第8話 『チャイナ☆シンドローム 後編』
前回までのあらすじ
東京でアジアオセアニア新体制発足の会議が開かれる。敵――中国はその会議を狙ってくる!警戒態勢に移行しようとしている矢先、健太は憧れの礼子先生がお見合いをすると聞き、礼子のあとを追って東京に向かってしまう。だが礼子のお見合いは反バイパストロン組織の陰謀だった!
同じ頃、種子島宇宙防衛センターでは、今後の日本経済と防衛の要となる超大型静止衛星の打ち上げが迫っていた。種子島もまた敵の標的となる可能性が高い。エルフガインのナンバー5パイロット近衛実奈も種子島で打ち上げ作業に従事している。果たして衛星は無事打ち上がるのか!?
健太はエルフガインパイロットを止めるよう迫られていた礼子を救出した。だが自衛隊内に浸透していた反バイパストリプロトロン組織によって早期警戒態勢に穴が開けられ、中国人民解放軍の巨大ロボットが横須賀に上陸してしまった……。
怒濤の(?)第1部 完
エルフガインコマンド発令所から短い通路を通ってすぐの場所にあるロッカールーム。ここで礼子先生と二人だけでパイロットスーツを着込むのは二度目だ。最初の日を思いだして健太は妙な感慨に耽っていた。あれは五月、ほんのひと月半ほど前の出来事なのだ。それからあまりにもいろいろあって、まるで何年も前のことのように思えた。
おかげで、カーテン一枚隔てて礼子先生が着替えていると気付いたときのときめきを忘れかけていた。
しかし二度目も同じくらいドキドキする。
しかも今回は礼子先生から話しかけてきた。
「ねえ、健太くん、初めてここに連れてこられたときのこと覚えてる?」
「ちょうどいま思いだしてた」
礼子先生の衣擦れの音をなにひとつ聞き逃したくなくて、健太は大急ぎで自分のしとっぽい服を引きはがしていた。礼子が話しかけてきたのはパンツに手をかけたときだ。健太はそのままの姿勢で手を止めていた。
「そう、あれからいろいろあったものね」
「いろいろありました」
カサ……と音がして、驚いた健太はカーテンのほうに振り返った。
礼子がカーテンのすそから顔だけのぞかせているではないか!
健太はやや前屈みで、ボクサーショーツに手をかけた間抜けな格好のまま硬直した。
礼子先生の顔と裸の肩がのぞき見えてる……。パンツ一丁の健太に遅まきながら驚く礼子先生。
「あ……ごめんなさい」
礼子はツイと顔を横に反らせた。
「あの……ちゃんと言いたかったの。先生車の中で寝ちゃったから」
「ええと、あの、なにを?」
「なにって」礼子がもどかしげに声を強めてふたたび健太を見た。「先生、健太くんが現れてくれてとても――」
礼子の声が途切れ、健太はなんだろう?と礼子の顔を見た。視線を追って我が身を見下ろし、ぎくりと身を硬直させた。
(ぬぁんてこっっとぅわ!)
わが不詳の分身は見事なテントを形作っていた。
うろたえきった顔を向けると、礼子は両手で口元を覆っていた。
そのおかげで
引っ張っていたカーテンのすそがハラリと退いて
健太は見た。
ほぼ全部。
「きゃっ!?」慌てた礼子は凄い勢いでカーテンを引っ張り直して体を隠した。顔を真っ赤にして健太を睨み(なんとキュートな表情なのか)言った。
「見た?」
「見てない」健太はまったく意味のない嘘をついた。
「見たじゃない!」
「……かも」
女教師と生徒は間の抜けた問答を中断してしばし凝固したまま、おたがいを凝視した。
礼子が先に目を逸らした。弁解したり取り繕ったりしたいのは山々だが、健太のいまの状態ではなにを言っても無駄だ。おたがいぎこちないままなのは残念だがどうしようもない。
健太は詰めていた息を長々と吐き出した。(ホントになんだったんだいまのは……)
なにか夢のように現実感に欠けていたが、確かにいま見たんだ!
礼子先生の……
おかげでパイロットスーツの着用に難儀したが、どうにかぜんぶ収まった。
『用意完了か?』天井のスピーカーから久遠一尉の声が響いた。
「浅倉健太、用意完了」健太は答えた。
『若槻先生?』
「はい、できました」 カーテンが引かれてパイロットスーツ姿の礼子が現れ、健太のとなりに立った。
『よし、さっそく発進してくれ。先行しているヴァイパー2,4,5がまもなくエネミー05と接触する。相手は九州に現れたあのでかぶつだ。なんと手足を生やして上陸しやがった。横須賀に上陸して都心に向かっている。詳しいことは出撃後に説明する。以上だ』
「はい!」
礼子は健太と眼を合わせようとしない。たいへんぎこちなかった。しかしひと言「がんばってね、健太くん」そう言って、礼子は「3」と書かれたシューターの円筒の中にそそくさと足を踏み入れた。
「がんばるよ」
円筒の中から手を振る礼子の姿がシャッターに遮られた。
健太は咳払いすると、「1」と書かれたシューターの中に足を踏み入れた。
バニシングヴァイパーはエネミー05の頭上千メートルを超音速で航過した。
「ホントにばかでかいわね」マリアは巨大な敵のまわりに愛機を旋回させつつ呟いた。
「髙荷さん、不用意に近づいたら危ない!」無線から二階堂真琴の声が響いた。
「分かってるよまこちゃん。だけどさ、敵の出方が分かんないから挑発してやんなきゃ」 「髙荷さん、われわれは敵の進行方向を逸らさなければならない」ミラージュヴァイパーに乗っている実奈の代替パイロット、自衛隊から派遣された江川一尉が言った。
「それも分かってるけど……」
怪物が上陸してはじめて前進を止め、びっしりとスクリュー状のとげを生やした首を巡らせてバニシングヴァイパーを見上げた。強力なレーダーが浴びせられて、コクピット内部に警報が鳴り響いた。
「やる気かあ?」
マリアは愛機を時速千㎞まで減速させ、機首をまっすぐエネミー05に向けた。エネミー05が例のスクリューを回転させ始めた。
敵はひたすら都心を目指していた。
ただ歩くだけでも超巨大な尻尾……潜水艦形態の艦尾に当たる部分を左右に振るたびに周囲の建物が破壊されてゆく。上陸して一時間も経たないのにすでに50㎞以上移動していた。自衛隊の陸上戦力ではいくら追跡しても追いつかず、防衛線を構築する暇さえない。四機あまりの対戦車ヘリだけがヴァイパーマシン出撃による退去命令を無視してエネミー05に張り付いていた。だが天気はますます悪化して大雨に強風が加わっていた。低くたちこめた雨雲のおかげでまだ午後4時なのにまっ暗だ。全天候能力を有していてもヘリコプター向きの戦いではなかった。それでもようやく立ち止まった敵に対して果敢にロケット弾攻撃を加えていた。マリアはそれを目の隅で捕らえて、奥歯を噛みしめた。無駄なあがきなのは承知しているだろうに……。
「自衛隊各機!後退して!」
さすがに突進してくるバニシングヴァイパーに気づいたヘリは、次々とバックし始めた。マリアは機体を高度200メートル――敵の頭の高さまで降下させていた。エネミー05がスクリューの回転によって作り出した突風が吹き付けてくる。
「くそっ……!」機体制御が難しい。マリアは240㎜キャノンを放った。ほとんど同時に敵がなにか発射した。猛烈な震動に襲われてマリアはたまらず機体を上昇させた。バニシングヴァイパーの主翼に長さ5メートルほどのくさびが突き刺さっていた。マリアは機体をロールさせてそのくさびを振り払った。くさびが機体から離れた瞬間爆発して、マリアはふたたび揺すぶられた。「畜生!」機体を急上昇させてなんとか体勢を立て直した。
久遠一尉が回線を通じて呼びかけてきた。『ヴァイパー各機、川越まで後退せよ。距離をとってフォーメーションフェイズに入るぞ』
「先生と健太の野郎が来たの?」
『おう、待たせた。合体してみせねえと敵の興味を引きそうにないからな……』
「よーし!まこちゃんと江川一尉、行くよ!」
