第6話 『対馬は燃えているか? 後編』
天城塔子の対馬奪回作戦。それは韓国の戦意を喪失させ、最終的に半島全体の戦果を沈めるためのものだ。
対馬を最終決戦の地とすべくヴァイパーマシンは空路海路に分かれ九州を目指す。
そしてついに、韓国製ヴァイパーマシンTK-V2000が対馬に上陸してしまった!エルフガインは勝利を掴むことができるか!?
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対馬は北東から南西に細長く延びたふたつの大きな島からなっている。
韓国軍部隊はその北端に位置する自衛隊対馬警備所を占拠して、そこに籠城する体制を取っていた。
対馬に上陸した部隊は韓国陸海軍の有志、いわば寄せ集めであった。中央司令部の意向を無視して勝手に動いたある大佐に率いられた反乱軍同然の連中であり、系統だった作戦も支援計画も持ち合わせていなかった。終わりよければすべてよしと言わんばかりに、後先考えず暴発したのである。
日本もそうだが、じつは韓国にとっても、対馬の軍事的占拠は戦略的にたいして意味がない。対馬防衛隊は海上自衛隊の海域監視部隊であり、日本海すべてが戦闘域となったため積極的防衛命令は下らず、島民と共にあっさり拠点を放棄している。血を流すだけ無駄と判断されたためだ。
同様に、上陸した連中の行為は、朝鮮半島で本当に戦争している同胞にとって軍事的無駄づかいでしかなかったのだ。
だが象徴的な意味では、対馬は長年韓国の領土だと主張していただけあって、上陸を果たした部隊に対して「よくぞやった!」という賞賛は数多く寄せられていた。まこと情治の国であった。
しかし、ちょっとした気分の盛り上がり次第で戦争などというものの趨勢はどちらに傾くとも限らず……すべてが無駄と言いきれないのだ。
おそらく――今後1~2週間対馬を占領しつづければ、彼らは反乱罪に問われることもなく英雄扱いとなり、彼らを支援しようという動きも本格化することだろう。
だがいま現在、対馬に上陸しているのは、正規軍から飛び出した脱走兵同然の千名だけで、その人数で総面積が東京都の1/3ほどもある島ひとつを封鎖するのはほぼ不可能だった。けっきょく南北の島の境界に封鎖部隊一個小隊を割いただけで妥協し、あとは韓国側の海岸線を警備するので精一杯だった。本国に向かって宣言した「対馬を完全に奪還!」という言葉とはだいぶ違っている。もっとも彼らは日本人は戦いもせずに対馬から逃げ去ったと思っていたから、南半分を放置しても大丈夫と高をくくっていた。
実情はその逆だった。
占領部隊が海上パトロールの手間も怠っていたために、南側は日本人が上陸し放題となっていた。一度退去した島になぜふたたび大勢の人間が押し寄せているのか、正確なところは不法渡航を取り締まろうとしている側の人間でさえ分からない。
松坂耕介三佐は民間人に化け、そうした「対馬に急げ!」という連中に紛れ込んでいた。唐津港で違法なサイドビジネスにいそしむ漁船の切符を買った。
なんの目的があってか、やはり対馬を目指している20人あまりとファミレスで待機させられること一時間、やがてバンに詰め込まれ、ヤクザに案内され、海岸からゴムボートに乗り換えて操業を装っている漁船に向かった。
乗客はなぜかみな、ほかの乗客と滅多に言葉を交わさず、船上は異様な雰囲気だ。
年の頃は20代から50代までの、男性ばかりだ。みな大きなリュックを背負っていた。この連中はおそらく右向きだ。「韓国支援者」の集団はもうちょっとおおっぴらで仲間意識が強いらしく、単独行動者は浮いてしまう……耕介と同様に別の船で対馬に渡った部下からの報告だ。
リュックの中になにをしまっているのか知らないが、上陸した韓国人と喧嘩でもしようというのか、はたまたもっと漠然と冒険を求めただけか……内面の志はどうであれ外面は社会的落伍者の集団のように見えた。
(自分も似たような格好なのだが……)
ひときわ場違いな、戦車とアニメふう女の子のシルエットを胸にプリントしたTシャツを着た小太りの若者などは、法外な渡航賃をぼられて苦虫を噛みつぶした顔で、はやくも冒険の現実的な側面に幻滅しているようだ。
玄界灘を壱岐島を望みながら波に揺られること三時間あまり。一行は対馬市近くの海岸にあっさり上陸を果たした。
対馬にそうした「にわかソルジャーオブフォーチュン」が大挙押し寄せていた頃、九州を挟んだ太平洋側では望みもしないのに本物の冒険に巻き込まれている一団がいた。
ヴァイパーマシン輸送船団はミニ台風に捕まったまま、2時間あまりが経過していた。台風の中心に船尾を向け最大出力で脱出を試みていたが渦が強すぎて離脱できない。海岸に近づくどころかじりじりと公海に引きずられていた。渦の中心に潜んでいるはずの敵もそれ以上の攻撃はできないらしく膠着状態だ。嵐の中は電磁場が発生しているため外との通信も芳しくない。レーダーも効かないため周囲の状況がよく分からなかった。
「まさかこのままどうしようもない膠着状態のままではないでしょう。敵は次の一手を用意しているはず……」
『天城たいちょー』
「はい、実奈ちゃん」
『もうくたびれちゃった』
塔子は溜息をついた。
「ごめんね、この天候ではパイロットを交替することもできないわ」
『分かってるけどさぁ……』実奈は13歳の女の子らしいぶすっとした声で言った。
(やれやれ……)
別の人生を選んでいたら、あの年頃の子供がひとりかふたり、自分にもできていたかもしれない。
残念ながら天才少女といえども、いまの状況を打開する方策は思いつかないらしい。
『仕方ありませんね』二階堂真琴が言った。なにか決意した口調に塔子はハッとした。
「二階堂さんなにを……?」
〈さんごしょう〉と舳先を並べていた〈日光丸〉の船上からスマートヴァイパーが飛び上がった。
『やっほう!そう来なくちゃ!』
「ちょっと待ちなさい――!」
ミラージュヴァイパーも離陸してしまった。ジャンプロケットを噴かしあっという間に200メートルほど上昇した。スマートヴァイパーは突風に翻弄されながら渦の中心部に吸い寄せられていた。実奈のミラージュヴァイパーもそのあとを追った。
あのロボットは長時間飛行できるわけではない。わずかな時間ジャンプできるに過ぎない。
塔子が見ているあいだに二体のロボットはどんどん降下した……そして――
渦の中心に水没してしまった。
〈ひゅうが〉の甲板上、ヤークトヴァイパーのコクピットに収まっていた礼子と自衛隊の三人もなにが起こったのか見た。〈ひゅうが〉は2隻の民間輸送船の後方1㎞に位置している。
「ちょっと!なんてことを!」礼子は叫んだ。
「自殺行為だ……」
塔子も礼子も為すすべもなく渦の中心方向を見守りつづけた。
2分が経過した。
塔子の傍らで〈さんごしょう〉の船長が言った。「おい、渦の勢いが弱まってないか……?」
塔子がハッとして振り返った。
「船長!たしかに海流が収まり始めました!」一等航海士が言った。
「よし、このまま直進して渦から離れろ!」
「アイアイサー!」
「待って!あの子たちを待たなくては!」
「しかし天城さん……」
『天城三佐!』〈ひゅうが〉の艦長が連絡してきた。『通信とレーダーが回復した!衛星回線を見てくれ。こちらに接近中の船が四隻、おそらく戦闘艦と思われる』
「なんと……」塔子はラップトップを開いた。軍用ネットワークが回復しつつあった。刷新されたデータが流れ込んでくる。
塔子たち船団は宮崎沖300㎞まで流されていた。そしてあのインチョンから出航した小艦隊がまっすぐ接近していた。距離150㎞。
艦対艦ミサイルの射程距離内だ。
「あれを見ろ!」
船橋の端から身を乗り出して、すでに後方に遠のきつつあった渦の方向を見ていた一等航海士が叫んだ。塔子は反対側のドアから船橋の外に駆けだして見張り台に身を乗り出した。
渦の中心から巨大な黒い紡錘体が浮上しつつあった。
潜水艦の緊急浮上に酷使していたが、遙かに巨大だ。
そして、その巨大な物体に二機のロボットがへばりついていた。巨大な紡錘体は潜水艦のようにのっぺりしておらず、船体軸に沿って無数のフィンがびっしりと並んでいる。まるでドリルか、ターボファンエンジンの中身のような形状だ。スマートヴァイパーとミラージュヴァイパーはそのフィンに捕まりながら船体隔壁に剣らしきものを突き立てていた。
「なっ……なんだありゃ……」塔子の背後で船長が言った。
片手に抱えていたラップトップから真琴の声が響いた。
『若槻先生!撃って!』
二体のロボットが浮上した巨大潜水艦らしきものから飛び去った。
