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終末ロボ エルフガイン  作者: さからいようし
ゲーム 第1ラウンド
5/37

第5話 『対馬は燃えているか?』 前編

 エルフガインは北朝鮮の核攻撃を防ぎ、勝利した。しかしそれは危ういところで保たれていたアジア・パワーバランスの表面張力を決定的に破ってしまう。血迷った韓国は核を失った北に侵攻を開始、中国も対日本攻略に蠢き出す。

 健太たちはつぎの闘いのため九州、対馬を目指すのだが―――

 


 朝鮮半島はひどい状況に陥っていた。

 エルフガインがエネミー03――大陸間弾道弾ミサイルを迎撃した2時間後、なんと韓国陸軍の機甲師団が38度線を越えて北に侵攻した。

 日本と交戦中だというのに、である。むこうはえらく気取った態度で宣戦布告したが、休戦の申し入れはなかった。正式には現在もユナイテッドコリアは日本と交戦中である。これには日本政府関係者も首を傾げた。

 その日の夕方までに南が無謀な二正面作戦を展開しようとしていることがほぼ明らかになった。とは言えおそらく作戦とは名ばかりで、実際にはあちらの政府の思惑と軍の暴発がたまたま平行しているのだった。

 北の首領さま亡き後、その権力を引き継いだ軍事政権を打倒して本物の統一を成し遂げたい南の政府、そしてひたすら日本に侵攻したがっている一部軍指導部がそれぞれ勝手に動いている。

 そして昔から実を考慮せず、象徴的なパフォーマンスしか興味がなかった韓国軍部右派の取った行動とは――



 一夜明けて水曜日の早朝。

 エルフガインコマンドでは臨戦態勢のまま、夜を徹した突貫修理作業が続いていた。徹夜明けの発令所に人の姿はまばらだ。手空きのものから交替で眠るよう通達されていたのだ。

 さつきはテーブルの端でシートに深く体を沈め、何杯目か分からないコーヒーを飲んでいた。天城塔子が現れたのはそんなときだった。

 「あら天城三佐、おはよう」

 「おはようございます……眠っていないわね。お肌に悪いわよ」

 「その言葉そっくりお返しするわ。あんたたちのほうが忙しいんでしょ?」

 「きのうはあなた方の巨大ロボットにたいへんお世話になったから、今日は我々が張り切らないとね」塔子は壁際のコーヒーマシンから勝手に一杯注いだ。

 「そのお礼を言いにきただけじゃないのよね?」

 塔子は溜息をつき、さつきの向かいに腰を下ろした。

 「日本海ではまだ混乱が続いてるから……」  

 「降伏はないのね?」

 塔子は頷いた。「北はもともとバイパストリプロトロンを有効利用する技術がなかったから、いまでも石炭を燃やしてるわ。コアを失って多少不便になっても我慢できるのよ」

 「それで韓国軍の侵攻に徹底抗戦している……」

 「めちゃくちゃな話でしょう?。南が節操のない国だとは承知していたけれど、どさくさに紛れて欲しい物にぜんぶ手を出そうとする餓鬼だわ。北の核が無くなったと知ったとたんアレだもの。お互いに戦争が巧くない国同士だからはやくも膠着状態に陥ってる。今度は国連軍もどこも介入しないし……」

 「宗主国さままでが?」

 「いまのところ我関せずのようね。国境から難民が押し寄せないよう人民解放軍を並べているだけみたいよ」

 「ひどい」

 「そうね。たぶん兵隊さんたちはなんのために誰と戦っているのか理解できていない。

 海岸に追い込まれた北の避難民は船で大挙日本に逃げようとした……朝鮮人民軍の高速ボートがその人たちを攻撃し始めたので、海自は人道上難民を助けないわけにはいかない。それで海上戦闘はますます激化している……だけどもともと練度と装備が違いすぎる上に、あの国は撃ち返してこない相手は徹底的に痛めつけるけど、自衛隊が来るとすぐ逃げ出す……その結果は大混乱よ。深追いしないよう通達が出始めてるところだわ」

 「なるほど」さつきは顔をしかめた。「めちゃくちゃだ」

 塔子は「でしょう?」というように何度か頷いた。

 「しかも――難民ボートの中には日本に上陸しようと狙っている朝鮮人民軍の偽装集団が紛れ込んでいるのよ」

 「ますますひどい」さつきは当惑した。「北が降伏しようとしないのはともかく、対日戦闘を継続する理由はなに?虎の子の核を使い切ってしまったのに……」

 「誰にも分からないわよ。まあ北が自国民にたいして事実上日本に負けたと知らせていないことは確かだわ。まったくひどい話……どんなひどい惨状になっても、それを訴えかける国際世論もないし」

 国連は自然消滅した。もともと世界平和のために貢献するには少々力足らずであり、WWⅡの力関係を引きずっていたのでアジアにはほとんど関心を示さない組織ではあったが、なくなるとそれなりに不便だ。大国がほとんど鎖国している現在、世界を結ぶのは赤十字といくつかのNGOだけだった。

 「……二時間前、対馬に敵が上陸した」塔子がぽつんと呟いた。

 「え?初耳だわ……どちらが?」

 「南よ」

 「それでどうなったの?」

 「島民の大半は事前に本土に退去していた。自衛隊基地は半島と対馬海峡を監視するステーションに過ぎないから、あっさり上陸を許してしまった」

 「抵抗せず?」

 塔子は肩をすくめた。

 「しかたないでしょう?きのうの騒ぎでどこも手一杯だったし、戦略的にはなんら意味がないんですもの。あの島にアメリカに対するキューバのような戦略価値はない。むしろ直接本土に来ないだけありがたいくらいよ」

 日本は半島と戦ってもなんの得もない。完全勝利したとしても、あの国を接収することは過去の経験でじゅうぶん懲りていた。日本にはアジアに侵攻することに対してのアレルギーがあるし、中国やロシアと地続きの国境はいまのところいらない。

 半島との経済的な結びつきはとうの昔に断ち切られ、日本はその損害からすでに立ち直っていた。ちまたの100円ショップが軒並み潰れ、日用品の一部が高騰したものの、いまのところどの会社も貿易を再開するつもりはない。戦費賠償を求めたって素直に応じるはずはないし、あの国の健忘症ぶりからして逆に食糧を寄越せと要求してくることさえあり得る。

 税金を投入して一国を救済するような余裕はいまの日本にはない。

 要するにエネルギーを費やすだけ無駄な相手なのだ。きのうからの丸一日で日本は1500億円以上を戦費に費やしている。これ以上の出血は望まないというのが日本の本音だ。

 「でも士気の点ではどうかしら……」

 「分かってる。海自の潜水艦隊が後続の上陸部隊や支援物資の輸送を阻止すべく潜伏しているけれど、なぜか奴らはそれを送ってこないのよ。どうも、無血占拠できたのでそれで満足しちゃったんじゃ、そんな様子なの。そのあとのことなんか考えていないのかも……」

 「いくら何でもそこまでちゃらんぽらんなもの?」

 「かの国の計画性の無さは侮れない……いままでそれでさんざん振り回されたでしょ?」

 「それでは上陸した連中が餓死するまで放っておくつもり?」

 「そんなことはない。だいいち対馬にはインフラが整ってるから饑餓作戦は通用しない。お魚も釣れるしね。第二の竹島ができあがるままにはさせない。奴らが腰を据える前に奪回作戦を発動するはずだわ……」

 塔子の歯切れが悪い。

 さつきは黙って先を待った。

 「避難誘導のおかげで対馬はいま無人……だけど、占領に激怒した右翼団体が佐世保に続々集結しているらしいのよ。漁船をチャーターして対馬に上陸しようとしている……そんな様子なの」

 「それでは無用な人質が増えるだけじゃない」

 「どうかしらね……対馬に上陸した敵部隊は少数……せいぜい1000人かそこらだし、島は広いわ。もちろん海保と警察が阻止しようとしているけれど……すべての動きは把握していないんじゃないかしら」