迷彩の戦闘雨具に身を包んだ天城塔子は、装輪型の通信指揮車のハッチから上半身を出して多摩方向を見た。 怪物は奥多摩でまでまっすぐ歩き続け、調布飛行場を破壊して、その後東京と埼玉の県境に沿って方向転換した。
いまは大きな時計回りの円を描くように都心に接近していた。おそらく奥多摩のバイパストリプロトロン貯蔵施設が偽装だと気付いたのだろう。足が短いためか、ビルの多い中央線沿線を避け、所沢、狭山を蹂躙しながら都内に進撃するつもりのようだ。
塔子は和光の山の手に指揮車を止めて観測を続けていた。さすがに頭頂高200メートルを超す図体だと、悪天候で20㎞離れていてもはっきり視認できた。
エネミー05がバニシングヴァイパーの出現によってはじめて進撃を止めた。攻撃は長続きせず、バニシングヴァイパーは反撃されて損傷を負ったらしい。
しかし怪物は、バニシングヴァイパーが飛び去った方向――埼玉の奥に鎌首を巡らせたまましばし立ち止まり続けた。同じエネルギー源を秘めた者どうし共鳴し合っているかのように。
ほとんど台風なみの低気圧。そして電磁波が影響を受け、通信状態が低下している。九州沖の状況と同じだ。
塔子は大粒の雨に打たれながら天を仰いだ。
この空のどこかに気象を操っている者がいる。この気象状態は、明らかに中国が人工的につくりだしたものなのだ。
雲天を飛ぶストライクヴァイパーの健太の視界に、細い煙の尾を引くバニシングヴァイパーが現れた。
「おい!大丈夫なのか?」
「問題ないね!」いつも通り気丈なマリアの返答が帰って来て、健太はホッとした。
「それじゃあ上昇するか。雲の上に出てフォーメーションだ」
「そうね!」
二機のヴァイパーマシンは翼を並べて機首を起こし、一直線に低い雲を突き抜けた。高度8000メートル。下の大雨が嘘のように晴天が広がっていた。だが……
「な、なんだあれ?」
行く手に巨大な樽のような雲塊がそそり立っていた。
「積乱雲みたいだね。回転してる……」
「なあ、天城三佐が言っていた気象兵器の話……」
「そうだ。健太、雲に突っ込んでちょいと見てきなよ。あたしはまわりで旋回してるからさ」
「軽く言ってくれるじゃん……!」
しかし健太はスロットルを全開にして飛び出した。ストライクヴァイパーの役目は機動性と速度を生かした強行偵察だ。
まっすぐ積乱雲に突入した。
「うお!?」
雲の内部はまさに荒れ狂っていた。
猛烈な大気の渦が塊となってストライクヴァイパーに追突してきた。流されそうになるのを必死にコントロールして積乱雲の中心方向に舵を取った。周囲で稲光がいくつも弾けた。健太はストライクヴァイパーの機首を垂直に立てて上昇した。
行く手に一瞬だけ、雷光に照らされて巨大なヒトデみたいなシルエットが浮かび上がった。
「なんだありゃ!」追突を避けるため健太は慌てて回避行動に移った。回転するヒトデの足をかすめるようにして宙返りすると、まもなく積乱雲を突き抜けて晴天に脱出した。
「健太!」
「いたぞ!雲の中になんか隠れていやがる。……博士?聞いてるか?」
だが無線はエルフガインコマンドまで届かないようだ。
「だめか、くそったれ……」
「健太、あたしたちだけでやっつけるよ!」
「おれのほうはたいした武装積んでないぜ?相手は直径何百メートルもあるヘリの回転翼みたいなやつだ」
「あんたは地上のヴァイパーとコンタクトできるかやってみな!戦術コンピューターをリンクできれば礼子先生のヤークトヴァイパーに目標を示せるだろ?あたしは攻撃する!」
「そうか」
健太はバニシングヴァイパーとすれ違いながら雲塊に向かって降下した。
すでに地上のヴァイパーマシン三機は合体を果たしていた。しかしヴァイパー1と2が降下してこない。だがやがて雑音混じりの通信が届いて、礼子はハッとした。頭上を囲んだ全天モニターに「01」のウインドウが開いて、健太の声が聞こえた。
『れ……こせんせ……こえるか?』
「健太くん!」
雲の中にこちらに向かってくるストライクヴァイパーの姿が映ると、声がさらに鮮明になった。
『礼子先生!軍用ネットワークが回復してる?』
「ええと……そうね、そちらとはリンクしたみたいだけど……」
『それじゃ俺が指定するポイントにありったけのミサイルを叩き込んでほしい!』
「分かったわ」
『ちょっと待って!なにしようとしてるの?』
『誰だ?……ああ、ミラージュヴァイパーのピンチヒッターの人か』
『江川です。いったいなにを撃つんですか?エネミー05はもうすぐそこなのよ……』
『上空の積乱雲の中になにかいるんだ。説明している暇はない。先生、撃って!』
まだ上半身のないエルフガインの胴体と太股から幾筋ものミサイルが放たれた。
久遠一尉は、その様子をコマンド発令所のメインモニターで見た。
「なにしてるんだ?」
ミサイルは雲の上に向かってる。久遠はせまい指揮所を見回して島本博士の姿を捜した。警戒警報が鳴ったにもかかわらず博士はいなかった。
(まだオーバードライブ中か……?)
頼もしいご意見番が傍らにいないとどうも心細い。久遠は首を振った。頼りきりにしすぎていたか?
気を取り直して頭の中で状況を整理した。
「上空にも敵が……?」
久遠はさつきの言葉を待つことなく電話機に飛びついた。相手方が電話口に出ると久遠はまくし立てた。
「関東の自衛隊機をありったけ埼玉上空に集めてください!雲の上……高度一万に……え?いや、おそらく通常兵器は有効だと思います」
ミサイルの束が雲に向かって上昇するのを塔子も見た。
「空の上を攻撃している……」塔子はハッとした。「中国の気象兵器を見つけたんだ!」
「天城三佐!」指揮車の車内から部下の陸士が呼びかけた。「川越街道沿いに戦車大隊が配置されました。短SAMおよびパトリオットもエネミー05に向け配備完了……それから」
塔子はハッチを閉じて車内に降りた。「それから、なに?」
「はい、航空機が大挙こちらに集結しているようです。使用可能な通信回線すべてを使ってスクランブルをかけています」
「久遠くんの仕業か。雲の上に潜んでいるなにかを攻撃させるつもりなのか……」
「しかし、相手はヴァイパーマシンなのではないですか?通常攻撃では……」
「いいえ」塔子は言った。「中国人はもっと以前から気象コントロール兵器を開発していた。だからエルフガインコマンドは、雲の上のそいつがヴァイパーマシンではないと判断したのよ。おそらく」
120発のミサイルが叩き込まれると、積乱雲に変化が現れた。マリアが見守るうちに渦が勢いを弱め始めた。真っ白い雲に黒煙が混じっている。
「よーしいいぞ」
マリアは愛機を積乱雲の外郭に沿って螺旋状に上昇した。目を凝らすと、雲の中に回転する物体の縁が垣間見えた。たしかにばかでかい。マリアはその物体に向けて240㎜キャノンを連射しながら急上昇を続け、その物体が居座っているはずの辺りを追い抜くと、後方発射ミサイルを叩き込んだ。
大きな垂直ループを描いて高度5000まで降下すると、血に飢えたF-2飛行隊の第一陣がちょうど到着したところだった。
上空の電波障害が回復しかけていた。厚木から上がったホークアイが最初にその物体を捉えた。
雲の塊の中に恐ろしく巨大な飛行物体が鎮座している。
軍用ネットワークを通じてその「敵」の座標が各自衛隊指揮所に通達された。
巨大なバニシングヴァイパーを囲むように展開していたF-2編隊12機からAMRAAMミサイルが次々と放たれ、なかば姿を現しかけていた飛行物体に襲いかかった。
自衛隊機は次々と飛来して戦闘に加わった。新たな自衛隊機編隊がストライクヴァイパーに寄り添って、挨拶するように翼を振った。
「だいぶ混んでるな」
オープン回線から聞こえるA-WACSの攻撃指示を聞きながら健太は呟いた。
「髙荷、おれたちはもういいだろ、フォーメーションに移ろう」
『そうね』
(健太くんたちはどうしたの?)