〈ひゅうが〉の甲板上でヤークトヴァイパーの砲塔がぐるりと後方に旋回した。二門のレールガンが射撃を開始した。240ミリ砲弾の速射、しかも距離たったの5㎞の水平射である。ヴァイパーマシンとは言え、巡洋艦並みの徹甲弾を続けざまに叩き込まれてはノーダメージとは行かない。敵はすぐに潜水し始めた。潜水艦としては途方もなく巨大な図体――二五〇メートルはありそうなのに潜水速度は異様に速い。それでも完全に海中に没し去るまでに都合50発の砲弾を浴びていた。
「回避行動に移っているようだわ……」
二機のロボットは着水して〈ひゅうが〉の浮き袋にしがみついていた。塔子はひとまずホッとした。
「船長、〈珊瑚礁〉と〈日光丸〉を転進させてください。我々が近くにいたら〈ひゅうが〉の邪魔になる」
「承知した!通信士、〈日光丸〉に連絡、我々は宮崎沖に向かう!」冷静に指示を飛ばしている。民間人なのに戦闘に巻き込まれている最中でも悪態のひとつもつかず、勇敢だ。
次の脅威は間近に迫っている。
『東南東よりミサイル多数接近中!』ヤークトヴァイパーに乗り込んだ婦人自衛官からの報告だ。 船団唯一の強力なレーダーシステムは、ヤークトヴァイパーに搭載されたセットだけだ。そして迎撃システムもその胴体に内蔵されたミサイルだけだった。
『さらに第二ミサイル群!』
対艦ミサイルの飽和攻撃だ。
「大変……」礼子は慣れた手つきでトラックボールを操り武器を選択した。飛来中の対艦ミサイルに次々とロックオンマーカーが灯る。
「撃っていいですか!?」礼子は後部座席に座る三人の自衛官に振り返って尋ねた。
「あと7秒辛抱してください!」園田一尉が叫びかえした。
今回は幸運だった。プロが乗り込んでおり、即座にきちんとした対応を考え出してくれる。礼子だけだったらありったけの弾薬をめくら撃ちしてしまったところだ。吉田一尉と須郷一尉もそれぞれ近接防御システムと主砲に戦闘データを入力中だ。
本来、超大型兵器エルフガインの運用上の都合から五つに分けられた、というのがヴァイパーマシンだ。
いちばん重量がかさむ胴体パートを野戦状況下のA地点からB地点にできるだけ穏便に移動させる、という目的のためだけに設計されたヤークトヴァイパーは、設計者の徹底したマッドエンジニアリングによっていつの間にか史上最強の陸上兵器に様変わりしていた。そのため充実しすぎの兵装はひとりでコントロールするには無理があり、複数人オペレートによって真の戦闘力を発揮する。
「先生、いまです!」
「はい!」礼子はトラックボールを押し込んだ。
ヤークトヴァイパーの全垂直発射装置が開いてミサイルが飛び出した。
装備されているミサイルは長射程でマルチロール機能に優れたスパロー改良タイプだが、もともと地対空ミサイルであり、さすがに乗り合わせていた陸自隊員たちも艦船と撃ち合うことは想定していなかった。それでも非対称戦争時代にふさわしく、あらゆる状況に応じたプログラムオプションは用意されていた。それになによりも、ヤークトヴァイパーは大量のミサイルと発射機を抱えている。
30秒間で飛来中のミサイル全弾に対応するだけのミサイルを撃ち終わると、吉田一尉が呟いた。
「おれ感動しちゃった……」
「黙れ、まだ戦闘中だ!」須郷一尉が主砲照準鏡を覗き込みながら鋭く叱責した。だが内心は相棒と同様で、その口元は歯を剝きだした獰猛な笑みのかたちだ。
陸上自衛隊最大の砲を動かす喜びは何ごとにも代え難い。
ヤークトヴァイパーの砲塔が身じろぎして、長大な二門の砲身が仰角を取った。ミサイルの噴射煙が風に噴き流され視界が晴れた。ミニ台風に突入するまえ飛び立った3機の対潜哨戒ヘリはまだ健在で、敵艦の観測データを送ってきていた。相手はセジュンデワン級2隻、それにチョムゴン・イスンシン級2隻。2隻ずつ10㎞の距離を開けてこちらに突進してくる。
「まずは威嚇だ」
二本の電磁軌条から立て続けに10発の砲弾が放たれた。それから砲塔をわずかに旋回させふたたび射撃した。須郷一尉は着弾まで待っていなかった。対空防御モードに切り替え、撃ち漏らしのミサイルを迎撃する体制を取った。
〈ひゅうが〉の進行方向で大きな爆発が次々と巻き起こった。対艦ミサイルが叩き落とされているのだ。
三門に増えたCIWSが白い筒状の砲塔を動かし始めた。根本の20㎜Mー61バルカンが唸り始めた。同時に自動追尾モードに切り替わったヤークトヴァイパーの主砲も旋回した。
甲板の縁に装備されたフレアーチャフディスペンサーが白熱するデコイを放ち、〈ひゅうが〉の周囲はだいぶ賑やかになった。
二門の砲塔から発射されているのは対空散弾だ。近接信管でミサイルの進路に大量の鉄球をばらまいて破壊する。
〈ひゅうが〉は大きく舵を取り、ミサイルの着弾範囲から離脱した。
被害無し。しかし両脇に二機のロボットがしがみつきさらに機動性を失っていたため、大事を取って回避行動に移っていた。
その頃には水平線の彼方で黒煙が上がっていた。ヤークトヴァイパーの初弾が1隻に命中していたのだった。韓国艦隊もまたバラバラに回避旋回中だ。まさか100㎞の距離から艦砲……というか戦車砲で応戦されるとは、彼らも想定していなかったらしい。
「おれも正式に感動したぞ」
須郷一尉はさらに大きな火球が立ち昇ってゆくのを見ながら言った。駆逐艦を轟沈させた陸自隊員は彼ひとりだけだ。
〈さんごしょう〉はすでに〈ひゅうが〉から10㎞離れていた。戦闘の様子は双眼鏡を通さねば分からない。いまもっとも警戒しなければならないのは潜水艦の魚雷だ。そちらは陸自の塔子にとってはまったくの専門外だ。すべては〈ひゅうが〉の対潜能力とヘリコプターにかかっている。そのヘリもそろそろ燃料切れだ……。
「天城さん!前を見てくれ!」船長が叫んだ。
塔子は進路方向に振り返った。
前方、海の上に異様な航空機が姿を現していた。大きい。超低空飛行するには大きすぎるように思えたが、あまりにも異形で大きさが実感できない……。
塔子はハッとして叫んだ。
「みんな耳を塞いで!」
巨大な全翼機――バニシングヴァイパーが〈さんごしょう〉と〈日光丸〉のあいだ、高度五〇〇メートルあたりをを通過した。
次の瞬間塔子はソニックブームにたたきのめされ、耳を塞いだまま甲板に倒れ込んだ。
「たまげたな……」ふらふらと船長が立ち上がって、塔子に手を貸した。
「とにかく……」塔子はスカートのすそを払いながら言った。「救援隊が到着した」
2
対馬に上陸した松坂耕介三佐は港町に行こうとする敗残者の群れから離れ、山に入った。対馬上陸を目指す日本人はふたつのグループに棲み分けされ、面白いことに上陸地点もそれぞれ別の場所だ。
左翼の連中は北寄りの町に堂々と上陸しているらしい。韓国人たちに攻撃されるとはつゆほども考えていないようだ。
(さしずめ、よど号ハイジャック犯と同じ心境なのかな?)
韓国人たちを啓蒙してやろう、とでも思っているのか。対馬を〈占領〉した連中の歓迎委員会のはずだが、そんなときでも上から目線だとしたら、あの手の人間らしいと言える。
とにかく、耕介もその左翼に用がある。連中を監視すればいろいろ分かるはずだ。運が良ければ、同じようにしている部隊の誰かが韓国人と接触する現場に居合わせるかもしれない。
時計を見た。そろそろ日が暮れる。部隊の集合時間は6時間後。まだ時間に余裕はある。偵察のほかにいろいろ仕掛けなくてはならない。
北を占拠した韓国部隊は本当に南側を放置しており、こそこそする必要もなさそうだった。耕介は放置されていたスーパーカブを失敬して島の舗装道路を移動した。
いったい何人日本人が上陸しているのか、道中でピクニックみたいな団体といくつもすれ違った。マスコミも少しだけいる。左翼はプラカード持参で、まとまってお喋りしておりそうと分かる。右翼はたいがいひとりか多くても三人ほどで、スマホかタブレットでなにか眺めていた。テキストサイトにアップされる情報を漁っているのだろう。右翼の〈抗議団体〉は公営グラウンドに集合するはずだ。
どいつもこいつも武勇談をツイッターやら動画サイトに曝しまくっていた。おかげで情報には事欠かない。とくに韓国人はわざわざ無線ネットを日本に向けており、対馬上陸の様子を逐一曝している。その事実ひとつとっても、対馬に上陸した敵部隊が有象無象の集まりだと知れた。おそらく反日運動家の民間人も少なからず混じっているのだろう。
だが奴らがアップした画像に、一枚だけ本物の韓国陸軍特殊部隊の少佐が映り込んでいた。
やはり上陸に際して民間人になりすましていたが、顔に見覚えがあった。むかし合同訓練で手合わせしたことがある手強い男だった。
とびきりのプロがなぜ、韓国軍跳ねっ返りの無駄なパフォーマンスに付き合っているのか?