 「どうするの?南はまだ体力が余ってる。つまらない戦闘をだらだら継続したくはないでしょう?」

 「その通り。このままでは戦闘の長期化は避けられない。朝になれば対馬が占領されたとマスコミが騒ぎ始める。そうなったら日本海側すべてと九州、沖縄までパニックになるわ。そしてその狂乱にはいくらか正当性がある……だって中国人やロシア人は日本のテレビを見て見てわが国に隙がないかと狙ってるから。そんな事態を招かないためにも、なんとかして韓国のやる気を完全に無くさせなくてはならない……。ユナイテッドコリア全体が降参すれば、戦いは終わる。だけどその方法が分からないのよ」

 あの国の往生際の悪さはさつきも承知している。こちらがどれほど筋の通った主張を繰り返しても通用しない。

 「それでね……」

 「はい?」

 「ものは相談だけど、エルフガインを1000㎞ほど輸送するのにどのくらいかかりそう?」




 エルフガインパイロットたちにも待機命令が下っていた。

 浅倉健太は、はやくも新しい自宅として馴染んでいた武蔵野ロッジに帰った。

 核ミサイルが降ってくるという脅威は無くなったと聞き、ひと安心した健太は何時間も眠り続けた。

 夜になって空腹を覚えたので一階の食堂に降りて湯を沸かし、ひとり淡々と大盛りカップ麺を食べた。食べながらテレビのニュースを見た。

 日本じゅうがまだ大騒ぎしている。昨日一日で何十カ所もの施設がテロリストの襲撃にあった。インフラの破壊を狙ったものから政府施設への体当たり攻撃や自衛隊基地の爆破など多岐にわたっていた。その多くは未遂に終わった――匿名の情報提供者からのチクリによってだ。

 北朝鮮の弾道ミサイル攻撃が失敗すると、テロも収束した。関連性は明らかなようだった。

 騒ぎは収束したものの、事前情報の提供があったにもかかわらず被害は出ていた。停電、あるいは水道に毒物混入……警察および公安関係者、それと一部の市民は怒り冷めやらず、徹底調査を叫んでいた。

 政府は毅然とした態度で臨まなければならないところだが、いまのところ一部高官は官邸に籠もったままだ。――暗殺を恐れているのだとコメンテイターが指摘していた。日本人と見分けがつき難い相手だ……それで疑心暗鬼に陥っている。気持ちは分かるがいかがなものかとコメントは結んでいた。

 テレビ画面をネットに切り替えてしばらくニュースサイトを漁った。

 途中で『有名女優、本番収録でおっぱいポロリ』というトピックに引っかかりつつ(ポロリなどしていなかった)辿ってゆくと、いつも通りテレビや新聞のコメントに対する中傷と、特定外国人に対する罵詈雑言に終始していた。

 エルフガインの動画が上がっていた。テレビニュースの二~三歩退いたような取り扱いに比べるとネットの反応はもっとダイレクトで、良くも悪くもエルフガインがどう捉えられているのか伝わってくる。

 ネットの住人たちはこの一週間でエルフガインに『サイキョウⅤ』というニックネームを付けていた。「最強」ではなく、もちろん都心から埼玉に乗り入れるJR線から名前を取ったのだ。それならば出現場所からして『トウジョウⅤ』にすべきではないか?という意見も根強い。

 だが、おたくなノリや地域ネタに興味がない大半の連中はたんに『さいたまロボ』と呼んでいる。


 『さいたまロボ首領さまのミサイルを撃墜wwwwwwwwwww』

 

 なんだか哀しい。

 なんで草生やすかね?

 とはいえ『巨大ロボット兵器に自宅を潰された少女、怒りの告発』などという記事も見あたらなかった。その点はホッとした。

 それからラウンジのソファーに寝転がってまた眠ってしまった。


 「浅倉くん」

 「ン……?」

 「起きなさい、こんなところで寝ると風邪引くから」

 「う、ん、ああ……」健太は寝ぼけたままソファの上に身を起こした。眼をしばたくと、すぐ側に立っている礼子先生の姿に焦点が合った。

 「わ、せ・先生」

 礼子先生は赤と白の千鳥模様のパジャマ姿だ。健太はたちまちしゃっきり目覚めた。ほぼすっぴんでパジャマ姿の先生は、教壇に立っているときよりずっと若く小柄に見えた。

 「先生、こんな時間に……」健太は壁の時計を見た。「午前四時ですよ?」

 「え?ええと、ちょっと眠れなくなっちゃったの。きのうのムカデが夢に出てきちゃって……」

 「災難でしたよね」

 「怖かったわ」礼子はようやく自分の寝間着姿に気付いたのか、あいまいに手を振って続けた。「そ、それじゃ先生行くね。明日……いえ、今日はまた休校だけど、お寝坊はダメよ」

 「はい、お休みなさい」

 礼子がそそくさと歩み去った。スリッパを履いている。ヒール無しだと身長160とちょっとか……。

 すっぴんでも美人だ。

 良いもの見たなあ……。

 健太は膝を叩いて立ち上がった。

 ガラスの外はまだ真っ暗だ。ラウンジの明かりは落とされている。玄関前広間から二階に上がろうとすると、突然シャンデリアが光量を増して、玄関がガチャリと音を立てて開いた。健太はぎょっとして振り返った。

 陸上自衛隊の制服に身を包んだ女性が辺りを見回しながら入ってきた。健太の姿に気付いて立ち止まった。

 「お、おはようございます……」

 「おはよう」朝っぱらなのにピシャッと響くハスキーボイスだ。おもわず起き抜けのけだるさが吹き飛ぶ。「きみ、ひょっとして浅倉健太くん?」

 「え?あの、ハイ……」

 「わたしは天城塔子。あなたのお母さんには昔からお世話になりました」

 「そうなんですか……」

 「さつき……島本博士からここに泊まるよう言われたの。8号室を使うよう言われたんだけれど……」

 「8号室だと三階です。案内しますよ……ああ、その前にチェックイン手続きしないとかな」

 「ふうん。どうすればいい?」

 「この」健太は階段横に控えているゲーム筐体じみたロボットに駆け寄った。「こいつの画面に手を当てるだけです」

 「なるほど」

 ロボットが省エネモードから息を吹き返し、いつもの手続きを完了した。

 「相変わらず妙なもの作るのね」塔子は面白そうに言った。

 階段を上がり、健太は一度だけ上がったことのある三階に塔子を案内した。8号室は島本博士の部屋の隣だ。

 「地下一階には大きな風呂もありますから……」

 「案内ありがとう……。浅倉くん、きみもう眠いか?」

 「え?いや、10時間ぐらい寝ちゃったらあまり……」

 「そう、わたしも名古屋からこちらに来る車の中で眠ってしまってね。少しお喋りしない?」

 「はあ……それでは」


 

 塔子が支度を終えるまで健太は窓際のソファに腰掛けて待った。

 ウォークインクロゼットから出てきた塔子は白いワイシャツ姿でネクタイも解き、続いてユニットバスのある洗面室から出てきたときには茶色のバスローブ姿になっていた。

 髪を短く刈り込んだ女性は興味の範囲外だったが、天城塔子はその趣向に目覚めるほどの美貌だ。

 塔子がテーブルに飲み物を並べ、健太の向かいのソファーに身を沈めて足を組んだときには、さすがに緊張した。

 「固くならないで……ひょっとして女の部屋にこんなふうに招かれたの初めてかな?」

 「からかわないでください……」

 塔子は健太にコーラを注ぎ、自分用の缶ビールを空けた。塔子が缶をさしだしたので健太はコーラのグラスを軽くふれあわせた。

 「ごめんなさい。陸自なんかにいるとデリカシーに欠けるようになるのよね……」

 「……母と島本博士とは、どのくらい知り合いなんです?」

 「8年くらいじゃない?」

 「そんなにまえからですか……」

 塔子は突然身を乗り出して健太を睨んだ。「あ、いま歳を考えたでしょう?」

 健太は慌てて両手を挙げた。

 「そんなことないッスよ!おれ年上好みで――」(あわわなに言ってんだおれは)

 塔子は手すりに肘をもたれて頬杖をつき、薄い唇に笑みを浮かべた。

 「へー、生意気~」

 身を乗り出したときローブの胸元がだいぶ覗けてしまい、健太は視線が吸い寄せられそうになるのをありったけの気力で耐えた。

 このひとはたぶん弟がいるな、と思った。根拠はないがなんとなくそう感じた。

 「お母さんのことは覚えてる?」

 「ほんの三年前ですから……でも顔とか、いろいろ忘れかけていたのは確かです。ここ――エルフガインコマンドに出入りするようになって、いろんな人から名前を聞いて、あらためて思いだしたことも多いですよ」