ヤークトヴァイパーのパイロットシートに身を沈めて空を眺めながら、礼子はじりじりしていた。何分も前にマリアさんと空に上がっていったのに、いつまで経っても降りてこない。
(はやくしてよ……)
礼子にとってささやかな悪徳と言うべきか、合体の瞬間はいまや楽しみのひとときなのである。合体してしまうと礼子自身は強制睡眠に入って、戦闘そのものは寝ているあいだに終わってしまう。だから、愛機の大きな戦車を操る機会の次に楽しみなのが、合体だ。ものすごい鉄の塊がぶつかり合うダイナミックな瞬間、そのとき礼子の体内にみなぎる高揚感。我ながら恥ずかしいことだけど、大きくて超強力なもうひとつの自分を得たようなあの感覚が、たまらなく好き……。
健太くんも同じ気分になるのかな……。
そのとたんさきほどの出来事を思いだしてしまい、礼子は嘆息した。
(やっぱり見られちゃったわよねえ……)
できれば無かったことにして欲しかった。まったく今日という日は男性がらみのゴタゴタが続いた。あのエリート然とした男ふたりに利用されそうになったことは、いま思いだしても腹立たしい経験だった。
それに比べると、健太くんとのことはそれほど刺々しい気分でもないけれど……。
礼子は赤面した。(わたしったらなに考えてるのよ。教え子に裸見られちゃったのよ?由々しき事態じゃない……)
ディスプレイの一角にアイコンが瞬き、ビープ音が鳴って礼子の注意を促した。礼子は前方モニターに目を凝らした。
「やだ、来ちゃった……」
敵、エネミー05がついにエルフガインを標的に決めたのだ。都心に背を向けてまっすぐこちらに向かってくる。
「どうしよ……まこちゃん?」
『先生、落ち着いて、攻撃して足止めしましょう』
「そ、そうね」
『若槻さん、脚を狙って。やつの脚は図体に比べて貧弱に見える』
「分かりました、江川一尉」
腹から下しか合体していないエルフガインは棒立ち状態の情けない姿だ。それでも攻撃はできる。腰の両側に装備された240㎜レールキャノンを旋回させてまっすぐエネミー05に向けた。礼子は射撃モードに切り替わったトラックボールを慎重に操作して目標十字線を敵の足元に定めた……だが、敵の頭部辺りでなにかがぴかっと瞬き、次の瞬間礼子はものすごい震動に襲われた。
「きゃっ!」
撃たれてる!
エルフガインに向けて大砲が放たれていた。
『回避します!江川一尉、同時にブースターを点火して!』真琴が指示している。
『いまです!』
エルフガインの足と腰のジャンプロケットが轟音を発して、300メートルほど横に飛んだ。関節は完全合体しなければ動作しないが、倒壊防止用のジャイロ機構はつねに働いている。自動的に脚をひろげて踏ん張り、着地の衝撃を緩和しながらふたたび直立状態に戻った。コントロールは真琴が行っているため、礼子は緊張しながらも狙いを定め続けた。
「撃ちます!」
240㎜キャノンが火を吹き始めた。
ヤークトヴァイパーの火器管制システムは初心者向けにセットされていた。つまり射撃管制コンピューターが礼子の代わりに適切な弾種を自動選定している。徹甲弾と爆裂焼夷弾が交互に放たれ、たちまちエネミー05の足元が激しい業火に呑まれてゆく。
怪物がよろけた。
しかし長年日本や米国のロボット工学の先端をせっせとコピーしただけあって、足をすくわれても人間のように簡単にはコケない。超高速の演算システムが働き、なんとかバランスをとろうとして、おかげでやや滑稽な動きで手足を踏ん張り、酔っぱらいのように図体を揺らしていた。
久遠一尉もその様子を見守っていた。
「よっしゃ、なかなかいいぞ」
背後の気配を感じて久遠は振り返った。
「博士!」
さつきはモニターを注視しながらぼんやり頷いた。次いで、ひと言呟いた。
「やっぱりしょっぱいメカみたいね」
久遠はわが耳を疑った。あの怪物がしょっぱいメカだって?
「……と、言いますと?」
「明らかでしょう?あの図体は、あれ以上コンパクトに作れなかったからに過ぎない。中身はバッテリーと冷却装置が詰まってる。装甲厚はエルフガイン以下。おそらく重量は15000トン程度。出力/重量比はエルフガインの半分以下。そして図体に比べて見るからに貧弱な四肢、逆にあれ以上大きくパワフルな手足が造れなかったのよ。動きも鈍重。バイパストリプロトロン反応炉の大電力を効果的に利用するためのスーパーコンデンサを開発できなかったからに違いない。なにもかもぎりぎり、妥協の産物よ。攻撃もせず歩き続けたのだってろくな固定武装を積んでないからでしょう。とくに艦砲は貧弱ね。エルフガインなら横須賀に上陸した時点で関東圏の要所すべてに主砲弾を叩き込んでるところでしょ?」
さつきはメインモニターを眺めながら、弱点の塊のような敵の諸元を淡々と並べ立てた。
久遠は目を丸くしてさつきの横顔を見た。
この数日、自衛隊と民間技術者一個大隊が知恵を振り絞って対抗策を考え続けているあいだ、ろくに関心を向けていなかっただけある。
島本博士はぜんっぜん、心配していなかったのだ。
「そ……それだけ分かってたなら、なんで、すぐ教えてくれなかったんです?」
「緊張感を維持してほしいじゃない?早々あんなの心配ないって触れ回ったってためにならないでしょ?心配ないならとっとと教える必要ないし」さつきはあっさり告げた。
「なる……ほど」
(やっぱてんさいってすげーな……)凡人には理解不能なポテンシャルを見せつけられた久遠は混乱した頭で考えた。諸葛孔明に仕えた下っ端軍人もこんな気分だったのだろうか?気を取り直して尋ねた。
「エー……と、それではこちらの勝機は充分ありそうですか?」
「当然……って、ちょっとなによ、まだ合体してないじゃないの!」
「ああ、それは雲の上になにか発見したからのようで……」
「雲の上……ひょっとしてあれのこと?」
モニターに目を向けると、雲天の狭間から巨大な物体が落ちてきた。
「そのようで……ずいぶんでかいな!」
盛大に燃え、黒煙を曳きながらながらななめに落下している。墜落地点はおそらく川越の手前あたり。無人地帯だろう。
「あれは中国の気象コントロール兵器かしら……あんなモノが関東上空に居座ってたのに、いままで気付かなかったの?」
「まったく面目ない」
だが自衛隊員を何人か首切りにしてお終いにはさせない。サボタージュ犯人を必ず燻りだしてやる、と久遠は決意した。
気象兵器が地面に届き、ヒトデ状に伸びた細長い機体がずぶずぶとめり込んでゆく。巨大なオレンジ色の爆炎が膨れあがった。爆発の手前に立ち尽くすエネミー05が黒いシルエットとなって浮かび上がった。
『先生たち、待たせちゃってゴメン』
通信状態が回復して、健太の声がヤークトヴァイパーのコクピットに響いた。
「健太くん!」
『合体する!悪いけどもうちょいじっとしてて!』
礼子は天を仰いだ。まもなく雨雲の中から合体したヴァイパー1と2が降下してくる。礼子はホッとした……が、まだ時期尚早であった。
エネミー05が砲撃してきた。棒立ちの礼子たちはいい的だ。エルフガインはすでにフォーメーション態勢に移行していて、全武装が一時的にロックされていた。棒立ちのまま耐えるしかないのか……。礼子は激しく揺すられ続ける機体の中で目をつぶり、歯がみした。
しかしそのとき、エルフガインの周囲で猛烈な反撃の火ぶたが切って落とされた。
礼子はメインモニター上にめまぐるしく表示される戦術リポートを眺め回した。背後のエルフガインコマンド、所沢と朝霞の自衛隊戦車、上空の航空機、そのすべてがエネミー05に向かって砲弾とミサイルを叩き込んでいた。
大勢の人たちが、エネミー05の足を止めようと協力している……礼子は胸の内に熱いものがこみ上げるのを感じた。これで無事合体できそう……。
礼子の視界をブラストリバーサーの噴煙が覆い尽くした。
衝撃とともにエルフガインの上半身が合体した。
薄れゆく煙の中から完全合体したエルフガインが出現した。
久遠はホッとひと息ついた。「よし……」
目覚めた巨人が雄大な構えのポーズをとった。合体後の予備動作テストシークエンス。だがいつもと調子が違う。
ボディにみなぎる莫大なエネルギーを発散するかのように大きく胸を張って、両腕をひろげていた。その全身にプラズマ状の光が走った。そのエネルギーが周囲の空気を振動させた。モニター画像を拾う定点カメラを揺るがすほどだった。
「うおっ!」久遠は思わず身をすくめた。なにか重大なシステムエラーを起こしてエルフガインが爆発したのではないかと思った。
「博士……」
「凄いでしょう?バージョンアップしたエルフガインは」さつきは頬に二本指を当て、この上なく陶然とした笑みを浮かべていた。
久遠は今度こそ愕然としてさつきを凝視した。
まさかエルフガインにさっきの大見得を切らせるために、エネミー対策そっちのけで作業していたのか!?
