 モニター上ではコンテナ積み上げ作業が早くも終わったようだ。高さ100メートルはあろうかというピラミッドが完成していた。
「あの中でヴァイパーマシンを組み立てるのかしら」
「そのようね……」さつきはなにか考え込んでいる。
「どうかした?」
「うん……あのコンテナ機構……」さつきはあいまいに手を振った。「……ちょっと気になることがある。学究院の科学データベース保管施設に行かないと……」
「なんで?」
「確認しなければならないことがある!」
日本政府とイタリア側によって定められた戦いの日が明日に迫った。
明日の午後一時開始。数時間後には結果が出ていることだろう。
今朝早く、健太は真琴に声をかけられた。
「あの……今日の夕ご飯なんですけれど、わたしと実奈ちゃんが用意しますから、良かったら一緒に食べませんか?」
「まこちゃんの手料理?御馳走してくれるの?」
「はい」
「ぜひ、御馳走になりますよ」
「はい!」
そんなわけで夜になり、武蔵野ロッジに帰ると一階の食堂が賑やかだった。カウンターの奥の厨房で真琴たちが料理の真っ最中だ。礼子先生とマリアまで参加している。みんなエプロン姿だ。
「あとなにすればいい?」
「先生ゆで玉子剥いてよ!サラダ用にスライスしなきゃ」
「そろそろとんかつを揚げはじめなくちゃ……」
「サラダにツナも盛る?」
「缶詰ありましたっけ?」
「ベビーコーンでもいいか」
「あたしあれ好きじゃな~い」
「実奈ちゃん好き嫌い結構あるのねえ……」
健太はなんとなく好ましい光景だな、と思いながらテーブルに腰掛けた。
「健太さんいらっしゃい」真琴が盆に載せたアイスティーを片手にやってきた。「もうすぐですから」
「カレーかあ。うまそうな匂いだ」
真琴ははにかんだ笑みを浮かべた。「わたし作れるのカレーライスぐらいですから……お口に合えばいいけど」
「食堂のホテルカレーはあんまり好きじゃないから嬉しいよ。香りからして真琴ちゃんのはいかにも家のカレーって感じじゃん。ジャガイモとニンジンゴロゴロの奴?」
真琴は恥ずかしそうに頷いた。「市販のカレールーをブレンドしただけなので……でも隠し味は少々……それにカツカレーです」
「おお!なるほど、敵にカツって奴なのか?」
「はい!」
「健太~、ちょっと手伝えよ!」カウンターの奥からマリアが言った。
「おう!なにを?」
「コップとジューステーブルに並べて。あと水差しに氷ぶち込んで」
「あいよ」
テーブルにいろいろ並べていると、玄関に来客があった。健太が対応した。
「はーい……おや?」
私服姿の臨海大学三人組、亮三一行だった。
「やあ浅倉くん、お邪魔します」
「亮三さんたちもご招待されたんだ」
「ええ、まあ……」
「お兄ちゃん!」少しまごついた真琴が健太の傍らに現れた。「それに信さんにシャオミーも……」
「だってマコ、きょうは――」シャオミーがなにか言いかけたが杉林信に脇を小突かれ、言いよどんだ。「――まあとにかく、ゴハン御馳走してくれるって言うから」
微妙に様子が変だったがとりあえず健太は招き入れた。「みんなちょうど良かった!そろそろできあがる頃だから」
やがて全員が席に着いた。
「健太くん、ひと言ちょうだい」礼子先生が言い、健太はやや恥ずかしげに立ち上がった。 「エー……皆様……」咳払いした。「今日は明日のための壮行会?っていうのかな……まあとにかくまこちゃん特製のカツカレーで気合い入れましょうってことで……乾杯!」
「乾杯!」
「先生ビール飲む?」
「ちょっとだけ頂こうかしら……って杉林くん未成年でしょ!」
「いんや、おれ成人だし」
「あらそうなの……」礼子は首を傾げた。「え?」
「まあ深く考えずに」亮三がテーブルの向かいから瓶ビールを傾けた。
真琴と実奈がよそりたてのカレーを配膳した。やや薄めだが大きなカツがのっかっていた。
「真琴のカレー久しぶりだなあ!カツも昔のままだ」
「亮三さん何度も作ってもらったの?」
「部活の合宿でね、カツが薄めでしょう?早めに火が通って何度もおかわりできるように薄めに揚げるんですよ」
「なるほどねえ!」すばらしい考えなので健太は素直に感心した。
「健太さん、カツもまだ何枚もありますから、おかわりくださいね」
「合点だ!」
健太は猛烈な勢いで一杯目をかきこんだ。となりで実奈が逐一解説している。
「そのニンジン実奈がカットしたんだから……サラダは礼子先生が作ったんだよ。スープはねえ……」しかし健太は適当に相づちを打ちながら一度も手を止めず、間もなく「おかわり」と宣言した。
「はーい」
真琴が健太の皿を取り上げておかわりを用意しに行った。その様子を亮三がやや憮然とした面持ちで見ていた。その視線に気付き、健太はひやりとした。
(やべえ!)大事な妹をつかいっぱみたいに扱っていやがる、と思われちゃたかな……?