耕介の率いる陸上自衛隊偵察レンジャー小隊は、来るべき上陸作戦に備えた偵察と破壊を目的としていたが、いささか事情が変わってきた。
臨機応変、即応を旨とする特殊部隊である。現場の判断である程度自由裁量を任されているのだ。その代わりわずかでも心配事を見過ごして「知りませんでした」と弁解してもまともに取りあってくれる者はおらず、たんに無能と見なされる。
それで、耕介は少々忙しく立ち回ることにした。
6時間後、耕介は島の北と南の境界を望む姫神山砲台跡に到着した。
部隊は分隊ごとに林の中に潜んでいる。整列も点呼も無し。各分隊長が全員揃ったことを報告しただけだ。
林の地中には先達の自衛隊部隊が装備を埋めていた。正規の備蓄品目ではなく、部隊から部隊へ、秘密の知識として受け継がれた伝説的装備だ。私服で上陸した隊員たちはそれを掘り出した。コンテナの中には作業服と火器がきちんと揃っていた。
「水と乾パンもありました」
副隊長の木場一等陸士が耕介の制服を持ってきた。身長182センチの巨漢でつるつるの頭、肉の厚い顔立ちはカタギには見えない。耕介の部隊は全員そんな風体だ。
「サンキュー、先人の知恵に感謝だな」
「まさかわたしらが使うことになるとは思いませんでしたがねえ」木場はすでに迷彩服に着替え、装備を揃えていた。「作業服は古い型だし、サブアームはなんとガバですよ」
「いいじゃないか45口径、強力だろ?」
「わたしゃ、サバゲーしにきたコスプレ集団と間違われないか心配ですね」」木場はぼやきながら、缶入りの飲料水をふたつ、地面に置いた。
彼らは猛者揃いのレンジャーの中でもひときわハードコアな状況を想定した部隊だ。敵後方に潜り込んでサーチ&デストロイ、とくに後ろめたいケースに駆り出される。21世紀を迎えると都市型ゲリラ戦闘も想定されたため、ロン毛もタトゥーも容認されている。食糧も武器も現地調達、活動の痕跡を残さず、政府も統幕も彼らの活動を公式に認めることはない。今回のようにいち早く火器と制服まで調達できるなんて贅沢すぎと言える。
(まあどこぞのジャングルならともかく、国内だしな……)
そんな幽霊部隊なだけに隊員の半数はやさぐれ者やサイコパスすれすれ、なにかの間違いで犯罪者ではなく社会を守護するほうに回った人間だ。
奇妙なことに、あとの半数はそれら犯罪予備軍をまともな社会に繫ぎとめようとするソーシャルワーカータイプだった。そんな愛すべき連中のボスである松坂耕介もまた、隊内では浮いた存在だった。広域暴力団黒雅組の四代目、という父親が嫌で実家を飛び出したのに、けっきょく自分もゴロツキ集団の頭に据わってしまった。血は争えないと言うことか。
姫神山砲台は明治期に対ロシア艦隊用として築かれた要塞だ。
耕介たちは砲弾倉庫として作られた煉瓦の建物の入口にいた。建物自体は山の地形になかば埋もれ、外からの見通しはきかない。対馬の土地を買い占めていた韓国人たちもこういう場所はスルーした。現在は観光スポットだが電灯はほとんど無く(わずかな街灯は空気銃で割った)夜中に誰かが現れる可能性はない。
耕介が着替え終えると、副隊長が小さなデジカメを取り出した。
「先行した小池が撮しました、見てください」
木場が動画を再生した。
「これはこれは……」
高い場所から港を撮影した画像だ。タグボートに囲まれた巨大なはしけが湾に接近している。
そのはしけにロボットが横たわっていた。
「奴らも作り出したんだな……」
「無線を傍受しました。どうやらそのロボットは韓国陸軍から強奪されたらしいです……自力で立ち上がって、山の中腹に移動したそうです」
「無理矢理持ち込んだのか。厄介だな」耕介は自分の荷物からスマホを拾い上げた。
「おれのほうはこれだ」
スマホの画像を見た木場は顔をしかめた。
「こいつはたまげた。日本社会主義共産連盟の書記長と……民生党の有原ですね。大先生がふたり、なにしに来たんでしょう?」
「最近肩身の狭い連中ばかりだからなあ……亡命でもするつもりなのかな」
「まさかねえ……お!なんだ、大先生がたと親しげに握手してるグラサンのデブあんちゃん、どこかで見たことありますね」
耕介は頷いた。「おれには昨年クーデターで処刑された首領さまのお兄さんのように見えるな」
「え!?」木場はますます険しい表情になった。「くそっ、まさか……するってえと韓国特殊部隊の目的はこいつですか?」
「間違いないな。半島に招待するつもりか殺すつもりなのか分からんが……」耕介は地べたに腰を下ろして缶容器を手に取った。「香港で優雅な軟禁生活を送っていると聞いてたのに、いつの間に日本に来てたのやら……」
「てことは、我々の仕事はまず……」
「決まりだな。こいつら全員身柄拘束だ。韓国特殊部隊と奴らが接触する前に」
「で、いまVIP御一行はどこに?」
「まだ町の旅館にいる。明るくなったら北側に移るつもりだろう。幸い、ボートと車は片っ端から壊しておいた。奴らがスターターを直結させる方法を知らない限り、歩いて行くしかない」
「町ですか……けっこう人がいるんでしょう?厄介ですね」
「さいわいいまはグウグウ寝てるだろう」
「それじゃあさっそく行くとしますか」
ようやく夜が更けようという時間だったが、北九州の港は活気に満ちていた。
エルフガイン支援部隊も続々と埼玉から到着していた。濃いブルーに彩られた港湾施設では、いくつもの投光器がドックと接岸作業中の〈ひゅうが〉を照らしている。
輸送船団の戦闘はすでに知れ渡っていた。2隻轟沈、1隻大破、最後の1隻も艦橋を破壊され、逃走した。大戦果と言えた。誰もが殊勝艦の姿をひとめ見ようと集まっている。
謎の巨大潜水艦もあのまま反転逃走したようだ。
〈さんごしょう〉から降り立った天城塔子は岸壁に集まった大勢の関係者の拍手に迎えられ、敬礼しながらも内心当惑していた。その中に島本さつきの姿を見つけた。なにか考え深げに腕組みしていた。
(あの顔は怒ってるな……)
「若槻先生!」
健太とマリアはタラップから降りてくる礼子に手を振った。。礼子は急ぎ足で健太たちのもとに駆け寄った。
「浅倉くん!二階堂さんと実奈ちゃんがまだ……」
「で、でも無事なんでしょう?」
浅瀬にたどり着くと、二機のロボット型ヴァイパーは自力で岸に這い上がった。ロケット燃料を使い果たしていたため、二機ともずっと〈ひゅうが〉の浮き袋にしがみつき続けたのだ。まこちゃんも実奈ちゃんも消耗しているはずだ。
両膝をついて擱坐した二機のロボットのまわりに作業台付きのはしご車が何台も寄せられ、胸の操縦席に作業員が取り付いている。いかにも痛々しげな光景だ……
「おしりが痛ぁいー!!」
実奈の元気いっぱいの叫びが響いて、健太と礼子は顔を見合わせた。
続いて実奈本人が引っ張り出された。さっそく健太たちを見つけ、作業台から身を乗り出してぶんぶん手を振った。
「元気そうね……」礼子が手を振り返しながら苦笑した。
真琴も丸一日狭いコクピットに籠もりきりだったに関わらずピンと背筋を伸ばし、健太たちに迎えられ笑顔で応えた。
「ずっと眠ってましたから」
戦闘後は手空きの自衛艦と二機のヴァイパーに護衛され、警戒の必要がなくなったのだという。
「おれたちも無理矢理寝ろって言われてさ……いつ再出撃か分からないからって」
「お話は聞いています。対馬に大きなロボットが上陸したそうですね」
「うん。韓国製、TKーV2000。全高五六メートル、重量1400トン、飛行速度マッハ1.2……」
真琴は当惑した。「ずいぶん詳しいスペックが判明してるんですね……」
健太は笑った。「動画サイトで堂々と自慢してるんだもん」
「だいたい、「あなた方にはたいへんお世話になったから、今日は我々ががんばらないとね」と言ってから24時間しかたってないわ。その舌の根も乾かないうちに大事なヴァイパーを水浸しにしてくれるとは……」
「……だから、申し訳ないってば」
さつきはシャワーヘッドを手にとって真琴の背中を流した。
塔子は実奈の背中をスポンジで擦り続けていた。
「でもおかげで中国のヴァイパーマシンもおびき出せたし……」
実奈が振り返った。
「あたしとお姉ちゃんががんばったおかげで」
「まあたしかに……」
「さ、真琴ちゃん、おしまいよ」
「あ、ありがとうございます」真琴は立ち上がり、そそくさと湯船に飛び込んで肩まで身を沈めた。大風呂は苦手のようで、恥ずかしそうだった。
さつきも立ち上がって湯船のビニール製衝立を慎重にまたいだ。
「しかしこの自衛隊の装備はスゴイと思うけれど、ちょっと人に見せられないわね……」 さつきは湯をかき分けて礼子と自衛隊の園田一尉のあいだに腰を下ろした。
「でも港湾施設のこんな場所にお風呂なんか無いと思ってたから、助かるわ……」
実際には(ひゅうが)にも風呂はあるが、大勢の男性隊員のために開けてある。その代わり特例として一回15分という規定を大幅に上回り湯を使わせてもらえた。
「園田一尉、あなたも今日は大変だったわね。実奈ちゃんが終わったら背中流してあげる」すっかり自虐モードの塔子が言った。
「えっ!?いえそんな三佐どの、自分は通常の任務を果たしただけですから、けけっこうです」
「それで、あの中国製ヴァイパーマシンは逃げてしまったの?」
「なんでも50ノットで潜行できるみたいなのよ。ものすごく騒々しいけど追尾はとてもできなかった……」
「そう、さしずめ軽く手合わせということなのかしら」
「人工台風からの離脱があと少し遅かったら、韓国艦隊の真ん前に放り出されるところだった。おそらくとどめは彼らに任せるつもりだったのだと思う……」