もちろんそれだけではなかった。
180度視界モニターにアイコンやステータスボードが表示されてゆく。健太はなかば途方に暮れて周囲を眺めまわした。すべて立体映像で、健太の瞬きひとつで消えたり現れたりする。
「わー……なにがどうなってんだか」
訓練無しでいきなり新式操作に慣れろとか、やっぱり博士は無茶振りすぎる。
だが良くできた機械は直感でなんとかなるものだ。
エルフガインに装備された武器の一覧がスクロールしてゆく。その名称を見て健太は目を見張った。
ツインソード。
キャノンブラスト。
ウェイブカッター。
エルフガインコレダー!
「な……なんじゃこれ」健太は戸惑っていたがその声に喜色が滲んでいた。まえの無味乾燥な火器に比べて格段に「進歩」しているじゃないか!
「ようし……なんだか分かんないけどやってやる!とりあえずツインソード!」
『ツインソード、アクティベート』女性の機械音声が復唱した。モニター上のアイコンが瞬き、次の瞬間、エルフガインが大きな身振りで両腕を胴体の左右に振った。その袖から巨大な剣が一本ずつせり出した。
シャキーン!と。
エルフガインが二本の剣を交差させるように両腕を構えた。
ここまですべて自動、しかも音声入力!
「すげえッ……!」
(敵が……尻込みしてやがる……!)
モニター上のエネミー05がかすかに後じさったように見えた。久遠もまたたじろいでいた。兵器というものは人間……男の幼児性に強く訴えるものだ。新しいエルフガインはその幼児性を究極的に高めているように見えた。
その結果、敵がびびっていた。
久遠は自衛隊出身だ。いわば戦争や兵器の幼児的側面をできるだけ切り捨てたお役所軍隊で教育を受け、いままでやってきた。
そんな男にとっていまのエルフガインは、背徳を通り越して猥褻でさえあった。なにかイケナイものを見てしまったようで落ち着かない。
しかし島本さつきが文字通り心血を注いだ成果だ……。そう思うとなぜかますますエロティックに思えてくるから不思議だ。
まああのパワーアップ(?)で敵がまんまと気圧されているならけっこうなことじゃねえか……?。
久遠はもう思考放棄していた。
エルフガインがエネミー05とがっぷり組み合った。三倍近い図体で二本の腕も150メートルほどもあるだけに、なかなか懐深くは潜り込めなかった。
「キャノンブラスト!」
頭上にそびえる巨体の鎌首に向かって背中のレールキャノンが火を噴いた。腰のレールキャノンもエネミー05の脚に砲弾を撃ち込んだ。巨体がぐらりと傾いた。組んでいたおたがいの腕が離れた。健太はすかさず袖のソードでエネミー05の腕を払った。
巨大な黒い鉄柱のような腕が切断され、くるくると宙を舞って地面に突き刺さった。これで敵の横っ腹ががら空きになった。
「鈍くさいのに陸に上がったのが運の尽きだな!」
エルフガインは片足を振り上げ、バランスを崩しかけたエネミー05の脇腹を蹴り上げた。敵の巨体がぐらりと傾き、倒壊してゆく。エルフガインは二~三歩後退して巻き上がる粉塵から距離を置いた。
種子島。かつてのJAXAは大幅に形を変え、現在は純粋な宇宙開発を目的とした日本航空宇宙研究開発機構と、航空自衛隊管轄の種子島宇宙防衛司令室のふたつが隣接している。
とはいえその2組織の垣根は無いも同然だ。たんに職員の給料の出所が違うだけで、近年はとくに目的が同一化していた。宇宙開発の進展が日本防衛の生命線となったのだ。これは仮想敵国の大幅な変更によるものだ……誰も表だって言明はしなかったが、ようするにアメリカ合衆国である。
現在その統合管制室には奇妙な取り合わせの人物が集合していた。民間スタッフと航空自衛隊高々度作戦司令部の職員に混ざってターバンを巻いたインド人、それに白人が五人、黒人がひとり。
それから13歳の女の子。
女の子はなかば事業全体のマスコット扱いされていたが、本当はプロジェクトの中心人物だ。
外国人は近衛実奈のまわりを取り囲み、NASAで働いた経験のあるJAXA職員がときおり加わっていた。自衛隊関係者は慎重に距離を置いている。
白人三人と黒人ひとりはつい1年前まで合衆国の市民であった。それぞれもとNASAの研究員、SETIプログラムの研究者、スペースガードの研究者、ひとりはMUFONのオンラインマガジン編集者で、SETIとはまた違うかたちの異星人研究家であった。彼らに共通しているのは、合衆国政府によって研究の自由を大幅に制限されたこと、やがてまともな生活さえできなくなって亡命したことだ。
まもなく本格的な宇宙開発――今後半世紀の世界経済に影響するほどのプロジェクトの第一歩が始まる。
種子島の入り江にそそり立つ全高500メートルの宇宙機、〈ライデン1型〉と名付けられた無人工業衛星が、5時間後に打ち上げられる。今後2年間に打ち上げ予定の月面開発モジュールの、最初の一基である。
従来型の燃焼式ロケットでは、いくら資源を運び上げたところで宇宙開発などできはしなかった……十億ドルもかけて月に作業員数名、ブルドーザーを一台送り込めたとして、なにができるというのか?衛星軌道に上がった人間数名を生かすために高価なロケットを使って食糧や水を送る効率の悪さは言うまでもない。多くの専門家がそれを承知していたからこそ、アポロ以降の宇宙開発は停滞した。たどり着けもしないきらびやかな他星系を観測してお茶を濁し、なんとか命脈を保っていたのが、二一世紀初頭の宇宙開発の実情だった。
その突破口を開く唯一現実的な案が、軌道エレベーターの実用化なのであった。
だが卵が先かニワトリが先かというジレンマはまだ存在した。10万㎞ものケーブルを地球に降ろすための資材をどうやって打ち上げるのか……その解決策をもたらしたのが近衛実奈による第二段階バイパストリプロトロン利用技術だった。
人工重力。
誰もが半信半疑であったその技術が、先日の北朝鮮弾道ミサイル阻止によって劇的に披露されると、一枚噛ませてほしいという各国からの嘆願が日本政府に殺到した。オーストラリアに亡命していたNASAの研究員もこうして種子島にはせ参じた。スペースガード関係者や異星人研究家までが揃っているのはそれなりに理由がある。ライデン1型は外宇宙からの脅威に対抗するための本格的な設備を備えていたし、異星人も実際に存在していて日本には頻繁に現れていたのだ。この先なにが起こるか分からない。だがそれ以外の人々は純粋にプロジェクトの行方を見守っていた。宇宙空間を経済活動の一部に組み込むという大きな第一歩が実現するかも知れないのだ。