「真琴……」
おかわりを健太の前に置いた真琴に亮三が言った。
「お兄ちゃん!」以外にも真琴はややなじるような口調で返した。
「しかし……」
「なに?まこちゃん」
「健太くん、じつはですな」
「お兄ちゃんよしてよ!」
「――今日は真琴の誕生日なんです」
「ああもう……!」
「誕生日!」健太は立ち上がった。「なんだよ!早く言ってくれよ……」
「だって……明日は大事な日だから余計なことに気を回してほしくなくて……」
礼子先生も立ち上がり、真琴の傍らに立ってその肩を抱いた。
「お誕生日おめでとう、真琴ちゃん」
「先生……」
「水くさいじゃない」
「ごめんなさい……」
「謝ることなんかないわ」
真琴が涙ぐんでしまった。自分が招いてしまったこと故、少々ばつの悪そうな亮三が膝を叩いて立ち上がった。
「じつはケーキを買っております。いま車から取ってくるからね」
「さっそくお誕生会に切り替えネ!」シャオミーが辺りを見回した。「なにかたりないわネエ」
「キャンドルと花瓶がいる」マリアが言った。「廊下にあるから持ってこよう」
こうして食堂の明かりが弱められ、真っ白なケーキにろうそくが灯され、真琴のバースデイをみんなで祝った。真琴は半泣きでマリアに抱き寄せられている。ハッピーバースデイトゥユーの合唱が終わると、真琴がろうそくを吹き消してぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます」
「奥ゆかしい子だね。去年もスルーしちゃったじゃないの」マリアが言った。「12月だっけ?実奈の誕生日はみんなで祝ったじゃん」
「プレゼント用意できなくてゴメンな~」
「いいんです!」真琴は手をひらひらさせて言った。「わたしもこういうの慣れなくて……」
礼子が真琴の兄に厳しい目を向けた。
「どういうことなの?お誕生会とかしないの?」
「いやその……」亮三は大きな背中を丸めた。「うちはそういうことはあまり……古い家でして」
礼子は表情を和らげて続けた。「でもまあ、遠慮がちな妹さんのためにケーキまで買ってきたんですものね……」
「お兄ちゃん」真琴が改まった口調で言った。「……あ、ありがとうね、ケーキ」
亮三の地蔵めいた顔がたちまち緩んだ。「おやすいご用だよ」
「妹さんの食事会に呼ばれて居ても立ってもいられずケーキを買いにってか……」亮三がケーキを買う様子を想像してマリアが笑った。
「まあ……寮生活するようになって、お友達からいろいろ教わっているようなので、なんせ女子中でしょう」
「お兄ちゃん!」
「はい?!」
「まさか、うちの学校にまで潜入してないわよね!?」
「そんなこつ!……するわけなかろ?」だが否定しつつも目を逸らす兄であった。
また妙な雰囲気になりそうだったので健太は思わず割って入った。「そ、そうだ訊きたいことがあるんだけど、クラーレってなに?あとデュランダル」
「そんなのネットで調べりゃいいだろ……」マリアが言ったが、ワールドウェブがなくなって以来グーグルもウィキペディアも使えず、なんでも検索、という習慣は廃れつつある。
だが真琴は教えてくれた。「ああ、クラーレっていうのは、毒薬のことです。むかし弓矢に塗ったりしました」
兄があとを継いだ。「デュランダルつうのは決闘用の武器ですよ。もとはフランスの叙事詩に登場する聖剣のことですが……。大昔の拳銃は殺傷能力が低かったので、弾丸をクラーレに浸したんですな」
さすが戦いのプロ兄妹、即答だ。
礼子先生が顔をしかめた。「健太くん、なんなのその話題は……」
「いやその、あのイタリアの女の子が言っててさ。かっこいいセリフだったんでどういう意味かな……?って」
「なに?あのあとマリーア・ストラディバリとちゃっかり会ったの!?」
「パーティー会場から抜け出してぼーっとしてたらひょっこり現れたんだ」
「ああ、噴水の前のことですか」思いがけなく亮三が言った。
「え!?みっ見てたのか!?」
「そりゃあ護衛ですから」亮三は無慈悲に続けた。「金髪の娘にチューされておりましたな」
「ガーッ!」
「健太!」
「健太くん!」
「健太さん……」
「健太おにーちゃん!」
四人同時だった。健太は両手で顔をかばいながら叫びかえした。「みんなで異口同音になんだよ!おれがなにしたって言うんだ!」
「てめえ普段ボサッとしてやがるくせに!油断も隙もねえなこのエロ健!」
ひと月かけてようやく定着阻止に成功したあだ名まで復活してしまった。
「余計なひと言でしたな」
「まったくだよ!」
「健太くん意外とモテるネ」
「田中さん」健太は噛んで含めるように言った。「おれモテてないから!彼女もいないし!」
「むう」
「ムウじゃないでしょ実奈ちゃん!」助けを求めるつもりで礼子先生に顔を向けたが、ぷいと目を逸らされてしまった。
最悪だあ!