「エルフガインを行動不能に追い込んだあと日本に本格的に攻め込むつもりで、戦力を温存したのか」
「奴らは〈ゲーム〉に関心がないのかも。あくまで軍事力で日本を蹂躙したいのか……」
「天城隊長、もういいよ。背中の皮がむけちゃう」
「そう、こんなことしかできなくてごめんね、実奈ちゃん」
「こんどは実奈が背中洗ってあげよう」
「え?そんないいわよ」
「いいんじゃない、洗ってもらえば」湯船の縁にもたれたマリアが言った。
「それにしてもお姉さんたちおっぱい大きいね!」
「ちょっちょっと実奈ちゃん声が……」礼子が慌てた。
「誰がいちばんかな~。やっぱ博士?それともレーコせんせ?」
真琴が顔を真っ赤にしてさらに深く湯に浸かった。
彼女たちは自衛隊野外入浴装備2型(通称 玄海温泉)の奥行き一〇メートルほどのテントの中で入浴中だ。当然全員全裸であった。
健太は、背後のテントの中で展開しているこの世でもっとも美しい光景に思いをはせていた。
健太と久遠は、実奈がじゅうぶんなソーシャルディスタンスと定めたテントから一〇メートルの距離を取り、歩哨に就かされている。
久遠はOD色の一斗缶に腰掛け、煙草をくわえながら仏頂面を浮かべている。その肩には装填済みの89式5.56㎜小銃をもたせかけていた。接近する人間、とりわけ♂は問答無しで射殺する、とその顔は告げていた。
「――マリアお姉ちゃんもなかなか……つんと上向いてて格好いいよね!」
「ちょっ実奈!おっさんみたいなこと言ってんじゃねーよ!」
健太はうなだれた。これは拷問なのだろうか。
「久遠隊長」
「あン?」
「おれも一服したい気分なんだけど」
「ふざけんなくそったれ」
「なに食べたら実奈も先生みたくキョニューになれるの?」
「わ、わたしに聞かないで……」
「あいつさあ、ときどき先生のことガン見してるんだぜ……」
(髙荷のやろう!なんてことを!)健太は顔を両手で覆った。
「軽く死にたい……」
「その程度で気分出してんじゃねえよ童貞野郎」
「死んだら転生して後ろの風呂の湯に生まれ変われるかもな……」
「ポジティブシンキングなのか後ろ向きなのかわかんねーよ」
もう朝だ。
(今日も学校はサボりだな)健太は思った。こんな状況ではもはやまともに高校に通うなど望むべくもないだろうが、そうすると進級はどうなるんだろう……。
「悪いがひと眠りの時間はねえな」久遠が言った。
「すぐ出撃?」
「たぶん。メシ食ったら」
「対馬に上陸したあのロボットと戦うのか」
「そうだ。当初、天城女史は対馬にエルフガインを立たせとくだけで相手はびびって逃げ出すと踏んでいたんだが……出るもんが出たってやつだな」
「あのひとが作戦考えたのか。でも、そしたら襲われた……」
久遠は頷いた。
「エルフガインが対馬に行くぞとアピールすれば、相手は釣られてなにか始めるとは思っていた。あわよくば軍艦を何隻かやっつけて、相手の戦意を殺ぐ。あの国の連中は理屈っぽい戦略よりパフォーマンス的な勝敗に左右されやすい。まともに戦うより目立つところで一戦してみせるほうが戦闘を早期に収束させる役に立つと踏んだのさ。しかし……まさか中国人が挨拶に来るとは予想していなかったようだな」
「先生たちが遭遇した巨大潜水艦か……」
「ウム。だがこれで大陸の奴らもカツカツなんだと分かったよ。共産党と人民解放軍のやつらは、日本に負けたりしたらそれこそ壊滅的に面子を潰される。そのあとは果てしない内乱だろう。だから今回は慎重に、様子見というわけだ」
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港から対馬まで直線距離で約120㎞。対馬を超えたらプサンまでわずか80㎞だ。
バニシングヴァイパーはのびのび飛び回った。
音速の二倍。韓国空軍のF―15Kスラムイーグルはその速度で飛べるが、戦闘となるとまったく別の話である。とくに相手が空対空ミサイルをものともせず向かってくる場合は。
マリアは丸一日空自の隊員に愛機を独占された憂さを晴らしているようだ。まこと女の恨みは恐ろしや。健太がストライクヴァイパーを竹島上空に旋回させているあいだ、マリアはひとりで韓国空軍をおちょくり続けていた。
1時間も飛行を続け韓国上空まで何度も低空侵攻しているうちに、相手は確実に戦意を喪失していた。迎撃機はバニシングヴァイパーの追撃をあきらめたらしく、次々と地上に降りてしまった。
本土が「爆撃」に曝されているという情報は日本海に展開する韓国海軍にも伝わったらしく、慌てて転進していた。
天城三佐の意図したことは実現されつつあった。ネット上のチャンケの畜生どもを皆殺しだ!という勇ましいかけ声は徐々になりを潜め、悲観的な書き込みが増大していた。昨日軍艦を沈められたことも日本の報道で知らされている。日本海の戦いもほぼ終息したため、護衛艦の半数は修復のため港に戻るか、対馬の周囲で警戒態勢を取っていた。
「半島は大混乱ですな」
久遠は野戦司令所の奥の40インチモニターに映し出された戦略ステータスボードを眺めた。
「惚れ惚れするような眺めだわ」塔子が応じた。平壌に侵攻した韓国軍戦車部隊も回れ右し始めたらしい。「たった一機であれほどの軍事的プレゼンスを与えるとは……あとは竹島をなんとかしたいわね」
「あまりいっぺんに欲張らないほうがいいんでは?」
「がっついてるわけではないの。竹島から追い落とされることこそ、彼らを完全に萎えさせる……分かっているでしょ?でも、手始めに対馬に日の丸を一本立てるだけでじゅうぶんかも知れないわね」
「その前に一戦しなけりゃなりませんが」
ステータスボード上では〈ひゅうが〉がヤークトヴァイパーを上陸させるべく、対馬に向かっていた。
今回は二機のヴァイパーマシンと護衛艦隊によって厳重に守られている。スマートヴァイパーとミラージュヴァイパーも護衛艦に曳航されたはしけに乗せられ、対馬に接近中だ。
「そう……どうなの?相手はエルフガインよりずいぶんと小さいみたいだけど、勝算はいかほど?」
「勝算なんて知りませんけどね」久遠は素っ気ない口調で答えた。率直すぎる物言いのせいで上官から嫌われ、エルフガインコマンドに飛ばされたという男である。「奴らがホームページまで作って自慢してるスペック通りなら、TKーV……エネミー04は飛行能力を有しているようです。図体の割りに比較的軽量なので本当に飛べるのかも知れません。その点を注意すべきですが……ヴァイパーマシンどうしの戦いは基本的にその場で出たとこ勝負なんです」
「なるほど、超兵器の戦いとはそれなりに大変なのね」
「ま、どんな珍兵器が飛び出してくるか予測不能でして……して、半島の情勢はどんな感じです?」
「南の議会は崩壊したわ。大統領はヘリで自慢の強襲揚陸艦に逃げこんだそうよ。ハワイに向かってるみたい」
「アメリカに亡命する気ですか?いい考えとは思えませんね」
「おそらく追い払われるか、撃沈されるでしょうね。日本海の戦闘が終息したのは、戦意の喪失もあるけど、むしろ使える戦争機材を使い果たしたためだと思う。恐慌をきたすにはじゅうぶんな理由ね。責任者はみんな逃げ出してしまった。もはや休戦協定もなにも、どこに話を持って行けばいいのか日本政府も分からない」
「たった二日で亡国ですか」久遠は同情するでもなく言った。「ひどいもんですな」
〈ひゅうが〉が対馬近海にたどり着いた。
1㎞沖合で機関停止した〈ひゅうが〉は随勢で進みながらゆっくり回頭し始めた。
その甲板上に居座っていたヤークトヴァイパーが後進しはじめた。五千トンの物体が移動するにつれて〈ひゅうが〉の船体後部が深く沈み込んでゆく。
甲板の縁に達した段階でヤークトヴァイパーのジャンプロケットが点火し……まあ比較的、ふわりと飛び上がった。艦首ソナードームが完全に露出するほどうしろに傾いていた船体が突然重荷から解放され、勢いよく復元した。
ヤークトヴァイパーは大きな水柱をあげて着水した。重い車体はそのまま水中に没したが、水深はそれほど深くはない。ヤークトヴァイパーは海底を進んだ。すぐに砲塔が水面を割って現れ、まもなく五千トンの巨体そのものが海中から浮上した。ヤークトヴァイパーはそのまま海岸の地形をものともせず直進して陸に……そして勢いを保ったまま一気に山を駆け上がり、頂上を越えたところで停車した。
対馬北端の山頂に陣取っていた韓国製巨大ロボットTKーV2000――エネミー04はまだ動かない。
マスコミは壱岐島近海に船を浮かべ、「対馬決戦」の模様を伝えている。メジャー各局は一社を除いて軒並みニュース特番を組み、過去の対戦VTRや「専門家」の意見、街頭インタビューを流し続けながら戦いの時を待っていた。韓国側も同様に報道陣を送り込んでいた。
じつのところ日本側は情報操作によって、対馬の戦いがこの戦争の雌雄を決するという雰囲気を作り出すことに成功していた。それはマスコミ向けの会見やネットの書き込みに滑り込ませたいくつかのキーワードやほのめかしによるものだ。とびきりの変人……自衛隊サイバーオペレーション対策室のギークによって行われた作戦だった。
それで、日本列島と半島の民衆は、いまや着実に迫る最終決戦を固唾を呑んで見守っている。
対馬南北の中間に位置する美津島町は騒然としていた。このあたりは上陸した左翼系市民団体の縄張りだ。あの日本製巨大ロボットが上陸するらしい、という情報が午前六時のニュースで流れてからずっと、市民団体は不法占拠した民家や宿泊所から這いだし、「安全地帯はどこだ!?」と騒いでいた。八時にこの島が「最終決戦」の舞台となることを知らされるに至ってなかばパニックの様相を呈し始めた。