 「そう。お父さんは?」

 「半年以上まえに会いましたけどね。とくに親子って感じしないんですよ。幼稚園の時いなくなって、何年も音沙汰無しだったのに母が亡くなってから会うようになって」

 「なるほどねえ……きみのお母さん言ってたわ。あの人には本当に悪いことしたって。あのひと天才でしょう。多少エキセントリックなところがあって、二十歳になったとたん「子供を生まなければ」という強迫観念に捕らわれたんですって。それできみのお父さんと結婚して……」塔子はひらひらと手を振った。

 「でもふたりとも若かった。お母さんは博士課程で多忙だったしお父さんは赤ちゃんや家庭を持つ覚悟ができてなかった……お母さんのほうが頭が良すぎたってのもプレッシャーだった。それでも何年もがんばったけれど、ある日うっかり「あなたと結婚したのは子供を作ってみたかったからだ」って言っちゃって大げんかになって、それで破局したのだって」

 「それは知らなかった……」

 親父が勝手に家庭を放り出したのではなく、双方に非があった、ということか。

 「でもなぜそんな話を?」

 「だって……あれ?ひょっとしてきみ、お父さんのお仕事知らなかったりする?」

 「はあ」

 「あらやだわたしったら……」口を押さえて決まり悪げに顔をそむけた。

 「なんだ、知ってるなら教えてくださいよ!」

 塔子は溜息をついた。「直接聞けばいいじゃない……」

 「一年に一回しか会わないもんで」

 「あなたのお父さん……松坂耕介さんは、自衛隊員よ」

 「えっ?」健太は心底驚いた。「マジで?」

 「わたしが言ったって内緒よ?」

 健太は神妙な面持ちで頷いた。「教えてくれてありがとうございます」

 あのロン毛でちょっとへらへらした感じの親父が自衛隊だって?

 その事実は健太に少なからぬ衝撃を与えた。まこと人とは外見だけではなにも分からない。だが――理論的とは言えないが、親父が健太に実用的なブーツをプレゼントした理由が理解できた気がした。

 「さて」塔子は立ち上がった。

 健太も立ち上がった。「あ、おれもう行きます」

 「ちょっと待ちなさい。大事な話がまだよ」

 「はあ?」

 塔子はテーブルを回って健太のすぐ側に立った。

 ふたりの背丈は同じくらいだ。体温が伝わってきそうなほど近い距離。平静を装うのが困難だった。

 「昨日はありがとう」塔子は両手を健太の肩に置いた。

 「さつきがちょっと気にしていた。あなたはきのうの活躍に対してじゅうぶんなねぎらいの言葉をかけられていないって……。あのひと珍しくあなたにどう言うべきか悩んでたから、代わりにわたしが言うわ。どんなかたちであれ、あなたはたった二週間でふたつの国を降参させた。それに北のミサイルの脅威からわたしたちを解放してくれた。それはどんな勲章や感謝状を贈っても補えないことよ。日本国民全員がどう考えているかなんてわたしには分からないけれど、自衛隊の一員として心からお礼を言わせていただきます」

 塔子は健太の両頬に手を添えると、慣れた感じで口づけした。


 きのうの田中――ワン・シャオミーとも違う、いい香り。それにかすかにビールの味。

 熱烈なカレシカノジョというのとも違う。ガイジンであれば実の姉のキス……と、アレをしようよ!の二歩手前というか……。

 (うぽー♪)←脳内の音。


 口づけタイムは実際には1秒ちょっとだったのかもしれないが、健太の脳みそは一時的にビジー状態に陥った。

 どうやって塔子の部屋をあとにしたのか思い出せず、気がついたら自室でベッドの上に正座していた。しかもなぜかトランクス一丁で。

 チュンチュンというスズメの鳴き声が突如脳に達して我に返った。夜が更けていた。

 半開きの口元を手の甲で拭ったが、幸いよだれは垂れていない。

 二日連続でキス。

 (ひょっとしておれモテキなんじゃね~の!?)

 健太はもてあました高揚感をどうすることもできず、ベッドの上に立ち上がった。

 それからすぐにばったり倒れ込んだ。島本博士の裸を覗いてしまったことを突然思いだしたのだ。

 天城塔子さんは博士が健太に声をかけあぐねているようなことを言っていた。

 (それってつまり顔を合わせたがってないってこったろ?)

 気まずい……。

 落ち込んだついでに親父が自衛隊員だったという話も思いだしてしまった。

 そちらもなかなか心乱される事実だ。

 よく考えてみたら、ワン・シャオミーも塔子さんもおれに気があるわけではない……。一回キスしたからといってその先になにが約束されているわけでもなく、相変わらず健太にはカノジョはいないのだ。その辺はきっちり線引きしていた態度だ。

 (やっべなんだろ?この落ち込み)

 「くそっ」

 健太はごろんと毛布を体に巻き付け、目を閉じた。

 (こんな時は寝ちまうに限る)

 まだ午前5時過ぎ、もうひと眠りできるだろう――

 スマホが鳴り響いた。

 健太は舌打ちした。

 忌々しいことにこの支給品は電源を切ることができないし、どういう仕掛けなのかベッドサイドテーブルに置いておくだけでかってに充電する。しかたなく手を伸ばして取り上げ、毛布にくるまったまま応答した。

 「はい?」

 「起きろ」開口一番久遠が告げた。

 「仕事だ。1時間以内にコマンドに集合だ。それと、今回はお出掛けするからな。いちにち二日ぶんの宿泊の用意をしておけ」

 例によって健太がなにか言う前に切れた。

 健太はふたたび舌打ちした。いったいあの人は寝ているんだろうか? 




 ジャンビーに詰め込まれた健太、髙荷マリア、そして久遠の3人が入間基地に到着したのは午前7時。基地ゲートをくぐって直接エプロンに乗り込み、一拍置く間もなく本田のエアコミューターに乗り換えた。すべてがてきぱきしていて、7時15分には空に舞い上がっていた。

 マリアは最前列の席にひとり陣取るとシートを倒してすぐに眠った。健太たちは翼の手前に座った。

 小さな窓から外を眺めると、すぐに富士山が見えてきた。それだけではない。巨大な航空機が健太たちと翼を並べていた。

 「バニシングヴァイパーだ!」

 「おまえのストライクヴァイパーもいるよ」

 「無人操縦?」

 「いや、空自の控えパイロットが操縦中だ」

 「ああ……」話には聞いていたが、健太たちの換えのパイロットは本当に用意されているのだ。

 「アブナイ機体だから海の上でもなければ長距離無人飛行の許可は降りねえんだよ。ま、形式的なもんだが、空自にとっては実地訓練の良い機会だからな」

 「エルフガインごとどこかに出かけるのか。目的地はどこなの?」

 「下関」

 「礼子先生たちは別の便?」

 「先生はヤークトヴァイパーと一緒だ」

 「え?それってまさか、陸を走らせてるっての?あの何でも破壊しちゃう陸上戦艦を……」

 「そんなわけねえだろ、船だよ」

 「フネ」健太は感心した。「すげーな、あんな重いのを運ぶ船があるんだ。タンカーを改造したとか?」

 「いや、〈ひゅうが〉だ」

 「マジで!?」健太は驚いた。「あの甲板に五千トンの戦車なんて乗るかな?」

 「もちろん改造したんだよ……いまじゃ〈ひゅうが〉はエルフガイン専用支援艦なんだ海自はそれはもう嫌がったが、予算の都合でしかたない。船体を拡げて浮力を増し、それでも足らないぶんは巨大な浮き輪をくくりつけて、強化した甲板に無理矢理ヤークトヴァイパーを乗せた。日本の造船技術はたいしたもんだよ……」

 「まこちゃんたちも一緒に?」

 「いや、スマートヴァイパーとミラージュヴァイパーはそれほど重くねえから適当な貨物船をチャーターしたよ。だけど航行中はそのヴァイパーマシンが砲台代わりだから、二人には乗り込んでもらってる……自衛隊の控えパイロットと一緒にな」