月面に開発拠点を築くという可能性が現実化しただけではない。人口重力とテザーシステムを組み合わせた別の可能性……手頃な大きさの小惑星をキャプチャーして地球軌道に引っ張ってくることに成功した際の、莫大な経済効果が試算された。
とうぜんながら、このプロジェクトは、ドゥームズデイリポートで預言された半世紀後の人類滅亡を回避するための一手でもあった。しかも絶対失敗できない一手だ。
そして失敗してもらわないと困る、という国もまた存在する。核の傘による世界の均衡という基本戦略を台無しにされたアメリカ合衆国、ロシアはその筆頭である。
とくに、アメリカ人は大いに立腹している。
種子島の周囲には、中国艦隊と合衆国第七艦隊の奇襲を警戒する自衛隊艦艇が集結していた。それに加えてオーストラリア、インド、フィリピン、台湾から総勢25隻の艦艇が駆けつけていた。
派遣艦隊を統括するオーストラリア海軍のジェイムズ・ディーコン大佐は駆逐艦ブリスベーンの艦橋に定座していた。
『東京で中国のヴァイパーマシンが暴れはじめたみたいなの』
「そうか、いよいよ……」
『うん、ここにも来るかもしんない。どこの国か分からないけど……気をつけてね』
「了解だ、ミス……近衛」
通話が終了すると、ディーコン大佐は溜息を漏らした。「プロジェクトリーダーが13歳の女の子とは……日本てのはホントに……」やれやれと首を振った。
「彼らのアニメのまんまですな」一等航海士が答えた。
「とにかく、第一種警戒態勢だ。JMSDFとのリンクを密とせよ!」
「イエッサーキャプテン、第一種警戒発令、アイ」
「師団の後退は完了した?」
「ほぼ完了です」
「そう」
塔子は溜息をつき、ペットボトルの水を飲んだ。和光の高台に据えた指揮通信車のハッチからふたたび顔を出し、エルフガインの戦闘を眺めていた。雨は止んだ。黒雲も急速に薄れつつある。しかし中国人によって不当に掻き乱された初夏の空気はひどく濃密で熱い。
恐ろしい光景だ。相手は超高層ビル並みの大きさ。その戦闘自体ももはや自衛隊がちょっかいを出せるレベルではない――そう判断した塔子は戦車部隊と機械化歩兵師団に後退を勧告した。残念だが、ほかにもやることは山ほどあった。横須賀からエネミー05が移動した経路が破壊され、被災者も大勢出ている。支援活動に回ることもまた、大事な仕事だった。
なんとなく雰囲気が変わった、と塔子は実感していた。
もはや自衛隊内にはエルフガインに対するヘンな敵愾心はなく、おれたちの一部なのだと(ようやく)納得しはじめているようだ。だからこそ後退勧告にも面子にこだわることなく素直にしたがってくれたのではないか?
反バイパストロン活動の内通者がジャッジシステムにサボタージュを加え、エネミー05の上陸に協力した。その戦慄すべき事実が浸透するにつれ、自衛隊上層部内にも襟を正す雰囲気が生まれつつあった。大失態だが、結果敵には内規粛正の役にたったではないか?
(でもリンゴがどこまで腐っているのか見極めるのはまだまだこれからね)
「天城三佐」
「はい?」
「いま厚木ジャッジ経由で連絡がありまして……九州沖200海里にアンノウン出現……エー、空母艦隊らしき多数の艦影が、浮上した、とのことです……」通信士は言いづらそうに報告した。
塔子は思わず聞き返した。「空母艦隊が、浮上……?」
「はあ」
「……そう、分かりました。でも関東のわれわれにできることはない。続報を待つしかないわね」
(最悪)塔子は思った。(同時に2カ所。しかも潜水艦隊ですって……?)
中国艦隊かアメリカが何かしらアクションを起こすことは予測されていた。だからこそありったけの戦力が沖縄と九州に張り付いている。しかし潜水艦隊……まさかヴァイパーマシン?
正直言って日本政府も、エルフガインコマンドでさえ、ヴァイパーマシンによる複数箇所攻撃は想定していなかった。簡単に量産できるものではないし、たとえばある国が二台製造したとして、そのうち一台が「ゲーム」で敗北したら「主審」から負けと判断されるのか、それとも2台目が負けないかぎり大丈夫なのか、分からないからだ。ルールはそれを言明していない。2国が連携して侵攻してくる可能性もまた考えがたかった……その場合勝利の分け前、つまりコアの取得はどちらの国に帰するのか?という問題が起こるからだ。
中国人はバイパストリプロトロンコアを4個保持している。しかしその経済状態からして、2台目のヴァイパーマシンを造れたとは思えない。となれば、種子島を狙う敵はやはりアメリカ……つまり中国とアメリカは結託しているかも知れないのだ。
おそらく中国人はアメリカ人にたらし込まれたのだろう。より正確に言うなら、その2国のあいだで反バイパストロン組織の介在があったと考えるべきか……。
事態はにわかに混迷を深めた。
アメリカは「ゲーム」の勝敗にこだわっていない。あくまで世界を――通常の軍事力を以て――星条旗の旗の下に制覇することにこだわっている。その課程で多数の犠牲者が出ても構わない……日本や他の国を倒し、たぶんロシアや中国と最終決戦を想定している。
やつらは、人類滅亡を回避するためにも地球人口は5億人くらいが妥当だと思っているからだ。
地面に長々と横たわったエネミー05の胴体から、尖った昆虫状の脚がわらわらと生えだした。まだ死んでないとは思っていたが……。
このまえ戦った北朝鮮のムカデメカと同じ技術だろう。もともと中国が提供したものだ。脚が生えると同時に胴体が五つの節に別れて若干全長が伸びた。フレキシブルな節で体をくねらせられるようになっていた。超巨大な芋虫に変型したエネミー05の胴体上面に砲塔がせり出した。
(なんだかまえより強くなってるぽいぞ!)
『浅倉くん、距離を取って、動き続けなさい!かなり大きな砲よ』島本博士が言った。
「了解!」
敵はさっそく発砲してきた。ひと昔まえの二連装砲だ。
『口径は20センチ程度だ。食らったらただではすまねえから気をつけるんだ。だが装填に時間がかかりそうな古くさい代物だ。連射はできねえはずだ』
「なるほどね……」
二基の砲塔がしきりに向きを変えてエルフガインを捉えようとしている。旋回速度は遅いから射線から回避するのは難しくない。とはいえ……ほぼ360度の射界を持つ砲塔二基に追い回され、グルグル走り回らねばならないのは、ちょっと間抜けだ。
(一発撃たせて、再装填のあいだに接近する……!)
健太はエルフガインを立ち止まらせた。エネミー05の砲塔がエルフガインにまっすぐ向いて狙いを定める……
(いまだ!)