松坂三佐と特殊部隊小隊はできるだけ目立たないよう移動していたが、それでも制服を着用している以上、町の道路に溢れかえった市民に捕まらずに済むわけではなかった。そんなときは「橋を渡って空港に行け」と指示した。いざというときの救出計画は用意されている。島唯一の滑走路がその集合地点なのは事実だった。それで、市民団体はやがてぞろぞろそちらに向かい始めた。
その中に松坂三佐が確保しようとしている三人の姿はなかった。
「ふだん我々を敵視しているんだから、あんまり頼りにしないで欲しいですなあ」
「まあぼやくな。分け隔て無く市民を守護するのが役目だろ?」
背後、対馬南端の方角でものすごい爆音が響いた。市民団体のあいだに悲鳴が上がった。そちらを振り返ると、遙か十㎞ほど向こうで巨大な四角い物体が噴射炎をもうもうと噴かしながら空に舞い上がっていた。
「エルフガインだ!例の合体ってやつの最中ですか……」耕介のそばで木場一等陸士が呟いた。「本当に持ってきたんですね」
「ああ」
「あの中には……」
「うん、おれの息子が乗ってるはずだ」
巨大なV字型の飛行物体がまっすぐ垂直降下してきた。まもなく恐ろしげな衝突音があたりに響き渡った。
「合体……完了したみたいですな」やれやれと首を振った。本当に合体する巨大ロボットに呆れているのか、エルフガイン上陸によって通常部隊による離島奪回作戦がチャラになったことを嘆いているのか分からなかった。
「そうだな、おれたちも行くぞ」
エルフガインが歩き始めた。
山がちの地形をものともせず前進している。標高二百メートル足らずの小山を次々と乗り越えるたびに図体がひょっこり現れる様子はやや滑稽である。
島の南の方、どこからともなく鬨の声が上がった。
健太は80メートルの高みから眼下を見下ろした。同じ画像はエルフガインコマンドの戦略サーバーを通じて北九州にいるさつきたちの元にも送信されている。エルフガインの機体全体にちりばめられた各種センサーは足元の画像や音声を逐一拾い、エルフガインコマンド内のスタッフが、危険物の存在や踏みつぶしてはいけないもの――とくに人間――をチェックしていた。パイロットに注意を喚起する必要がある場合、メインモニターの片隅にアイコンが点滅する。それで健太は前方1㎞に大勢の人間がいて、大声を上げていることに気付いていた。
「な、なんだ?」
『健太くん、あれは右翼の人たちだわ。あんたが現れたので盛り上がってるんだと思う』
「マジかよ。危ないなあ……」
『現在〈おおすみ〉が対馬に急行しているわ。避難するつもりのある人たちをヘリとエアクッション艇でピストン輸送するためにね。そのための集合地点を地図データに送るわ。その場所と建物類はなるべく避けてちょうだい』
「了解!」
たちまちメインモニター上の地形に赤く塗られた地域が現れた。けっこうたくさん点在している。しかし大半は島の九州側だ。避けきれないほどではなさそうだ。
全高80メートルのロボットの前進は、ほとんどの人たちの理解の範疇を超えた光景だ。遙か遠くの山間にちらちら見えていたと思ったのもつかの間、どんどん近づいてくる。音と振動が高まり、やがて呑気に眺めていた連中は突如、冷や水を浴びせられたようなショックと共にその物体の真の大きさを実感する。
ニュースで見ていたのとは全然違う。
「せいぜい20階建てのマンションほどの大きさ」と高をくくっていたのだが、マンションは時速250㎞で歩いたりはしない。そして、動いているともっとずっと巨大に見えた。そしてそれが容赦なく接近し続けるに至り、ようやく我が身の危険に気付くのだ。
頼もしい「味方」の登場に右翼の人間たちが大喜びできたのも、わずか二分ほどだった。過去の経験がまったく通用しない光景……人間と変わらない歩調で超巨大ロボットが目の前を通過するという恐ろしい光景に、誰もがその場にへたりこみ、為すすべもなく見上げるばかりだった。少なくとも300メートルは離れていたにもかかわらず、5メートル手前で動くブルドーザーと同じくらい危険に見えた。
エルフガインが粉塵とイオン臭の余韻を残して島の北側に歩き去ると、尻餅をついていた者たちはそろそろと立ち上がり、ついでスマホやタブレットで緊急避難場所を真剣に漁り始めた。
巨大ロボは腹立たしいくらいの速度で耕介一行に追いつき、あっという間に追い越した。松坂の行く手、地形に遮られた道路の奥でいくつかの悲鳴が上がった。エルフガインに驚愕しているようだ。
「奴らがいたぞ」
耕介たちは小銃を構え、にわかに歩調を早めた。二車線道路の真ん中は避け、山の斜面とガードレールのあいだのわずかな隙間を進んでいた。副隊長率いる道路の右に展開した分隊が20メートル進み、手で合図すると左側の分隊が進む。そんなふうに敵部隊を警戒しながら進んでゆくうちに、前方でタタタタン!という乾いた音が轟いた。
耕介が立ち止まって屈み込み、背後に止まれという合図の手のひらをかざした。ついで道路の向かいにいる木場に指先で指示を送った。木場はうなずき返し、背後の部下に展開の合図を送ると、ガードレールの向こうの斜面に姿を消した。
耕介は背後の部下を手招きした。
「川俣、おれは目標まで一気に駆ける。おまえと小池はうしろから援護。残りは揺動しつつおれが帰ってくるのを待て。あと30秒で木場の分隊が山裾の配置に就く。そしたらゴーだ」
「了解ッス。山田と金本に斜面を昇らせて狙撃位置に付けさせます。あともう30秒ください」
耕介は目の前のえぐられたような地形の崖を見上げた。
「よし、行け」
ふたりの隊員が肩車で狙撃手を崖に押し上げた。ふたりの狙撃手はわずかな手がかりを掴んで軽々と体を持ち上げ、ほとんど垂直の崖を猿並みの身軽さで駆け上がると姿を消した。
時間になったので耕介は残った部下に一度だけうなずき、道路を駆けだした。
曲がりくねった道路を50メートル進むと崖に囲まれたひらけた場所に出た。橋が見えた。橋の向こうはトンネルだ。トンネルと言っても奥行きは20メートルほど。そのトンネルの出口に三人の男がうずくまっていた。
背後のどこかで89式の射撃音が響き渡った。木場の分隊が威嚇射撃を開始したのだ。トンネルの上から誰かが発砲してきた。耕介はジグザグに走り続けた。背後10メートルをぴったり付いてきた援護のふたりが応射した。足元の道路が弾け石くれが跳ね上がった。
耕介と部下ふたりはトンネルに飛び込んだ。
頭を抱えてうずくまっていた三人の男がおそるおそる顔を上げた。
「やあどうも、志茂書記長、有原参議院議員さん……そして」もうひとり、丸っこいひげ面の男を見た。「――故首領様のお兄さん」
「き、きみは、だれかね?」
「見ての通り公僕です!あなた方、少々助けが入り用みたいだ」
「わ、我々はそんなもの必要ない!放っておいてくれないか」
「そうですか?撃たれたみたいだが」
「何かの間違いだ!もうすぐ我々の同志が迎えに来てくれる」
「半島のお友達が?」
有原が顔をしかめそっぽを向いた。
「とにかく皆さん、我々の援護で逆戻りしてもらいますからね」
耕介は立ち上がると有原の胸ぐらを掴んで無理矢理立たせた。
「放せこら!」
部下ふたりがトンネルの両側に発煙筒を投げた。
「おれのいう通りしないと殺されるからな、素直に従え」
耕介はそう言うなり有原のウエストベルトを掴んでトンネルの外に躍り出た。
「やめろ!放せったら!」
「声を出すと狙われる」
耕介たち三人は同じように男たちを引きずりながら走った。
どこかでハングルの叫び声が聞こえた。耕介は合同訓練の際にハングルをマスターさせられていたから、なにを言っているのかはなんとなく分かる。「同志様!お迎えに参上しました!」とかなんとか。書記長がその呼びかけに応えた。「わたしはここだ!お兄様もいらっしゃる!」
とたんに射撃音が響いて書記長がばったり倒れた。書記長を引きずっていた川俣も一緒に転がった。
「くそっ!」松坂は有原を地面に引きずり下ろすと、その体に覆い被さりながら背後にめくら撃ちした。その間に小池が川俣を助け起こし、仰向けに倒れている書記長をちらりと見ただけで松坂のほうに駆け寄った。
「頭を撃たれてます」
「そうか。行くぞ!」耕介は新しい発煙筒を地面に転がしながら立ち上がった。怯えきった民間人ふたりはいくらか御しやすくなっていて、耕介の指示に素直に従った。50メートル進むと仲間の自衛隊員が道路の両脇に陣取って、逃げてくる耕介の背後に十字砲火を浴びせていた。カーブを曲がりきるとようやく銃火が遠のいた。
「き、きみ、なにが起こってるんだ!?志茂さんは死んだのか?」
「ええ。相手は韓国陸軍特殊部隊です。どうやら、あんたがたが半島に輸出しようとしていた過去の遺物は必要ないと言っているらしい」
有原は唖然として、傍らにいる旧北朝鮮支配階級一族の最後のひとりを顧みた。
「彼らなりに国土の健全化を目指しているのでしょう」堪えきれず厳しい言葉を浴びせてしまった。皮肉を言われた有原が反論しようと口を開き駆けたとき、木場の叫び声が上がった。
「隊長!伏せて!」
耕介はなにか確認する間もなく有原の襟を掴んで引きずり下ろし、自身もその場に伏せた。
ドン!音というより空間全体が揺すられたような衝撃に襲われ、信じがたいことだが体が地面から跳ね上がった。混沌。ジェット旅客機がすぐそばに墜落したかのような衝撃。大量の土くれが降り注ぎ、鼻孔の中にまで湿った土の匂いがしみこんだ。
「なんだってんだ――」
爆撃か?