 久遠も座席をいっぱいまで倒した。

 「さて、おれは到着するまで寝る。おまえもくつろいでろ」そう言うと目をつぶり、すぐにいびきをかき始めた。

 ストライクヴァイパーの経験を抜かせば健太は空の旅は二度目だ。窓に頭をもたせかけて雲と海を眺めた。



 エルフガインコマンド発令所では島本さつきが壁一面のステータスボードを眺めていた。久遠、浅倉健太、髙荷マリアを乗せた連絡機が発進したところだ。

 一時間後には下関に到着――いっぽう若槻礼子とヴァイパー03は陸路を千葉に向かっている……。つまり関東平野に特大の轍を刻みながら自走しているのだ。政府によって許可された「緊急移動許可区画」。木更津までまっすぐ伸びた幅百メートルの赤い線。そのあとにヴァイパー04と05が続いていた。

 その様子はテレビ局が生中継している。それも画面端に映っていた。別の局は飛翔するヴァイパー01と02を追っていた。

 (好きなだけ映してちょうだい)

 これでいまエルフガインがどこに向かっているかはっきりと伝わるはずだ。



 九時。三台のヴァイパーマシンが木更津に到着した。

 ヤークトヴァイパーが通った道がすべて破壊されたことを別にすれば、ここまでトラブルは無かった……が、事前に住民は退去していたとは言え被害額は相当に昇った。だがいまは戦時であり、政府自治体から損害補償が約束されているだけましと言えた。

 二度の戦いに勝利したことはすでに日本じゅうが承知しており、その立役者がエルフガインであることも知れ渡っている。そう言うときは我慢強くなってしまうのが良くも悪くも日本人だった。

 ヤークトヴァイパーが木更津に来たことも、大きな目的あってのことだと大多数が納得していた。

 だがそれはあくまで大多数であり、不満なものたちはフェンスに群がっていた。


 ヤークトヴァイパーを降りた礼子は、遠く基地周辺でピケを張る抗議者たちに目を向けた。いまだ民間人の感覚を持っているのであの騒ぎには途方に暮れるしかない。かつて沖縄やいろいろな場所でああした光景が繰り広げられ、礼子はそれをニュースで見た。その抗議の矛先が自分に向けられるなど思いも寄らないことだ。

 礼子に続いてヤークトヴァイパーのハッチから出てきた自衛隊員が肩を叩いた。

 「気にしないでよ先生、アレはいわば恒例行事だから」

 「でも……」

 「そうだよ、オスプレイの時と違って、ヤークトヴァイパーがとびきり危険なマシンなのは確かだけど、あの反対集会してる連中の中にエルフガインに被害にあったなんて人間はひとりも混じってない」

 礼子は埼玉から木更津まで、三人の同乗者と一緒だった。陸上自衛隊から派遣された控えのパイロット。

 自衛隊員さんたちはヴァイパーパイロットに対して冷たいと二階堂さんから聞いていたのだが、いざ接してみるとそんなことはぜんぜん無く、道中ヤークトヴァイパーの操縦をレクチャーしながら仲良くやってきた。男性ふたりと女性自衛官ひとり。年齢もほとんど同じでお喋りも自然に弾んだ。

 礼子は知らなかったが、この二週間で自衛隊内のエルフガインに対する考え方は様変わりしている。なんせ二度のハードな実戦に勝利して、カナダと北朝鮮をねじ伏せたのである……つまり礼子たちは一定の敬意を払われるべき功労者であり、過去のわだかまりは水に流そう、というのが現場隊員たちの感覚だった。

 得体の知れないインチキメカが実際にとてつもない超兵器だったと証明された点も、もちろん大きい。

 以前であれば「エルフガインコマンドに派遣」という辞令は掃き溜めへ島流し同然と思われていた。だがいまは違う。ヤークトヴァイパー候補生たちも単純に大喜びで搭乗した。

 「吉田一尉、須郷一尉も馴れ馴れしいから」

 婦人自衛官の園田一尉に注意されふたりの男性隊員は、礼子の肩からそっと手を放した。

 礼子は苦笑した。

 「それにしても面白かった!このヤークトヴァイパーがあと四台あればわが国は安泰だよ」

 「ホント、めちゃくちゃな戦車だとは思ってたけど、ミサイルと砲弾だけで六百トンだものな。若槻先生は一度、全門勢射経験されてるでしょう?うらやましいなあ」

 ちょうど轟音とものすごい振動と共に、高機動車に囲まれながらスマートヴァイパーとミラージュヴァイパーがゲート内に到着した。自衛官たちは全高三十メートルのロボット二体を見上げ、恐れ入ったというように首を振った。

 園田一尉が礼子の肩に手を置いて言った。

 「さあセンセ、こいつらほっといて控え室に行きましょうよ。〈ひゅうが〉はあと30分で特別ドッグに入渠しますからコーヒー一杯の時間くらいある。九州までまだまだ長いですからね」



〈ひゅうが〉と二隻の輸送船に随伴護衛艦は付かない。海自の全艦船はいまだ戦闘中であり、回せる船がないのだ。

 現場自衛官はともかく、上層部はまだまだエルフガインコマンドを受け入れていない。そちらの面倒はそちらで見てくれと言うことなのだろう。

 「天候が荒れたら、おしまいだ」

 〈ひゅうが〉の艦長は言った。

 船体中央にヤークトヴァイパーを搭載するために小さくなった艦橋には、フェイズドアレイレーダーも無くなっていた。もちろん艦尾VLSも撤去され、自衛用火器は魚雷とCIWSしかない。

 強化された甲板の上にさらに五千トンの戦車が載り、〈ひゅうが〉は就航時より8000トンも重く、とてつもないトップヘビーとなっていた。船体には巨大な浮き袋を四個くくりつけ、機動性も格段に悪化している。

 二十四時間かけて九州まで行く予定だが、なにも起こらなければいいが……。



 もちろん、なにかが起こるはずだ。

 スマートヴァイパーを積んだ〈さんごしょう〉の船橋に立つ天城塔子は思った。

 〈さんごしょう〉はヴァイパーマシン護送船団の先頭に立っている。真ん中に〈ひゅうが〉続いてミラージュヴァイパーを積んだ〈日光丸〉が続いていた。ほぼ丸腰の船団だ。

 幸か不幸かいまは日本じゅうが戦時体制……軍用ネットワークは忙しくデータを更新していた。日本沿岸近くを航行するのでいざとなれば空からの救援は当てにできる。

 ヤークトヴァイパーを通じてデータリンクは万全だ。塔子は島本さつきから渡されたスーパーラップトップとやらの液晶画面に目を落としながら思った。防水で弾避けにもなり……しかもヒンジは一軸式ではなくフレキシブルな折り畳み財布のような構造で、開くと継ぎ目のない大きな一枚の画面になる。その間に一個の球体関節で繋がった薄い透明な板が一枚挟んであり、それを画面に被せるとキーボードが浮かび上がる。

 〈これはちょっと凄いわね……〉

 OSは技研が開発したオリジナルなのでインターフェイスはマイクロソフトなどに慣れた身にはやや使いづらいが、セキュリティー的には安心だ。まあ米国や中国製のアプリケーション、はたまたハードじたいが信用ならぬと言うことで、止む終えず純国産部品を掻き集めてひねり出した機材なのだが。

 現在その画面には日本地図が映し出されていた。九州と半島が大写しになるように画面をスライドさせた。対馬の監視所は機能していないが、AーWACSはインチョンの動きを捉えていた。

 9時40分。四隻の韓国艦が出港していた。

 (釣れた!)