エルフガインが弾かれたように横に飛ぶ。同時に四問の砲が一斉に発砲した。砲弾が真横をかすめるのがはっきり見えた。健太は突進した。敵が艦首……頭を健太に向けた。例のスクリューが回転しはじめた。
「しゃらくさい!」
エルフガインは疾走して――地面を蹴った。ジャンプロケットが点火して巨体が宙を舞った。
(これはちょっと高度だぞ……)細心の機体コントロールで着地点にまっすぐ狙いを定めた。高度300メートルでロケットを止め、自動的に着地制動噴射が働かないようキャンセルアイコンを押し続けた。
『着地の衝撃に備えてください』機械音声が警告を発した。
ほぼ一万トンの巨体が推定一万五千トンの巨大芋虫と追突した――エルフガインは芋虫の胴体、そのほぼ中央に着地したのだ。
人間が耐えきれないレベルに増幅した「ガシャン」という衝突音が関東平野に響き渡った。エルフガインの脚の下で虐げられたエネミー05の隔壁がたわみ、ねじ切れバリバリとひしゃげてゆく。
健太のまわりでいくつもの警告アイコンが瞬き、賑やかなアラートシグナルが鳴り響いた。胴体の中央部を破壊され節足も半分型壊れたエネミー05は、エルフガインによって地面に串刺しにされた格好だ。それでもなんとかのたうち回っている。エルフガインは敵の上でしばしバランスをとり続けていたが、コンピューターが「これ以上立ち続けるのは無理」と判断してずるずると上体を下げ、馬乗りの格好になった。
(さすがに足がだいぶ壊れたか)健太は瞬きして武器アイコンをスクロールさせた。最も有効な攻撃手段が自動選択され、ブルーに瞬いている。(でもこれでお終いだ!)
「ウェイブ……カッッタァーッ!」
エルフガインが両の手のひらをエネミー05の隔壁に押し当てた。ノコギリで鉄を切断する音の超絶拡大版があたりに響き渡るとともに、白熱した手首と隔壁のあいだから火花が迸った。超振動によって隔壁が分子レベルで崩壊した……急激な摩擦熱によって軟鉄と化した隔壁がドロリと溶解してゆく。
「うは……ホントにすげえな!」自ら繰り出した攻撃の超兵器っぷりに驚愕した。博士が施した改良は伊達ではなかった。
健太はジャンプロケットを噴かしてふたたび上昇した。エネミー05の500メートル手前に着地して、そのままがくりと片膝を折った。
「くそっ、立て……ないか?」
エルフガインはゆっくりと、上体を起こし立ち上がった……しかし両足ともダメージは大きい。立っているのがやっとの状態だ。
エネミー05も大破していたが、前部胴体をエルフガインに向けている。
「キャノンブラスト……全門勢射だ!」
背中と腰のレールキャノン4門がエネミー05に向き、ありったけの240㎜徹甲弾を叩きこみはじめた。10秒間、80発の砲弾すべてがエネミー05の胴体に命中した。
発砲を止め、もうもうと立ち昇った黒煙が吹き流されると、敵は燃えさかる鉄くずと化していた。
(終わった……)
比較的原形を残していた艦尾部分から二本の触手が飛び出した。素早い動きで健太は対応する間もなく、触手が両足に絡み付いた。
「しまっ……!」
エルフガインが仰向けに転倒した。
『健太くん!』島本博士の叫びが遠く聞こえた。触手がじりじりとエルフガインをたぐり寄せはじめた。それとともに触手のもういっぽうの先端――エネミー05の艦尾部分から四角い金属フレームで構成されたロボットがむくりと起き上がった。まるで大昔のブリキ玩具のようなロボットだ。金属枠の胸部分に青い光を発する球体が収まっていた。バイパストリプロトロンの「コアの欠片」だった。
『健太くん!体勢を立て直して!そのロボットから放射線反応が出てる……奴はあなたを引き寄せて自爆するつもりだわ!』
「そう言っても博士、両足を引っ張られて……」
『そのようね。よし!プロトコルSWを起動させなさい!』
「なにそれ?」
『いいから復唱!』
「分かったよ!プロトコルSW!」
機械音声が応じた。『プロトコル・セラフィムウイング起動』
エルフガインの胴体を中心に円形の力場が発生した。雷鳴に似た轟音が響き渡り、地面が震えた。そして――
エルフガインが浮かび上がった。
ゆっくり、しかし敵ロボットの引っ張りにあらがう力で着実に上昇していた。
「なんだこれすげえ……!」
エルフガインが飛んでる!
『健太くん、あいつの放射線発生部位のデータを送るから破壊しなさい!』
「壊しちゃったら爆発しないか?」
「核兵器は起爆スイッチを入れないかぎり爆発しないわ」
敵ロボットはエルフガインに触手を絡み付かせたまま宙にぶら下がっていた。その腹部に目標十字線が浮かんだ。触手をたぐり寄せてどんどん接近してくる。すでに高度は1000メートルあまり。
「よし……エルフガインコレダー!」
エルフガインが右腕を振り上げた。天に向けられた拳に稲光が落ちた……実際には帯電した拳にセントエルモの火と呼ばれる自然現象が生じただけだが、じつに劇的だった。
同時に両足を振り上げ、敵の体をブランコのように引き寄せた。エルフガインの肩の高さに上昇した敵の腹に拳を叩き込んだ。
拳に収束した純粋なバイパストリプロトロンエネルギーが、敵の胴体を粉砕した。
エルフガインはエネルギーを失った触手を足から振り払い、勝利を確信したかのようにガッツポーズを取った。
久遠は眼を瞬き、頭を振った。
「もの凄すぎて言葉がない……」
さつきは腕組みしたまま頷いた。
モニター上ではエルフガインが地面に降り立ち、よろめきながらもなんとか立ち続けていた。その頭上に正八面体の「主審」UFOが出現した。
「島本博士……」オペレーターがさつきの背中に呼びかけた。
「なあに?」
「種子島が……交戦状態に入りました。敵機動艦隊から多数の艦載機が発進した模様です。ステルス機の大編隊のようです……レーダーには捕らえられませんが海面のマルチ音紋ソナーが接近中のエンジン音を捉えました」
「会敵時刻は?」
「予想では早くて3分後です」
最初のミサイルが種子島近海に展開していた自衛艦を襲った。
「アメリカの艦載機編隊……レーダーに捕捉するのは困難です」
連合艦隊指揮官のディーコン大佐は望遠鏡をのぞきながら部下の言葉に頷いた。水平線の彼方に黒煙が生じていた。最新型のイージス護衛艦が燃えている。相手は米国機動艦隊、しかもデータにない潜水艦隊だ。搭載兵器も最新型。天下の海上自衛隊でもあの有様だ。寄せ集めのデイトンの艦隊では対応もより狭まる。ひたすら飛来するミサイルを叩き落とし、目視で戦い続けるしかない……。
「関東のほうは戦闘が収束したようですが……」自衛隊の連絡士官が実奈に報告した。
「ここが爆撃されるのは何分後かな?」
「10分くらいかと……」
実奈は頷いた。
「打ち上げ時刻を切り上げよっか」
JAXA職員が慌てた。「いまですか?無茶ですよ!」
「軌道投入のタイミングは上昇中になんとかできるよ。第二ターミナルに引き継ぐまで2周ほど地球を回らないといけないけど……」
「それがまずいんでしょう?低軌道を周回するあいだにアメリカとロシアの衛星から攻撃されてしまう……」
「そうだけど、地上で破壊されたらもっとたいへんだもん」
実奈は壁の時計を仰ぎ見た。
「さすがに健太お兄ちゃんも間に合わないか……」エルフガインが飛行能力を備えたのは知っていた。なんせその技術を考え出したのは実奈自身だ。しかし人工重力を使っても推進力そのものは限界がある。どうがんばってもせいぜい音速の二倍。種子島に到着するまで1時間……。
「ちょっと外で頭冷やしてくるね」
「ダメですよ近衛さん!ここはもうすぐ爆撃される。防空壕に待避しなければ……」
「相手の第一目標は艦隊、第二目標はライデン1型でしょ?わざわざここまで爆撃するか分からないから、平気」