顔を上げた耕介は信じがたい光景を目の当たりにした。
あのロボット、エルフガインの巨体が、50メートルほど離れた小山の上に横たわっていた。
4
まったく油断していた。相手の大きさがエルフガインよりだいぶ小さかったため、たいした攻撃はできないと思い込んでいた。あっという間に懐深く入り込まれ、無様に倒れ込んでしまったのだ。
エネミー04は格闘技――おそらくテコンドーの使い手だ。
『健太くん!』島本博士がすぐさま呼びかけてきた。
高さ80メートルのロボットの頭に座って倒れるということは、20階建ての高さから落っこちるのとたいして変わらなかった。上等なショックアブゾーバーに守られているとは言え、後ろ向きに落下する感覚は遊園地の絶叫マシンとは比べものにならない恐怖体験だった。
「大丈夫、大丈夫……」健太は大転倒のショックでぼんやりした頭を振り払い、とにかく応えた。「システムはちょっとダメージ食らったみたいだけど――」
『すぐに立って!』さつきが健太の報告を遮って叫んだ。
健太はハッとしてメインモニターを見回した。視界の片隅に突進してくる敵の姿が見えた。エネミー04が山の頂上を駆け上って勢いを付け、空中高く飛び上がった。
立ち上がる暇はない。エネミー04はまっすぐエルフガインに落下してくる。頭部めがけて踵を落とそうとしている。
「やられっかクソったれが!」
健太はトラックボールで武器セレクターを操作しながらフットペダルを踏み込んだ。
エルフガインが巨大な右足を宙に、まっすぐエネミー04に向けて持ち上げた。
エネミーにとっては隙を突かれた格好だった。健太は右足すそのジャンプブースターを噴射させた。相手は回避することもできず強力な噴射炎に突っ込み、横に弾き飛ばされた。健太はすかさず太股のミサイルを発射した。ジャイロでなんとか姿勢を安定させて着地しようとしていたエネミー04にスパローミサイルが殺到した。
爆発でエネミー04はふたたび弾き飛ばされ、海岸の崖山を抱きかかえるような格好でへたりこんだ。下半身は海に沈んでいた。
「よし……立ち上がれエルフガイン!」
てっきり壊れたと思っていた巨大ロボットが上半身を起こした。耕介は内心ホッとした。 「怪我したやつはいるか!?」
「頭を打った者ひとり、足を挫いたのがひとり!ほかはおおむね無事!」どこからともなく木場の声が聞こえた。
あたりは騒然としていた。二体の巨大ロボットが動く凄まじい騒音と振動、ミサイルの焦げた噴煙と粉塵で、まるで戦車戦のただ中に迷い込んだようだ。アスファルトはひび割れ、崖から転げ落ちた雑草付きの岩や木の枝が転がっていた。
「おたがい助け合って空港まで後退だ!崖の崩落に気をつけろ!」
「レンジャー!」
もはやけちくさい銃撃戦どころではないが、けが人とふたりの捕虜に肩を貸しながら後退する隊員を先に行かせ、耕介たちは背後に気を配りながらそのあとに続いた。
仮設テントの作業台にはモニターがずらりと並べられていた。一番奥のステータスボードも、いまは対馬沖を警戒中の護衛艦から送られてくる中継映像を映し出していた。モニタリング作業中のオペレーターが報告した。
「久遠三佐、エルフガインの周囲に人がいます!」
「なんだと」久遠は自衛隊員でごった返す中をかき分けてオペレーターが指さすモニターに屈み込んだ。
「自衛隊員じゃないか!誰か上陸作戦中だったのか?」
「作戦ボード上にはなにも記されてません」
「記録無し?通達もなにもない?」
「はい……」
「そっか……」久遠は体を起こして腕を組んだ。(レンジャー……しかもかなりやばそうな秘密部隊だな、おそらく)
久遠自身もレンジャー資格は保有している。だから記録に残せない作戦専門の部隊が存在する、という噂だけは聞いていた。久遠が黙り込んだのでオペレーターがいぶかしげに見上げていた。
「いいんだ、気にすんな」
「はあ……」
とは言え、誰かその部隊を拾い上げる算段を用意しているのだろうか?タフな連中だから避難民に紛れ込んでケロリと帰って来そうではあるが、エルフガインの戦いに巻き込んでしまったのはちょっと気が引ける。
その上陸部隊のことを知っていそうな天城三佐は、〈ひゅうが〉に乗り込んで現場に行ってしまった。
「久遠くん!」
さつきに呼ばれて久遠はテントの奥に舞い戻った。
「敵の動きを見て、分析を急いで」
「了解ッス」
40インチモニターの前に座り込んで画面を注視した。
エルフガインの反撃で倒れたエネミー04はホバリングして海中から脱しようとしていた。やはり飛べるようだ。細身の胴体の割りに巨大なバックパックを背負っている。
「飛び上がったわね……」さつきが言った。ちょっと悔しげだ。ホームページに記されていた「TK―V2000は飛行可能」なんて嘘に違いないと主張していたのだ。残念ながら嘘ではなかった。
「たいした推力ですな。大阪か東京上空に飛ばせばもうちょっと役に立ちそうなもんですが……」
上を取られるのは戦術的には痛いところだが、その利点を相手が生かし切れるかどうかは不明だ。いまのところ、竹島に続いて対馬を奪取する!という彼らの思い込み一辺倒なパフォーマンスに救われたかたちである。もうちょっとまともな指揮官がまともな作戦を仕掛けてきたら、どうなったか分からない。
エネミー04は距離を取って地上に降り立ち、エルフガインに突撃した。身軽なだけあって機動性は高い。エルフガインはキャノンを発砲して相手の勢いを殺ごうとしていた。蹴りや体当たり攻撃を仕掛けようとするエネミー04を脇に退いてかわした。相手は基本的に駆け足で動き、飛び上がったり、体格的質量的な不利を補おうとしていた。敵ながらなかなか考え抜いた戦略だった。
「エルフガインは防戦一方ね……」
「やつのペースにはまってます。なんとか足を止められればなあ……」
(これじゃ埒があかない)
健太も一定のリズムを置いて突進してくるエネミー04にその都度対応しながら焦り始めていた。
(でもなにか妙だな……)
エネミー04の動きがなにかを思い起こさせるのだ。
突進―攻撃―そしてまた距離を置き、ほとんど棒立ち状態になって体制を整え、また突進――。
後退中の敵に一撃加えることはできるが、やはりヴァイパーマシン、ミサイルではたいしたダメージを与えられない。
(頭の隅になにか引っかかる……なんだ?何か思いだしそうだ……)
『健太、なんとかしてやつの足を止めろ』
「分かってるよ久遠隊長!それだけどさ、やつの動きがなんか違和感あるんだ。リズムというかパターンというか……どっかで見たことのある動きなんだよ」
『ン?たしかにさっきから反復攻撃を続けているが……ちょっと待て』
久遠は手近なコンソールに駆け寄って録画されたデータを呼び出した。なるべくエネミー04を大写しにした動画をピックアップして早送り再生させた。
「パターン、パターンか……」
久遠は健太の言わんとしていることに突如思い至った。久遠の年代のほうが、より馴染みのある独特の動き!
「そうか!」
久遠はふたたび直通回線に戻った。
『浅倉ぁ!分かったぜ!やつの動きは格ゲーそのものだ!しかもドットキャラや生ポリゴン時代のな!』
「それだ!ああすっきりした」
『なかなか良い点に気付いたようね、健太くん』さつきが割り込んだ。『エネミー04の動き、おそらく単純なセットプログラムなのね。コマンド入力したらプログラムに従って一連のアクションを演じるだけなんだわ!』
「やっぱりそんな感じか!で、なにか良い考えある?」
『動きをよく見るのよ!パターン化した動きで相手が繰り出そうとしている攻撃が予測できるはず。わたしたちも見るから』
「分かった!」
と、元気よく答えたものの、敵のスペックが透けて見えたのでなんとなく優位になった気分、と言うだけのことだった。それもきわめて主観的で実際の優劣とは関係ない。
それでも、勝負では時に敵を矮小化してみせるのも必要だった。なんせ戦闘時ともなれば、心は「為せばなる……いややっぱり無理かも」という極端をゆらゆら揺れ続ける。心拍は上がりっぱなし。普段なら脳みそにかかるブレーキも抑制が取り払われ、逆上せあがった心のままにあること無いこと口走ってしまう。そういうのは幼児退行しているようで嫌だったが、ふと気が抜けてしまうことのほうが怖かった。
戦闘というのは人間にとって異常な状態なのであり、まっとうな人間であれば何度経験しても完全に慣れるということはない。精神をすり潰してしまうストレスが常にかかっている。
頭が変にならないためにはどんな助言や何気ないひとことでもけっこうだ。
根拠がまるで無い勝算でも、少なくとも正気を保つ役には立つのだ。
血管にアドレナリンが溢れ、健太の五感は、授業中にはついぞ発揮したことのない研ぎ澄まされた集中力で眼前の敵を追尾していた。そんなときは狭いコクピットを囲む隔壁が消失して、対馬の空気の匂いまで感じられた。エルフガインと一体感を感じるのはこういう時だ。
島本博士から技術的な説明はなかったが、全高80メートルの巨体の各所に配置された25000個のセンサー情報はメインフレームの並列処理装置によって噛み砕かれ、コクピット内にいる健太に視覚聴覚情報として伝えられる。
さらに4人のシステムドライヴァー……文字通りエルフガインの神経となったマリアたちからも、シートと健太のパイロットスーツを通じて感覚情報がフィードバックされている。
それこそが健太を、ただひとりのエルフガインパイロットたらしめるのだった。