 日本海の混戦海域ではなく九州沖の公海に向かうようだ。 



 健太たちは下関の空港から陸路福岡入りした。

 道中健太は警察や機動隊を何度も見かけた。たんに道路やなにかの施設を警備しているようではなく、雑居ビルを取り囲んでガサ入れ、あるいは暴徒化しようとする市民に対して威嚇しているようであった。怒れる市民と左翼、はたまた暴力団との対立が激化しているという。とくにヤーサン関連については本場と言うべきか、埼玉とは熱量が違う、と思った。

 一時間かけて北九州のだだっ広い港に着いた。

 コンテナヤードの広大な敷地にバニシングヴァイパーが着陸していた。まわりには自衛隊の装甲車が何台も配置されていた。短SAM対空ミサイルと移動式のレーダーがまっすぐ対馬を向いていた。

 「うおー戦車までいる……八七式対空砲まで……」

 久遠は野戦テントに挨拶に向かっていた。髙荷マリアは二百メートルほど離れた岸壁で海を眺めていた。天気は良く、目を凝らせば対馬が見えそうだった。

 天幕の下に並べられた折り畳みテーブルの端に開いていた折り畳み椅子に座り、しばらくまわりを眺めていた。じきに久遠が帰ってきた。

 「待たせたな。髙荷は?」

 「あっちだよ」健太は岸壁を指さした。

 「そうか」久遠は椅子を後ろ前にしてまたがった。テーブルに載っていた空き缶を引き寄せ、懐からたばこを取り出して火を点けた。

 「これからどうすんの?」

 「まあ、いまんところ若槻先生たち待ちだな」

 「到着は明日だっけか?」

 「順調ならな」

 「順調なら?」

 久遠はしかめ面で頷いた。「まあな」

 「それってどういうこと?先生たちに途中でまずいことでも起こるってのか?」

 「センソー中なんだから、なんだって起こる可能性はある」

 「マジかよ!なにか起こったらどうすんだよ?」

 「どうせ海の上じゃエルフガインの出番はねえしなあ……」

 「そりゃそうかもしんないけど……」

 「いちおうストライクヴァイパーが上空支援してるぞ。いざとなればバニシングヴァイパーも救援に駆けつける……マッハ2なら30分だ……」久遠は時計を見た。「もう静岡沖かな……関西なら10分で行ける距離だ」

 「……先生を囮にしたんじゃないよな?」

 久遠の渋面が険しくなった。

 「そうじゃねえよと言いたいが……」

 健太は立ち上がった。「マジかよ!」

 「そういきり立つな!万全の体制とは言えねえが、むざむざ危険な目にあわしゃしねえよ……」

 「くそッ!」健太は眼を合わそうとしない久遠を置いて歩き去った。



 高知沖に差しかかった頃、船団の進路方向に暗雲が垂れ込めはじめた。

 「変な雲だ」

 塔子の隣に立っていた〈さんごしょう〉の船長が言った。塔子は双眼鏡を構えた。確かに前方20㎞ほどに不自然に低い雲の塊が発生していた。

 「天候が荒れそうですか?」

 「荒れるといってもねえ、こんな沿岸だ。ひどい嵐にはならんだろう……」

 台風も発生していない。天気予報によれば晴天、風もなく波の高さは50センチだ。雨雲レーダーにもなにも映っていない……。

 「迂回したほうが良いかしら……?」

 「迂回といってもどの程度遠回りすりゃいいのか……、突っ切っても問題ないでしょう……もっとも後ろの自衛艦さんはどう思うかな?」

 船団の三隻とも二万トンクラスの大型船だ。〈ひゅうが〉は超トップヘビーで航行に細心の技術が必要だが、さすがに小さな雨雲程度で航行に支障をきたすとは思えない。

 「いいわ、予定通り直進しましょう。だけど念のため、パトロール中の航空機を呼び寄せるわ……太平洋側のこんな近海に海自の網の目をくぐり抜けてきた潜水艦がいるとも思えないけれど」

 塔子が無線室に向かおうとすると、船橋の前に片膝を付いて伏せていたスマートヴァイパーがゆっくり立ち上がった。

 塔子はラップトップを開いてエルフガインのチャット回線にアクセスした。

 「二階堂さん、どうかした?」

 『前方の雲……』真琴がなにか考え込んだように呟いた。

 「気になるの?」

 『はい……イヤな予感がします』

 『天城たいちょー』ミラージュヴァイパーの近衛実奈が割り込んできた。『実奈もなんかイヤな気分……〈日光丸〉を前に出せないかな?』

 二機のロボット型ヴァイパーマシンは、それぞれ異なった特性の高性能索敵システムを搭載している。そしてパイロットは、その機材の能力を増幅させる超感覚の持ち主だと言われていた。だから塔子も彼女たちの言葉には注意を払った。

 塔子は船長にたずねた。「できますか?」

 「できますが、どの船も重い荷物を積んで最大船速……24ノットで走ってますからね。〈ひゅうが〉にちょっと減速してもらうしかないでょう」



 久遠の携帯にも天城一尉率いる輸送船団が警戒態勢との連絡が入った。久遠はメールをあらためると立ち上がり、周囲を見渡した。

 「アレ……坊主どこ行きやがった?」

 ふたたび携帯を取りだし、健太の番号に発信した。

 応答がない。

 「くそッどうした……」

 マリアの携帯にかけると、やはり応答がなかった。

 「なんだあ……?」久遠は思いきり顔をしかめると、野戦指揮所のテーブルにあった軍用ラップトップに飛びついた。スマホの追跡アプリを呼び出した。

 その結果を見た久遠は低く悪態をついた。





 健太が缶コーヒーを買おうと、港湾ゲートを越えて通りの向かいの自販機に向かったときだった。突然うしろから肩を掴まれ両腕をねじ上げられ、膝を付いたとたん頭に黒い布袋を被せられ……前にも似たようなことがあったが、しかし……。

 叫ぼうとしたとたん腹を殴られ、そのまま車の中に引きずり込まれた。

 (いったい何が起きたんだ……)

 猛スピードで走る車の後部座席に押し込まれ両脇をむさ苦しい男に囲まれ、十数分。ほんの少し前にサヨクの皆さんに捕まりかけたばかりだというのに、なんとも油断したものだ。恐ろしさよりも、いまのところうかつすぎる自分自身に対する腹立たしさのほうが強い。

 車が速度を落とし、小さなカーブの坂道を登るのが感じられた。

 やがて車が停車して、健太は引きずり下ろされた。小突かれながらしばらく歩いた。ようやく顔の覆いを取り除かれ、健太は古風だが広々とした日本家屋に連れ込まれたと知った。

 二十畳くらいある畳の部屋に放り込まれると、背後でふすまがぴしゃりと閉まった。壁の二面は障子で、外は庭に面していると思われた。

 床の間には立派な掛け軸と生け花……そして日本刀が飾られていた。

 (こりゃあ……)

 健太は思わず背筋を伸ばした。

 (やくざ屋さんの家……?)

 「敵」に拉致られたとばかり思ってたのだが、なんだかちょっと様子が違うような……。

 障子がスー、と開いて、和装の女性が現れた。健太は慌てて正座した。

 「どうか楽になさって」

 女性は茶碗の載った盆を引き寄せ、健太のために茶を注いだ。

 「ど、どうも……あの~」

 「祖父はすぐにお会いになります」女性は健太の質問を制するように答えた。

 健太は「はあ」と言うしかなかった。

 またしても恐ろしさより困惑が勝った。そもそもやくざに拉致されたのだとしても、その筋に恨まれた覚えもない……。

 女性と入れ替わるように、今度は背が高くプロレスラーみたいな体格の強面のおじさんが現れた。坊主頭に黒い背広、頬に傷跡まである。

 明らかにあっちの筋の人間だ。

 さすがにちょっと怖くなってきた。

 「おう、こっち付いてこいや」短くそう言って首を倒した。

 健太はそろそろと立ち上がり、男のあとについて別の部屋に向かった。


 続いて通された部屋は八畳ほどで、四角いテーブルの向こう側に、気むずかしそうな顔つきの痩せた老人が座っていた。テーブルの傍らには大理石の灰皿とたばこの箱がきちんと置かれていた。