「そう言っても……」
「分かってます!すぐに戻るから、ほかの人たちの避難を急いで」
そう言うと実奈は職員の制止を振り切ってかけだした。管制室を出て廊下を進み、「非常口」と緑色のパネルに書かれたドアを開けると、種子島の湾を一望できるベランダに出た。戦火ががすぐそこまで迫っていると信じられないほど穏やかな海の景色だ……だがよくよく目を凝らすと、水平線にひとつふたつ、煙のかすかな筋が見えた。
実奈はアスファルトの地べたに座り込むと、ラップトップを開いて打ち上げプログラムにログインした。タイマーをリセットして、おびただしい数のライデン1型のローンチプロセスを解除しはじめた。
人工重力システムのミラーを複数個使って打ち上げるため、大質量でも飛行計画はロケットより柔軟性がある。燃料に縛られずミラーの焦点を合わせられるかぎりどこまでも上昇してゆくからだ。高度3万メートルまで上昇できれば艦載機の攻撃は防げる……そのあとはイージス艦のミサイルが相手だ……衛星軌道を巡る攻撃衛星はあまり心配していなかった。それらはせいぜい国際宇宙ステーション程度の物体を破壊できるだけ……小さな質量弾を当てて破壊する機能を備えているだけの代物だ。
背後でサイレンが鳴り響き、作業に没頭していた実奈は頭を上げた。
『海岸に機動兵器が上陸しました!職員はただちに待避してください!』
実奈はラップトップを抱えたまま立ち上がり、最後にエンターを押してラップトップを閉じた。
まもなく、サイレンとは別の唸りが湾港から聞こえた。山頂に据えられたミラーから第二段階バイパストリプロトロンエネルギーが一点……ライデン1型に収束している。
500メートルもあるライデン1型の図体がゆっくりと持ち上がりはじめた。
背後でバリバリとなにかが粉砕される音が聞こえ、実奈は肩をすくめた。振り返ると、打ち上げ管制施設の敷地をまたぐようにロボットの巨体が現れた。駐車場の車を踏みつぶしながら現れたそれは、ケンタウロスタイプのロボットだった。
実奈はエルフガインと同等の高さを持つ四本足の巨体を為すすべもなく見上げた。
ガンシップグレー一色の図体、馬みたいな胴体の側面にはスターズ&ストライプスと、US MALINEのステンシル。右腕には長大な槍を抱えている。
人間の上半身に当たる甲冑姿の頭部が上昇するライデン1型を見据え、それからゆっくりと実奈を見下ろした。相手がなにを考えているのかは天才でなくても分かった。ライデン1型にバイパストリプロトロンコアが搭載されていることは気付いている。頑丈なそれを攻撃するより、管制室を破壊したほうが手っ取り早く打ち上げを頓挫させられるのではないか……。
ケンタウロスロボが槍を振り上げた。
「いまやられるのはまずいんだよう!」実奈はベランダの端に設けられた非常階段に向かって一目散に駆けだした。ライデン1型のローンチシークエンスを大幅に省いてしまったおかげで、あと20時間はつきっきりでモニターしなければならなくなったのだ。実奈が死んだらライデン1型がどんな飛行ルートを辿っているのか誰にも分からなくなる。
階段の踊り場で上空を仰いだ。
全長500メートルの巨体は着実に上昇し続けていた。早くも雲の合間に消えようとしている。
それに、いつの間にか島の周囲にはたくさんの航空機が飛来していた。無人機対策用の防空バルーンも浮かんでいた。港湾施設が爆撃され、炎上していた。タタタタン!という対空砲火の乾いた打擲音が響いてまばゆい曳光弾が曇り空を切り裂いていた。
それから実奈はケンタウロスロボに目を向けた。右腕の槍を振り下ろそうと構えたまま、首を背後に向けようとしていた。なにを余所見しているのか……?
新たな巨大ロボットが現れ、ケンタウロスにショルダータックルをかませた。
猛烈な衝突音に実奈は耳を塞いだ。
二体の巨大ロボットはそのままもつれあうように山の斜面を転がり落ちていった。
実奈は両耳を塞いだまま片目を開けてその様子を眺め続けた。
(エルフガイン……じゃない?)
海岸まで転がり落ちた二体のロボが立ち上がり、対峙した。
新たに出現したロボはエルフガインよりスマートで、全体的に複雑な曲面で構成されていた。大きさはケンタウロスよりやや小柄……身長60メートルほどか。
(エルフガインじゃないけど味方だ……)
しかし日本国内の高度な機密資料にアクセス権限を与えられた実奈でさえ、あんなロボットの存在は知らなかった。予想外なのは米軍のケンタウロスにとっても同様であったようで、相手の能力を推し量るように距離を置いていた。
エルフガインは静岡沿岸上空一万五千メートルを超音速で飛翔していた。
(速く……もっと速く……!)
健太がいくら気を急いても大気速度計はマッハ2.1を指したまま動かない。前方レーダーが上昇する大きな物体を捉えていた。あれがライデン1型だろう。高度はすでに3万メートル。その周囲で迎撃ミサイルが殺到しては、撃ち落とされていた。
『健太くん』島本博士がただならぬ口調で話しかけてきた。
「なにか?」
『いま……種子島から連絡があったわ。二体のロボットが島に上陸したようよ』
「二体!?」
『ええ、しかも一体はわたしたちの味方らしいの……』
「え?味方らしい、ってどういうこと?」
『分からない……』
「自衛隊の新型とかじゃないの?」
『分からないのよ』
「どうすりゃいい?」
『そうね……』さつきはしばし躊躇したのち、言った。『ライデン1型がじゅうぶん高度を稼いだことだし、いっぺん必殺技を試してみましょうか』
「ひっ……さつ、わざ?」
『エルフガインを減速させて、空中に静止しなさい』
健太はスピードブレーキをかけてエルフガインを減速させた。さっと体制を立て直し、仁王立ちで空中に浮かんだ。
「停まったよ」
『それでは、タクティカルオービットリンクを開くわよ。ライデン1型とエルフガインのシステムを繋ぐの。分かるわね?』
「えーと、うん……」なにが何だかさっぱりだがとりあえず答えた。
健太は待った。エルフガインもコクピットの中も変化は感じられなかったが、モニターの隅で赤いアイコンが点滅していた。「タクティカルリンクアクセス中」……そのアイコンがグリーンに変わった。
『エルフガイン広域索敵システム起動します』機械音声が告げた。『現在観測衛星のカバー率は20パーセントです』
モニター上に地球の立体透視図が浮かび上がった。その地球がズームアップして、エルフガインの現在位置を中心とした日本列島が大写しになった。種子島に向かって矢印が伸びた。さらにズームして、種子島とその近海の俯瞰図に切り替わった。無数の赤い光点が動いていた。緑色の光点は味方を表しているようだが、数は多くない。
「それでどうするの?早くしないと味方がどんどんやられちゃうよ」
『慌てないで。もうロックオンしたわ。火器リストアイコンから「エルフガイン・サンダー」を選択して……」
健太はそうした。またまた凄い名前だが……もうなんでもいいや!なかばやけっぱちで島本博士の言う必殺技を叫んだ。
「エルフガインサンダー!」
エルフガインが両腕を大きく拡げた。
その腕を頭部の前で組んだ。エルフガインの胸――髙荷マリアが座るコクピットモジュールを囲んだV字型部分がブルーに輝いた。
組んでいた両腕をふりほどくと、胸に生じたブルーの輝きが球状のプラズマに変化した。エルフガインがパンチを繰り出すと同時にそのプラズマ球が解き放たれ、まっすぐ天に向かって飛んだ。
種子島上空に垂れ込めた雲の狭間から光の筋が射した。雷鳴に似た音が轟き渡った。次の瞬間、まばゆく脈動する光の束が地表めがけて幾筋も降り注いだ。その光が飛行中の米軍無人機、F―35とF/A―18Eを文字通り切り裂いた。