四人の人間の脳情報を一度に叩き込まれたらどんな人間でもあっという間にストレス負荷状態に陥ってしまうか、自分が誰だか分からなくなってしまうだろう。だがメインフレームの情報変換システムは、膨大な外部入力を「気のせい」や「虫の知らせ」程度に軽減させてパイロットに伝える。そのシステムが健太固有の脳生理学特性に合わせて調整されていたのだ。
ようするにエルフガインの操縦システムはたんにマシンコントロール装置というだけではなく、浅倉健太という人間専用の超感覚増幅器でもある。
同じものをもういちど構築するためには被検体一人と1年以上のシミュレーション訓練期間、そして2000億円という予算が必要だ。しかも成長期の子供がいい……そうなると倫理的にもやや問題があるため、政府は新しいパイロット養成をあきらめて、三年間、健太と偶然同じ特性を持つ人間を捜し回った。だが結果は30パーセントを超えるシンクロナイズ数値がやっとだった。
いま敵と対峙しながら、健太――エルフガインの動きはだんだん無駄がなくなってきた。エネミー04の繰り出す突進に対して、まるで闘牛士のごとく必要最低限の動きで回避行動を取っていた。
それは二階堂真琴が体得していた合気道の動きが、健太の脳に流れ込んでいるためだった。
戦闘をモニタリングしている自衛隊員も久遠も、健太自身でさえ気付いていなかったが、さつきはそれに気付いていた。健太の母、浅倉澄佳が作り出したシステムを理解しているただひとりの人間として、戦闘中のエルフガインの操縦システムになにが起こっているかはよく分かっている。
分からないのは、システムに直結しているバイパストリプロトロンコアがどう作用しているのか、この先どうなるのかということだ……。
5
二体の巨大ロボットが暴れ回り、対馬の北半分はだいぶ荒れていた。しかし破壊は南との境界でなんとか留まっており、避難者たちも当初のパニックから立ち直り、対決を見守る余裕も出てきた。
〈おおすみ〉の輸送部隊もようやく安全と判断して、エアクッション艇を差し向けていたが、急いで逃げたがっている避難民は多くはなかった。
彼らはエルフガインにエールを送った――あるいは罵倒していた。対馬に集まった者の大半が極右か極左だ。しかも避難のドタバタでその二勢力がごちゃ混ぜになっていた。
大きな旭日旗を振って声援をあげている者に左翼系団体が食ってかかり、空港の敷地はたちまち取っ組み合いの喧嘩の場に変貌した。ヘリで上陸した自衛隊の先遣部隊が暴徒化した避難民をなんとか鎮めようとしたが多勢に無勢だ。
耕介たちレンジャー部隊も空港にたどり着き、からの小型機格納庫にこっそり立て籠もっていた。
「外は大変なことになってる」
「ええ……まだチンピラの喧嘩程度だけど、本格的に暴徒化したら、外のお仲間を助けに行かなければなりませんなあ」
「まったく……変な騒ぎに巻き込まれちまったもんだ」
「ええ、わたしゃ20年勤め上げて、平穏無事に退官するばかりだったんですがねえ」
「ツイてなかったな」
「しかしまあ、へんてこな戦争でもただ眺めるより参加できて良かったかな……」
「それもひとつの考え方だ。この戦いはどうせ、あと一年か二年は続くだろうし」
そしてそのあとは、軍隊の必要ない世の中が到来するのよ――。
澄佳はそう語った。
その言葉には面と向かって異を唱えなかったが、心うちでは科学者らしい戯言ぐらいに思っていた。その後離婚ののち、浅倉澄佳が彼女の考える「平和な世の中」を実現するために取った行動の片鱗を噂として聞き及ぶにつれ、耕介は彼女が本気なのだと気づき、その恐るべき野心に圧倒されたのだった。
彼女は志なかばで逝ってしまった。しかし、残された遺産は巨大な歯車となり、この国を突き動かし続けていた。
「ロボットの戦いはどうなった?」
携帯端末でテレビを眺めていた隊員が顔を上げた。
「膠着状態みたいッス。韓国のロボが突撃を繰り返して、我々のほうは回避し続けて……どちらも決定打に欠けるみたいですよ」
「そうか」
「ボス、うちのメカが負けたらどうなっちゃうんです?まさか韓国に降伏するんですか?」
「だろうな。素直に受け止めるのは難しいだろうが、「主審」は降伏に従わない国に恐ろしいペナルティーを下すって話だ。本当かどうか知らんが、あえて国民を犠牲にしてまで試してみる奴がいるかな」
「相手が宇宙人ですもんね……しかしですよ、あいつらきっと大喜びで上陸して辺り一面蹂躙するでしょうよ。そんなの許せますか?」
半島にそんな余裕があるとは思えなかったが、耕介は断言した。
「そんなことはおれたちがさせない。……しかしおまえ、おれたちゃいまそんな話をしている場合か?」
「そうだぞ石田、だいたいおまえ考えが後ろ向きなんだよ。おれたちのロボが負けるわけねえだろが、国産だぞ国産!」
「はあ……」
ガン!
超特大の衝突事故が起こったような騒音が響き渡り、耕介たちはビクリと肩を竦ませた。
「なんだ?」
「ああ!」隊員たちが喘いだ。「やったぞ!」
急接近するエネミー04を間一髪でかわし、脇に退いたエルフガインは、そのつま先をエネミー04の進路上に置いた。
エネミー04は豪快に蹴躓いた。
1400トンの図体は完全にバランスを崩してつんのめり、500メートルも宙を横切って頭から山腹に激突した。
健太は火器セレクターを素早く操り、ネットを立て続けに発射した。だがエネミー04はうつぶせに倒れたまま背中のホバリングジェットで浮き上がり、横っ飛びに移動しつつ上昇した。空中でぐるりと宙返りをうち、ふたたびエルフガインに向かってきた。
「馬鹿のひとつ覚えみたいに!」
健太は背中のキャノンを連射した……だがすぐにイエローアラートが武器アイコン上に点滅した……倒れた際に砲身が曲がってしまったらしい。射撃不能に陥っていた。
「くそっ!」
健太が次に取った行動はまったくの衝動であり、やけくそと言えるものだった。
眼前の小山を駆け上がったエルフガインはその質量にものを言わせて山頂を蹴り、飛び上がった。すべてのジャンプジェットが咆吼してエルフガインをさらなる高みに押し上げた。
二体の巨大ロボットは空中衝突した。
四肢のすべてを飛行制御に使っていたエネミー04は為すすべもなくエルフガインにしがみつかれ、たちまちバランスを崩して滑落した。
二体のロボットは絡まり合ったまま海に没した。
「健太くん!」さつきが叫んだ。
島の近海でそれほど水深が深い海ではない。
やがて――
海を割って巨体がゆっくりと立ち上がった。
エルフガインだ。
次いでエネミー04が浮上した。水深は20メートルほど。エルフガインにとっては膝下が水に浸かる程度だったが、敵にとっては太股の半分まで水の中だ。異常に軽い機体重量のおかげで妙な浮力が生じて、バランス保持もままならないようだ。
エネミー04唯一の利点であった機動力が相殺されていた。
「チャーンス!」健太は両腕をやじろべえのごとく伸ばしてバランスを取ろうとしていたエネミー04の片腕を掴んでおもいきり引き寄せた。
「エルフガイィンパアァンチ!」
巨大な拳が敵の頭部を殴りつけた。
「もういっちょ!」
ふたたび渾身のパンチを見舞うとエネミー04の肩が千切れた。仰向けに倒れた敵に詰め寄り、その頭部を掴んで持ち上げると、残ったもうかたほうの腕を引きちぎった。
エネミー04が両足をエルフガインの胴体に突っ張り、機体を引き離そうと試みた。しかし両腕を失ってさらに軽くなったエネミー04にはじゅうぶんな荷重をかける余地はなかった。
勝敗は決しつつあった。
6
タタン!という乾いた打擲音が格納庫内に響いてガラスが割れ、木場がその場にへたりこんだ。
「敵襲!」叫ぶと同時に耕介は木場の体にタックルして倒れ込み、その体の上に伏せ、同時にガバメントを抜いて銃声のほうに向かってめくら撃ちした。隊員たちもバラバラに散開して遮蔽物に飛び込み、あるいは建物の外に飛び出していた。
「木場!」
「平気ッス……」木場が食いしばった歯のあいだから呟いた。「腹撃たれましたが……致命傷じゃない……」
「じっとしてろ。倒れて身動きしない奴に無駄弾は使わんだろう。おれはちょっとケリ付けてくる」
「気ィつけてくださいよ……」
耕介は素早く立ち上がると小銃を拾いながら格納庫扉を抜け、仲間のひとりがもたれかかっていたドラム缶の陰に飛び込んだ。
「管制塔にひとり、狙撃手」簡潔に報告した。
「そうか。包囲はされていないようだ。応急キット持ってるか?」
「持ってます」
「木場を見てくれ。腹を撃たれた」
「了解」
木場の様子を見に隊員が格納庫にとって返すのを見送った耕介は、ドラム缶の陰からあたりの様子を覗いた。ふたりの隊員がひとつ向こうの格納庫の陰に身を伏せながらこちらを見ていた。その隊員が空港ゲートのほうを指さし、次いで指を二本立てた。耕介はうなずき、手のひらを立てて待機しろと指示した。身を屈めてドラム缶の陰から後ずさり、格納庫のあいだを走って建物の裏に移動した。ふたりの隊員が手招きしていた。耕介が合流すると、「見てください」と空港ゲートのほうを指さした。
空港敷地の境界フェンスの向こう、空き地の草むらに韓国軍の兵隊が二名、乗り捨てられた自動車を盾にして潜んでいた。
「なにしてるのかな?」
「RPGを装備しています……それから、デカイ荷物を背負ったやつらが海岸のほうに向かいました」
「……やつら、上陸中の避難民輸送隊を襲うつもりだ。爆発物で吹っ飛ばすつもりなんだ」
隊員は頷いた。「どうします?」
「おれたちがどうにかするだけじゃ手遅れになる……」耕介は舌打ちすると、懐から携帯電話を取りだして電源を入れた。あまり電話したくない番号を選び出し発信すると、二度のコールで相手が出た。