 「座れ」老人が命令した。

 健太はゆっくりと、テーブルから一歩離れた座布団に腰を下ろした。健太の背後にはきちんとした黒服のやくざがふたり控えていた。

 老人は黙ったまましかめ面で健太を眺めた。

 健太はテーブルの木目に目を落として気詰まりな沈黙に耐えた。

 さっきの和服の女の人でいいから現れてくんないかな。

 「こっち向けや」

 やや苛立ちのこもった老人の声に健太はおそるおそる顔を上げた。なんとか気力を振り絞って老人とまっすぐ向き合った。

 健太はびびりまくっていたのだが、天の邪鬼なことに、こっちからなにか喋ってやるもんか、という意地だけは張っていた。

 「……なるほど、おめえ確かに澄佳の子供だな」

 意外な言葉が語られ、健太は内心の驚きが顔に出ないよう精一杯顔を引き締めた。

 「なんか言うたらどうや!」

 健太はひとつ息を吸って答えた。

 「は、母をご存じなんですか?」

 老人が悪鬼のような笑みを浮かべた。「いやゆうほど知っとるがな。ほかになんか聞きたいことねえのか小僧」

 「いきなり連れ込まれて誰だか分かんない人に、なに尋ねろっていうんですか?」

 「くぉらガキャっ!口のききかた気イつけんかい!」背後でやくざが唸った。

 「おまえらは黙っとんかい!」たちまち老人の譴責が飛んだ。

 「けどおやっさん!このガキちょっと痛めつけたほうが勉強なりますぜ……」

 「田岡」

 「な、なんすかおやっさん」

 「てめえ、この小僧がなにもんかわかっとんか?」

 「え?いやそれは……」

 「ニュース見たろうが、あのデカちんに乗ってたのがその小僧じゃ……」

 「え!?あ、あの埼玉の巨大ロボ……それじゃこのガキ――いやこのお子さ……」

 「おうよ!カナダと北朝鮮を刺したンがこいつじゃけ、ちょっと口閉じとけ」

 「へいッ……スンません」

 (なんなんだいったい)健太はだんだん腹が立ってきた。なにか茶番じみている。

 「小僧、確かにおまえの言うとおりや。わしゃこの通りヤクザもんじゃ……」身を乗り出して肩肘をテーブルに置くと、和服の袖から立派な彫り物が施された腕が現れた。

 「無理矢理引っ張り込んですまんかったのう。じゃがせっかくうちのシマまで来たンじゃから挨拶ぐらいしてもバチゃ当たらんやろ」

 「挨拶……ッスか」

 「なんでそんなことせにゃならんのだと考えとるな?うん?」

 「それはまあ……」

 「ヤクザは嫌いか?」

 「あの……暴力団とかそういうことなら、好きじゃありませんけど……」

 「なんでじゃ?」

 「群れるのが嫌なんで」

 背後でふたりのヤクザが呟いた。「てめえこの……」

 老人もとびきりの恐ろしげな顔で健太を睨んでいる。

 「おいガキャ、てめえそんなくそ小生意気な文句誰に教わったんや?」

 「べ、べつに誰にも教わってないすよ……大勢で腕ずくで誰か痛めつけたり、言うこと聞かせたり、そういうのが嫌だってだけだ」

 老人はじっと健太を睨み続けたが、やがて意外なことに、ひっひっひっと腹をふるわせて笑いはじめた。

 「こいつぁ参った!このガキャあ確かに澄佳の子供だあ!」

 「なんなんだよ!もうわけわかんねぇよ!」健太は立ち上がって怒りを爆発させた。

 「まあ待て小僧」老人は平静な声で続けた。「大口叩くのはええが、世の中甘くないんじゃ」健太の背後のひとりに合図した。

 そいつは庭に面したふすまを引いた。

 手入れの行き届いた日本庭園が広がっていた。池の手前に竹を組んだ磔台が立てられ……

 そこに髙荷マリアが縛り付けられていた!

 手ぬぐいで猿ぐつわをかまされ、後ろ手の縛めを解こうともがいていた。

 「なっ……!」

 「どうじゃ小僧。世の中は汚いぞ。ひとり粋がってもどうにもならねえ場合があるんだ」

 「ふざけんな……」

 「青臭いことほざいて世渡りできりゃたいしたもんじゃが、この場合はどうするんじゃ小僧。え?」

 「いったい何が目的なんだよ!?」

 「わしが尋ねとるんじゃ、澄佳の息子よぉ。てめえの度胸が据わっとるかどうか」もう老人は笑っていない。「極道の家でたいそうな文句吐いたからにゃ、ちいとは覚悟据わっとんじゃろうなぁ?小僧」

 健太は老人を見据えた。

 今すぐ土下座して平謝りするんだ!怯えて縮こまった心の一部はそう訴えている。だがエルフガインに関わってからここまでいいように小突き回され鬱積した怒りが、抑えようもなく健太を突き動かしていた。

 「髙荷になにかしたらおれが殺す」

 (あーあ、言っちゃった。これでおれの寿命もあと数分かな……)

 だが言いたいことを言ってしまうと、なにか清々しい気分だ。心拍も落ち着いた。

 「またビッグマウスじゃのう!じゃがてめえにはその裏打ちがあるんかと聞いてンじゃあ!ああ!?」老人は叫びながらテーブルを勢いよく叩いた。

 だが見下ろすと老人はそれほど大きく見えなかった。

 「そんなもんねえ!だけど髙荷無しじゃ、エルフガインはただの鉄くずなんだ!もうどこの国とくだらない〈ゲーム〉できねえんだよ!そしたらオレもいたって意味ねえんだ!なんでも好きにすりゃいいだろ!だけど覚えとけよ……もし自由になったらおまえを真っ先に踏みつぶしてやるからなこの糞じじい!」

 「おい!いい加減にしやがれ……」

 背後にいたヤクザのひとりが健太の肩を押さえ座らせようとした。その瞬間健太の中でスイッチが入った。久遠一尉に二週間かけて仕込まれた「いざというときのお役立ちマーシャルアーツ」が健太の体を勝手に動かしたのだ。

 「うがあッ!」

 健太は素早く振り返ってヤクザの鼻に向かって手首の付け根を叩きつけた。そいつの上着の襟を掴んでおもいきり引き下げながら同時に足を払った。ヤクザはふすまごと仰向けにひっくり返り、上着が両腕の自由を奪っていたためしたたかに頭を打った。背後でもうひとりのヤクザが健太に襲いかかろうとしていた。健太はその気配を感じて素早く身を屈めて男の両足にタックルをかけた。男はつんのめって仰向けに倒れていたヤクザの上に勢いよく倒れ込んだ。男の足首にホルスターがちらりと見えたので健太は躊躇することなくその銃を引きはがした。

 銃身の短いちっぽけなリボルバーだ。立ち上がって、倒れ込んだふたりに向けて銃を構えると、落ち着いて狙いを定め引き金を――

 「もうよしな!」

 さきほど健太にお茶を注いでくれた女性が庭にいた。

 それだけではなかった。

 ドスやらチャカやら手にしたヤクザの手下が十五人ほど現れ、健太を囲んでいた……

 が、正確に言えば、それは二秒前の状態だ。

 現在はそのヤクザの手下たちの背後に黒ずくめの忍者部隊が魔法のように現れ、ヤクザの頭に自動拳銃の銃口を押しつけていた。

 世界はその状態で静止していた。

 健太は夢から覚めたように首を振り、途方に暮れて辺りを見回した。

 (なに……?)