そんなこんなで真琴の誕生日を兼ねた夕食会が終わり、礼子とシャオミーが後片付けを手伝って解散となった。マリアと亮三たちが帰ると屋敷は気が抜けたように静まり、礼子先生と実奈が地下の大浴場に向かったため、取り残された健太は自室に帰る前に真琴に声をかけた。
「今日はごちそうさま。旨かったよ」
真琴はこくりと頷いた。
「来年はもっとちゃんと誕生日したいよな。……あ、でもあと一年も続かないか、こんな生活」
「それでも集まれたらいいですね。なにかの機会に」
「ああ、それじゃおやすみ」
「健太さん!」
「はい?」
「あ、あの……」真琴はもじもじしながら俯いた。「あの……誕生日のプレゼント……いただけませんか……?」
「ああ、一日遅れで良かったら用意するよ!……っても明日はアレか。でもなんとか……」
「そうじゃなくて!その……」
「え?あっ……」健太も壊滅的に察しが悪いボンクラではない。エルフガインのリーダーとして自覚が芽生えてきたためか、年下の女の子にみなまで言わせるほど無粋ではいられなかった。「……エーと、おれなんかで?そんな」
真琴が健太の胸にそっと寄り添い、顔を上げ、まっすぐ見上げた。決意と肯定。
(そんなひたむきな澄んだ瞳で見上げられたらおれどうにかなっちゃいそうだよ!)実際に頭の中に渦巻いたのはそんな具体的な言葉などではなく、「ぐわお」とかなんとか、獣の咆吼じみたなにかだ。
真琴が目を閉じ、唇を結んだ。
少女の体ががかすかに震えていることに気付くと、健太を抑えていた最後のブレーキが吹き飛び……体が勝手に動いて真琴に口づけしていた。
マシュマロのように柔らかい唇の感触に健太の頭は痺れた。真琴の華奢な体がじんと温もったように感じた。
(落ち着け!がつがつすんじゃない……!)(すげーいいにおい温かくてちっちゃくてどっかにしまっちゃいたい!)相反する思考が猛スピードでうずまいた。
適切なタイミングもなにも皆目見当が付かなかった。だがいざかような状況に追い込まれてみると、歯磨きしておきたかったとか、カレー風味になってやしないかとか、小賢しい考えなどどこかに消し飛んでしまうのだと健太は知った。
時間の感覚も消失していたが、おそらく3秒ほどだったろう。
唇が離れると、真琴は小さくほおっと溜息をついてまぶたを開いた。
おたがいに身を引き、健太も真琴もいたたまれず下を向いた。
「わたし……はじめて……」
なんということだ。満15歳になったばかりの女の子のファーストキス。本当におれなんかでよかったのかと、いささか申し訳ない気分だ。
「お、おれだってそうだよ!」真琴が顔を上げて問いかけるように首を傾げたので、健太はとにかく主張した。「自分からキ・キスしたのは、はじめてだ。不意を突かれてムチュッてされたことはあるけど……」
「そうなんですか……」真琴は二本指を口元に当てて微笑んだ。「ごめんなさい」
「なにを謝ることがある?」
「だって、健太さんは……礼子先生が好きなんでしょう?」
「えっ!?いやそれは」健太は慌てた。当の先生は気付いたそぶりもないのにすっかり既成事実かよ!「……!ていうかべつに気にしないでくれそんなこと」
「うふふ」真琴が悪戯っぽく健太を見上げた。「健太さんがキスした話ばかり聞かされたから、なんだかズルいなって思っちゃって……」
それでお誕生日に、おそらくありったけの思い切りを掻き集めて……。
(なんといじらしくも大胆かつ愛くるしいことか。おれなんか誰かに告る勇気もなかなか奮い起こせないのに)
「そっか」健太は拳で真琴の頬をそっとパンチした。「こいつめ」真琴がクスクス笑いながらその拳を両手で掴んだ。数刻まえには思いも寄らなかった親密さに戸惑いつつも高揚する気分は抑えがたい。