『天城です』
「助けがいる」挨拶を省略して単刀直入に言った。「おれたちは現在対馬空港にいる。韓国陸軍特殊部隊に追われている。こちらはある要人を幾人か確保しているんだ……それで、やつらはおれたちを足止めするつもりで、民間人待避誘導中の自衛隊上陸部隊を攻撃しようとしている。その部隊に警告して欲しい。おれたちも阻止行動に移る」
自衛隊即応部CTCの天城塔子はひと言も聞き返さず、ただひと言『了解』と言った。『三佐、携帯の位置を確認しました。わたしは対馬沖の〈ひゅうが〉にいます』
「そうか。たのむよ塔子ちゃん」
耕介は携帯を切った。
「よし、おれは滑走路端、エアクッション艇の収容作業中のところまで突っ切って危険を知らせる。おまえたちは援護してくれ」
「隊長……」
「心配ない。まわりは味方だらけだ。相手は誰彼構わず撃ってくるかも知れない。おれが群衆に突っ込んだらできるだけ阻止してくれ」
「レンジャ!」
「お気をつけて」
耕介は不敵な笑みを浮かべて敬礼すると、立ち上がって走り出した。
「全員応戦!」背後で号令がかかると同時に発砲が始まった。
民間人の一団はまだ喧嘩の最中だった。
「おおい!おまえら聞け!」耕介は怒鳴った。民間人たちはその声を無視したが、喧嘩の仲裁に入っていたふたりの自衛隊員は気付いた。「敵だ!敵襲!」
自衛隊員たちは慌てて自動小銃を肩から降ろして構え直した。
「民間人をエアクッション艇に走らせろ!」
自衛隊員たちは命令慣れした耕介の声にただちに従った。丁寧な態度をかなぐり捨てて一番近い民間人の肩をドヤし、「やめんか!走れぇ!」と怒鳴った。
ドヤされた民間人は――左翼系団体だったのだろう――突然態度を変えた自衛隊員に憤慨して叫びかえしかけたが、小銃の射撃音と共に耕介がよろめいて勢いよく転がるのを見ると、たじろいだように後ずさり、そのまま背を向けて逃げ始めた。
「畜生!」自衛隊員たちは耕介に駆け寄り、体を起こそうとした。
「撃たれてない!」耕介は立ち上がりながら言った。「足元をかすってコケただけだ!右手のフェンスのほうに韓国軍部隊がいる。狙いはエアクッション艇だ。警戒しろと伝えるんだ。それからおまえ――」耕介たちは民間人の群れを追い立てるように走り始めていた。「――滑走路に散らばった民間人と仲間に同じことを伝えろ!」
「分かりました!」
ふたりの自衛隊員がそれぞれ別方向に駆けだした。
まもなく、群衆は海岸方向に向かって移動し始めた。最初はじれったいくらいのろのろと、しかしただならぬ気配を感じ取ったのか、徐々に歩を早めてゆく。
頭上をなにかが横切り、耕介が走りながら見上げると、10メートルほどの高さを見慣れない無人機が飛び越していった。日の丸が描かれた翼長3メートルほどのブーメランのような機体だ。やり手の天城女史の仕業か……しかし自衛隊の仕事にしても展開が早すぎるな、と思った。
格納庫から500メートル離れたところで立ち止まって、真っ平らな芝生のわずかなへこみに伏せてあたりの様子を見渡した。管制塔から黒煙が上がっている。スナイパーを制圧したようだ。散発的な銃声が聞こえた。耕介はまだ1㎞ほど離れている滑走路の端と、境界フェンスの境目あたりを見た。海岸線の彼方に〈ひゅうが〉と〈おおすみ〉が停泊している。
耕介はそちらに向かってふたたび駆けだした。
走りながら左手を見ると、群衆がだいぶまとまりかけていた。自衛隊員の誘導に従い滑走路の向こう側の空き地……韓国軍が潜んでいると思われるフェンスの反対側に移動していた。
エアクッション艇は民間人を乗せずに後退し始めている。ヘリのローターも回り始めていた。迅速に対応しているようだ。しかし避難誘導で手一杯らしく、韓国軍に応戦しようという動きはまだ見えない。一番近い自衛隊員はわずか300メートルほどにいたが、いまは遠く隔たった世界にいる気分だ。救援隊はまだしばらく期待できそうになかった。
前方を見ると、さきほどの無人機がひとつどころで何機も旋回している。
(あの下に敵がいる)
耕介はただひとり突進した。
懐で携帯が振動していた。耕介は舌打ちしながら携帯を取った。
「いま忙しいんだが?」押し殺した声で唸った。
『耕介さん、救援よ! うしろに気をつけて!』
「なに?」
おもわず背後を振り返り、耕介は驚愕した。
巨大な四角い陰が頭上にのしかかってきた。二階建て住宅ほどもある塊が頭の遙か上を猛スピードで追い越し、耕介の行く手20メートル先で地面に叩きつけられた。地面が盛大に揺れて耕介は芝生の上に転がった。
エルフガインのもうかたほうの足首が耕介の頭上を越え、ふたたび轟音と振動を伴って地面を踏みしめた。
巨大ロボットがもう一歩進むと耕介が向かっていたフェンスに到達して、そこで立ち止まった。
あたりは悲鳴と怒声が飛び交っていた。エルフガインは群衆と韓国軍部隊のあいだに立ちはだかっていた。その片腕の先には、なかばスクラップと化したエネミー04の頭部と胴体の一部がぶら下がっていた。
韓国語でなにやら叫んでいるのが聞こえ、フェンスの向こうからRPGの噴射炎がエルフガインに向かって伸びた。対戦車ミサイルは巨体の膝のあたりに命中してかわいらしい爆発を起こしたが、見るからにノーダメージだ。
韓国兵たちが立ち上がってバラバラに逃げ出すのが見えた。
「驚いた……本当に親父がいる」
エルフガインから放たれた偵察ドローンからの映像をあらためながら、健太は呟いた。天城三佐の言った通りだ。
芝生の上に倒れていた制服姿の父親が大儀そうに立ち上がり、健太は無事な様子にホッとした。
父は携帯を耳に当てながら健太のほうを見上げていた。
胡散臭そうにしかめた顔の口端だけ、笑みのかたちに歪めているように見えた。
野戦司令所のメインモニター上では、エルフガイン上空に「主審」のUFOが現れ、例のバイパストリプロトロンコア引き渡し儀式を行う様子が映し出されていた。対馬を包囲した護衛艦隊、右翼と左翼団体の雑多なギャラリーに見守られている。
離島奪回部隊の本隊が次々上陸して、要所を制圧していた。
韓国人たちは逃げ場もなく投降しつつあるようだ。
30分ほど経過して現場が落ち着くと、ネットワーク通信回線から〈ひゅうが〉にいる塔子が話しかけてきた。
『終わったわね。狙いどおり韓国の戦意は喪失したみたい』
「完全に?」さつきが尋ねた。
『〈きりしま〉から連絡があった。彼らは竹島からも退去しているそうよ』
「へえ?それはたしかに完全勝利かも」
『感動的よねえ……健太くんと健太くんのお父様が、親子で勝利を勝ち取ったなんて、なんだかできすぎじゃない?』
「それなのに、ふたりとも会わないで分かれちゃったわけ?」
さつきの問いに塔子は肩をすくめた。
感動の対面を勧めたにもかかわらず、松坂三佐はいちばん速いヘリを小隊ごと借り切って本土に帰ってしまった。負傷した仲間を病院に連れて行くためだ。
『せっかく再会を演出してあげたのに、健太くんたら「なんか恥ずかしいからあとでいいや」ですって……。父親のほうも似たようなこと言って。まったく男って分かんない』
さつきは鼻で笑った。
「それが分かるくらいなら今頃……」
『ン?なによ!?』
「べつに、なんでもない」
久遠一尉が対馬空港に上陸したのは三時間後、時間は午後を回っていた。すでに3000人ほどの陸自隊員と車両が上陸を果たしていた。対馬も日本海もほぼ掃討され、敵の姿はない。
現場で指揮に当たる陸将補が空港管制塔のてっぺんに特大の日章旗を立てていた。同じようなパフォーマンスは竹島でも行われ、これ見よがしにマスコミに見せつけていた。
エルフガインにだけ責任を持つ久遠は、滑走路上に立ち尽くす巨体のまわりにバリケードを築き、野次馬を遠ざけていた。
久遠は野戦無線機に語りかけた。「健太、悪いがもう少し立っててくれや。あと1時間くらいで警戒態勢は解けるから」
『了解』
健太は一仕事追えたあとの満足感に浸りながら、モニターをぼんやり眺めていた。
スマホに着信があった。エルフガイン搭乗時も肌身離さず持ち込めと言われていたが、こんなところまで電波が届くとは思わず、ちょっと驚いた。メインモニター上にも携帯電話のアイコンが点滅していた。システムが連動しているらしい。ポケットのスマホは取り出さずにモニターのアイコンをクリックすると繋がった。
『もしもし』
「はい?」
『あー、おれだ、健太』
「お、親父……!」
『天城くんにこの番号教えてもらってな……今日は助かった。おまえ凄いじゃないか……。あんな怪物を動かしてるんだな。じかに見てみると、驚いた』
「親父だって……あんなところでなにしてたのさ。自衛隊員なのはつい最近教えてもらったけど」
『あ?まあいろいろと……それはあとで詳しく言うよ』
「おじいちゃんにも会ったんだぜ」
『え?……そうなのか。驚いたろう?』
「ちょっとびびったけど、また来いって言われた」
『そうか、それは良かったな』
父と子はつかの間言葉を途切れさせた。だが前ほど気詰まりな沈黙ではなかった。
『それじゃ、な。今日はご苦労だった。がんばれよ』
「うん、えーと……」また会おう、と言うべきか迷ったが、ちょっと照れくさいのでまた今度、と思った。「それじゃまた、電話でも……」
『ああ、それじゃ……』電話が切れた。
健太はスマホを取り出し、表示された履歴をしばらく眺めていた。
やがていくつか操作を施し、父親の名前をアドレスに登録すると、誰も見ていないのにうそぶいた皮肉っぽい笑みを浮かべてポケットに突っ込んだ。