 静かな部屋にライターを付ける音が響いた。ひとり落ち着き払った老人が一服して煙をフーと吐き出した。

 「よしよし、いい顔だ。殺し屋の顔じゃった」

 「おじいさま、もういいでしょ?この通り喧嘩したくない人たちまで来てしまったわ」

 和服の女性が髙荷マリアの拘束を解き始めた。

 「本当にごめんなさいね、髙荷さん」

 猿ぐつわを外されたとたんマリアが吠えた。

 「この……変態野郎!ぶち殺してやる!ふざけんなよあたしをこんな目に遭わせて!健太!」

 「え?」

 「いいから撃て!死んだらあたしが骨拾ってやる!」

 「ええと……ちょっと待てよ」

 「ぶち殺せ!そこのじじい覚悟しな!健太が言った通り踏みつぶしてやるからね!」

 「おーい、髙荷、落ち着け」黒ずくめのひとりがマスクと厳ついヘルメットを脱いだ。久遠一尉だった。

 怒り冷めやらぬマリアが和服の女性に付き添われてどこかに消えると、久遠が縁側に腰を下ろした。

 「こんちわ、黒雅のおやっさん」

 「馬助。このチンピラが、元気そうじゃな」

 「おかげさまで……もう浅倉健太は連れ帰りますよ。忙しいんだ」

 「調子に乗んな。わしのシマであんまりデカイ面するでねえ!」

 「これでも必死に押さえてるんですよ……その坊主は長崎の二階堂のお嬢さんと仲良しでして」

 老人は顔をしかめた。「そりゃ知らなんだ」

 「うちのボスと陸自即応部の天城女史にも気に入られてますからね……」

 「わしらの天敵が揃っとるンか……そいつはやや慎重にせんといかんかったな」

 「そうなんですよ。よい子たちはともかく、うちのボスは本当にこのお屋敷をうっかり吹き飛ばしちゃおうかと考える人ですから」

 「てめえもずいぶんと女の尻に敷かれてやがんな」老人はせせら笑った。「もう帰れ、兵隊に銃を降ろせって言え」

 久遠は片手でなにか合図をした。たちまち忍者部隊が姿を消した。腹を立て気持ちを傷つけられたヤクザの皆さんがもう少しのろのろと解散した。

 「ところで、浅倉の息子になにかあったら本当にわしを撃つつもりだったんか?」

 「ええ」久遠はあっさり言った。「坊主、ふけるぞ」

 「あー……うん」健太は縁側にふらふらと出た。

 「おい、記念品持って帰るのかよ」

 「え?ああ」健太は手に握っていた拳銃に気付いて、ほかにどうしようもないので畳にそっと置いた。

 健太のブーツはいつの間にか縁側に揃えられていた。健太がブーツを履いているあいだに老人が言った。

 「すまんかったな小僧。さっきの嬢ちゃんにはわしが謝ってたと伝えてくんな。それから、仕事終わったらまた寄れや、今度は穏やかにな」

 「はあ……」

 健太は久遠のあとについて庭を通り抜け、赤い戸板に囲まれた狭い砂利道を通って駐車場に出た。黒塗りのセダンの脇に和服の女性が控えていた。

 「馬助さん、お久しぶりねえ」

 「達美ちゃん、今日は世話んなった。お屋敷を汚しちゃって申し訳ない」

 「いいのよ気にしないで……」女性は健太のほうに向いた。「あんたもごめんね、おじいちゃんにからまれて迷惑だったでしょう。まともに相手しなくて立派だったわよ」

 「ええ……いや、なんて言うか……」

 「これで懲りずにまたいらっしゃい」

 「あの、……はい」妙に親しげな誘いなのでもう二度と来るか!とも言えず、とりあえず返事した。

 女性はにっこり笑った。よくよく見れば年頃は二十歳そこそこか、けっこうな美人だ。

 健太たちは別れを告げ、車に乗り込んでヤクザ屋敷をあとにした。久遠が運転して助手席にマリアが座り、健太は後部座席にひとり座った。

 「あんまり手間かけさせんなよな」久遠が言った。

 「……ごめん」

 「健太が悪いんじゃないでしょ!」マリアがぴしゃりと言った。

 (……健太?)

 「まあたしかに、おれらも油断してたが」久遠はちらと健太に顔を向けニヤリとした。「それにしてもヤクザふたりぶちのめすとは、いい動きだったじゃねえか」

 「つい腹が立って……」

 「教育の成果を確認するのは気分が良いものだ」

 「つうか、いまだにおれ状況把握してないんだけど?」

 「見ての通り、あのじいさんは黒雅組の組長だ。いわゆる広域暴力団てやつ」

 暴力団、黒雅組。久遠隊長はさらっと言ったが、健太の記憶によれば、「西日本最大の」という前置詞が付くのではなかったか……?

 「まあ世界鎖国のあおりをいちばん食らった連中だ……企業同様グローバルなシノギがままならなくなったからな。もっと具体的に言うと浅倉澄佳を仇にしているひとりだ……」

 「え?それじゃおれ本当にヤバイ状況だったの……?」

 「いや、そうでもねえんだな。おれも本気で心配してなかったし」

 「どういうこと?」

 「わかんねえか?あのじいさんの息子はな、おまえの父親なんだよ」

 その言葉を呑み込むのに3秒かかった。

 「え―――――――ッ!?」

 「だから言ってたろ、また来いって。小遣いでもくれそうな口ぶりだったじゃねえかよ」

 「あのひとがおれのおじいちゃん、だ……?」

 「孫の顔見たさに誘拐まがいとは、まったく極道ってのは不器用なもんだ」

 「なんだよ……」マリアが腹立たしげに言った。「あたし親戚付き合いに巻き込まれただけだっての?」

 「おまえこそ災難だったな、拉致られてばっかしで」

 そう、髙荷マリアこそつい最近捕まって監禁されたばかりなのだ。

 「わ、悪いな、髙荷」健太も謝った。

 「別にいいよ」マリアは前を向いたままぶすっと呟いた。「あいつら別に乱暴じゃなかったし」髙荷は窓の景色にツイと顔を逸らした。

 「親父、実家がヤクザなんて一度も言わなかった」

 「おまえの親父か?まあ、入隊したとき勘当されて家を飛び出したって話だからな」

 「そうなんだ……それにしちゃあ、あのじいちゃんおれの母親のこと知ってたみたいだけど」

 「あ~……それは」久遠は言いよどんだ。

 「なに?」

 「ウム……まあ噂なんだけどな、澄佳女史……おまえの母上は、八年ほど昔からある壮大な社会実験に傾倒していたようだ」

 「社会……実験?」

 「まあなんと言うか……どうやったらこの国の指導的立場に食い込んで言いなりにすることができるか試してた、というか……」

 「な、なに言ってんの……?」

 「あくまで噂だ。状況証拠からしてそうとしか考えられない、ってのが天城一佐あたりの分析だ。とにかく、手始めにどうやってかあの爺さんからものすごい資金を搾り取ったんだな……。そしておそらく、その元手を使ってスネークヘッドやらロシアマフィアを叩き潰し……国内の暴力団関係者を軒並み廃業に追い込んだ」

 「ちょっちょっと待って、なに言ってんだよ?」

 「その課程でさらに資本を増やし、ついでにいろいろな社会的地位の人間の弱みを握ったみてえなんだ。でなきゃたった数年でエルフガイン計画を実現させたり埼玉をあんなふうにできねえからな……」

 「それじゃまるで母さんが日本を牛耳ってたみたいじゃないか……」

 「それ以外の意味に聞こえるか?」

 健太は妙な笑い声を漏らした。「まさか、冗談でしょ……」

 「だからよお、おまえの母上は超が付くぐらいの天才だったんだよ。既存の社会常識やらそんなものは全然興味なかったんだろうな。天才ってのはそういうもんだろ?秩序に従うんじゃなくて、自分で作り出しちまうんだ。私立防衛大学の連中も完全に丸め込んで、社会構造を裏から変えちまった……まあ軽く革命だな」

 「そんなめちゃくちゃな話……」

 「信じられねえか?ま、無理ねえが」

 「でもそれじゃあの……じいちゃん、もっと腹立てても良さそうなもんじゃ?まるっきり利用されたんでしょ、その、母さんに」

 「いやーそれがな、不思議なもんだがあの爺さんすっかりおまえのママに惚れ込んじまったんだ。というか、いま日本を動かしてる何人かは、浅倉澄佳の崇拝者なんだ」それから付け加えた。「あくまで噂だけど」

 健太は突然思いだした。母の葬儀は大きな寺でずいぶんと厳かに営まれた……背広姿の偉そうな大人が大勢やってきた。その中に人目もはばからず泣いていた老人がいた。いま思えば、あの老人だった。

 (まったく、おれの母さんて何者なんだ……?)この数週間やたらと母親について聞かされたが、聞けば聞くほど訳が分からなくなる。

 「隊長」マリアが言った。「若槻先生たちはどうなってるの?」

 「ああ、船団が低気圧に引っかかってるらしい。いま自衛隊の控えパイロットがストライクヴァイパーとバニシングヴァイパーでそちらに急行してる……」





  黒雅組四代目組長、松坂段九朗老人は電話に出ていた。

 「おう、島本先生かい」

 『ご無沙汰しております。健太くんとは会えまして?』

 「会ったよ」

 『お孫さんはどうでした?』

 「なかなか威勢のいいガキだったよ。わしんこと殺す言うとったわ」

 『はあ?』

 「耕介と澄佳さんの血をそこそこ受けついどるようじゃ。耕介が家出ン時わしに言ったこととそっくり同じ文句言いおって。……で、なんだ?あの小僧が心配で電話寄越したんかい?」