「明日、勝ってくださいね!」
「分かったよ!」自分でも勇みすぎと思えるほど元気よく答えてしまい、健太は内心頭を搔いていた。真琴が軽やかにきびすを返して、「お休みなさい!」と手を振りながら階段に向かった。健太はその弾むような足取りに魅了された。
(女の子すなあ……)
とはいえ、あれほど忠誠を誓っていた礼子先生に対する思いをいとも簡単に脇に置いてしまったことに、困惑を覚えてもいた。
翌朝。いよいよイタリアのロボットが姿を現すときが来た。洗面所で顔を洗った久遠一尉は大きくあくびをしながらエルフガインコマンドに現れた。徹夜明けで凝った体をほぐしながら室内を見回した。
「博士はまだか?」
「きのうから執務室に籠もりっきりです」
「そっか……」
さつきはきのうから様子がおかしかった。そこらじゅうに電話をかけまくり、そうかと思えばターミナルのまえに陣取ったまま何時間もデータベースを漁り続け……いったいなにに疑念を覚えたのか。
「久遠一尉、見てください。ピラミッドが開きます」
「おう」
イタリア人のピラミッド構造物が頂上から開きはじめた。パネルの四つの頂点が外に向かって開き、折れ畳まり、それを何度も繰り返してピラミッドが消失してゆく。その中でうずくまっていたロボットの巨体が徐々にあらわになってゆく。久遠をはじめコマンドの職員、自衛隊の分析官、カメラのレンズがその様子に注目していた。
久遠は顔をしかめた。
「なんだ?あれは」
奇妙な違和感を覚え、思わず呟いていた。
兵器開発の歴史は絶え間ない模倣の歴史でもある。アメリカが新しいジェット戦闘機を開発すると、その数年後にそっくりなソ連製航空機が出現するといったように、技術は剽窃され、あるいは平行進化を遂げる。久遠がいま目の当たりにしているのもそれだった。かたちそのものは違っても関節構造や細かい意匠に共通点を見いだせる。
「恐れていたとおりだわ」
背後の声に久遠は振り返った。
「博士……おはようございます」
さつきは軽く手を振って応え、メインモニターを注視し続けた。
「博士、恐れていたことってのは……」
「久遠くんも一目見て気付いたでしょう?あのイタリア製兵器がエルフガインと同じテクノロジーの産物ということに」
「やはり……」その言葉が意味するのはひとつしかない。「つまり、やつらはわれわれから盗んだんですか?」
「それだけじゃない」さつきは言った。「私は昨日、国家機密データベースを洗い直した。その結果、わたしと浅倉博士が政府に提出したモデルデータを何者かが閲覧した形跡があった……」
「エルフガインの設計データが?」
さつきは首を振った。
「三年前、エルフガインの製造が決定した際、わたしたちはそれまでにデザインした7つのモデルにアルファベットナンバーを振って、それを機密保管庫の奥深くにしまい込んだ……」
「7つ……」
さつきは頷いた。
「五番目のデザインだったエルフガインをナンバーEとして、Aから順にさかのぼって名前をつけた……それぞれ別の機構を持ったエルフガインの兄弟機よ。合体機構を持たないAガイン、変型機構を持ったBガイン、三機合体のCガインといった具合に」
「それが盗まれた……」
「そう」さつきは親指の爪をかんだ。「設計データはCADシステムで隅々まで設計され、あとは部品を削りだして組み立てるばかりの物だった。すべてのデータにアクセスされた形跡があった」
「それであのイタリアのロボは……その盗まれたデータをもとに手っ取り早く製造したものと?」
「あれはBガイン」さつきは溜息混じりに答えた。「バベルガインだわ」
続きはなるべく早く投稿したいですがどうなるやら……。