光――エルフガインから放たれライデン1型の重力反射板で曲げられ、さらに増幅された高圧エネルギー粒子の束はケンタウロスロボの頭上にも降り注がれ、その片腕を切断した。その肩が爆発してケンタウロスロボがよろけた。
皆は階段を下りきった建物脇の芝生で、目を閉じても網膜に焼き付く光の乱舞をなるべく避けようと体を丸めていた。
熱を肌に感じられるくらいの光の脈動がようやく収まり、実奈はひょいと頭を上げ、周りを見渡した。鉄のような嫌な刺激臭があたりに漂っていた。立ち上がってあらためて見渡すと、島のあちこちから煙が立ち昇っている。しかし戦闘そのものは嘘みたいに終息して、あたりを不気味な静けさが支配していた。
「さすがのわたしもちょっとびっくりだ……」
ケンタウロスロボ、そして突然現れた救世主のロボットも姿を消していた。
ふらふらと階段を上がって管制室に戻ると、まだひと気はなく、エラーメッセージだらけの巨大モニタースクリーンが無言で瞬いていた。強烈な電磁エネルギーで島の精密電子機器の大半が逝ってしまっただろう。さいわい実奈のラップトップとイナーシャルドライヴァーには電磁シールドが装備されている。
(それと実奈の脳味噌があればなんとかなるか……)
実奈はテーブルの端にちょこんと尻を乗せると、膝の上でラップトップを開いた。
さつきは状況終了を知らせるコードがメインモニターに映し出されるのを見て、ホッとひと息ついた。
「博士」
久遠が缶コーヒーを差しだした。
「ありがと」
さつきは冷えた缶を頬に当てた。
「なんだか妙な展開になりましたが……」
「あの謎のお助けロボットのこと?」
「ええ、どこのどいつなんだか」
「とにかく、助かった」
「それはそうですけど、据わりは悪いです」
「そのうちに分かるんじゃない?」さつきはきびすを返した。「健太くんたちを帰投させて。わたしはシャワー浴びてくる」
「了解」
健太はひとり、飛行するエルフガインのコクピットで物思いに耽っていた。
どうやらあの中国に勝利できたらしい。エネミー05と交戦後のコア引き渡しの際には、4個のコアが出現した。中国が保持していたすべてのコアが手に入ったのだ。これで日本が保有するコアは8個。
アメリカ、ロシアと並んで最多だ。
残りの国からますます厳しく狙われることになるだろう。まだアジアを平定しただけというのに。
「正直しんどいな……」健太は声に出して呟いた。
それから首を振った。
(弱気になってんじゃねえよ俺!)
エピローグ
エルフガインが山腹の巨大なハッチに収容され、ガントリーが取りついた。煩雑な手続きが終わり、健太たちはコクピットから這いだした。
健太たち五人のパイロットを島本博士と久遠一尉、それに手空きのスタッフが出迎えた。「よくやったな!」大勢に肩をどやされ握手され、健太たちはようやく食堂にたどり着いた。
「ああくたびれた!」健太はイスにどさっと腰掛け、大きくのびをした。予備パイロットの江川一尉は彼女自身の上司に報告しに行ってしまった。
さつきがテーブルにラップトップを置いた。15インチモニターに実奈が映っていた。
「ハァイみんな~!元気?今日は助かっちゃった、ありがとね~」元気良さそうに手を振っていた。
天城塔子三佐もひょっこり現れた。迷彩服姿ははじめて見る。ぱりっとしたスカート姿とはずいぶん様子が違う。
「みんな!今日はたいへんだったわね。ごくろうさま」塔子は健太の手を取り勢いよく振った。「とくに浅倉くん!よくやったわね」
「ああ、はい……」
「やれやれ、健太ばっかり楽しい思いしてさ、いいよね」テーブルの端にふんぞり返っていた髙荷マリアが皮肉っぽく言った。
「べっべつに楽しくねえよ!必死なんだぞ――」
マリアは反論を無視して続けた。「あたしたちは戦闘中寝てるだけだもん。博士~、あたしたちも合体ちゅう覚醒できるように早く改良してよ」
「もうすぐね……でもあんただってそろそろ健太くんを認めてるんでしょう?」
「まっ……!」マリアはムキになって叫んだ。「べつに!まだ認めてなんかないよっ!」
となりで二階堂真琴が苦笑した。
「へー、そのわりには「浅倉」から「健太」に代わってるようだけど……」
「呼びかた変えたくらいでなんだってのよ!みんなだって健太って呼びかけてるでしょ?礼子先生だって……」
礼子がぎょっとして健太をまじまじと見た……そして、ほんのり顔を赤らめてそっぽを向いた。
「あら健太くんモテモテなの?」塔子がおもしろそうに言った。
「そっそんなんじゃ……ないよ?」
「うふふ、わたしのキスが効いたのね」
そのひと言がその場の(島本博士を除く)全員の頭上で炸裂した。
キス!?
「ちゃんと、マウストゥーマウスのチューよ」
わざわざ付け加えてくれたし。
マリアが体を起こして健太をにらみつけた。「まじかよこいつ、このまえ田中由子ともチューしてたじゃんか!」
「おまえ見てたんかっ!?ていうか天城さん、ちょっと誤解するようなこと勘弁してくださいよ――」
「誤解ってのはあんまりじゃない?」
「キス……したんですか……?」真琴が大きく見開いた眼をきらきらさせて健太を見た。
礼子も健太を凝視していた。「け……浅倉くん……そんなに経験あったの……?」
「だから先生!そういうのじゃないんだって――」
「健太お兄ちゃんてば実奈の胸に腕押しつけたこともあるんだよ!」
「みみみ実奈ちゃん!なにを言ってるんですかっ」
「マジで……」
マリアが真琴に尋ねると、真琴は顔を真っ赤にしてコクリ、と頷いた……。
マリアが嫌悪に顔をしかめた。
「あら、わたしなんかすっぽんぽんでマッサージしてもらったけど」島本博士までがあっさり言ってのけた。
「すっぽんぽんでマッサージ……?」
「そっそれはぁ……!」
「サウナ使ってたわたしをのぞき見した罰で」
「ぐわぁ――――ッ!」
礼子先生が慄然としている。
最悪。
「浅倉くん……!」礼子が厳しい声で言った。「それはちょっとまずいんじゃない?」
「誤解だってば!」健太はそろそろと立ち上がった。「そんじゃおれもう疲れたから、部屋に帰って寝る」
「逃げんなよエロ健太!」
その夜。
なかば引きこもり状態で自室に閉じこもっていた健太は、ノックの音に気付いてドアを開けた。
「はい……あ、礼子センセ……」
普段着姿の礼子が戸口に立っていた。
「健太くん、さっきは災難だったわね」
「ああ、いえ、べつに」健太は下を向いた。
「あの、健太くん本当にキス、したの?」
「いやだから、それは突発的にですね、一方的に……」
「いいのよ」礼子は弁解を遮った。「だってそういうお年頃だもんね?」
お年頃で済まされてしまうのもなんだか違う気がするが、無罪放免のお沙汰のようなので余計なことは言わないことにした。
さきほど暴かれた数々の行状の中では言及されなかったが、礼子先生の生まれたままの姿を見てしまったのはほんの半日前……まだ生々しい記憶だ。礼子にとってもそうであるらしく、やはりやや顔を俯けていた。
「ねえ、健太くん」
「な、なに?」
「先生考えたの。健太くんいろいろ忙しいじゃない?わたしも健太くんのためになにかしてあげられないかって」
「えっ!?」
してあげられることって……なに?
「それでね、仕事が終わったら補習してあげる」
「ほ……補習……?」
「うん。だって授業遅れがちでしょう?なんとかしないと三年生になれないよ?」
「ああ、なるほど……」健太は内心の失望が表れないよう気力を振り絞った。「ありがとう……」
先生はにっこり笑って、「それじゃあ月曜日から、おやすみ」と言い残して立ち去った。
健太はおもいきり深く溜息を漏らし、ドアを閉めた。
「もう寝よ」