 『いえ、それもありますけどもうひとつ、対馬の件で』

 「ああ、アレか。おまえさんやっぱりあのデカブツを対馬に上陸させるつもりなんか?」

 『そうなるかもしれません。だから民間人を大勢対馬に運ぶのを控えていただきたいんですけど……』

 「へっ悪いがこっちも商売なんでな。そいつは聞けねえや」

 受話器を通じてさつきの溜息が聞こえた。

 「かまやしねえだろ……いまごろ対馬はプラカード担いだ市民団体と太平洋戦争時代に先祖返りした連中が何千人も上陸しとるよ。せっかく右も左もとびきりのごろつきが集合してやがんだ、対馬に上陸した半島人ごとまとめて踏みつぶしちまえ。そしたらこの国もちっとはマシにならあな」

 『それはそうかもしれませんけど、一応こちらは人道を尊重しているので』

 「澄佳さんの一番弟子が人道たあ笑わせるじゃねえか」老人は意地悪く笑ったあと改まった口調で続けた。「それよりもだ、次の相手は韓国人なんか?それともいよいよ中国が相手なんかね?」

 『そのどちらもあり得ます。天城さんはどちらも釣れると見込んでいるようです』

 「九州に来たのはあの女の発案なんか?大丈夫なんかね?もう国後のほうもだいぶ物騒な雰囲気だそうじゃが」

 さつきはかすれた笑い声を漏らした。

 『想定内ですわ。しかし幸い、ロシアもヨーロッパもアメリカも、もうこの国に弾道核ミサイルが通用しないと気付いています。ヘタに手出しはしませんよ』

 「そうかい?まああんたがそういうなら……あの坊主だが、なにかあったら只じゃすまねえとは言わねえが、ちゃんと世話しておくんな」

 『そう……危険な目に遭わせたくはないですけど、わたしたちはあの子にすべて任せるしかないんですから、できることはすべてやります』


 

 〈さんごしょう〉の船首で三角波がぶつかり合い、二万トンの船体を大きくすくい上げた。しかしスマートヴァイパーは揺れる船上で仁王立ちし続けていた。さすが世界最高レベルのロボット技術の集合体だけあって、巨大なライフルをバトンのように持ったままで人間よりもよほど器用にバランスを保ち続けていた。ただし背後の船橋にいる塔子たちにとっては、いつか倒れてくるのじゃないかとハラハラする光景だ。

 「これは気象兵器だわ」塔子は結論づけた。

 「え?本気ですか?」船長は傾き続ける床に踏ん張りながら半信半疑で応じた。「たしかに変な嵐ですが……」

 塔子は頷いた。中国人が気象コントロールを長年研究していたことは知られている。その成果は黄土高原の砂漠化を推し進めただけだと思っていたのだが、どうやら成功例もあったらしい。

 外はすでに暗雲に覆われ真っ暗だ。

 前方で小さな竜巻が生まれようとしていた。

 この気象全体がマイクロ台風の様相を呈していた。竜巻自体は二万トンの船に影響を与えるほどではなさそうだが、台風の目を中心として海流が渦を作り始めている。それに旋回半径の小さい突風のせいでうかつに航空機が近づけなくなっていた。〈ひゅうが〉は三機だけ搭載されたヘリを飛ばしていたが、直径五十㎞ほどある嵐の周囲を飛ぶしかなくなっている。

 しかも嵐は船団と一緒に移動していた。

 「美奈さん」塔子は〈日光丸〉のミラージュヴァイパーに呼びかけた。「この異常気象は人工的に作られていると思う」

 『ほえー!それスゴイじゃん。でもそれなら納得。第二段階バイパストリプロトロンを悪用する方法を開発したんだ』

 「残念ながらそうみたいね。それで、この現象を操ってる奴がどこかにいると思うのよ。だから気をつけて、そいつはヴァイパーマシンかもしれない」

 『うん分かった。たぶんそいつあの竜巻の真下だよ。このあたりは深いからたぶん水深300メートル以下ね』

 「そ、そこまで断言できるの?」

 『あれだけのエネルギーを発生させるには海水をたくさん温めないといけないじゃん?ミキサーみたいにかき混ぜるにはある程度深く潜らないとダメだし……でもエネルギーは台風の百万分の一くらいだと思うよ。浅瀬に移動すれば30分くらいで晴れるんじゃない?』

 「なるほど……」塔子は船長に顔を向けた。「船を陸に向けて進路変更しましょう」

 『分かりました!』

 敵の位置が実奈ちゃんの言った通りだとすると厄介だ。爆雷も魚雷も届かない。

 まったく、この〈ゲーム〉はじつに奇妙な戦争になりつつある。兵器をずらりと並べて長ったらしい総力戦に挑む必要がないのはけっこうだが、その代わり突飛なアイデア勝負となる。各国軍隊が長年慣れてきた常識は通用しない。

 (……まずは敵を確実に捕捉することだ)

 今度はどんな馬鹿馬鹿しい兵器が登場するのか暗い好奇心もある。先日の巨大ムカデは中国から技術供与されたものに違いなく、彼らが海底を「歩いて」日本に接近できると考えているのは明白だ。事実成功した。このミニ台風発生器も同様か。

 だがまもなく事態は容易ならざる段階に突入していることに気付かされた。

 「くそっ海流が渦を巻いていやがる……」

 「舵がきかないの!?」

 「かなり引っ張られています……暴風圏に抜けるには少々時間がかかりそうですな」

 後方の〈ひゅうが〉からも凶報がもたらされた。

 海中に渦巻き状のレイヤーが作られてしまっている。高速で渦巻く温度の違う海水が断層上に重なり合い、ソナーが効かないのだ。これでは敵を捕捉できず、攻撃することもできない。

 (塔子ピーンチ……)塔子は思った。

 まんまと敵の術中にはまったようだ。とは言え思ったより大物が出てきてくれた。いまごろは統幕のお偉方もなにが起こっているのか理解しているだろう。

 だからといって同胞に危険を指し示す生け贄となって散るつもりはない。



 名古屋。防衛省本部ビル。

 「朝鮮半島動乱で手一杯だというのに、中国まで出てきたとは……」

 「こちらから挑発したんじゃなかろうね?どうなんだ?」

 集まった官僚はそれぞれに心配しているようだった。朝鮮半島動乱は対岸の火事でしかなかったが、中国が攻めてきたとなると話が違ってくるらしい。

 いつも半数を占めていた自衛隊関係者はほとんど欠席していた。最低限の連絡係として陸自の二佐がひとりだけ。ほかの全員は持ち場に行ってしまった。慢性的な人手不足により士官クラスはほとんど駆り出されていた。

 残った次官たちは言いたい放題だ。普段の斜に構えた態度もどこかに置き忘れ、口を開けば「情報!ほかに情報はないのか!?」という調子だ。

 いまの世代は大学時代親中派の教授に教わった連中が多いのだろう。共産党政権によるジャパンヘイトを散々見せつけられたはずなのに、いまだ根強く中国を第二の故郷だと思っているのか。

 (勉強しすぎってのもなんだかな)陸自の二佐は内心首を振った。天城さんが見たらなんと言うだろう。(しかしこれほど取り乱すことはないだろうに……世界鎖国で中国利権なんてもうぜんぶ切れたはずだし、国内の抱き込まれていた連中も軒並みパージされたはずなんだが)

 根深い遺伝子的な何かなのかもしれない。……もっとも、二十世紀以前の日本人はよほど独立自治体としてしっかりしていた。少なくともどこかの国に平身低頭こびへつらうような真似はしなかった。そうじゃないか?

 とすると、いま目の当たりにしているものはさしずめ、太平洋戦争以来無邪気に幼児退行した日本人が、モラトリアムの終わりを察知して軽く恐慌している姿なのか。突然親に出て行けと言われたオタヒキニートの心境……

 だとするとその先に来るものは、世界を牽引できるだけの自覚を持った大人の社会か、はたまた大戦前の軍国化に逆戻りか……。

 二佐は首を振った。

 (いかんいかん。おれもつまらないことばかり頭に詰め込みすぎたな)

 そのとき、例の赤電話が鳴り始めた。

 次官たちはハッと息を呑み、電話に注目した。

 防衛省次官が電話を取った。

 「はい……え?……はい、分かりました」

 防衛省次官は電話を置いた。

 「今度はなにが?」

 「対馬の件だった」防衛省の男が答えた。

 「さきほど対馬に巨大ロボットが上陸したそうです」



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